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帝国海軍の猫大佐  作者: 鏡野ゆう
第五部 招かざるモノ

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第六十二話 任務よりミルク問題

「……」

「どうした、波多野(はたの)


 双眼鏡を手に立っていた俺に、山部(やまべ)一尉が声をかけてきた。


「あー……なんて言いますか、なんか珍しい光景だなって」


 そう言いながら上と下を指でさす。上はみむろ上空を飛んでいるカモメ軍団。そして下は単装砲上でくつろいでいるカモメ軍団。どちらも今まで見たことがない光景だった。いや、正確にはカモメが上空を飛んでいるのは見たことがあるが、あれだけの数がついてくるのを見たことがないという話だ。


「ま、海を飛んでいる連中にとっては、航行中の艦船は絶好の休憩場所だからな」

「うちは漁船じゃないですから、食事付きじゃないですよ?」

「食事はセルフサービスのつもりなんだろ。あいつらにとってのみむろは、レストランに向けて走っているタクシーってところだな」


 航海長が呑気な顔をして笑う。緊迫した状況なのに、目の前で展開される光景は実にのどかだ。


「甲板がフンで汚されやしないかと、清原(きよはら)がイライラしてそうだけどな」

「清原海曹のイラつきが爆発したら、俺達が被害をこうむるんですが」

「だったら、あの団体客がお行儀よくしているようにせいぜい祈っておけ」


 一尉はそう言ったが、すでに単装砲の上に白いものが見えているし、この作戦が一段落したら、先任伍長命令で走り回ることになりそうだなと、心の中でため息をついた。


「艦長、左舷後方より海保の巡視船が合流します」

「了解した」


「今回は本当に大所帯なんですね」

「なんだかんだで日本の領海は広いからな」


 うちの基地から二隻、別の基地所属の護衛艦も二隻、そして隣接する海保の管区からも、それぞれ大型の巡視船が出港していた。


「言っておくが、海保との合同訓練じゃないぞ」

「わかってますよ。艦長があんな艦内放送までして、実は訓練だったなんて思ってませんから」


 艦長がした艦内放送もこともあるが、実は猫大佐のこともあるからだ。普段は窓辺で退屈そうにあくびをしたり、のんびりと昼寝をしている大佐だが、今日はさっきからずっと外をジッと見ている。あきらかにいつも違う様子だ。とは言うものの、たまにカモメを見上げては、激しく尻尾をふってカカカカッと変な声をあげていることが、カモメに対する指示なのか、猫の本能的な行動なのかまでは俺にもわからないが。


「こっちの説明もしてほしいんだけどな……」

「なんだって?」

「いえ、こっちの話です」


 そこは航海長にも言えることなんだが、困ったことにまったく説明がない。こういう時は相波(あいば)大尉に話を聞きたいところなんだが、あいにくと大尉は候補生達のお世話で忙しいらしく、今日はずっとあの三匹と一緒にいるようだった。


―― ま、あいつらにとっては今日は遊び相手がいっぱいだもんな ――


「某国、今回はどこから発射するつもりなんでしょうね」

「さて。確認ができている施設だけでも数か所あるし、最近は鉄道で移動できる発射台、さらには潜水艦から発射できるものも作ったらしいからな」


 そのせいで、予測される着弾範囲はどんどん広大なものになっている。それもあっての大所帯の出港だった。


「まったく。発射実験でもこっちに向けて打ってくるし、なんでいっつもこっち向きなんですかね。たまには逆方向に向けて打てば良いのに」


 俺の愚痴(ぐち)りに航海長が変な咳をする。


「お前、世界地図を見たことあるか? 反対側に向けて打ったら、それこそあの国は消滅するぞ?」

「地図ぐらい見たことありますよ。そのうえで言ってるんです。さくっと消えちまえば良いのに」


 さらに一尉が変な咳をした。


「いやいやいやいや。自衛官が言ったらダメだろ、それ」

「ここでしか言いませんよ」

「たのむぞ、まったく」



+++



 とは言うものの、展開中でも俺達の艦内生活パターンは変わらない。時間が来れば交代もするし、朝昼晩の飯も食うし就寝もする。休息をすることも任務のうちだからだ。そして部屋に戻ると、候補生達が紀野(きの)三曹のベッドで遊んでいた。


「おいおい、そこは紀野先輩の寝床だぞ」


『おかえりなさい、波多野さん!』

『おかえりなさい、波多野さん!』

『波多野さん、ミルクは――?』


「俺の話、聞いてないし」


 最近、先輩が部屋に戻ると鼻がムズムズすると言い出した。絶対にこの三匹のせいだと俺は思う。


「遊ぶなら下の俺の寝床で遊べ。そっちはダメだ」


『わかりましたー!』

『下で遊びますー!』

『ミルクはーー?』


「まだ聞いてないヤツがいるし」


 ため息をつきながら、ロッカーから皿と飲みきりサイズの小さな乳パックを出した。これもそのうち先輩にバレるのでは?と心配している。


「お前達、今日からしばらく(おか)には戻れないから、毎日の牛乳は無理だぞ」


 俺がそう言うと、候補生達がこっちを見上げてミャーミャーと抗議の声をあげた。こういう時だけ仔猫の鳴き声を出すんだから困ったものだ。


「だから、その仔猫みたいに鳴くのはやめろ」


 この声を聞くと母性というか父性をくすぐられる。比良(ひら)いわく、仔猫の声にはそういう効果があるのだとか。そして厄介なことに、そのことをこの三匹は知っているのだ。


『僕たちまだ仔猫ですからー!』

『仔猫ですー!』

『ミルク――!』


「やれやれ、まったく」


 机を出して皿を三つならべ、そこにパックの牛乳をそそぐ。三匹は飛んできて皿に顔をつっこんだ。それを横目に、作業服を脱いでトレーナーの上下に着替える。


「ところでお前達、今回のことで大佐から何か聞いてるか?」


『海上警備行動ー!』

『僕たちと波多野さん達のお仕事は違うって言ってましたー!』

『カモメさん達もお仕事してますー!』


「やっぱりそうなのか」


 その任務の件、この三匹に話を聞いて理解できるだろうか?


