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帝国海軍の猫大佐  作者: 鏡野ゆう
第五部 招かざるモノ

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第六十六話 招かざるモノ

 そんなわけで、俺は双眼鏡で前方を監視中。どんなわけかと言えば、航海長いわく、俺が一番みむろで遠くを見通せるから、らしい。そして俺と同じように、比良(ひら)も見張りに立っている。砲雷科の比良がなぜここにいるかと言えば、俺が航海長に進言して巻き込んだからだ。


「本当に俺でも見つけられますかねえ……」

「心配するなって。候補生達が捕まえてきたの、見たんだろ?」

「そりゃ見ましたけど……」


 俺達が最初に見つけるべきは先ぶれの集団。候補生達が捕まえて得意げに見せてきた、あの気味の悪い黒い物体だ。ここで展開している護衛艦と巡視船以外から報告がないところを見ると、あれもレーダーでは捕捉できない、そして人には見ることができない存在らしい。となれば、頼れるのは見える俺と比良の目だけだ。


「今度のも他の乗員に見えるんですかね」

「どうなんだろうな。大佐はかなり濃度の高い悪意の(かたまり)だって言ってるし、見えるんじゃね?」

「あんなのがいっぱい飛んで来たら、艦内は大パニックですよ」


 幽霊騒動や掃除だけでも大騒ぎだったのだ。間違いなくパニックが起きるだろう。


「乗員がパニックになったら、伊勢(いせ)曹長達がそいつらをグルグル巻きにして、おとなしくなるまでトレーニングルームに放り込むんだってさ」

「うわあ、荒っぽすぎる……」


 ちなみに、艦橋のメンバーは艦長室会議の後、急きょシフトの変更があり編成が変わった。恐らく今の艦橋のメンツは、なにかしら特殊な事象を経験済みで、なにが起きてもパニックにならず、(ふね)を航行させることができるメンバーだと思われる。


「どうせならパニック起こしそうな人間は、前もって一服盛って寝かせておけば良いのに」

「比良、それはもっと荒っぽすぎ」

「そうですか? 仲司(なかつかさ)三佐に頼めば、薬ぐらい調合してくれそうですけど。それか酒を飲ませて、泥酔させておくとか?」

「それは別の意味で大問題だろ。それにゲコだったらどうするんだよ」

「それこそ一服盛るとか」


 普段は呑気な比良も、たまにこういう過激なことを口にする。副長いわく、俺に感化されているんだそうだ。


「もしかして、アレか?」


 前方に黒い雲が急にわき始めた。ゲリラ豪雨をもたらす雨雲のようにも見える。だが色は不自然なぐらいに黒い。


「バッタの大移動みたいな感じに現われると思ってました」

「俺もそう思ってた」


 監視を続けていると、カモメ達が騒々しく鳴きながら、みむろを追い抜いて黒い雲をめざして飛んでいく。そして雲のあちこちで発光が起きた。カモメが突進していくのと雲の黒さ以外は、ゲリラ豪雨時の雨雲と雷光だ。もしかしたら普通の人達には、そういうふうに見えているのかもしれない。


『始まったな。お前達も気を引き締めろ。先ぶれが来たぞ』


 いつのまにか大佐が窓のそばに座っていた。それまで明るかった周囲が急に暗くなる。艦橋横のデッキに出ていた先輩達が艦橋に入り、素早くドアを閉める。そしてなにかシールのようなものを貼りつけた。


「あれってもしかして御札?」

『もしかしなくてもそうだ。艦橋に余計なモノが達が入ってきたら、それこそ艦全体が制御不能になるからな』

「そんな便利なものがあるなら、あちこちに貼れば良いのに」

『神の力を気安く使おうとするな』

「ごもっとも」


 ビシッと尻尾にはたかれた。そんな大佐も背中の毛が逆立っている。当たり前だが、有事を前にかなり気が立っているのだろう。


 そして、それはいきなり始まった。雨粒ぐらいの黒い(かたまり)が一つ二と窓にぶつかり始め、あっという間に物凄い量の黒い物体がぶつかり始めた。窓に張りついた黒いモノはピクピクと動いており、気色悪いことこの上ない。


「うっわー……気色悪いのもあるけど、これは無性に窓ふきがしたくなる……」


 のんきなことを言っていられたのも数分だった。あっという間に窓が黒いモノで覆われ前が見えなくなる。ワイパーが動き始めたが、取り除いたそばから黒い物体がぶつかってきて窓を覆っていった。


