第五十二話 体験航海 2
それなりの人数が一度に集まる場所は、狭い艦内では限られている。スペース的には、ヘリが離着艦に利用する艦尾の甲板が一番、適していた。そこへ案内役を任された隊員達が集まってくる。全員が俺と同じ、教育訓練中の海士長だ。
「波多野さん、今日一日、よろしくお願いします」
比良が隣に立った。
「こちらこそよろしく。お互い、大変な任務をおおせつかっちまったよなー」
「まったくです。猫神様のご機嫌はどうですか?」
「ハッキリ言って、めっちゃ悪い。今も舷門前で、すごい顔して座ってる。厄介なモノをつれてくるヤツがいないか、見張ってるんだとさ」
「わー……それは大変だ」
比良はまだ、大佐の姿を見ることができない。足を踏まれたり、頭の上に乗られたりすると感じるらしいんだが、視覚的にとらえるまでには至っていなかった。大佐いわく「見込みがあるのに修行が足りない」んだそうだ。どんな修行をすれば良いのか、俺にはさっぱりわからないが。
「ま、俺達だって、前みたいに駆けずり回るハメになるのは、ごめんだからなー」
「ところで、この業種で一般の人達が気になっているポイントって、なんでしょうね」
「さあ、なんだろうな。やっぱり、勤務体系と休みの問題じゃね?」
「なるほど。そこは確かに気になりますね」
考えてみれば、護衛艦乗りの生活はかなり不規則だ。建前的には週休二日の勤務体制だが、実際には当直もあるし、年次休暇をとるのもままならないのが実情だった。
「あと、出会いはあるのかとか?」
「あー……そういう心配もありますかね」
出会いのきっかけを見つけるのも大変そうだが、出会っても付き合いを続けていくのがさらに大変そうだ。
「その点、比良は良いよな。カノジョがすでにいる身だし」
「それはそうなんですけど、付き合っていくのも大変ですよ。よほど理解してくれる相手でないと、なかなか難しいと思います」
「やっぱり。比良のカノジョは大丈夫なのか?」
俺の言葉に、比良が困ったような顔をして笑う。
「彼女とは、幼稚園のころからのご近所さんでして。俺が護衛艦乗りになりたいって言うのを、小さいころから聞いてましたから。もう半分あきらめてると思います」
「あきらめてるのか……」
ここは笑って良いのか?
「その点、波多野さんは良いですよね。壬生海曹とは、同じ海上自衛官だし、同じ基地内に勤務してますから」
「おい。俺がいつ、壬生海曹と付き合ってるって言った?」
「ああ、付き合っているのは、ゴロー海曹とでしたっけ?」
「ゴローは犬だしオスだろ?」
比良だけでなく、他の連中も俺達の会話が耳に入ったらしく笑っている。
「俺、そういう趣味はないから!」
「ゴロー海曹が聞いたら悲しみますよー?」
「うるさい」
俺は比良をヒジで小突いた。
そうこうしているうちに、見学者達が地本の担当者に引率されてやってくる。桟橋にあがる階段の途中に大佐が陣取っていて、時々、不機嫌そうな顔をして猫パンチをくりだしている。どうやら見学者の何人かは、余計なモノをつれていたようだ。
そんなことも知らず、見学者達は俺達が立っている後甲板にやってきた。興奮気味な人もいれば、物珍しそうにあっちこっちを見ている人もいる。中には一般公開の時と同じように、大きいカメラを肩にかけている人もいた。
「みなさん、おはようございます。本日は護衛艦みむろに、ようこそおこしくださいました。私は本日、皆さんの案内役をつとめる藤原です」
そう挨拶をしてから、藤原三佐は俺達のほうに手を向ける。
「そしてこちらの隊員達は、みむろのそれぞれの部署から代表としてきている者達です。今日は皆さんとご一緒しますので、見学中に疑問に思ったことなどは、遠慮なく彼らに質問をしてください」
三佐の言葉に、俺達は敬礼をする。見学者達は口々に「おはようございます、よろしくお願いします」と言いながら、頭をさげた。
『お話し中に失礼しますよ、波多野さん』
いきなり耳元で声がする。ギョッとなりながら、目だけを声がしたほうに向ける。俺のすぐ横に、相波大尉が立っていた。だがこれだけ人がいると、こっそり話すわけにもいかない。どうしたものかと迷っていると、大尉は俺の肩に手を置いた。
『返事ができないのは承知しているので、黙ったままでけっこうですよ。あの見学者さんの肩に、しつこく張りついているのがいましてね。見えますか?』
大尉が指をさした見学者に目を向ける。俺達と同い年ぐらいの女性だ。その人の肩になにやら赤黒いものが乗っている。他の人間に気づかれないように、わずかに顔を縦に動かした。
『幽霊の私が近づいて、万が一あの方に障りがあってはいけませんので、波多野さん、お願いします』
「……?!」
―― 俺がとるのか?! 副長は?! せっかく副長がいるのに!! ――
せっかく見たがっている存在が目の前にいるのに、見学者に向けて話をしている三佐は、まったく気づいた様子もない。
―― せっかくのチャンスなのにもったいない! 副長、なんで気づかないんだよ、目の前にいるじゃないか、目の前に! ……じゃなくて!! どうやって不審がられずにとるんだよ、あれ!! ――
しかも相手は女性だ。変に近づいて、セクハラとか騒がれでもしたらシャレにならない。どうしたら良いんだ?と、三佐が体験航海のスケジュールを説明している間も、悶々としていた。
