第六十話 体験航海 10
「あれ、子猫さん達の姿が見えませんね? 僕が見えてないだけですか?」
終業時間となり、着替えて舷門に向かう途中、比良が周囲を見渡した。
「いや、今は間違いなくいないな。たぶんだけど、大佐からお説教タイム中なんじゃないかな」
とたんに比良が気の毒そうな顔をする。
「可哀そうに……」
「んー……普通の子猫なら可哀そうなのかもしれないけど、猫神候補生としてはアリなんじゃないか? 少なくとも今は訓練中なわけだし」
課業時間中に昼寝をし、おやつをねだっておやつを食べた。そしてまた昼寝だ。カメラのデータはちゃんと削除したようだが、やはりこれは、猫大佐じゃなくてもお説教案件だろう。そしてそのお説教タイムには、おやつを食べさせろと言った艦長と、おやつを食べさせた副長も含まれているはずだ。
―― 艦長と副長を同時にお説教とは、考えたらすげーな ――
「それでも可哀そうですよ、まだ子猫なのに」
「比良、あいつらの姿にだまされたらダメだ。相手は猫神、普通の猫よりずっと年よりだから」
「それは理解してますけど、やっぱり可哀そうですよ。それに波多野さんの話だと、猫大佐さんだって、単装砲の上で、昼寝をしてたんでしょ?」
比良ときたら、すっかり候補生達の保護者きどりだ。ま、猫が好きなヤツからすると、あの小さなしっぽはたまらないんだろうな。俺だって可愛いなと思うし。ただ、あの小さい連中が、いつかは大佐みたいになるのかと思うと、なんとも残念な気持ちになるのも事実だ。
「まあな。でも、それとこれとは別の話ってやつなんじゃないのか?」
「そうかなあ……」
「俺達だって、訓練期間は厳しく指導されただろ? それと同じさ。比良だってあいつらに、立派な猫神になってもらいたいだろ?」
「そりゃあ……?」
まだ完全には納得していない様子だ。比良がどれだけ実家の猫達を甘やかしているのか、なんとなくわかった気がする。本当に猫の「下僕」状態なんだな。
「でも、あれだよな。艦長や副長達がここからいなくなったら、どうするつもりなんだろうな。次の幹部が猫好きとは限らないのに」
「え、艦長達ってもう異動なんですか?」
「そろそろだろ? 副長、俺達が海曹予定者課程を終えるのと、ほぼ同時期みたいなことを言ってたぞ?」
俺がそう説明すると、比良は真剣な顔をした。
「じゃあ俺達がいない間、空白期間ができちゃうじゃないですか?!」
「……なんの空白期間」
「俺達がいれば、幹部に猫嫌いな人が来ても、ちゃんとお世話できますけど、俺達がいない間はどうするんですか? 普通の猫と違って、ペットホテルにあずけるとかできないですよね?」
冗談で言っているのか?と思ったが、どうやら本気らしい。
「だからさ、比良。何度も言うけど、あいつらを普通の猫と同じにしたら、ダメだと思うぞ?」
「なんとかしてくださいよ、波多野さん」
「俺になんとかしろと言われても」
だが俺の言葉を比良は聞きやしない。俺は候補生達のお世話係ではないのに。
「それに、ここには大佐とお世話係の相波大尉がいるんだ。たとえ猫嫌いな幹部が来ても、大丈夫だろ」
「そうかなあ……」
「これまでだって、たくさんの幹部達が来ているんだ。その中には、猫嫌いの幹部だっていたに違いないし、大佐と大尉なら、俺達よりそのへんの事情は知ってるだろうしな」
「でも候補生さん達は、まだ子猫じゃないですか」
「だから、あいつらを見た目で判断したらダメだって」
本当に比良ときたら、すっかり候補生達に骨抜き状態にされてしまっている。しっぽだけでこれなのだ。姿が見えて声が聞こえるようになったら、一体どうなることやら。
―― 候補生の姿が、完全に見えるようになるまでに課程に入ったほうが、こいつ的には平和かもなあ…… ――
俺にとってもだが。
「波多野海士長、比良海士長、本日の課業を終了しました。お疲れさまでした!」
舷門当番で立っている先輩に敬礼をする。
「今日はお疲れさんだったな。民間の人とずっと一緒ってのも、気をつかうだろ」
「ですねー。ただ、この生活に慣れてしまった自分達と違って、民間の人達は意外なところが気になるんだなって、勉強にはなりました」
「それは良かった。じゃ、気をつけて帰れ」
「「お疲れさまでした!」」
桟橋をわたり下艦した。ゲートに向かって歩いていると、後ろからニャーニャーと鳴き声がする。
『波多野さーん!』
『比良さーん!』
『まってー!』
振り返ると、候補生達が走ってくるのが見えた。
「あ、しっぽさん達だ」
比良にもしっぽは見えているらしい。
「なんだよ、とうとうみむろを追い出されたのか?」
『ちがいますー!』
『ぼくたち、お昼寝しちゃったから、おしおきでなんですー!』
『波多野さんと比良さんのところで、とうちょくー!』
「昼寝したから罰として、俺達のことを寝ずの番しろと言われたらしい」
「そうなんですね。あ、俺、牛乳を切らしてます。買わないと」
