6話:後半 複雑なコース
「そちらの方で集まる噂は?」
ルィーツア様が私に水を向けてきた。
「似たようなものです」
この街は元々無人の土地、対災厄の後方基地として建設され、魔虫の群れとの戦いに関する人と物の流れで基礎を作った。
既存の枠組みの外。王都の商人たちは手が出せない特別な区域だ。そこで活動している私たちはギルドの軛を離れて、免税特権まで与えられている。
血の山脈からの魔虫の襲撃が落ち着き、帝国との交易がどんどん拡大している。街の債権を活用した資金の迅速なやり取りで大きな金額も比較的容易に扱える。
既存の枠組みに比べて、全てにおいてスピードが違う。私たちは向こうに合わせられないし、向こうは私達に合わせられない。それが、摩擦を生む。もし私が王都の商人の娘だったら、確実に不満を持っている。
だが、災厄はまだ数十年油断ができないことは公表されている。ベルトルド大公と王太子殿下が後ろ盾。災厄に関する全権を持つ先の魔虫大戦の英雄夫妻の存在。
食料ギルド長もセントラルガーデンの一員。この状況で手を出すのはただの馬鹿だ。
「ただ、表にはなかなか出ません……」
王都に行けば、かつては別世界の人間に見えた金商会が、私のような小娘を下にも置かない。だが、いやだからこそ目に見えない形で蓄積されるのが恐ろしくもある。
「だからこそ、その上の方に……」
「当然そう繋がるわよね。将来のグリニシアス公爵と新しいクルトハイト大公の周りに一連の変化で割りを食った人間が集まる。貴族も商人も。王女の婿同士が互いの代弁者の形になる。まあ、そうなること自体は、宮廷ってそういうものよねとしか言い様がないわ」
王女殿下を娶るということはそういうことだ。力というのは人を支配すると同時に、その支配している人間に支配される。
もっとも、あの二人がこれまでしてきた苦労を知っている。ほぼ最初からさんざん付き合わされた、私達にしてみれば納得は行かないけど。
「王太子殿下はどのようにお考えなのでしょうか」
「今のところ静観。もともとがバランスのために作り出された状況でしょ。クレイグ様が最初から片方の義弟に肩入れすればそれこそ意味がない。一線を越える。例えば国外のあの方と結ぶみたいなことがあったら放置できないけど、その心配は少なくとも今のところはないみたいだし」
「宰相閣下と騎士団総長閣下は……」
あのお二人は、ヴィンダーの力と価値を嫌というほど知っている。下手なことはしないと思いたいけど。
「御両人ともこの街に対して敵対的な行動はないわ。ただ、不満を持つものが自分の息子に集まってくるのを止めることもない」
ルィーツア様は当たり前のように言うけど、なんで商家の娘の私がこんな話をしているのだろうか。
「まあ、不満というのは打ち砕くより反らす方が管理が楽だから。そして、受け止めてくれる寄る辺があると考えると安定する。そういう意味では派閥にも意味はあるわ。人間が全て一つの旗のもとになんてそれこそ異常事態」
「これまでは災厄がその役割を負ってくれた、ですね」
「そう。つまり準戦時状態から脱したこの街の新しい立場を定めなければいけないという問題が、互いの力の見せ所になっているの。主導権を確保するためには、この街の力と利益を”わかりやすく”示すことが必要とされる。つまり、今回の即位式ね」
ルィーツア様がレイゾウコを振り返る。それに習う。
「まあ、そこら辺は災厄卿閣下の仕事ね。ここを作ったのはヴィンダー君なんだから。そこはなんとかしてもらわないと。ご婦人とご子息のためにも」
「それはそれで心配なんですけど」
私は頭を抱えたくなった。ヴィンダーならきっとなんとかすると思う。今の目的には、レイゾウコは怖いくらい合致している。
ただ、どう考えてもその影響が大きすぎるのだ。ルィーツア様は不満は砕くよりもそらすほうが簡単といった。私も同意見だ。問題は、ヴィンダーがその手のことが出来るかどうかだ。
あいつは砕く方に行く。
ドレファノ、前クルトハイト大公、そして第二王子。敵に回した時はぞっとしたのに、気がついたらヴィンダーが片付けてしまった。
特にミーアが攫われたときなんか、後から全容を聞いた私たちは全員が頭を抱えた。いや、まあことが事だから不満はないし、良くやったと思うけどね。
なるほど、確かにそういう意味では、現状はヴィンダーのやり過ぎの結果か。じゃあ今回は?
