第七十一話 お客さんがやってくる
日本にやってくるのは、なにも厄介な存在だけではない。海保や別の基地にいる海自艦艇の他に、友好的な相手もたまにやってくる。今日はその友好を目的とした客人が港にやってくる予定だ。その受け入れ態勢を整えるために、総監部はここ数日ざわざわしているらしい。
『波多野さーん、今日は何がくるんですかー?』
『艦長さんがお客さんが来るって言ってましたー!』
玄関で靴を履いていると、肩に飛び乗ってきた候補生が質問をした。
「大佐から聞いてないのか?」
『聞いてないでーす!』
『なにも聞いてなーい!』
その呑気な返事に首をかしげてしまう。
「それ、本当か? お前達が聞いていなかっただじゃ?」
『そうかもでーす!』
『かも――!』
「そんなことだと、また大佐にしかられるぞ?」
「あ、波多野さん、おはようございます」
部屋を出て階段を下りたところで、比良と合流をした。
「おはよう。すっかり定位置になってるな、比良の頭の上」
比良の頭の上には、チャトラの候補生がちょこんと座っている。ちなみにあの場所にいる時は候補生いわく『対空監視を厳に』状態なんだそうだ。
「そうなんですよ」
そうこうしているうちに、俺の肩に乗っていた二匹も頭の上によじ登りはじめた。
「なあ、二匹が上がるにはちょっと無理があるんじゃないのか?」
『そんなことないでーす!』
『場所あけて――!』
『無理――! 落ちちゃう――!』
『乗れない――!』
しばらく二匹は頭の上でわちゃわちゃしていたが、あきらめた白黒ブチが肩の上で座りなおした。
「お前達、最初に比べると大きくなったもんなあ……おい、比良、顔がにやけてるぞ」
横を歩いている比良の顔を指でさす。俺の指摘に、比良は表情を引き締めた。比良が大佐と候補生たちを視認できるようになったのは、れいの事件の一週間後だった。それと同時に会話もできるようになり、そのせいで最近の比良はデレデレしっぱなしだ。
「しかたないですよ、候補生さん達が可愛いんだから」
「だったら一匹、そっちに引き取ってくれよ。俺より猫の扱いには慣れてるだろ?」
「ダメです。候補生さん達の配置は猫大佐が決めたことですから。ちゃんとそれに従わないと」
「なんで比良まで大佐の言いなりなんだよ……」
ため息をつきながら歩き続ける。
「だって、候補生さん達の教官は大佐ですからね。教官の指示は絶対だったじゃないですか、俺達の時も」
「そうだけどさあ……」
言っていることはもっともなのだが、なにせ相手は比良だ。とにかく比良は、候補生にも大佐にも甘い。まあ甘すぎて大佐は『吾輩を猫あつかいするな』とイラついているが。
「ところで、今回のお客さんの入港時間って、何時でしたっけ?」
「昼前って話だったよな、たしか」
腕時計を見ながら答える。
「じゃあ俺たちも、昼休みに見られますね。あ、波多野さんは艦橋づめだから、休憩時間も関係なく見放題なのか。うらやましいです」
「見放題て言っても、上から眺めるだけだぞ?」
「それでもですよ。艦内の見学、させてもらえないんですかね」
「どうなんだろうなあ……」
来訪者が西側陣営の戦艦なら、そういったことも可能だったかもしれない。だが今回やってくるのは、某北の大国の戦艦。現在はそれなりに友好的な関係だが、日本が長きにわたり仮想敵国としてきたことは周知の事実。民間人の見学ならともかく、護衛艦の乗員である自分達が見学できるとは思えない。今はそれなりに友好的であってもだ。
「あっちにも猫神様はいるんですよね? どんな猫さんか気になるじゃないですか」
「比良、気になるのはそこなのか?」
「もちろんですよ、当たり前じゃないですか。せっかく見えるようになったんです、しっかり堪能しなきゃ」
「もちろん、当たり前……しかも堪能する対象なのかよ」
てっきり軍艦の内装が気になるのだと思ったら、比良が気になるのはその艦にいる猫神の方らしい。
「波多野さん、先に猫神様を見たら、どんな猫さんだったか教えてくださいね!」
「それはかまわないけどさ……砲雷科なら、あっちの装備とか気にならないのか?」
「猫神様のほうが気になります。装備は座学で学習できますから」
「そうなのか……俺が先に見て教えても問題ないのか?」
「ネタバレ、ぜんぜんオッケーです」
だがどんな猫かわかったら、比良のやつ、ニヤニヤして仕事にならないんじゃないか……?
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「あれ。なんでみむろの前が、がら空きになってるんだ?」
「ほんとだ」
いつものように桟橋に到着すると、普段はみむろの前に停泊している、三隻の護衛艦の姿がない。そろって訓練にでも出たのか?と反対側に視線を移動させると、その三隻はみむろの後ろに停泊していた。
「なんであの位置?」
「昨日、俺達が帰る時は、こっちに停泊してましたよね」
二人で首をかしげながら、タラップを渡る。
「おはようさん、二人とも」
「「おはようございます!」」
舷門当番の先輩一曹に敬礼をしてから立ち止まり、みむろの後方を指でさす。
「なんであの三隻、あっちに移動してるんですか? 昨日の夕方までこっちに停泊してましたよね」
俺が質問をすると、先輩一曹はニヤッと笑った。
「聞いて驚け。あの場所に停泊したいという、お客さんからの希望があったからだ」
「お客さんて、今日やってくるあれですよね。その戦艦がみむろの前にですか?」
最初の話では、桟橋の一番端に停泊する予定になっていたはず。これを機会にスパイ活動でもするつもりなのか? とは言ってもイージス艦の性能は、外から見て分かるようなものでもない。まさか暗くなってから忍びこむつもりなのか?