「これ、ここを通りすぎて他の船舶に害を与えるってことはないのか?」


 大佐に質問をする。


『もちろんあるに決まっている。だからここで食い止めているのだろうが』

「食い止めるってどうやって?」

『みむろ、たにかぜ、やましろが展開位置を移動して、横一列に並んで停泊したのは、一体なんのためだと思っているのだ』

「え、いや、それはちょっと気になってはいたけどさ」


 艦長室会議が終わった後、なぜか「たにかぜ」と「やましろ」はみむろを挟んで横一列になるように移動して、その場に(いかり)をおろしていた。


『艦内神社の神々と吾輩(わがはい)たちでここに壁を作っているのだ。正確には壁というより網に近いがな』

「あ、もしかしてそれって、ハエとり紙のワイド版みたいな」


 俺の言葉に、大佐はため息をついた。


『お前らしいと言えばお前らしいが、吾輩(わがはい)たちの力をハエとり紙と一緒にするな、馬鹿者め。この壁に触れた先ぶれのほとんどは消滅するのだ。捕えるだけのハエとり紙とは違うのだ」

「あ、それって殺虫灯みたいですね。あれは消滅まではしないけど」


 比良がニコニコしながら言う。


『比良、お前もか……類は友を呼ぶとは言うが……」


 大佐はもう一度ため息をついた。


「俺達だってこんなの初めてだし、今までの経験から似たようなことを引っ張り出すんだったら、そうもなるだろ?」

『まったく、これだから小童(こわっぱ)どもの世話は面倒なのだ』

「俺達、別に大佐に世話してもらってねーし。どっちかと言えば、こっちが世話してるほうだし」

『屁理屈をこねるな、馬鹿者め』

「……納得いかねー」


 そう言っている間も、窓にはどんどん黒いモノがぶつかってくる。カモメ達が迎撃に出ているのにこの量だ。あいつらがいなかったら、このみむろは一体どうなってしまっていただろう。それこそ艦内が大パニックかもしれない。


「殺虫灯がどんなふうに作用しているのか見たいよな」

「それは言えてますね」

『外には絶対に出るな。あれだけの物量と人が接触したら、どう作用するかわからんぞ』

「こえーよ……マジかよ」

相波(あいば)にも言われたであろう。余計なモノには近づくなと』

「そう言えば大尉と候補生さん達はどうしてるんですか?」


 比良が質問をする。


『艦内を見回り中だ。これも実地訓練だからな。あやつらにとっては良い経験になる』

「まだ小さいのにこんな怖いことを経験してかわいそうに……」

『見た目が仔猫なだけで、あやつらはお前達よりもずっと年上なのだがな』


 大佐がため息まじりに言った。


 横殴りの豪雨のような黒い物体の襲来は十分ほど続いた。だが俺や比良にとっては、それこそ永遠に等しい時間だった。少しずつぶつかる黒いモノの量が減り、やがてポツリポツリとぶつかってくる程度にまで減った。


「やっと終わり?」

『まだ外に出るな。今のは先ぶれ。ここから本体がやってくる。お前達はしっかり前を見張っていろ』


 大佐によると、艦内にもかなりの数が入り込んだらしい。艦内が今どういった状況になっているのか、正直言って考えたくない。


―― この後は不眠不休で大掃除かもな…… ――


 それはそれで憂鬱(ゆううつ)だった。



+++




「前方に航跡波(こうせきは)を視認! 接近中の物体が起こしているものだと思われます」


 はるか前方、双眼鏡ごしに不自然な動きをする波を見つけた。俺の報告に、艦橋にあがってきた艦長と一尉が双眼鏡を手にする。


「……お前、本当にどんな目をしてるんだ。俺達にはまったくだぞ」


 一尉があきれたような声をあげた。


「間違いなく見えてますよ」

「疑ってはいないから安心しろ。レーダーとソナーは?」


 艦長がレーダーを見ている先輩に声をかける。


「感なし!」

「波多野、進行方向はわかるか?」

「もちろん、こちらに一直線です」


 俺の言葉に二人が同時に笑い声をあげた。


「一直線とは厄介な相手に好かれましたね、艦長」

「俺とは限らんだろ。波多野、たにかぜとやましろに向かっている可能性は?」

「残念ながらありません!」


 レーダーに映らなくてもわかる。あれは間違いなくみむろを目指して進んでいる。


「ほらね。好かれているんですよ、艦長は」

「お前かもしれないだろ」

「いやいや、ここはやはり艦長でしょ」

「藤原かもしれん」

「まーた、そんなことを」


 二人は双眼鏡をのぞきながら、妙ななすりつけ合いを始めた。


「ああ、良策を思いつきました。副長を艦首にぶら下げておけば、逃げていくかもしれません」

「あいつの護符体質はそこまで効果あるのか?」

「と思いますが。あ、自分にも見えました。……これはなかなかの大きさですね、艦長」


 それまでの掛け合い漫才的な雰囲気が一瞬で消え、一尉が息をのむ。


「俺にも見えた。大きいな。今まで見た中で一番の大きさかもしれん」

「あの、あれが衝突したどうなるんですか?」


 恐る恐る質問をした。まあ答えは聞かなくてもわかっていたが。


「正面衝突だと、潜水艦の潜舵(せんだ)どころじゃないだろうな。だが、下手に転舵(てんだ)して横っ腹に突っ込まれたら、間違いなくみむろは横転して沈む。このまま真正面で向き合い続けるしかないだろう」


