23話 パートナー
「……まぶしい」
俺の意識が最初にとらえたのはいつもの自室の天井だった。どうやら窓からの光で目を覚ましたらしい。珍しいな、最近は太陽よりも早く……。そこまで考えて俺はぞっとした。これ、昼前ぐらいじゃないか。
今日やるべきだった仕事が脳裏に並ぶ。元祖セントラルガーデンの皆からの…………。あれ、その仕事は終わったような?
俺は首をかしげて起き上がろうとした。だが、体に上手く力が入らない。特に、布団の右側が重い。よく見ると、白い掛け布団に輝く青銀の髪の毛が広がっている。ベッドにもたれかかるようにアルフィーナが寝ているのだ。
綺麗な横顔にほつれた髪の毛が掛っている。それを見て、半ば閉じかけた視界の中で、必死で俺に呼びかけるアルフィーナの姿を思い出した。そうだ、仕事中に部屋で……。
「……あれからどうなった」
俺はなんとか身を起こした。体がだるい。一方、頭はなんとか動いている。
「…………リ、カルド……くん」
突如重みが消えた。アルフィーナが顔を上げた。その瞳が、なんとか身を起こした俺をとらえた。
「……えっと、その。……おはようございます」
間抜けな挨拶をした。第一早くない。だが、俺を見るアルフィーナは一瞬で涙目になった。
「目が覚めたのですね。ああ、よかった。夕方になっても、夜になっても、朝になっても。全然目を覚ましてくれなくて、私は……私は……」
アルフィーナの目から涙があふれた。
「そ、その、ご心配をおかけしました。えっと、大丈夫ですから」
眠ったおかげか体調は悪くない。俺は両手を広げてアピールしようとした。だが、アルフィーナは俺の額に手を当てる。
「熱とかはないようですけど。本当にどこも。痛いところとかありませんか」
必死の目に見つめられる。とても近い。
「た、多分、大丈夫だと……」
「本当に、本当ですか少しでも――」
ぐうっ……
アルフィーナの言葉を止めたのは、俺のお腹だった。そう言えば、丸一日以上食べていないのか。
俺は倒れる前のことを思い出す。……睡眠不足、疲労、そう言えば朝食も取っていなかった気がする。ミーアのあの質問は引っかけ問題だったのか。……メイティールのこと言えないな、はは。
◇◇
「……えっと、アルフィーナ様、これは、さすがに……」
「はい、リカルドくん。口を開けてください」
口の前に出された小さく切られた白くて柔らかそうなパン。金色の蜂蜜が掛っている。今、体が猛烈に求めている炭水化物だ。それに俺は追い詰められていた。
「口を開けてください。…………っ。食欲がないのですか?」
アルフィーナの顔が曇る。
「いえ、そんなことはありません」
俺は慌てて口を開けた。口に、小さく甘いパンが入り込む。ウチの蜂蜜だよな。こんなに猛烈に甘かっただろうか。俺が本業を放りだしていた間に品質改良が!?
「次は飲み物を……、牛乳で良いですか」
アルフィーナがカップを近づける。温かいミルクが喉を潤す。
「口に……」
アルフィーナがハンカチで俺の口元をぬぐう。まるで、赤ん坊になったような気分だ。
アルフィーナはまるで母親のように俺だけを見ている。照れくささとは別の次元で俺の心を満たす。このままずっと。そんな誘惑におぼれそうになる。だが……。
「あの、もうそろそろ……」
俺はアルフィーナの差し出したパンを口に入れたままドアの方を見た。仕事に復帰しないといけない。午前中どころか、丸一日潰れたのだ。少しでも早くリカバリーを……。
「リカルドくんの今日の予定はミーアやお父上が。ですから、リカルドくんは体を休めないと駄目です」
アルフィーナは言った。ちょっと早口になっている。
「いや、でもあの二人も自分の分担だけで時間が……」
俺はベッドから降りようとした。だが、アルフィーナは俺の体を押しとどめた。
「駄目です」
取り付く島もない。ゆっくりと、必要以上にゆっくりと昼食? を食べたので体には力が戻り始めている。大丈夫だと思うんだけど。大体、食欲があること自体が……。
「あのですね、昨日は睡眠不足とか色々重なっただけで」
「駄目です。駄目……。お願いですから」
アルフィーナの目が潤んだ。ぬう、これって反則じゃないか。
「お願いします。今は休んでください」
「で、でもですね。丸一日寝たわけで、じゅ、十分休んだとも……」
俺は反論を試みた。大体、さっきの話だとアルフィーナの方こそ睡眠が必要なのではないか。
「次にちゃんと眠れるのは何時ですか? 食事も忘れるくらいのそんな状態がいつまで続きますか……」
アルフィーナの瞳に見つめられる。
「そ、それは……。い、今の作業が一段落したらきっと……」
「その今のお仕事というのはどれのことですか……」
アルフィーナが俺が倒れる前に見ていたリストを手にしている。…………全部だ。それを確認していたときに倒れたんだし。
「…………」
「リカルドくんがすごいのはよく分っています。ううん、私なんかにはとても理解できないくらいリカルドくんは……。でも、これはいくら何でも無茶です」
アルフィーナが真剣な顔で俺を見る。アルフィーナの言うすごさは殆ど全部、前世知識だ。
「リカルドくん……」
「は、はい」
「リカルドくんは…………。私を、私のことを守ろうとしている、うぬぼれでしょうか」
アルフィーナは緊張したように頬を染める。
