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帝国海軍の猫大佐  作者: 鏡野ゆう
第五部 招かざるモノ

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第六十四話 先ぶれがやってきた

「……」


 みむろは今日も、前後左右全方位を見張りながら航海中。はるか遠くに同じ港から出港した護衛艦たにかぜ、そして海保の巡視船が見える。航海長の山部(やまべ)一尉いわく、あれを双眼鏡で見つけることができる俺の目は異常なんだそうだ。


「海保の巡視船、なんて名前だったかな……思い出せない」


 巡視船を双眼鏡でながめながら独り言をつぶやいた。


波多野(はたの)、なにを一人でブツブツ言ってるんだ」


 俺の横に一尉が立つ。そして俺と同じように双眼鏡で前方を見た。


「え? えーと、あの海保さんの巡視船の名前が浮かばなくて」

「別に出なくても困りはしないだろ」

「そうなんですけど、出てこないと気持ち悪いじゃないですか」


 たぶん最初の一文字さえ浮かんだらすぐに解決できるんだろうが、その一文字が出てこない。


「そうか?」

「イライラモヤモヤは、一つでも少ないほうが良いんですよ。特に今のような状況の時は」

「お前の言い分も理解できる。ま、がんばって思い出せ。考えるのはかまわないが、見張りをしている時は気を抜くなよ?」

「教えてくれないんだ……」


 今の口調からして教えてくれる気はなさそうだ。


「自力で思い出したほうが爽快感(そうかいかん)が違うだろ」

「それは思い出せたらの話ですけどねー……」


 だが当分の間、思い出せそうにない。今日はずっとこのモヤモヤをかかえたままなのかと思ったら、ゲンナリした気分になった。この海域に留まることになって数日。リアルでも非リアルでも、今のところ特になにも起きていない。そのことは日本にとっても近隣諸国にとっても喜ぶべきことなんだろうが、ここに張りついている身としてはなんともかんともな毎日だ。


―― 今日も大佐はいつもの場所か…… ――


 普段なら艦長席で寝ている猫大佐も、ここ最近は普段とは違う場所に陣取っていた。その場所とは、艦橋からは見ることができない護衛艦のてっぺんだ。そしてお世話係の相波(あいば)大尉は、候補生達をつれて甲板に出ている。三匹は大尉に話しかけ、話しかけられた大尉はなにか返事をしている様子だ。


―― 外に出られるなんてうらやましい…… ――


 現在みむろ乗員は、甲板に出ることを禁じられている。だが彼らは別だ。みむろの猫神とお世話係、そして候補生達はみむろ所属ではあるものの、人間のルールには縛られることはないのだ。


―― あー……外で風にあたれるなんてうらやましい…… ――


 とは言え、外が見渡せる艦橋にいる俺はまだマシだ。比良(ひら)河内(かわち)達のように戦闘指揮所や機関室に詰めている乗員は、外すら見えないのだから。


「伝説の二ヶ月の時は、皆、どんなことをしてたんすか?」

「ん? どんなこととは?」

「なんつーか、モヤモヤとかイライラの発散ですよ」

「今とは段違いの緊迫感で、それどころじゃなかったってのが正直なところかな。もちろん今が緊迫感がないと言ってるわけじゃないぞ?」


 困ったことにあの国からのミサイル発射は、日本では日常的な出来事の一つになってしまっていた。だからニュースになっても、それほど騒がれることはない。だが、その慣れが一番怖いことを俺達は知っている。


「そして俺達はまだ下っ端幹部のころだったからな。艦長達が本部と通信会議をする時はここを任されていたわけだが、俺達が代理をしている時だけは飛んでこないでくれって祈ってたな」


 そう言って一尉は笑った。


「副長もですか」

「副長は艦橋に、胃薬と水を持ち込んでたよ。実のところ俺も、副長の薬の世話になったことが何度もある」

「あ、それで比良に理解があるんだ」

「そうかもしれん」


『波多野さん、波多野さん!!』

『波多野さん、見てください!』

『見て――! 捕まえた――!』


 いきなり三匹が目の前にあらわれた。しかもなにやら黒いものをくわえている。


「どっ?!」


 ここには俺と一尉以外にも人がいるので、あわてて口をつぐむ。三匹がくわえている黒いものは、ピクピクと動いていて気色悪いことこの上ない。しかも生臭い。以前に嗅いだことのあるにおいだ。あの黒い球体と同じ、厄介な存在に違いない。


「……なんだよ、それ」


 小さい声で、誇らしげな顔をしている三匹に声をかけた。


『先ぶれだって大尉が言ってました!』

『言ってました!』

『僕たち捕まえたの偉い――?』


 横に立っている一尉のほうにチラッと視線を向ける。だがムカつくことに、一尉は三匹から視線をそらしたままだ。ムカついたので、他の連中には見えないのを良いことに、思いっ切り一尉の足を踏む。


「なんだ」

「知らん顔しないでくださいよ」

「なんのことだ」

「まーたそういうことを言う。なんの先ぶれっすか? 艦長への報告案件では?」


 二人で前を見たままヒソヒソと言い合いをするのも最近は慣れてきた。


「なんの話だ。ミサイルに先ぶれなんて存在しないぞ。お前、頭だいじょうぶか?」

「うっわー……上官でも言わせてもらいます。すっげームカつく」


 わりとマジで。


「なにをイライラしてるんだ。イライラするのはカルシウムが不足しているからだって知ってるか? しっかり牛乳を飲めよ?」


『ごほうびにミルクもらえるー?』

『ミルクー?』

『ミルクのみたいです――!!』


 一尉の牛乳発言に反応した三匹が、ミルクミルクと騒ぎ出す。


「ミルクは夜だけ!」


 小さな声でビシッと言うと、三匹はしょんぼりとなった。だが問題は牛乳ではなく、そのピクピク動く黒いヤツだ。そんなものほ俺に渡されても困のだが!