「あ、俺もそろそろ切れるな。じゃあ、途中にコンビニで買っていくか」
『わーい、ミルクー!』
『ミルクー! ミルク―!』
『コンビニー、おやつあるー?』
「お前達、おしおきの意味、わかってないだろ?」
三匹は俺と比良の肩に飛び乗ると、ミルクだおやつだと騒ぎ出す。すっかり牛乳のことに気をとられているが、本来は懲罰なんだぞ?と言っても、まったく聞く耳を持たなかった。
「やれやれ。すっかり俺達に、牛乳とおやつをたかる気でいるみたいだ」
「コンビニだと、おやつは売ってないですよね?」
「カニカマで良いんじゃね?」
「ああ、なるほど」
そう言えば藤原三佐は、候補生達にどんなおやつを食べさせているんだろう? 今後のために、それとなく聞いておこう。
―― 今後のためにって。俺もすっかり比良に毒されてるじゃないか…… ――
心の中でぼやきながら、いつものコンビニに向かった。
+++
「あ、波多野さん、比良君、いらっしゃーい! 今日もお疲れー!」
「ちーっす」
コンビニに入ると、レジ向こうにいた店員さんがニッコリしながら声をかけてくれた。実は彼女、なにを隠そう比良の幼なじみのカノジョなのだ。
「あれ? 明日も普通に出勤だよね? なのに二人で酒盛りでもするの?」
カニカマとチーズちくわ、それから候補生達が大騒ぎするので、しかたなくカゴに入れたツナ缶とサバの水煮缶、それから牛乳をレジに持っていくと、カノジョさんが首をかしげた。
「違うよ。本命は牛乳。だけどそれだけじゃ申し訳ないと思ってさ」
「ふーん。それで二人ともまったく同じものを買うんだ……」
商品をレジに通しながら、カノジョさんは意味深に笑う。すっかり酒盛りすると思われているらしい。
「考えるの面倒だろ? 制服姿で長い時間、店内をウロウロするのもアレだし」
「アレって?」
「え? アレって……まあ、アレだよ。ねえ、波多野さん」
「え?! ああ、そうだな、アレだ、アレ!」
いきなり話を振られた挙動不審になった。
「ま、良いけどねー。お酒はほどほどにねー」
「これのどこが酒盛りのメニューなのさ。ビールのつまみとしては寂しすぎるだろ?」
「男子の考えてることなんて、私にはさっぱりわからないよ。あ、ちゃんとお米も食べなきゃダメだよー?」
「だから酒盛りじゃないんだって」
お金を払うと、比良に押し出されるように店を出る。
「じゃあ、波多野さん。僕はこっちなので、ここで失礼します。お疲れさまでした」
「そっちこそお疲れ。候補生をよろしく」
「了解してます」
いつものように一匹が比良に、二匹が俺についてくることになった。比良のことだ、見えるようになったら、三匹とも自宅につれていきたいと言うに違いない。
「さーて、飯、なにを食うかなあ」
『ツナ缶ですー!』
『ミルクもー!』
「わかったから、耳元で騒ぐなって」
肩に乗ってニャーニャーと騒ぐ二匹に注意した。すると二匹はなにを思ったのか、頭の上に移動する。
「いや、そういうことじゃないんだ……」
『監視を密にー!』
『密ー!』
「……なにを監視するんだよ」
『カラスー!』
『トンビー!』
比良が三匹とも見えるようになったら、三匹とも比良に押しつけよう。それがお互いに一番幸せな選択だ。
+++
【比良君のお宅にて】
「はー、しっぽだけでも可愛いなあ……」
ミルクが入った皿の前でため息をつく。皿の前で小さなしっぽが揺れていた。しっぽだけでもこれだけ可愛いのだ。全部が見えたらどんだけ可愛いだろう。しかもそれが三匹。猫大佐を含めたら四匹だ。なんて楽しい艦内猫ライフ。
「四匹も見える波多野さん、うらやましいなあ……早く俺も、姿と声が聞こえるようになりたいなあ……」
だが自分達がみむろ不在の間、この子猫達がちゃんと世話をしてもらえるか心配だ。お世話係の幽霊さんはいるけれど、その人はもともと猫大佐のお世話が専門のようだし。
「次に来る幹部さん達が、猫好きだと良いんだけどなー……」
少なくとも、今のみむろの艦長と副長は猫好きだ。自宅でも猫を何匹か飼っているらしいし、マグカップが猫だったり、ノートのクリップが猫だったりと、それとなく猫好きをアピールしている。副長に限っては、自宅から送られてきた猫の写真も見せてもらった。皆、きちんとお世話をされていて、ふくふくとしていて可愛かった。
「副長、自宅に戻るの楽しみだろうなあ」
家に帰ると、猫がお出迎えするために玄関に並んでいると言っていたっけ。想像するだけで顔がにやけてくる。
「早く見えるようになって、候補生さん達のお世話を、きちんとできるようにならないとな。修行あるのみ!」
猫大佐いわく、俺は「修行が足りない」らしい。とは言っても、なにをどう修行したら良いのかさっぱりだ。とにかく毎日の課業にはげむしかない。
「めざせ、艦内猫ライフ!」
それを後日、波多野さんに言ったら、ものすごく脱力されたが、俺は気にしない。




