8話:後半 貪竜討伐? Ⅱ
貪竜が大きく首を持ち上げ、天を仰いだ。ゴーという音と共に、下腹部が膨らんだ。巨大な魔獣の額にある大きな魔結晶が、まがまがしい赤い光を増した。
「ブレスだ。距離をとれ」
四隊の騎士達は一斉に巨体から離れた。戦場に緊張が走る。
ついに、貪竜の首が天から振り下ろされるように撓り。大きな口が上下に開いた。のどの奥に赤い揺らめきが見た。第二騎士団を焼き払った恐るべき攻撃。だが、実際にはき出されたのは、冬の日に息を吐いた時の白い湯気のように頼りない。
「商品がちゃんと効果あって良かった」
よく見ると、竜は息を荒げている。まあ、仕方ないよな。脊椎動物の中でも最も優れた呼吸器官が、半ば麻痺させられているんだから。
俺はほっとした。実際にここまで異常進化した恐竜に効く保証は無く、検証も出来なかった。俺が王子の求めに応じて、現場まで出張った理由だ。効くかどうか解らない商品に他人の命を百人単位でかけさせて、その結果待ちなど小心者の俺には拷問だ。
王子が俺を見た。俺はうなずいた。
「巣に着いたら窒息してましたっていうのがベストだったけど」
つぶやくと、クラウディアがあきれた目で俺を見た。そんな異常な物を見るような目を向けられても困る。そういう目はドラゴンに向けて欲しい。
「ドラゴンのブレスを封じる毒など、いったいどのようにして用意したのだ」
「用意なんかしてないですよ。たまたま、手元にあったって言うか……」
今貪竜を苦しめているのはヴィンダー商会特製の毒。つまりあの花粉だ。正確には花粉に含まれた気嚢に作用する物質。アレが恐竜である以上、つまりは鳥だ。鳥に効く毒は有効である可能性が高い。いや正確に言えば逆か、恐竜が鳥なのでは無くて、鳥が恐竜なのだ。
ドラゴン=恐竜=鳥。これが俺の策の基本となる現代知識だ。
王子の指揮の下、再び騎士団の攻撃が始まる。俺の役目はもう終わり。ブレスで花粉が排除される可能性は警告してある。後は時間との勝負だ。
◇◇
この世界と地球の間に少なくとも数度の行き来があり。この世界の動植物がそのときに地球から来たのはほぼ間違いない。そして、魔獣は人間よりも早くこちらに来て、魔力に適応した古代生物の末裔だ。
つまり、ドラゴンは恐竜がこの世界で進化した結果ということになる。
恐竜がドラゴンになるとか、6000万年の時間の長さってすごいな。まあ、地球ではスーパー○ァミコンから6年でNINTEND○64まで進化したけど。
さて、人間を含む、脊椎動物が五つに分かれることはよく知られている。魚類、両生類、爬虫類、鳥類、我らが哺乳類だ。おっぱい万歳。
だが、この分類は正確では無い。正確には鳥類ではなく恐竜類と呼ぶべきだ。爬虫類、恐竜、鳥類という進化の流れはおそらく正しいが、その区切りは恐竜と鳥類の間に置くのでは無く、爬虫類と恐竜の間に置くべきなのだ。
鳥類とその先祖である爬虫類の違いを整理してみよう。爬虫類に比べて鳥類は温血性、高効率の呼吸器官、中空の骨、羽毛、飛行能力を獲得している。そして恐竜、特にティラノサウルスやラプトルを代表とする獣脚類は、鳥類の特徴と考えられていたこれらの性質の多くを獲得していた証拠があるのだ。
恐竜が恒温動物だという説は有力だし、中空の骨や羽毛の化石も見つかっている。骨格構造から気嚢があった可能性が高い。ちなみに、鳥の足には鱗がちゃんと残っている。
つまり、鳥の鳥たる性質はほとんど恐竜の時点で進化していたと言うこと。鳥類が恐竜から進化したと言うよりも、地球で鳥類と言われていた生物は恐竜の生き残りだといった方が正しいのだ。少なくとも、蜥蜴よりは遙かに鳥に近い。
実際、ティラノサウルスの化石に残ったコラーゲンのアミノ酸配列は、鶏に一番近かったという決定的な証拠も見つかっていた。あのドラゴンのDNAサンプルを地球に送れたら同じ結果が出るだろう。
要するに、ほ乳類の内、コウモリを除くすべてが絶滅したような物だ。もし宇宙人がその状態の地球生態系を見れば、ほ乳類では無くコウモリ類という名前をつけ、飛行の能力を特徴だと判断するに違いない。