 まるでタチの悪いチキンレースだ。しかもあっちは絶対によけないことが分かっている。正面衝突覚悟の最悪のチキンレースだ。


「海面が盛り上がっていませんか?」


 正面を見ていた比良が言った。言われてみると海面が急激に盛り上がり、その周囲に白い波が立ち始めている。下にいるヤツが浮上しようとしているのだ。まだそれなりに距離があるはずなのに、海面のふくらみが小山ほどの高さになっているのがわかった。


「どんだけデカいんだよ、あれ……」

「いやいやいや、あの大きさヤバいっしょ。艦長、転舵(てんだ)するのがヤバいなら、後進するのはどうでしょうか。追いつかれるにしろ、全速で後進すれば、ぶつかる衝撃が多少なりとも弱まると思いますが」


 (かじ)を任されていた一曹が提案をした。


「これ以上さがると、民間船の航路に差しかかるが……致し方ないか。一曹、全速で後進」

「お任せあれ! 機関室、艦長より全速後進のオーダーが入りましたよっと!」


 一曹が機関室に連絡を入れると、向こうから「エンジンをぶっ壊す気か!」と怒鳴り声が返ってきた。だがすぐに艦がゆっくりと後進を始めたところを見るに、機関室はすでにスタンバイ状態にあったようだ。みむろの後進する速度が上がっていく間にも、動く海水の小山はどんどん距離をつめてくる。そしてとうとう波の隙間から黒い物体があらわれた。それが見えたとたん、なんとも言えない寒気に襲われた。


「真っ黒だ……」


 海水で濡れているのに黒光りすらしていない、闇のような黒さ。大佐はさっきの先ぶれを含めて「人の悪意」と言ったが、そんな言葉では言い表わせないほどの禍々(まがまが)しい空気を感じる。黒い球体がぶつかってきた時は臭いだけですんだが、あんな大きなものが衝突したら、みむろはどうなってしまうんだ?


―― 沈没するだけですむのか? 俺達はどうなる? ――


 艦内神社の加護や猫神の存在だけで、ここにいる全員が無事でいられるとはとても思えない。それほどに禍々(まがまが)しい空気をまとっていた。それがどんどん迫ってきている。


―― こんなことになるなら、壬生(みぶ)海曹とゴローに、ちゃんと行ってきますのあいさつをしておくべきだったなあ…… ――


 気持ちはすでに沈没した護衛艦の乗員だ。海面から黒い物体が完全に姿を現わした。


「こりゃ、藤原でも無理だろうな」

「ちょっと副長が相手するにはデカかもしれませんね」

「かもじゃなくて、デカすぎだろ」


 艦長と山部一尉が引きつった笑いを浮かべる。そして俺はと言えば、守秘義務なんてどこ吹く風な考えが頭をよぎった。


―― 俺、これで生き残れたら、この体験を絶対にどこかの掲示板に書きこ込んでやるぞ!! ――


 次の瞬間、左舷で大きな波柱がたった。そしてそこから飛び出してきたのは、黒い物体と同じぐらいの大きさの、青白く光る体の長いサメのような生き物(?)だった。そいつは大きく口をあけて、黒い物体の首らしき場所に噛みつく。


―― は? なに? あれなに?! ――


 いきなりの光景にあっけにとられていると、さらに黒い物体の後方で大きな波柱が立った。そして今度は朝焼け色に輝くサメなのかヘビなのかが飛び出し、空高くジャンプをするとそのまま黒い物体に体当たりをする。二匹のそれらに体当たりをされた黒い物体は、不気味な叫び声のようなものをあげると、そのまま二匹に押さえつけられて海の中へと沈んでいった。


『どうやら間に合ったようだな。まさか二頭で追っていたとは、わだつみ殿達もご苦労なことだ』


 大佐がのびをする。そして後ろ足で耳の後ろをかきむしった。


「間一髪のタイミングでしたね、艦長」

「今回はなかなかきわどかった」

「また見損ねたと副長がヘソを曲げそうです」

「次の機会への楽しみが残って良かったじゃないか」


 緊張していた空気が一気にゆるんだ。


『後進は良い判断だった。あれのお陰で時間が稼げたようなものだったからな』


 大佐がそう言うと、先輩はガッツポーズをしてみせる。そして俺達は一気に脱力した。


「ヤベえ。俺、なんか気持ち悪くなってきた……吐きそう」

「俺もです、波多野さん」


『もう外に出てもかまわんぞ』


「波多野、比良、艦橋を汚すな。吐きたいなら外で吐け」


 艦長の言葉に甘え、俺と比良は艦橋横のデッキに出ると、そのまま海面に向かって吐いた。後ろで「興奮して吐くとか、お前達は子供か?」と航海長の冷やかしの声が聞こえてきたが、それは無視することにする。

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