『波多野さん! いいこと思いつきました!』

『いいこと思いつきました!』

『いいこと――!』


 皿をきれいになめ終わった三匹が顔をあげた。なんだかイヤな予感しかしない。


「なんだよ。俺的にはイヤな思いつきにしか思えないんだけどな。それよりお前達の仕事の話を聞きたいんだけど」


 俺には霊感なんてこれっぽっちもないが、この予感だけは絶対に当たりそうな気がする。


『そんなことないですー!』

『お仕事よりミルクのことですー!』

『ミルク、ミルク!』


「ほらみろ。それ、絶対にロクでもない思いつきじゃないか」


 この様子からして、ミルクの話を聞かないと任務の話にたどり着けそうにない。これはどうしたものか。やはり相波大尉を呼び出すべきか。


―― だけど大尉を呼ぶにはどうしたら良いんだ? ――


 大佐を含めて普段かは向こうから勝手に押しかけてくるのでその必要もなかったんだが、こういう時に呼べないのは不便だ。まあ大尉の場合、大抵こっちの空気を読んで顔を出してくれるのだが。


『波多野さん、話をきいてください!』

『話をきいてくださーい!』

『ミルクの話――!』


「あーもう、わかったよ。お先にどうぞ」


 しかたがないので皿を片づけながら聞くことにした。


『波多野さんのミルクを持ってくるですー!』

『ご飯の時に出るミルクー!』

『僕たちのミルクと同じ――!』


「おい、あれをここに持ってこいってことか?」


 たしかに毎日の食事に牛乳はついてくる。しかもロッカーに持ち込んだパックと同じメーカーのものが。


『そうですー!』

『毎日ありますー!』

『僕たちも毎日のめる――!』


「いや、あれは一日の必要な栄養価をだな」


 とたんに三匹がミャーミャーと声をあげ始めた。これをこの時間のたびに聞かされるのか? この鳴き声に耐えられるのか、俺?


「そんなことを毎日してたら、絶対にバレるだろ。清原海曹に見られでもしたら、艦内に捨て猫でも連れ込んでいるだろって話になって、絶対に部屋を家探しされるに決まってる」


『ミルクー!』

『ミルクー!』

『ミルク――!』


 そしてミャーミャーと鳴く。


「かんべんしてくれ……あ」


 そして俺は良いことを思いついた。見つかる心配があるなら、その確率を少しでも下げれば良いじゃないか。


「ちょっと待ってろ」


 そう言うと部屋を出た。向かう先は比良がいる部屋だ。たしか比良と一緒の部屋にいる先輩は紀野三曹と同じシフト。今は戦闘指揮所に詰めていて部屋にいないはずだ。急いで部屋に向かうと、ドアをノックした。


「比良、まだ起きてるかー?」


 少ししてドアが開き、俺と同じようにトレーナーに着替えた比良が顔を出す。


「波多野さん、どうかしたんですか?」

「ちょっと話がある。すぐに終わるから」

「わかりました。どうぞ」


 部屋に入るとさっそく本題に入った。


「実はさ、候補生達の牛乳の件なんだけどさ、これからしばらくは戻れそうにないだろ?」

「あー、たしかにそうですね。まさかの緊急出港で、俺も持ってこれてないんですよ。あ、今日の分もですよね?」

「今日は俺がロッカーに隠してた分があったから問題ない」

「そうなんですか。それは良かった。さすが波多野さん」

「問題は明日からの分なんだけどさ」


 俺が三匹の話を言う前にポンと手をたたきほほ笑んだ。


「俺達の食事に牛乳がついてきますよね。あれを候補生さん達にあげれば良いですよ。……どうしたんですか?」

「……いや。それを候補生達に言われたんだけどさ、毎日だと誰かに見つかりそうだろ? それで見つかる確率を下げるために、俺とお前とで交互にするのはどうかなと思って、それを頼みにきたんだよ。説明がはぶけて助かった」

「なるほど。さすが波多野さん」

「俺じゃなくて、候補生達が思いついたんだけどな」

「それでも、実行する波多野さんはさすがですよ」


 正直なところ、自分が家探しされないために比良を巻き込むことを決めたから、あまりほめられると居心地が悪い。


「だって、あの声で鳴かれたら逆らうの無理だろ……」

「ああ、仔猫の鳴き声で迫られたんですか」


 比良は気の毒そうに俺を見た。


「あの鳴き声は反則だよな。あいつら仔猫じゃないのに」

「それはしかたがないですよ、候補生さん達ですから。とにかく、波多野さんと僕のシフトが同じで良かったですよ。じゃあ、明日は僕の部屋に来るように言っておいてください。ちゃんと用意しておきますから」

「皿はあるか?」

「なんとか用意します」

「助かる」


 そういうわけで、候補生達の牛乳は俺と比良とで調達することになった。少しして冷静になって考えてみると、猫神が見えているであろう幹部全員に、持ち回りで押しつければ良かったのでは?と思わなくもなかったが。

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