4話:前半 黄砂糖
ベルミニ商会の調理場は家の一階、倉庫の隣にあった。ダルガンの食肉工房や、プルラのお菓子工房ほどの規模はない。それでも、鍋を三つも四つも並べて使うことが出来る。料理そのものは本業ではないのに流石と言うべきか。
俺一人がフレンチトーストを作れば埋まるウチの厨房とは比べものにならない。聞けば、ナタリーの家も俺と同じ程度らしい。
「あれ? 昨日でもう研ぎ終ったって聞いたんだけど」
俺は台の上で麻布の包みを粘土のように捏ねているナタリーに言った。三回目が終わった。そう聞いてやってきたのだ。
「はい。でも、もう一度やってみたくて。あの、貴重なお砂糖を使ってごめんなさい」
「いや、そんなことは気にしなくて良いんだけど」
俺は彼女の真っ赤になった指を見て言った。この季節に水作業は決して楽じゃないはずだ。
砂糖の結晶が作られやすい気温と湿度の冬場なのは丁度良かったが、水を付けては砂糖を練るという作業を彼女一人に押しつけている。俺を含めて他の人間には自分の商売も学院もあるからだ。
「こんな立派な調理場を貸してもらって、豆も良い物を使わせてもらってますし」
ナタリーは俺の隣にいるシェリーに頭を下げた。
「そうだなベルミニさんのおかげだな」
「……もうシェリーで良いわよ。ちゃんと商売上の計算あってのことだし。豆の新しい需要が生まれるかもしれないのに、座視できないって言ったでしょ」
「ナタリーにここまでさせて、本当に上手くいくんでしょうね」
調理場の奥から、麻布を持ったヴィナルディアが出てきた。相変わらず警戒心丸出しの視線だが、聞いたこともない作業をさせているんだから当然だ。
そう、ここに来るまでも試行錯誤があったのだ。最初は砂糖を包む布の木目を選ぶのにも結構苦労している。貴重な砂糖が布から漏れてどんどん減っていった恐怖の光景とか。
それでもなんとかなったのは、布屋であるヴィナルディアの協力のおかげだ。
「ヴィナ。ヴィナだって味見して納得してたじゃない」
「そ、そうだけど。でも量もものすごく減っちゃうし……。ナタリーの手も」
俺たちの視線が真っ赤な指先に集中した。
「大丈夫ですから。それよりも、試食してください」
ナタリーが足下にあった木箱から重しを除く。黄色く変色した包みを取り出す。布の下には黒い液体がたまっている。研いでは重しを掛けを三回繰り返して手動で精製した砂糖だ。
台に置かれた布が解かれると、固められた淡い黄色の個体が出てきた。白砂糖を知っている俺でなければ、原料である黒砂糖との差に驚くだろう。
試作品の量は少ない。何しろ元が砂糖だ。プルラ商会の伝でウチの蜂蜜と交換という方法で格安に入手しているが、それでも費用はバカにならないのだ。
俺は皿の上に砕かれた細かい黄色の結晶に指を伸ばした。
「うん、この味だ」
わずかに黒砂糖の風味が残っていながら、すっと舌の上で溶ける。蜜の抜け具合と結晶の大きさが絶妙だと分る。
あり合わせの道具と限られた原料。それでも、俺が聞きかじりの知識を伝えただけでここまで再現したナタリーには頭が下がる。
「すごい。黒砂糖と全然違うわね。プルラ先輩、ここに居ないことを悔しがるわよ」
リルカが言った。
餡子の甘さを上げるためには、砂糖の精製度を上げなければいけない。
砂糖というのはサトウキビの絞り汁を煮詰めて作る。つまり、植物由来の成分がたっぷり残っている。例えば、サトウキビの絞り汁は酸性だ。
石灰で中和して灰汁を取り沈殿物を除去する、といった過程で不純物を除き砂糖、ブドウ糖と果糖の化合物であるショ糖の割合を高める。ここまではこちらの世界でも行われている。結果出来上がるのがいわゆる黒砂糖だ。
白砂糖にするには、工業社会では遠心分離で機械的に不純物を除去する。除去されたのが糖蜜、黒いタールのような液体だ。大学のショウジョウバエの研究室で餌に混ぜているのを見たことがある。
蜂蜜で使っている水車を使えばこちらでも機械化が可能かもしれないが、調整にどれだけ掛かるか分らない。将来的にはベアリングに期待しているが、水車に使えるほど大きくするのはまだ出来ていない。
