第六十三話 緊張感はどこえやら~艦内猫ライフ
比良と話をつけて部屋に戻ると、三匹はキラキラした仔猫の目で俺を見あげた。
『ミルクなくなりましたー!』
『飲んじゃいましたー!』
『ミルクおかわり――!』
空になった皿の前で、おかわりをくれと鳴き声をあげる。
「残りは大佐の分なんだけどな……ま、もう少しやっても大丈夫か」
普通の仔猫と違ってこいつらは猫神だ。牛乳を飲みすぎても腹をくだすこともない。比良から、毛玉を吐く話やトイレの話を聞いているだけに、その点だけはありがたかった。それぞれの皿に少しずつ牛乳を入れる。
「あとは大佐の分だから。お前達はそれで、今日の分はおしまいだからな」
『はーい!』
『はーい!』
『は~い!』
「でだ。明日のこの時間は比良の部屋に行くように。比良が牛乳を用意してくれるからな。俺と比良が交代で、お前達の牛乳を確保することにする。わかったか?」
『了解しましたー!』
『了解ですー!』
『了解で~す!』
牛乳をなめながら生返事をする様子に、ちゃんと理解したのか?と少しだけ心配になる。
―― ま、明日ここで騒いだら、比良のところに行かせれば良いだけだしな ――
「さてと。これでお前達の牛乳問題は解決だよな。じゃあ今度は、俺が話を聞かせてもらう番だぞ。お前達の任務のこと」
仔猫達は皿をきれいになめ終わると、満足げに毛ずくろいを始めた。
「こら、こっちの話を聞けっての」
『波多野さん、もう寝る時間ですー!』
『寝るのもお仕事ですー!』
『僕もねるー!』
「ぜんっぜん聞いてないし!」
やれやれとため息をつきながら、三匹が使った皿を片づけた。そして残りの牛乳を皿に注ぎ、机の奥の方に置く。こうしておけば戻ってきた大佐が気がつくし、その後は大尉が片づけてくれることになっている。物欲しげに鼻をヒクヒクさせる三匹に、人差し指を向けた。
「これは大佐の分だから。お前達のはおしまい。さっさと寝ろ」
三匹は不満げな顔をして、俺が使っているベッドの上へと飛んでいく。まったく。ここ最近、海上自衛官としてのスキルより、猫飼いとしてのスキルばかりが上がっているような気がするのは何故なんだ。
「それでお前達の任務ってなんなんだよ。もしかして知らないのか?」
部屋の電気を消し、三匹が占領する枕を奪取して頭を乗せた。そして毛布をかぶる。目を閉じたところで三匹がモゾモゾと毛布の中に潜り込んできた。おかしい、絶対におかしい。ここは緊急出港した護衛艦内だというのに、どうして俺は呑気に猫ライフな夜をすごしているんだ?
『聞いてますー!』
『でも僕たち候補生ですから!』
『候補生は見てるだけー!』
「あ、そう」
やはり猫神としての任務に関しては、大佐か相波大尉にたずねたほうが良さそうだ。あきらめて目を閉じようとした時、出港直前に副長が「招かざるモノがやってくる時は団体様」と言っていたことを思い出した。
「なあ、なにかこっちに向かってきてるんだよな? なにが来るんだ? やっぱり幽霊船団みたいなやつか?」
だが三匹からの返事は返ってこなかった。そっちに目を向けると、三匹は団子のようにかたまり、すやすやと眠っている。
「寝るのはやっ」
―― まったく仔猫というやつは…… ――
ため息をつきながら目を閉じた。
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なにかが部屋にいる気配と、ぼそぼそと話をする声でなんとなく目が覚めた。と言っても時間が時間だから、起きたと思ているだけで実は夢を見ているのかもしれない。
『またミルクをやっていたのか、馬鹿者めが』
腹立たし気な大佐の声がする。
『この皿に入った牛乳は、大佐の分ではないでしょうかね?』
そして大尉の声も。どうやら今日の見張り仕事は終わりらしい。多分だが、今回の任務についている護衛艦と巡視船の猫神たちが、それぞれ交代で見張りを行っているのだろう。
『吾輩は仔猫ではないというのに』
『それはわかっていますが、せっかく波多野さんが用意しておいてくれたんです。いただいておくのが礼儀だと思いますが?』
『まったく。候補生達を甘やかしすぎだぞ、お前も波多野も』
そんな小言を言いつつも、ピチャピチャと音がするので牛乳を飲んでいのだろう。
『まあまあ、そう言わずに。仔猫でいられる期間は短いですし、少しぐらい甘やかしても問題ないでしょう』
『だからお前は甘すぎると言うのだ』
『私が育った家にも仔猫がいましたからね。あっという間に大きくなってふてぶてしくなりましたが』
そして妙な間があく。
『そこでどうして吾輩を見るのだ』
『気のせいです。おや、今夜は波多野さんの横は先約があって場所がありませんね』
ベッドをのぞき込む気配がした。
『だからそこでどうして吾輩を見るのだ。吾輩は好きな場所で寝るだけだ。波多野は関係ない』
『そうなんですか? 私はてっきり、大佐は波多野さんのことを気に入っていると思っていたのですが』
大尉の言葉に、腹立たし気な鼻息が聞こえる。
『ふん! 吾輩たちのことが見える下っ端隊員が珍しいだけだ。今夜は比良のところへ行く。ヤツも吾輩たちの姿が見えるようになったらしいからな』
『だからと言って、話しかけて起こさないようにしてくださいよ。今は就寝時間ですし、今回は訓練航海とは違います』
『そんなことはわかっている』