「しかも、鼻を突き合わぜる状態での停泊になるらしい」
「えええ……その希望、断ることできるんじゃ?」
比良の言葉に、先輩一曹はため息をついた。
「お客様の希望には可能な限り応じるようにと、官邸から通達がきているらしい。だから渋々、早朝から移動したんだよ、あの三隻。そのせいで朝から大騒ぎさ」
「なんでみむろと鼻を突き合わせての停泊なんだか」
「ま、ケツを向けるのは、さすがに失礼と思ったのかもしれないな。知らんけど」
別にケツを向けられても、俺たちは文句を言わないのに。ああ、それともあちらさんが、背中を向けるのがイヤだとか? 俺の後ろに立つなとかいう、漫画の主人公がたしかいたよな、日本人が描いた漫画だけど。
「で、うちの艦橋からは丸見えで、見たい放題の特等席じゃないか。他の護衛艦や地上勤務の連中がうらやましがって、そっちのほうでも大騒ぎになってる。波多野も今日は、一日中お客さんの艦を見放題だな」
「別に俺、そこまで興味ないですけどねー……」
「あの国の軍艦なんて、めったに間近で見られないんだぞ? しっかり見なくてどうするんだよ。探求心がないって航海長にどやされるぞ?」
「どやされない程度に見ておきます~~」
気のない返事をしながら自分の部屋に向かう。候補生たちは相波大尉の姿を見かけると、俺達のことをほっぽりだして大尉の元へと飛んでいった。猫大佐を筆頭に、これから朝の艦内パトロールなんだそうだ。
着替えてから神棚に向かう。かしわ手を打って頭を下げた。
「今日も一日よろしくお願いします。お客さんが変なのを連れてきて、夜中に騒ぎを起こしませんように! よし! 今日も一日、がんばれ俺!」
そう言ってもう一度、頭を下げる。そして後甲板に向かう途中で、当直を終えたらしい山部一尉と顔を合わせた。
「航海長、おはようございます。当直お疲れさまでした」
「ああ、おはようさん」
あくびを噛み殺しながら俺にうなづく。
「お客さんの艦、見てから帰らないんですか?」
「変な時間に場所替えでわちゃわちゃしただろ? そのせいで睡眠時間が足りてないんだ。今日はさっさと帰って寝る」
「そうなんですか。お疲れさまでした」
すれ違ってからしばらくして、一尉に呼び止められた。
「ああ、波多野」
「はい?」
「艦長から改めて話があると思うが、今日と明日、艦を見たい連中が艦橋に上がることに許可が出る。そのせいでこの二日間は出入りが激しくなると思うが、くれぐれも静粛にな」
「わかりました」
「じゃあ、あとはよろしく。ま、艦長も副長もいるから、なにかあっても大丈夫だと思うがな~~」
そう言うと、一尉は手をヒラヒラと振りながら、自分の部屋へと立ち去った。
「今の、どういう意味なんだ?」
首をひねりながら甲板に出る。いつものように自衛艦旗の掲揚が終わると、艦長の大友一佐から、その場にいる全員に申し渡しがあると言われた。
「おはよう、諸君。先日から通達があった通り、本日は他国海軍の軍艦が入港する。すでに湾内に入り、こちらに向かっているとの連絡が入った。係留場所は当艦の真正面となる」
それを聞いて全員がざわつく。そりゃそうだろう。
「艦長の話はまだ話は終わっていないぞ」
副長の藤原三佐が、その場にいた全員の注意を引き戻す。一佐は三佐に軽くうなづきかけると、話を再開させた。
「両国間の関係上、停泊中は客人も非常にナーバスになると思われる。興味があるのは理解するが、あからさまな観察はしないように。甲板に出て眺めるのはもってのほかだ。ゆっくりと見物したいなら、艦橋に上がることを許可するので、そちらで目立たないように見ること。艦橋に上がる順番は、各部署で調整をするように。私からは以上だ。副長?」
三佐が一佐から話を引き継ぐ。
「停泊期間は六十時間。明後日の昼には出港の予定だ。上から見たい者は、それを踏まえてそれぞれの長に申し出るように。それから明日は朝から昼まで、あちらのご厚意で一般人に対する艦艇公開が行われる。そのため人の出入りが普段より多くなるので、各員そのつもりで。では、艦橋勤務以外の者は解散!」
「中に入れるのか、一般の人」
「いいなあ、うらやましい」
「俺も見学したいなあ」
「ネットに写真が流れるのを待つしかないのか」
「中の撮影はさすがに無理だろうな~~」
あれこれと言いながら、それぞれの持ち場へと散っていく。
「あー、それでみむろの前を開けたのか」
どうしてみむろの前に停泊している三隻が移動したのか、今の話を聞いてやっと理解した。三隻が停泊している場所はゲートから一直線の場所。一般公開で真っ先に見学者の目に入るのが、そこに停泊している護衛艦なのだ。だから今回は客人の艦に、その場をゆずったのだろう。
「にしても落ち着かないよな、顔を突き合せた状態ってのは」
まあそれは、あちらの乗員も同じなんだろうが。残るように言われた艦橋づめの乗員が、一佐の前に集合した。
「今日と明日の件だが、当艦は一般公開をしないので、民間人が乗艦してくることはない。ただし、総監部と他艦の幹部が艦橋に上がってくる。普段以上に出入りが激しくなるので、その心づもりはしておくように」
一佐がそう言うと、三佐が手にしたバインダーをかざす
「スケジュールは艦橋に置いておくので、あとで目を通しておくように。ちなみに総監部のお歴々が来艦の時は、艦長と私が対応する。お前達は普段通り、業務についていれば問題ない」
それを聞いて、全員が安堵の表情を浮かべた。




