第五十三話 体験航海 3
「出港用意」
「出港用意~!」
マイクを手に艦長が宣言すると同時に、ラッパの音が鳴り響く。岸壁のボラードとつながっている舫をといたみむろは、タグボートにひかれ、ゆっくりと離岸した。岸からある程度はなれると、今度はタグボートとみむろをつないだ舫をといていく。
「車を車庫から出すのとは、全然違うでしょ」
「けっこう大がかりなんですね。たまに動画を見ますけど、ここまで大がかりだとは、思いませんでした」
社会人の男性見学者と俺は、艦橋のハシの窓から、外を見おろしていた。
「エンジンをかけて、ササッと岸を離れるってわけには、いかないんですねー」
「バスやトラック以上に大きいですからね、護衛艦」
「波多野海士長さんは、こういう時、いつもは何をしてるんですか?」
「ひたすら監視です」
そう言いながら、手で双眼鏡をつくり目にあてる。
「ここだと、あまり監視が必要ないような気がしますけど。漁船もいないし、ここにいるのって、自衛隊の船ばかりですよね?」
「そうでもないんですよ。近くには民間のボートが停泊する場所がありますし、湾内の周遊船もいますからね。ほら、あそこ」
そう言って、遠くを横切っていくトレジャーボートを指でさす。こちらが完全に岸を離れていないので、結構なスピードで走り抜けていった。あれでもこちらの様子を見て、それなりに気をつかってくれているのだ。
「今日は平日で近くにいませんけど、水上バイクも近くを通るので、しっかり見張っておかないといけないんですよ」
「進入禁止じゃないんだ……」
「そのへんが難しいところでして」
「両舷最微速から微速」
「両舷最微速から微速~!」
「ここで勝手にアクセルも踏めないんですね」
「そうなんです。それなりに手順があるんです。ま、これを面倒くさいと思うか、大切な手順だと思うかで、その人の適性が出るんですけどね」
「ここで面倒くさいと思ったら、どうなるんですか?」
俺の言葉に、その人が首をかしげる。
「そうですねー……少なくとも護衛艦と潜水艦乗りには向かないかも」
「そうなんですか?」
「もちろん将来的に、こういうことが必要なくなるかもしれませんけどね。ですが今のところ、この手の手順はほぼ万国共通なんですよ。その手順が今も残っているってことは、それなりの理由があるってことです」
「なるほどー。肝に銘じておきます!」
「お願いします」
「あ、申し訳ないですが、そこのモニター画面は写さないでください」
藤原三佐の声がした。チラッと視線を向けると、見学者の一人がカメラを出している。そのカメラのレンズが向けられていたのは、レーダーのモニターだった。
「あそこはダメなんですか?」
「ええ。この護衛艦の性能がわかってしまいますからね。ご本人にその気がなくても、万が一その写真が外部にもれると、困ることもあるんですよ」
「なるほど」
あくまでも本人は悪くないということを強調する。ただ、艦長と三佐が目配せをしたのが気になった。
―― あー……これは見学範囲がせまくなったかも……なにが削られるんだろうな…… ――
体験航海では、一般公開では見られないところも見学できる、というの一つの目玉でもあった。それもあって、そこを楽しみに応募してくる人もいるぐらいだ。だが今の二人のやりとりを見る限り、その見学に変更が入ったと思われる。
―― 今回の見学コース、けっこう特別メニューだったんだけどなあ、もったいない…… ――
「新しい護衛艦だと、そういうのが他よりたくさんありそうですね」
「そうですね。我々でも立ち入れない場所はありますから」
「そうなんですか?」
「ええ。部署が違うと、同じ乗員でも入ったらダメな場所ってあるんですよ」
「へー……乗員になったらどこでもフリーパスだと思ってました」
「自分も最初はそう思ってました」
視界のすみで、三佐が同行していた地本の隊員を手招きで呼び、艦橋の脇にある見張り台へと出た。そして何やら話し込んでいる。三佐の顔つきからして、良くないことを話しているのは間違いない。地本の人も神妙な顔をしている。
―― なにを話しているんだろうな……副長の顔が不穏すぎる…… ――
いくら人材確保と広報活動の一環だとしても、護衛艦での決定権は艦長にある。そして、その艦長の意向を伝えるのが、副長の重要な役割の一つだった。
―― 副長が注意したのは一回だけのはずだけど、違ったのかな…… ――
相手は民間人。一度の注意で、ここまでの動きがあるとは思えない。俺達がなにか見落としていたんだろうか? 三佐と話をしていた隊員が艦内に戻ってきた。そして何故か、俺のところにやってくる。
「波多野さん、それから機関の河内さん、副長がお呼びです」
「あ、はい!」
まさかの呼び出しにギョッとなった。俺達、なにかやらかしたか? 隣にいた見学者に断りをいれて、艦橋の外に向かう。
「うおっ?!」
「どうした?」
「なんでもない。自分で自分の足を踏んだ」
「器用だなあ……」
「うるさい」
河内には見えていないようだが、それまで艦橋の窓辺にいた三匹の猫神候補生達が、俺の頭の上に飛び乗ってきたのだ。猫大佐は、満員御礼状態の艦橋を嫌ってか、いつもの艦長席にはいなかった。今日は単装砲の上に居座っていて、見学者達がここから出ていくまでは、こっちには戻ってこないだろう。
『僕達も副長さんのお話ききまーす!』