話を戻す。鳥を含む恐竜類が他の動物に比べて優れているのが、呼吸器官だ。恐竜が進化した時期は酸素濃度が低かったと言われており、それに対する適応として酸素の獲得能力を高めたのだ。気嚢というポンプを取り付けられた恐竜の肺は、ほ乳類よりも遙かに呼吸効率が良い。渡り鳥がヒマラヤを越えて高高度を飛行出来る理由だ。
俺たちほ乳類の肺は吸い込んだ新鮮な空気と、酸素を奪われて二酸化炭素を多く含んだ排気が混ざってしまう。出口と入り口が同じなのだから当然だ。一方、気嚢というポンプを持った恐竜の肺には、空気が一方通行で流れる。つまり、常に新鮮な空気が肺に供給され、排気は速やかに排出される。
そしてここからは完全な推測だが、この一方向の空気の流れはドラゴンのブレスにも活用されていると俺は考えた。前気嚢、つまり肺から出た排気がたまる場所だ、で魔力によってブレスを生成。それを口から吐き出せば、魔力を無駄にせず、しかもブレスの高温から肺を守る必要性が少ない。
つまり、俺がミツバチの村で見つけた鳥を殺した紫の花の花粉は、ドラゴン最大の武器を封じることが期待される。最低でも気嚢の働きを弱められれば、ドラゴンの力もスタミナも奪える。そういう算段だ。
まあアレだ、八岐大蛇を酒に酔わせて退治した神話を持つ民族として、標準的なドラゴンへの対処と言えよう。……流石に毒を盛るのと一緒にしたらダメか。あと、俺は自分で戦ってない。
訂正だ。やっぱり俺は異世界から来た勇者役は無理だな。
だが、こればっかりはドラゴンを使って検証出来ない。ダルガンに頼んでなるべく多くの種類の鳥を集めて、そのすべてにあの花粉が少量で効果があることを確認した程度だ。
大公の権力であの村を始め周囲の村から大量の花粉を集めた。騎士団がトゥヴィレ山に近づくためのおとりとした馬の毛にまとわせたのはその花粉だ。
◇◇
状況を見る限り効果はあったといえよう。ドラゴンは最初から動きに精彩を欠き、俺が見せつけられた騎士団の攻撃で片腕を砕かれ、飛行能力を早々に奪われた。ブレスに関しても、射程距離も威力も激減しているのは先ほど見たとおりだ。
ちなみに、毒はあくまで商品として騎士団に納入した。もちろん俺は商品の効果を確認するために同行した商人だ。絶対に。
【ピギィィィィィー!!!!!!!!!!!!】
両足を踏みしだきながら、ドラゴンが狂ったように暴れ始めた。
「怯むな、赤ん坊が暴れているのと変わらん。距離をとりやり過ごせ。次のタイミングで攻勢に出るぞ」
冷静に部隊を下がらせるクレイグの指揮に、全く迷いは無い。怪物を赤子に例えるとか、大したもんだ。
「殿下は嫁さんもまだでしょう」
ひげを蓄えた騎士の一人が軽口で応じる余裕まである。毒の効果は確認したし、俺要らないよな。もう帰りたい。
「攻勢を開始せよ」
指揮官の力強い声が通り、呼応する騎士達のかけ声が戦場を震わせた。四隊の騎士は、一斉に隊列を整えた。菱形の頂点ににた陣形を作った第三騎士団は、次々と貪竜に接近していく。竜の左腕が戦闘の一隊をなぎ払おうとする。その攻撃に、前列の騎士八人のハンマーとメイスが激突した。
たたらを踏んだのは貪竜だった。よく見ると八人の後ろには、騎士達がスクラムを組んで支えている。全員が鎧の光を増しているところを見ると、貴重な魔結晶をつぎ込んだのだろう。そして、その間に左右の二隊が貪竜の側面に回った。
【グッギュギュルルル!!】
白刃がきらめき、巨大な怪物の左右の足が同時に切りつけられた。
【ピギィィィー】
貪竜の咆吼はもはや悲鳴に聞こえる。一方、騎士団の連携は全く途切れず、文字通りの出血を強いていく。これは勝ったと俺にも解る。
そのとき、貪竜の額に燃えるような赤い光が揺らめいた。頬袋が大きく膨らんだかと思うと、血のような色の火球が、無理矢理の様にはき出された。
クレイグ直属の部隊が、がら空きになった腹に突撃を敢行するのが見えた。彼らの上を放物線を描いて飛ぶ炎の玉がだんだん大きくなっていく様に見える。
キャッチボールは苦手なんだよ。会話のも含めて。
「リカルド!」
クラウディアに吹き飛ばされて、彼女と絡まるように地面を転がる。岩だらけの坂が皮膚を削る。後ろに控えていた馬車にぶつかって、やっと止まった。
直後、地面が震えた。グラグラする視界に最後に映ったのは倒れる貪竜の姿だった。




