3話:前半 努力の価値は人それぞれ?
「おお、立派な店だなあ」
ベルミニ商会の正面にたった俺は言った。三階建ての堂々たる商会。ヴィンダーの四倍はある。つい八百屋みたいなのをイメージしていた俺は緊張した。
「大公邸に顔パスのヴィンダーが何言ってるのよ」
俺達を案内してきたリルカが呆れた。
「いや、だって……」
「系列でも大きい方なんだから。ウチよりも商売の規模は大きいわよ」
「そうだったのか」
「あんたが指定したんだからね」
「ウチは狭い。ダルガン先輩とプルラ先輩が忙しいし。材料が豆ってこともあるからな」
さらに言えば、ナタリーは学院生ではないので、館長室が使いにくい。
「両先輩は見本市のあんたの無茶ぶりの対応がまだ終わってないんでしょうが。とにかく、ミーアも大公様に呼ばれていないんだから、あんたがしっかりしてよ」
ミーアはうちの全ての業務に精通している上に、言わば代表権のある役員だからな。親父はギルド関係で手一杯だし。
「すごいお屋敷……」
「遠慮しなくて良いよ、って私が言うのは変だけど。ヴィンダーに付き合わされる場所としては、もう破格の親しみやすさだから」
リルカが緊張の表情のナタリーに言った。
「別に。私の家だって銀商会なんだから。ほらナタリーだって元はギルド長の店にいたんだから」
ヴィナルディアはナタリーの背中を押した。そういえば、ナタリーのことはほとんど知らなかったな。ギルド長の店。ドレファノか……。
「ようこそいらっしゃいました」
「えっ!? あ、ああ……。あれ?」
緑のワンピースを着て、まるでお金持ちのお嬢さんみたいな同級生に俺は虚を突かれた。いつもの一拍ずらしたような口調がないせいで一瞬分らなかったのだ。頬のそばかすはそのままだが、前髪で隠れ気味の茶色の目が今日ははっきり見える。
「えと、その今日は場所を貸してくれて助かるよ」
俺はベルミニに答えた。
「……そうじゃないとまた大公閣下のお屋敷に連れていかれるじゃない。そして大公閣下と王子殿下が同席して」
「いや流石にそこまではしないさ。ほらクレイグ王子は騎士団の方で大わらわみたいだし。ほら、あの殿下はアルフィーナ様ほどいろんなことには興味を持たないし」
俺がせっかく否定したのに、ベルミニはため息をついただけだった。
「シェリーお嬢様」
「ペトラ。お客様を応接室にご案内して。私はお父様を呼んでくるから」
メイドさんにそう言うと、ベルミニは奥へ引っ込んでしまった。
「シェリーって?」
「あんたね……。彼女の名前よ」
「知らなかった。えっと、リルカは……リルカか」
家の名前は覚えているぞ、確かトリットだ。
◇◇
「ここよ」
「うわ、立派な部屋じゃないか」
「だから、大公邸の会議室を……。そもそも、なんで王子殿下やアルフィーナ殿下よりもお父様に対する態度の方が丁寧なのよ」
「そりゃ、同級生のご両親とか緊張するだろ。初対面だし」
先ほど挨拶したシェリーの父親と弟。シェリーがお姉ちゃんしていたのが意外だった。
「……普通は王族にはもっと緊張するのよ。えっと、ヴィナルディアさんとナタリーさん。どうぞ、楽にしてね」
ベルミニが席を勧めた。ヴィナルディアは何も言わずに腰掛ける。ナタリーはまだオドオドしている。
「えっと、まずは二人のことを紹介してもらって良いかな。ヴィナルディアさんはナトアス商会の長女だったよね」
「そうよ。貴方たちと同じく銀商会なんだから、別にかしこまったりしないわ」
ヴィナルディアはナタリーをかばうように立ち上がった。流石に今日はミーアの報告書を読んできた、というか昨夜口頭で朗読された。
ナトアスは高級布を扱う銀商会で大商会に多くの顧客を抱えていた、新春祭の雛壇でドレファノが着てた様なのだ。お得意様だったドレファノとその系列、そしてカレストを没落させた俺は気にくわない存在だろう。
さらに母親は領地経営に失敗した男爵家の三女で、経済的支援と引き替えみたいな形でナトアスに嫁いでいる。その家が経済的に凹んだわけで。ミーアには「絶対に油断しないことです」と何度も念を押された。
「私はナタリーです。東方のテルム村の出身で、あの……ドレファノ商会の見習いでした」
グリニシアス宰相領の村だ。隣接するクルトハイト大公領のトゥヴィレ山に近く、公爵領の中ではあまり豊かでは無い土壌で豆の産地らしい。彼女のことはほとんど分らない。ドレファノと言っても本当に下働き的な存在だったはずだというのがミーアの見立てだ。
「もし良かったら、二人の関係なんかを教えてもらえるかな」
ベルミニが言った。
「私がドレファノについて行った時に知り合って、商家のことに詳しくない私にいろいろ教えてくれたのがナタリーなの」