『きっと艦長命令ー!』
『重要な伝達ー!』
「波多野、河内、まいりました!」
「そんなに緊張するな。お前達への叱責ではないから」
俺達の顔つきを見て察したのか、三佐が笑った。チラッと俺の頭の上に視線を向けたような気がしたが、そこは気のせいだと思っておく。
「なにかあったのでしょうか?」
「ん? ああ、そうだな。さっき俺が注意した見学者、顔は覚えたか?」
「はい」
やはりあの人のことなのかと身がまえる。
「なにかしたんですか?」
「ここに入ってから、ずっとカメラを手にしているから要注意だ。撮られたら困るところは、それとなくブロックしていたが、さすがにな」
「なるほど。見学中の行動を、それとなくマークしろということですね?」
つまり、あれこれあった上での注意だったのだ。まったく気がつかなかった。
「そういうことだ。それと見学ルートの変更だ。機関に関しては予定通りに見学させる。今回は戦闘指揮所も予定に入れていたんだが、そこは取りやめだ。撮影NGを条件に見てもらおうと考えていたが、今回のグループは問題ありと判断した」
「艦長とは、事前に決めていたんですか?」
「まあそんなところだ。で、見学時間に余裕ができるので、沖に哨戒ヘリを呼んで、それの離着艦を見てもらうことになる」
「用意周到ですね」
「まあ、ここでの体験航海が初めてじゃないからな、艦長も俺も」
つまり問題ありな行動をする人は、それなりに存在するということなんだろう。
「写真、今のところ大丈夫なのでしょうか?」
「俺が見ている限りは、だが。この場で撮ったものをすべてチェックさせろとは、言えないからな」
「相手が民間人だと難しいですね」
「まったくな。デジカメに不具合でも起きて、撮ったデータが全部消えてくれたら良いんだが」
三佐は、マニアが聞いたら泣いて気絶しそうなことを、さらりと言った。そしてその言葉に反応したのは、まさかの三匹の候補生達だった。
『僕たち、きっと消せますー!』
『まっくろかまっしろにしちゃえますー!』
『おまかせくださーい!』
その声に三佐がニヤッと笑った。
「鬼だ……」
「なにがだ、波多野」
「いえ、なんでもありません!」
「とにかくそういうことだ。元の場所に戻れ。ああ、波多野、比良と宗田に、ここに来るように伝えてくれ」
「了解しました」
艦橋内に戻ると、反対側に立っている比良のもとへと向かう。
「比良、宗田、副長が呼んでる」
そう伝えると、二人は俺達と同じような顔をした。
「特に叱責とかじゃないから心配ないし」
「そうなんですか? じゃあ行ってきます。ちょっと失礼します」
比良達は見学している人達にそう言って、三佐が待つ場所へと急ぎ足で向かう。三匹の候補生達は、艦橋内に戻ると同時に、カメラを持った見学者のもとへと走っていった。そしてコンソールパネルの上に並び、その人に向かってニャーニャーと鳴いている。もちろんその姿は、俺と特定の人にしか見えていないようだが。
『撮影厳禁ー!』
『みむろの写真だけ消しまーす! 削除用意ー!』
『削除用意ー!』
―― おいおい、もうここで消するかよ! せめて下艦するまで待てよ! 消えているのを気づいたら大騒ぎするぞ、その手の人は! ――
俺の声が聞こえたのか、三匹がこっちを見る。
『了解しましたー!』
『しましたー!』
『下艦と同時に消しますー!』
―― えええ……俺の声が聞こえたのかよ…… ――
『波多野さんの命令でーす!』
『命令、了解しましたー!』
『お昼寝しちゃったらごめんなさーい!』
そしてとんでもないことを言っている。やはりそこは子猫だということなんだろうか。
―― 寝るなよ! 俺達だって昼寝しないんだから! ――
『僕たち候補生なので!』
『候補生なので!』
『候補生なので!』
―― ええええ…… ――
彼らの教官である大佐に目を向けた。
―― おーい! 大佐の教え子、任務中に昼寝するとか言ってるぞー?! なんとか言ってやってくれよ! ――
俺の声が聞こえたのか聞こえないのか、大佐は単装砲の上で大きなあくびを一つする。考えてみれば猫大佐だって猫だ。猫は「寝る子」から「ねこ」となったと言われるぐらい、よく寝る生き物らしい。そこは神様になっても同じなんだろう。
―― いやいや、そうじゃなくて! そこは寝てる場合じゃないし!! ――
大佐は後ろ足でアゴの下をかきむしる。
―― 相波大尉の苦労がわかってきた気がする……わかりたくなかったけど ――
俺が心の中でぼやく中、みむろは基地のある奥まった湾を抜け、外洋に面した湾へと進んだ。
「では皆さん、これより艦内のご案内をします。さきほどと同じように、一列になってついてきてください。階段はさっきのぼった時にわかったと思いますが、ほぼ垂直です。できるだけ両側の手すりをしっかり持って、あわてずにおりてくださいね」
三佐が、その場にいる見学者達の移動をうながした。
「では艦長、すみませんが……」
艦長とのすれ違いざま、三佐が小声でささやく。
「ああ、わかっている」
航空基地への連絡だろう。艦長と副長の連携はしっかりととれているらしい。もちろん二人だけではなく、航海長や機関長、補給長ともだろう。
―― さすが幹部。こういう時の急なプラン変更でも、チームワークは抜群なんだな…… ――
俺はあらためて、幹部スゲーという気持ちになった。




