5話:前半 職人
ベルトルドに着いた俺は、屋敷と言うよりも城だった大公邸で一泊後、執事の老人の案内で大きな建物に来ていた。
「倉庫という割には綺麗ですね」
「秘密保持のため、大公邸から一番近い場所を選びましたからな」
乗ってきた馬車を背後に、俺と執事が言葉を交わす。会話に意味は無い。単に、初対面の人間に口火の切り方に困った俺の逃避だ。
「…………」「…………」
俺たちの前には二人の男が控えていた。不満と不安を混ぜ合わせ、虚勢を張るように顔を背けている中年男。眠っているのではないかというくらい、目を閉じたままの老人。大事業を始めるためにはどうしても協力してもらわなければいけない職人だ。
「ご領主様の馬車の修理ってことで呼ばれたはずなんだがな」
らちがあかないと思ったのだろう。中年男、執事の言うには馬車の修理を手がける木工職人ドルフが俺を睨んだ。まあ、執事のじいさんよりは与しやすそうに見えるよな。
ドルフの視線は俺たちが”乗ってきた”馬車に向いている。目に不信が満ちている。もちろん壊れていない。職人なら、動きを見たら分かるだろう。
「どうして馬車の修理に儂が呼ばれたのか」
やっと目を開いた老人が言った。鍛冶屋のボーガン。五十半ばは越えてそうだ。彼は知らないだろうが、ジェイコブ達が仕事を頼んでいる鍛冶屋だ。
二人の視線はこの場で一番豪華な服装をした少女、つまりノエルにも向く。ノエルはフードを深く被り直した。出会った時は鍛冶屋ごときとか言ってたけど、人見知りということみたいだ。
俺の左右には商家の娘という服装の二人。一人は黒髪お下げのミーア。その隣がノエルなのでノエルのメイドみたいだ。やらないけどな。
もう一人は、ミーアと同じ服装の青銀の髪の少女だ。
アルフィーナまでここにいるのは、株主として事業の全ての段階を見ておきたいという。彼女ならではの真面目さ故だ。
「両名とも、馬車についてはここにいるリカルド・ヴィンダーが全ての責任を持っている。もちろん、大公閣下の御意志による人選だ」
執事のじいさんが言った。大公の代理人のお墨付きに、ドルフの顔が歪んだ。
「その小僧、、、お方は、一体何もんなんですかね。俺はベガッタの旦那に、馬車の修理の仕事があるから、ここに行けってだけ言われたんですが」
ベガッタというのはベルトルドの馬車商人だ。王都の馬車ギルドの一員でギルド長との繋がりも大きい。
「えっとですね。俺は王都の食料ギルドの商人です。お二人にここに来てもらったのは、この馬車の改良をお願いするためなんです」
「……その馬車は、この前整備したばかりだ。文句があるっていうんですか」
仕事にケチをつけた、そう思ったようだ。
「もちろん違います。元が良い物で無ければ、改良の結果がはっきりしないじゃないですか」
「さっきから言っている改良というのはどういうことだ。鍛冶屋である儂をどうして呼んだ」
ボーガン老人が言った。
「はい、この馬車の部品を一つ新しい物に付け替えたいんです。まずはこれを見てもらえますか?」
俺は試作品であるベアリングを二人にみせた。木の棒を通してある。ドルフが執事を意識しながら、俺の手から受け取った。
「なんだこの珍妙な仕組みは…………。お、おおう。回るのか、中に玉を仕込んでるだと……。馬車の部品って言ったな。この木は車軸……。こりゃまさか軸受けか」
職人の目が変わった。俺は同じ物をもう一つボーガンに渡した。眠ったように閉じていた老人の目が見開かれた。
「バカな、こんな精巧な金属細工はあり得ん。まさか、これを儂に作れと言うんじゃあるまいな。こんな物は二つと同じ物が……、なん、だと」
「お、おい、俺のを取るんじゃねえ。って、こりゃ全く同じできじゃねえか」
ボーガンがドルフからベアリングを奪い取ると、二つを見比べる。
「まずは鍛冶屋のボーガンさんには、この特別な金属軸受け、僕たちはボールベアリングと呼んでますが、それを作って頂きます。実際の大きさはこの三倍ですか」
俺は言った。
「……作れん。こんなものはとてもじゃないが作れん。と言うかどうやって作った、材質は鉛か、だが……」
ボーガンはくぐもったような顔で言った。
「実際には鉄で作って欲しいんです。出来れば、固い特別な鉄で」
「なおさら無理じゃ。真鉄のことを言っているなら、あれは高熱を掛けて、鍛造で少しずつ形をつけていくしかない。こんな物をそれで作るなど出来るわけ無い」
ボーガンが言う鍛造というのは、日本刀の作成を思い出してもらえば良い。真っ赤に熱して柔らかくした鉄をハンマーで叩いて刀の形にするあれだ。だが、俺が頼みたいのは同じ鍛造でも、型鍛造と呼ばれているものだ。
「これを見て下さい。ノエル頼む」
ノエルが俺の言葉に従って錬金金型を出す。貴金属のきらめきに一瞬息をのんだ二人だが、すぐにその精巧な型構造に注目した。
「おいおい、まさか金で型を作ったって言うのか。気でも狂ってるのか、お前は」
「金では無い……。何よりもこんな精巧な型をどうやって」
この世界では普通は砂型だ。作りたい形を木で彫って、その周りを砂で覆って型を作る。型が出来たら、木を除いて金属を流し込む。だが、そのやり方でベアリングの精度は作れない。