何にせよ、試作段階では手動でやるしかない。その方法として俺が提案したのが江戸時代に開発された製糖方法。いわゆる和三盆の作り方だ。和菓子に最適の砂糖と言われる。
手動と言っても基本的に利用する物理化学的操作は同じだ。ショ糖は結晶化するので、結晶化したショ糖と液体である廃糖蜜を分離する。
さっきナタリーがやっていた、布に入れた砂糖に水を加えながら練るのがその工程だ。
和三盆では研ぎと呼ばれる作業だ。そして、重しを掛けて液体成分である蜜を抜く。これを三回やることで黒砂糖から、蜜をわずかに残した黄色い砂糖が出来るわけだ。
黒砂糖と白砂糖の間、白砂糖よりと言ったところか。
もちろん、日本の和三盆はサトウキビの種類から違うから実際には違う物だろう。だが、適度に蜜の風味を残した高純度の、この世界の基準で言えば、砂糖が出来たのは間違いない。
「美味しいけど、とんでもない贅沢よねこれ」
「……はい、四分の一になってしまいます」
リルカの言葉にナタリーが答えた。先ほどの廃糖蜜だが、舐めると甘いのだ。和三盆は精製過程で量が半分弱になると聞いたことがある。それに比べればさらに低い収量だ。それでも、聞き覚えの知識と試行錯誤でたどり着いたことを考えると立派な物だと思う。
これなら期待が出来るぞ。
「じゃあ、この和三盆……黄砂糖を使って餡子を作ってくれ」
◇◇
「出来ました」
厨房に豆を煮る匂いが充満して少しして、俺達の前に三つの餡子が並んだ。それぞれ、研ぎ一回、二回、三回の砂糖を使った物だ。
「うん。すごく美味しいよナタリー」
一番端の餡子を食べたヴィナルディアが驚きの声を上げた。ナタリーも目を見張っている。
「一回研いだだけでもかなり違うけど、やっぱり三回目か」
伊達に和”三盆”とは言わないわけだ。三回という回数はやはり必要なのだろう。コストと味のバランスを考えれば、二回でもと言うべきかもしれないが、ここはやはり先人の知恵に習おう。この世界にとっては異世界の先人だけど。
「次は、砂糖の量だな」
ナタリーが黒砂糖でぎりぎりまで追求したレシピが、煮た豆に対して三分の一量の砂糖を加える、だったらしい。餡子のレシピなんてもちろん知らない。たしか、ケーキが小麦粉と砂糖が同量くらいだったか。単純に二倍三倍で加えてもらおう。
「これ、これだ。これこそ餡子だよ」
口に入れた俺は叫ぶように言った。
「…………」「…………」
俺と同じく、三倍の量を加えた餡子を味わったナタリーとヴィナルディアは口を手のひらで押さえて固まってしまっている。
「……砂糖の味が素直になったおかげで、豆の風味が意味を持ってるのがはっきり分る。確かに蜂蜜とは違う価値があるわ。ここまで美味しくなるものだったのね」
シェリーが幸せそうな顔で言った。
「最高の豆を使わせてもらったおかげでもあります。粒が揃っていて欠けもないから、煮ても味が濁らなくて」
口から手を離したナタリーが言った。なるほど、そういうところも影響するのか。流石、野菜の専門家だ。そうだよな、これはあくまで豆のジャムなんだから。
「それにしてもヴィンダーさん。こんな風に一度に比べてみるなんて初めて試しました」
「同じ条件で、同時に比べるのが一番だからな」
実験に近いやり方だ。
砂糖の精製度と量で、実際には九通りの味を試したのに近い。元の世界の餡子のレシピを知らない俺達が、この世界の材料で正解にたどり着くためには最も効率の良い方法だろう。
特に、測定器が人間の感覚の場合はなおさらだ。比較という手段を用いれば味の天才である必要はない。検証可能な方法というわけだ。
もちろん、実際にやろうとしたら大量の材料と機材と場所と人手がかかる。
「さらに繊細な調整はナタリーさんの舌に任せるしかないけどね。さあ、どうだリルカ。これならいけるんじゃないか?」
俺は生まれ変わった餡子を食べても無言だったリルカに聞いた。
「うーん。確かに比べものにならないくらい良くなったわね。でもやっぱり歯触りがちょっと気になるわ」
「なるほど。じゃあ、次のステップだな」
唯一の否定派の意見だ。尊重しようじゃないか。
「はっ!? こんなに美味しいのにまだ満足出来ないの」
ヴィナルディアがナタリーと顔を見合わせた。まあ、次はそこまで難しい複雑な話じゃない。