「幼なじみか。私達と同じだね」
リルカとベルミニが笑った。
「ナタリーはすごいの。故郷の村の豆でジャムを作ることを考えて、それをドレファノの家にも認められて頑張っていたの。それなのに、ドレファノがあんなことになって……。それでも、くじけずに頑張ってたのに、今度は……」
ヴィナルディアが俺を睨む。
なるほど、屋台で商売している彼女が砂糖を使う餡子を作れていたのはドレファノにいた時に始めたからか。そのドレファノの没落に関わった俺が、今度は見本市で屋台を妨害した形だ。
別に狙い撃ったわけじゃ無いから、そのことに関しては取り立てて罪悪感は抱かない。俺が彼女に引け目を感じるとしたら別の理由だ。
「ああ、見事にヴィンダーの引き起こした大嵐に巻き込まれたんだ」「……なるほど」
リルカとベルミニがうなずき合った。その目には同情が見える。俺にではなくナタリーだ。
「あの、えっと、ヴィンダーさんが悪いわけじゃ無いって分っていますから……」
ナタリーは健気にそう言った。確かにアレは戦いだった。けどこれから彼女とプロジェクトを進めるなら、ここはごまかせないな。
「それは違うよ。ドレファノをつぶしたのは俺だから。それに関しては恨んでもらってもいい」
俺は言った。見習いとはいえドレファノでそれなりに認められていたのだ。規模は知らないが新商品の開発をしていたんだし。彼女の将来を邪魔したのは間違いない。
……考えてみれば、ウチの蜂蜜をつぶすための策だったとかありそうか。いやいや、あの時点のうちとの力関係でそれはないか。
「何言ってるの。いくら私でもそこまで言ってないわよ。ドレファノは現ギルド長のケンウェルとの争いで負けたんでしょ」
ヴィナルディアがリルカとベルミニから目をそらしていった。だが、二人は「あはは」と微妙な笑みを浮かべた。
リルカとベルミニが言っても良いのかという目で見てきた。俺はうなずいた。その頃は銅だった俺が言っても説得力ゼロだからな。
「実際にはドレファノもカレストもヴィンダーにつぶされてるのよ。ジャン先輩とマリア先輩は知ってるでしょ。カレストの時は、私らの商会も片棒担がされたし。間違いないわ」
「……ドレファノはずっとヴィンダーの蜂蜜に嫌がらせしてたし、カレストもヴィンダーに冤罪を仕掛けようとしての反撃だから、ヴィンダーが悪いって訳じゃ無いけど」
リルカとシェリーが言うと、ヴィナルディアは青ざめた。
「じゃ、じゃあ、やっぱりここは敵の巣窟じゃ無い。いったいどうするつもり」
ヴィナルディアは友人をかばって俺の前に立ちはだかった。俺はなるべく穏やかに笑いかけた。
「ヴィンダー。それニヤリとしたようにしか見えない」
だが失敗したらしい。仕方ないから物に語らせよう。俺は懐から一枚の紙を出した。
「私の借金の……」
ナタリーが青ざめた。
「プルラ先輩に頼んで、ウチが買い取った」
俺が言った。借金と言うからびびっていたが、要するに支払い手形みたいな物だ。おかげで簡単に手に入った。
「あ、あんた、ナタリーをどうするつもりなのよ」
頭を抱えたリルカと激高したヴィナルディア。俺はもう一枚の紙を取り出した。
「簡単だ。これにサインしてくれれば良い」
「アンコ? 開発まで、借金の取り立てと利子の加算を停止する。開発資金と必要量の砂糖を提供……」
俺から紙を奪い取ったヴィナルディアが唖然とした。
「砂糖の供給も取り付けた。プルラ先輩に認められたら、将来的にプルラ商会への納入もある」
俺は続けた。
「で、でもプルラの人はこの前……」
「ああ、もちろん君のジャムをもっと美味しく出来たらって話だ」
ナタリーが信じられないという顔になった。
「あの、アンコっていうのは……?」
「ああ、そうだった。君の豆のジャムの名前だ。まあ、コードネームって形で、プロジェクト中はアンコと呼称させて欲しいって感じかな」
「は、はい、それは別に」
命名権を取り上げるつもりは無い。これはあくまで彼女が考えた商品なのだ。
「こ、こんなの絶対に裏があるに決まってるわ。話がうますぎるもの。きっと何か企んでるのよ。ナタリーのこれまでの努力を奪うつもりなのよ」
ヴィナルディアは前からやたらと努力という言葉を口にする。友人を心配してなのだろうが。
「努力に価値はない。今の現状、ナタリーは豆のジャムの開発に失敗した。それが結果だ」
俺はあえて主語を省いて言った。
「なによ。これだからコネで成り上がったやつは。努力は尊いのよ」
「俺にとって尊いのは俺の努力だけだ。俺にとって価値があるのは彼女の成果だけ」
俺は言い捨てる様に言った。リルカとシェリーが額を押さえたのが見えた。