「彼女の錬金術ですね」
ノエルは、ドルフの射るような視線におびえるが、なんとか魔導金の性質を説明した。
「魔術……。高温に耐え、鉄よりも遙かに頑丈な金属を、この細かさで加工出来るのか」
「とんでもない費用が掛かるんで。軸受け自体は普通の金属で作るんです」
「つまり、この型を使って鍛造しろというわけか、真鉄を…………」
熱して柔らかくした金属を型でプレスすることで形を整える。精巧な構造の部品を大量に製造する技術だ。ハンマーでぶっ叩いてもびくともしない魔導金の面目躍如だ。実際には四方に溝を掘って、かち合うように工夫することで、さらに負担を減らすつもりだ。
「で、そうやって作ったボールベアリングを車軸に組み込んで欲しいんですよ。なるべく既存の馬車を変えない形で、それがドルフさんに頼みたいことですね」
「…………これを馬車に使うって言うのか」
指でベアリングを回していたドルフが言った。
「ええ、じつはこのボールベアリングには欠――」
「皆まで言うな。これじゃあ、軸との間に遊びが全くねえ。轆轤なんかに組み込むにゃ、すごいだろうが。道を走る馬車には無理だ。それに、二つとなれば取り付けが少しでもずれたらまともに回らねえ」
この世界の馬車の車軸と軸受けの間はかなりの余裕がある。それは単に加工精度の問題だけでは無く、そうしないと道の揺れなどをダイレクトに拾ってしまうからだ。いくら耐久性が高い金属性であってもそれじゃ持たない。
「それに関しては、板バネを使って欲しいんです」
俺は説明した。自動車なんかでおなじみのコイルを使ったサスペンションは無理だが、板状の鉄を重ねた板バネなら構造は単純だ。実際に、高級品には使われている。それでも、乗る時にはクッションが必須。と言うかクッションがあってもおしりが痛い。バネはバネでも現代人が想像する、あのバネが無いとダメだ。それは将来の課題だ。
俺の説明で、自分たちが呼ばれた理由が分かったのだろう。二人は黙り込んでしまった。その指はベアリングをしっかりつかんで離さないが、ドルフの目は左右に泳いでいる。
「馬車商人を排除してこんなとんでもない馬車を作ろうって言うのか」
ドルフが言った。気づいたらしい。これは単なる馬車の改良では無い。
「高価な金属、魔術まで使って、こんな型を作るってことは、作る馬車は一台や二台じゃあるまい」
ボーガンも言った。こちらは引退間近で、怖い物が無いというのがジェイコブの情報だ。
だからといって、こんな若造の提案でリスクをとってくれるか。
「ええ、大量の馬車の軸受けをこれに置き換えようと思っています。すでに仲間の商人に声を掛けていますから、注文についてはご心配なく」
俺は言った。
「だから、そんなことを馬車商人を抜いてやろうって言うのか。お前だって商人だろ」
ドルフの声に警戒がこもる。そりゃそうだろう。彼は今、ギルドと新技術の間で引き裂かれているのだ。
「商人だからこそ、効率の良い輸送手段が必要なんですよ。ただ、とにかく早く作る必要がありましてね。今の馬車ギルドに任せたらどれくらい掛かるか分からない。向こうに受け入れさせるには、とにかく作って見せつけるというのが一つ」
俺は言った。
「もう一つは、職人と直接やりとりすることで、改良のスピードアップを図ることです。この馬車の改良に関しては、貴方たちに裁量を任せたいと言うことですね」
職人は基本商人の下請け。搾取レベルの賃金体系だ。それは、職人にとって自らの技術に投資する動機も資金も無いことを意味する。それでは技術革新のスピードは遅くなる。
俺はドルフを見てにやりと笑った。
「最終的には、ドルフさんが一から馬車を作ってもらうことも考えています。国一番の馬車を作る仕事を、お願いしたいわけです」
俺は背中に冷や汗をかきながら言った。ベアリングの力は信じているが、それが出来るかどうかは全てこの二人の職人に掛かっている。
「ちくしょう、足下見やがって。そもそも、こんなのみせられたらもう、引き返せねえじゃねえか。ましてや、国一番の馬車を作ると言われちゃあな」
ドルフがそっぽを向きながら吐き捨てた。
「真鉄にこんな精巧に加工するという仕事か、断れんわ」
ボーガンも小さく頷いた。
「では決まりと言うことで。くれぐれも、仕事の内容は漏らさないようにお願いしますね。ほら、顧客が顧客ですからね」
「そ、そうだな、ご領主様の命令とあっちゃ、仕方がねえよな」
ドルフが執事を見てぎこちなく笑った。執事は重々しげに頷いた。
「領主はどうやって口説いた」
ボーガンが俺に聞いた。
「ええ「最終的にはこの街を国一番の馬車の生産地にする」って言いました」
俺が答えると。ボーガンもドルフもぽかんとした顔になった。
「はっ、こいつはとんでもないことに巻き込まれちまったもんだな」
「まさかこの年になって、そんな大事に関わるとはな」
二人の職人が声を上げて笑い。執事までわずかに頬を持ち上げた。
よし、これで改良馬車が始められる。俺はミーアとアルフィーナを見て頷いた。