「失礼致します。災厄卿閣下がお越しになられました」
ドアがノックされ、侍女さんの声が聞こえた。すぐにこちらに来る足音が聞こえる。本来なら門まで迎えに出るべきなのだが、いつもこんな感じだ、簡素なのはレイゾウコの装飾だけではないのだ。
それがまたスピードを早め、慣れていない人間を翻弄する。
だが、それが通じるのはこの街の中だけ。それですら治安責任者であるファビウス閣下がどれだけ気を使っているか。
ドアが開いてヴィンダーが入ってくる。脇に木箱を抱え、もう片手にはワインの瓶を持っている。カチャカチャという小さな音は木箱の中からだ。
彼の横をおろおろとしている執事と侍女さん。主の客に、王国の重臣に荷物を持たせていることを気にしてるって気が付きなさいよ。
ルィーツア様が人払いをする。
「……それが食前酒?」
私はちょっと変わったコルクの付いたワインの瓶を見ていった。……失敗作に見えるけど、気の所為だよね。
「ああ、やっと出来た。一応冷やしてから来たけど、冷蔵庫で落ち着かせてから試飲してもらう」
ヴィンダーはそう言うとレイゾウコを開けて瓶を入れる。そして、私を見た。
「その間に、みんなのメニューについて聞かせてもらえるかな」
…………
私が私達の苦労の結晶を説明する。ヴィンダーが無言だった。私の説明に眉間にしわを作った。
「まさか、不足っていうんじゃないでしょうね」
私は不安になる。流石にもう時間がないのだ。
「いや…………やりすぎじゃないかな。みんな王国をひっくり返すつもりなのか?」
ヴィンダーはどうするんだこれ、という顔だ。私は「お前が言うな」という言葉を何とか飲み込んだ。横を見るとルィーツア様も何かをこらえる表情をしている。
まあ、ヴィンダーを驚かしたのは少し気分がいい。いつも驚かされている私達の身に少しはなればいいのだ。
ホッとしたところで、私はレイゾウコに目を向けた。
「もういいでしょ。さっきのお酒を飲ませてよ。前菜との相性を確かめないといけないんだから」
安心すると、興味が湧いてくる。あそこから何が出てくるのか。
「ああ、そうだったな。今用意するからちょっとまってくれ」
私はレイゾウコに向かうヴィンダーを凝視した。
こいつのそばにいるといつも、細い吊橋の上にいるような気分だ。前に何が待っているかの期待。同時に、右に落ちても、左に落ちてもだめという不安。
心臓に悪い。だから、早く解消したい。解消して欲しい。そんな気分にさせられる。
ヴィンダーは持ってきた瓶を見せた。中身は普通の透明な液体。ちゃんと白ワインに見える。白ワインといいながら青とか、緑とか、下手したら虹色とか光るとか、流石に杞憂だったらしい。
ヴィンダーは木箱からグラスを取り出した。ワイングラスにしては細長い。上品だけど見たことのない形。ワインの香りを楽しむには、不適切に見える。ああ、やっぱり何か普通じゃないんだ。
そして、彼はちょっと形がおかしいコルクに手をかけた…………。
◇◇
人払いをしていたのにもかかわらず、血相を変えて廊下から駆けつけてきた執事さんと護衛の人。彼らが見たのは、グラスを口につけたまま固まる私達。
「クリームチーズに生ハムに、燻製した卵。うん、全部ピッタリ合う」
そして、私の用意した前菜と自分の用意したワインの組み合わせを平然と評するヴィンダーだった。
私は唇に張り付いていた、薄くて細長いグラスを離した。口の中でまだ暴れている余韻に負けそうになりながらヴィンダーを睨んだ。
「ねえ、ヴィンダー」
これは何。キリッと冷えた酸味はもちろん、ありえない清涼感が追加されている。初めての体験なのに、夏にこれほどぴったりな飲み物はないって納得させられる。
「な、なんだ」
ああもうやっぱりだ。当たり前のようにこんなトンデモナイ体験をさせる。これだから……。
「さっき私たちにやりすぎだって言ったわよね」
「ああ、皆こってるだろ。先陣を切る酒が見劣りしたら大変だからな」
私は大きく息を吸った。そして、胃の中にたまった気体を吐き出すように口を開く。
「「お前が言うな!!」」
同じ言葉が隣から飛び出た。あれっと思うと、ルィーツア様が慌てたように口を抑えている。ああ、そうだね王太子殿下も私達の今の体験をさせられるんだ。一世一代の即位式で。
2017/12/24:
今日は何の変哲もない日曜日ですね。
ちょっと寒いですけど、冬だからやむなしです。
次は即位式の予定です。