『これ、大佐に見せてきますー!』

『僕たちの初めての獲物ですー!』

『カモメさんで練習したの役立ちましたー!』


 三匹はそう言うと、嬉々とした様子で黒いものをくわえたまま姿を消した。てっぺんに陣取っている大佐の元に向かったのだろう。


「やれやれ……こまったもんだ。こういう時こその幹部も役に立たないし」

「おい、聞こえているぞ、失礼なことを言うな」

「本当のことでは?」


 真顔で言い返すと、一尉は苦笑いをしながら肩をすくめてみせる。


「真面目な話、艦長への報告案件なのでは?」

「適材適所だろ。それぞれにぞれぞれの役割がある」

「……猫大佐から艦長に報告がされるということですか?」


 一尉はその質問には答えず、咳ばらいをしただけだった。まあつまり、この件は大佐から艦長へと報告がされるのだろう。



+++



 そして昼食の時間。食堂で遅めの昼飯を食っていると、普段は厨房(ちゅうぼう)からめったに出てこない、吉嶺(よしみね)一等海曹が俺のところにやってきた。


「どうしたんですか、料理長」

「お前、イライラしてるんだって?」

「はい?」

「山部航海長から話がきているぞ。お前や比良が、慣れない任務でイラついているとな」

「いやまあ、俺はイライラというより今はモヤモヤなんですがね。それと比良はイライラというより、ピリピリしてる感じですが」


 いきなりの話に、一体どうなっているんだ?と首をかしげる。


「リラックスするなら甘いココアやホットミルクなんだが、こういう任務中には難しいからな。まあ部屋で飲む分には問題ないだろ。部屋で休む前にでも飲むといい。さすがに大っぴらにレンジでチンはまずいから、チンしたいならコッソリな」


 そう言って渡されたのは、大きな茶封筒だった。中をのぞいてみると、いつも食事の時に出てくる牛乳パックだ。


「これ、一体どういう……?」

「幹部と俺の心遣いだよ。俺には礼は不要だが、少なくとも艦長と直属の上官である航海長には、ちゃんと礼を言っておけよ? 幹部に牛乳カンパの話をしたのは、航海長だからな」

「ありがとうございます。艦長と航海長には、折を見て礼を言っておきます」


 俺がそう言うと、料理長は満足げにうなづき自分の持ち場へと帰っていった。まさかの牛乳パックの大量入手。これで俺も比良も、コソコソと牛乳パックを部屋に持ち帰ることをせずにすむぞ。


―― まさか、候補生達の牛乳タイムのことを心配して? ――


 見張りに立っていた時に一尉が「牛乳を飲めよ」と言っていたのは、まさかこれの伏線だったとか?


―― だとしたら、航海長もとんだ策士だよな ――


 素直じゃないんだから……とニヤニヤしながら急いで食事をすませ、部屋に牛乳を持っていく。あとで比良に渡してやらないと。そう考えながら封筒をロッカーにしまいこんだ。


 そして艦橋へ向かう途中、階段の下で懸垂(けんすい)をしている伊勢(いせ)海曹長を見つけた。


「あれ? 伊勢海曹長、今は夜時間では?」


 相変わらずの様子で黙々と懸垂(けんすい)をしている海曹長を見あげる。


「夜時間なんだけどな。運動が不足しているせいで寝つきが悪い。そういう時は薬にたよらず体を動かすのが一番だと、仲司(なかつかさ)医官から言われたんでな。寝る前のちょっとした運動だ」

「そうなんですか。トレーニングルームは使わないんですか? まさか立検隊(たちけんたい)の全員が寝つきが悪くて運動中とか」


 そう言ってから、ありがちなパターンかもしれないなと思った。立検隊(たちけんたい)のメンバーは、乗員の中でも武闘派タイプの人間ばかりが集まっている。せまい艦内では走り込みもできないし、俺達とは違ったイライラをかかえているのかもしれない。


「そういうわけじゃない。あまり激しい運動だと汗をかいてシャワーを浴びたくなるだろ? これぐらいの運動がちょうど良いんだよ」

「へえ……ちなみに何回ほど?」

「百回かな」

「それで激しい運動でないって、どうかしてます」


 しかも、海曹長の懸垂(けんすい)は、体をゆっくりじっくりと上げ下げするやりかただ。とても俺には百回もできそうにない。


「そうか? じゃあ波多野だったら、どんな運動で寝つきの悪さを解消する?」

「俺っすか? 俺は今のところ寝つきが悪くなってないので、この手の運動の予定はないですけど、そうですねえ……廊下を掃布(そーふ)がけしながら走るとか? 運動もできて掃除もできるから、一石二鳥(いっせきにちょう)だと思うんですが」


 俺の答えを聞いて、伊勢海曹長は声をあげて笑った。


「なるほど。そういうのもありかもな。これに飽きたらやってみるかな」


 掃布(そーふ)がけをしながら廊下を黙々と往復する海曹長の姿は、想像しただけで怖いけどな……と思ったが、それを言うのはやめておくことにする。



+++++



「あ、思い出した。やましろだ」


 その日の就寝時間。目を閉じる寸前に思い出した。


「あー、スッキリした! これで心置きなく眠ることができる」


 実に爽快(そうかい)な気分になり、そのまま目を閉じた。

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