デスクを尻尾でたたく音がした。
『そう言えば、艦長や他の幹部達が寂しがってますよ。大佐も候補生達も最近はめったにこちらに来ないと。今夜はあちらに行ってはどうですか?』
『あやつらとは起きている時に話すから問題ない。おしゃべりはこれぐらいにして行くぞ』
『はいはい、どうぞ、お先に。私はお皿を片づけていきますから』
―― やっぱり幹部には、大佐たちのことが見えてるんじゃないか。候補生達の世話を俺に押しつけて、一体どういうつもりだよ。寂しいなら、率先して世話をすれば良いのに ――
大尉の言葉に夢の中で愚痴る。艦内にいる猫なのだ。やはりここは、見える者が全員で世話をするべきだ。これはちゃんと艦長なり副長なりに具申しなければ。そんなことを考えながら、俺は再び眠りの中に戻った、という夢を見ているのかもしれない。
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「……」
「なんだ、波多野、その目は」
次の日、艦橋で見張りに立っていると、横に立った山部一尉が顔をしかめた。
「現在進行形で、非常に理不尽を感じてるんですよ、俺」
「パワハラでも受けたのか? だったら早々に報告しろ」
時代が変われば、指導方法も上官と部下のかかわり方も変わってくる。最近はこの手のことも増え、幹部も神経をとがらせがちだ。
「そうじゃなくて、みむろ艦内での猫ライフに関してです」
「猫ライフ? 誰かに猫自慢でも聞かされているのか? まさか艦長と副長か? それって猫ハラというのか?」
「なんでもかんでも『ハラ』をつければ良いってもんじゃないですよ、航海長。俺が言っているのはその猫じゃないです」
「だったらどの猫なんだ」
一尉はますます顔をしかめた。
「うわー……やっぱりしらばっくれるんだ」
「なんのことかさっぱりわからんぞ」
ぱっと見、この態度が本気なのかそうでないのか判断できないところが厄介だ。この表情を見ていると、うちの航海長は猫神が見えてないのか?とも思えてくる。だが俺はだまされない。
「ですから、みむろの猫神ライフですよ。まったく納得できません。候補生達の世話を俺と比良だけに押しつけるなんて、どう考えても理不尽です」
「お前、熱でもあるのか? みむろで猫を飼ってるなんて話、聞いたことないぞ? そもそもそんなことを清原が許すと思ってるのか?」
額に手を当てられた。
「熱はないですよ!」
「なにか変な薬でもやってるんじゃないだろうな?」
「んなわけないでしょ、失敬な」
上官でも言って良いことと悪いことがあるぞと、横目で相手をにらみつける。
「だいたいですね、絶対にそっちのほうが問題ないじゃないですか。食事は幹部だけで食べるんだから、牛乳をちょろまかしても清原海曹にバレる心配もないし。幹部なら幹部らしく、それ相応の負担をすべきです。と、幹部の皆様に具申したいと思います! だから、熱はないです!」
再び額に手をあてられた。
「波多野、お前、疲れてるのか? 就寝時間はしっかり休んでおけよ? しばらくはシステムの二十四時間稼働で、甲板に出ての気晴らしも難しくなるからな?」
「やっぱりしらばっくれるんだ……」
まったく理不尽だ。こんな訓練があるなんて聞かされていない。猫の世話だぞ? しかも仔猫が三匹だ。
「猫を飼う気なら、世話のやり方は艦長か副長に聞け。なぜか知らんが、二人とも猫には好かれる体質らしいからな」
「あの、そういうのも関係あるんですか?」
「なににだ」
「これからの海上自衛官ライフにですよ。たとえば昇任とか」
「猫に好かれることと自衛官の任務に、なんの関係があるんだ。そこは実力と政治力の世界だろ」
相変わらず一尉はしらばっくれたままだったが、別の意味で今のは気になる発言内容だった。
「政治力も必要なんだ……」
「幹部の世界ってのはな、そういう戦いもあるってことさ。恐ろしい世界だぞ? お前、耐えられるか?」
一尉がニヤッと笑う。だがすぐにその笑いを引っ込めた。
「ま、怖い幹部の世界の話はまたそのうちにだ。今は目の前の任務に集中しろ。砲雷科ほどではないにしろ、俺達も緊張感をもって、艦の航行をしなきゃならんのだからな」
「わかっています」
昨日の夕方からみむろが担当する海域に入っている。砲雷科では出港直後から、いつも以上に念入りなミーティングが行われていた。そして砲雷長の副長は出港からこっち、ほとんど艦橋に姿を見せていない。比良によると、戦闘指揮所に詰めっぱなしということだった。
「比良はどうしてる? あいつ、砲雷科だろ?」
「あいつにしては珍しく、ピリピリしていると思います。それもあって、船酔いどころじゃないみたいですね。ま、ピリピリしているのは俺も同じですけど」
訓練なら外しても、大量の顛末書と上からの長い長い叱責だけだが、今回は万が一のことがあったら顛末書と叱責だけではすまされない。それこそ国民の命がかかっているのだ。ピリピリしないほうがおかしい。
「お前達にとっては初めての実戦みたいなものだからな」
「航海長はピリピリしないんですか?」
「幹部の俺がピリピリしてたら、他の連中にそれが伝わって大変なことになるだろ。たとえ心の中でピリピリビクビクしていても、それを顔には出さずドッシリとかまえてないとな」
「なるほど」
ま、色々と気になることはあるが、今は俺達側の任務に集中だ。