「パートナーとして……当然のことです」
俺はなんとか言った。アルフィーナは少しだけ表情を緩めた。だが、すぐにそれを引き締めた。
「私もリカルドくんのパートナーでありたいです。リカルドくんに守られているだけでは、パートナーではありません。私にはやるべき役割があるはずです」
彼女が手に持った俺のリストの中から、一つのプロジェクトを指差す。
「私に任せてください」
指はよりによって紫魔力の発生器に置かれた、文句なしに一番の優先順位のプロジェクト。同時に一番彼女を近づけたくないプロジェクトだ。
「そ、それは絶対に駄目です」
「私には館長やリカルドくんみたいに難しいことは解りません。ノエルやメイティール殿下のように特別な技能も持っていません。でも、紫の魔力を感じ取ることなら、私が一番経験があります」
アルフィーナのいいたいことは解る。適材適所だろう。そして、俺はもう一つの大問題、新型魔導杖に専念できる。理性ははっきりとその正しさを告げる。
「で、ですからこそです。そう、アルフィーナ様一人に頼り切るような仕組みでは、災害対策として不味いんです。例えば、いざ決戦と言うときにアルフィーナ様がもし体調を崩されていたら……。それに、そうでなくても最後の切り札として…………」
俺は視線を左右に振りながら言った。
「では、リカルドくんはどうなのですか」
アルフィーナは俺の視線を逃がすまいと、まっすぐこちらを見る。その瞳に僅かに涙がにじみ始める。
「今の状態は、リカルドくん一人に頼り切っているのではないですか」
まっすぐな気持ちが俺に突き刺さる。プロジェクトの脆弱性はアルフィーナじゃなくて俺。俺は何でこんな時にベッドに体を預けているんだ。
「リカルドくんはいつも素晴らしい考えを私たちに教えてくれますけど。必ず、ちゃんと検証をしていますよね」
「そ、そうです……が」
「この状況で私に、私が当然務めるべき役割から私を遠ざける。それだけの根拠はあるのですか。私はあの後、水晶の扱いにも気をつけています。体調を崩すようなことはなくなっていますよ」
「…………」
体調を崩した俺は口ごもった。水晶の危険性、将来的な可能性を考えて、俺は不完全ながら幾つもの調査をした。ルィーツアに頼んだもの。メイティールに頼んだもの。後者は今も調査中だが、これまでのところ明白な危険は出てこない。
もちろん、あまりに情報が少なすぎて判断できないと言うことはある。だが、それは俺が現実には出来ないことをやっている事を意味するだけだ。全ての危険の可能性を消したければ死ぬしかない。
「……正直に言えば、私だけ特別に扱ってもらっていると感じられるのはとても幸せです。ふふ、これは独占欲でしょうか。巫女姫失格ですね」
アルフィーナは両手を胸に重ねていった。言葉と裏腹に、その微笑みはとてもまっすぐで、俺には眩しい。アルフィーナは独占欲と言った。それは俺の判断が歪んでいる理由だ。
「でも、それではきっと後悔します。私も、リカルドくんも」
アルフィーナはまっすぐ俺を見て言った。
俺の勝手で、多くの人間を危うくする。俺がベッドで寝ている間も、必死に災厄に立ち向かおうとしている人々。そして、最終的にはアルフィーナも守れない……。
俺の判断が歪んでいて、アルフィーナの判断は正しいことが突きつけられる。彼女に万が一にでも何か有ったら。その恐怖は未だに俺の中にある。だが、それの根源的理由がエゴだと思い知らされる。
「…………アルフィーナ様の考えが正しいと思います」
俺は敗北を認めるしか無かった。
「くすっ、リカルドくんが教えてくれたことですよ。覚えていませんか? あの時、書庫の中で私が考え無しだってさんざん言われました」
アルフィーナはいたずらっぽく微笑んだ。やっぱり、この娘は俺が篭の中に閉じ込めて独占できる様な相手じゃない。わかりきっていたはずなのに。
「よろしくお願いします」
「はい。では、まず。パートナーとして一つめのお願いです」
「は、はい」
俺は緊張した。アルフィーナの紫魔力に関わる資質を活用する。それは仕方がない。だが、明確な根拠はなくとも無理をさせれば、以前のようなことになる。俺はもうベッドで横たわるアルフィーナを見たくない。
「アルフィーナと、そう呼んでください」
「えっ?」
……それは今重要なことだろうか。というか、せっかく殊勝に反省して、身の程をわきまえようとしてるのだが。というか、この会話はあのときのことをいやでも思い出させて色々不味い。
「リカルドくん」
アルフィーナは妥協を感じさせない口調だ。
「解りました。………………アルフィーナ」
笑顔がまぶしい。
「では次です。まずは体力を戻してください」
まだ何かあるのかと思ったとき、口元に白い物が突きつけられた。
「……まだこのスタイルで食事ですか」
「はい。今私がパートナーとして一番大事だと判断したことです」
アルフィーナが俺の口に更に残っていたパンを近づける。こうやって食べさせてもらうのはパートナーとしてふさわしくないんじゃ、そう思いながらも俺は口を開いた。
色々と考えなければいけないことはある。本当にこれでいいのかという声は、まだ胸の内から消えない。その声が何に向かっているのかさえ。
だが、今はこの甘さに勝てる気がしないのも確かだった。