「では、出港準備を始めます。我々は引き出しと呼ぶのですが、まずは護衛艦を牽引するタグボートとこちらを、舫という太いロープで結びます。ここでは危険ですので、あちらに移動してください」
三佐の言葉に、全員が甲板から格納庫へと移動する。
「あのロープは切れたりしないんですか?」
乗員が作業するのを見ていた見学者の一人から、質問があがった。
「作業中に切れることがないよう、毎日のように点検はしているんですが、やはり絶対ということはないですね。切れる時は、かなりの力がかかっての断絶になるので、周囲のモノをなぎ倒します。ちょっとしたものなら当たっただけで、簡単にバラバラになってしまうので、この作業をする時はかなりの注意が必要なんですよ」
三佐は何気ない口調で「バラバラ」と言ったし、見学者も深く考えずにうなづいているが、この「バラバラになるもの」には近くで作業している人間も含まれる。もちろん、ボラードにつないである舫も例外じゃない。見た目以上に強い力が働いているので、本当に注意が必要な作業なのだ。
作業を見守っていると、目の前に大尉が指でさした女性が立った。赤黒い小さなスライムのようなものが、肩に乗っている。そのせいかその女性は、頻繁に肩に手をやっていた。赤黒いスライムは、女性が手を肩にやるたびに、移動しては元の位置に戻ってくる。
―― こ、これをつまむのか……ていうか、つまめるのか? ――
以前に見かけた黒いボールのように臭くはないが、色はともかく質感はよく似ている感じだ。かなり気持ち悪い。だが、悩んでいてもしかたないので、赤黒いものに手を近づける。そして思い切ってつまんだ。
―― つまめた! うわー、めっちゃ気持ちわりぃ……!! ――
想像していた通り、やわらかいグミのような感触だ。素早く女性の肩からはがすと、足元に落とし、素早く足で踏みつぶす。
「?」
その気配に気づいたのか、女性が振り返った。
「あ、すみません! 服に糸くずがついていたので、とらせていただきました!」
不審げな顔をされたので、あわてて理由をとりつくろう。
「そうだったんですか、こちらこそすみません。海上自衛隊の人って、紳士的な方が多いって聞きましたけど、本当なんですね」
「え、そうなんですか?」
意外な言葉に驚いた。
「はい。私、自衛隊さんに興味があって今回の体験航海に応募したんですよ。で、抽選に当たってから今日まで、色々な本を読んでみたんですが、体験記とかにそんな話がのってました」
「そうなんですか。これからもそう言っていただけるよう、はげみます」
―― 糸くずじゃなくて、あなたの肩についていたスライムを、つまんで捨てただけなんですどね…… ――
踏みつぶした足元を何気なく見おろす。赤黒いゼリーのようなものが、かすかに残っていた。俺の視線に気づいた女性は、首をかしげながら同じように足元を見下ろす。
「あ、飛んでいったみたいです。このへんは風に吹きさらしになっている場所なので」
「すみません、ゴミを増やしちゃって」
「いえいえ、お気になさらず。たいていのものは、海のほうに飛んでいきますから」
いわゆる一般公開中の広報スマイルをしてみせた。
―― 踏みつけたし触っちまったし! あとで食堂の塩でもふっておこう ――
『ありがとうございます。心配しなくても大丈夫ですよ。波多野さんにはなんの影響もないようなので』
耳元で相波大尉の声がした。
―― いやいや! 影響がなくても、気持ち的にお清めしたいし! ――
つまんでしまった手をふりながら、心の中でぼやいく。
「さて、引き出しの準備ができたようですので、艦橋に移動します。そこで出港作業がどのように進められるか、皆さんに見学していただきす。艦橋はせまいので、乗員の邪魔にならないようにお願いします」
副長を先頭に、全員が艦橋にあがることになった。通路はせまいので一列になって進む。
「あれ、もしかして、お前らも初めてじゃね? 出港時の艦橋にあがるのって」
前を歩いていた、3分隊の河内と4分隊の宗田に声をかけた。
「実はそうなんだよ。普段は下にいるからな」
「機関の俺なんて、甲板にあがることすらめったにないし」
「ちょっとした役得だよな」
「だよなー」
そんなこと考えもしなかったが、今日の体験航海では、普段は見ることがない他の部署での仕事ぶりを、俺も見ることができるのだ。
―― 考えたら、いい勉強になるよな。一般の人への説明は緊張するけど ――
「ここから階段です。階段といっても、ハシゴがちょっとななめになっている程度のものなので、しっかり手摺りをもってあがってくださいね。それと頭をぶつけないように気をつけて。波多野、比良、しんがりを頼むぞ」
「「了解です」」
返事はしたものの、見学者の中には俺達より体格のいい人が何人もいる。あの人達が上から落ちてきたら、俺達だけでは受け止められないと思う。比良と目を合わせると、同じことを考えていたようだ。
「女性陣なら何とか受け止められると思いますけど、男性陣に関しては難しそうですね」
声をひそめて比良が言う。
「だよなー。せめてもう一人、ここに残してほしかったよな」
俺と比良はコソコソと話をしながら、のぼっていく見学者達を下から見守った。




