18話:中編 転換社債
「必要な資金の全ては債券で調達します」
俺はそう言うと、王国の財政を支配する二人の顔を覗った。グリニシアスは表情を変えていない、フォルカーの顔には隠しきれないあざけりが浮んだ。
「債券とは借金だな。借入金で資金を補うことは当然検討している。だが、この額は論外だ。利息の支払いはどうする、償還までに何年かかる」
国家に資金を提供するとしても、借金と税金の違いは後から還ってくるかどうかだ。「足りないから貸してくれ」というのは「必要だから寄こせ」よりずっと抵抗が少ない。だが、それにも限界がある。返せなければ一緒なのだ。不毛の土地の強力な魔獣の大群に対峙する軍事基地に用いる資金というのは最悪だ。基本的に軍事費というのは再生産を行わない消耗である。ただし、今回に関しては違う……。
「いえ、これは借金ではありません。資産です。そして利子ですが。この債券の相当部分は利子の支払いも、償還の必要もない形に設計するつもりです」
「話にならん。宰相閣下、このような戯言をいつまで聞いているつもりですか」
フォルカーはもう完全に詐欺師を見る目だ。グリニシアスは俺を探るような目で見る。これは、上司がいなかったら牢屋に直行させられたかも知れない。
「資産というのはどう言うことじゃ」
エウフィリアがため息を一つ。そして、俺に問うた。すでに説明しているのだが……。ああ、急ぎすぎたか。
「説明します。この債券で調達した資金はただ蕩尽されるのではありません。結果、残る物があります。それは将来帝国との交易拠点となる新都市の原型です。これは王国にとって新しく生まれた資産に当たります」
戦費というのは基本的に消耗するものだが、今回は違う。戦時国債と言うよりも建設国債に近い。
「新しい都市が出来るというのは分かる。だからといって借金がなくなる理由にはなるまい」
無言でこちらを睨むフォルカーに代わって、グリニシアスが口を開いた。
「発行する債券に一つの仕掛けを加えます。すなわち、この債券を所有する者は希望すれば新都市の権利を分割した証券、株式と交換可能という条項です」
アイデアの元は転換社債だ。ある意味、デットエクティースワップ、負債と資本の交換である。債権者は都市の出資者となるわけだ。つまり、債券の購入者が希望すれば元本は都市の資本、利子は配当になる。
「債券として持っていたい人間は金利を受け取り。償還時に元本が戻ります。これは普通の借金と同じです。ただ、そこにも一つ工夫をしますので、まずは債券としての説明を……」
俺はミーアを見た。ミーアが立ち上がった。手に持った紙の一枚を出席者に提示する。100と言う数字と、金貨の絵が一番上に描いてある。
「資料としてお配りした債券のサンプルをご覧ください」
ミーアはいった。全員が紙をめくる。
「書かれていることの意味ですが。金貨100枚というのは債券一つあたりの額面です。この債券を金貨83枚、償還期間10年で発行します」
ミーアが言った。
「ただでさえ膨大な資金が必要なのに、金貨100枚を83枚で売るというのか」
「はい、その代り毎年の利子の支払いはゼロです」
債券としての種類ならいわゆるゼロクーポン債だ。利子が付かない代わりに、その分が最初から安く販売される。ちなみにミーアの発想である。割引現在価値については説明しただけで、思いついたらしい。恐ろしい。
「……金利分が最初から割り引かれていると言うことか」
ただでさえ新しい試みだ。価値を明確にするためにこの形がいい。もう一つ大きな狙いがあるが……。
「100対83の根拠は」
「割引現在価値です」
ミーアが新しく一枚の紙を差し出す。金利○パーセントの複利の場合、一年前二年前……十年前の価値がいくらであるべきかが計算されている。
「割引現在価値?」
「簡単に言えば、今もらえる金貨100枚と、10年後にもらえる金貨100枚の価値が違うと言うことです。どれほど違うかを示した表がこれです」
ミーアの回答に、すでに説明を受けているはずの商人組まで紙に齧り付く。まあこれに関しては仕方がない。この世界での金利の意味はその大部分がリスクに対する保険だ。
何しろ通貨の価値はその素材である貴金属に依存している。金は劣化しないので紙のお金的な意味での経年劣化はないのだ。もちろん、機会損失という意味はある。だが、こちらの経済成長率では無意味に近い。例外はヴィンダー商会だけど。
「仮に一年の金利が5パーセントとしましょう。今もらえる金貨100枚の1年後の価値は幾らでしょうか」
ミーアがフォルカーに聞いた。
「なるほど……手に入れた金貨100枚を貸せば、1年後には105枚になる。つまり、現在の金貨100枚は1年後の105枚に相当というすると言うことか」
フォルカーが答えた。理解早いな。俺が前世でこれを授業で聞いた時は、どれだけこんがらがったか。金融の話は基本直感に反する。だから専門家が高給を取るのだ。
「はい、逆に言えば1年後の金貨100枚は、現在の金貨95.2枚に相当します」
「なるほど、金貨100枚の債券を83枚で売るというのはその理屈か」
「年ごとの利子の支払いの必要がなく、管理が楽になります。実際には今の計算を金利2パーセントとして10年複利で考えると82枚になります。10年後金貨100枚として償還される債券を金貨83枚で発行するのはそういう計算です。金貨1枚は管理手数料です」
ミーアが説明を続ける。ちなみに、2パーセントというのは当然戦時金利である。本来のリスクとはかけ離れているが、それに関しては滅びたら終わりだろうという、有事論理である。
ミーアの淡々とした説明を、全員がなんとか納得しようと努力している。
「債券の意味は分かった。だが、償還は10年後だ。信用をどうやって確保するか」
「それが一番の問題です。まず、この債券を国王陛下に大量に購入していただきます」
ミーアが言った。
「昨今の災厄への対策と帝国との戦争に対する勝利。これにより国王陛下、王太子殿下、アルフィーナ殿下の人気は絶大な物です。これはつまり、王家が貴族や民から絶大な信用を有していると言うことです。王家が債券に投資すると言うことは。その債券に王家の信用が付与されると言うことになります」
ミーアの言葉が酷い。いつの間にか人気が信用になってる。まあ、王家の財産を今回の災厄の対策のために供出するという国王の宣言を最大限に利…………活かしてお金をかき集める方法だ。国を想う王の真情の効用関数を最大にするのが国民として…………。まあ建前はいいや。
前世でも最大の信用は国家だった。国家の発行する債券、つまり国債が最も大きな信用を持ち、金利も低くて済む。結果として金利の指標になっていた。
「ちなみに妾もこの債券に資産の大半を投じるつもりじゃ。無論アルフィーナ殿下もな」
エウフィリアが言った。
「…………それならば、貴族達もこぞって資金を出さざるを得ない……資金は集まる。だが、これほどの金額を二割増しでとなると、10年で償還など不可能だ」
「はい、現在の王国の財務状況だと償還に少なくとも30年は掛るでしょう」
なんでそんなことを知ってるんだという数字が、ミーアの口から出た。俺がこの債券の相談をしたときに、大して考えもせずにこの手の数値を根拠に計算していたよな。輸送規格の共通化とかで宰相府に出入りしている間に何をやった?
「ですので、返しません」
「なんだと……」
ミーアはしれっと口に出した言葉にフォルカーが目をむいた。
「先ほど先輩……リカルドが言ったように、集めた資金は都市という資産に変わります。この都市から上がる利益を毎年配当として受け取れる権利を都市株式として設定します。株式に関してはベルトルド大公閣下にご確認ください」
ミーアが居候先の主を見た。
「宰相も財務大臣も良く知っておろう。我が家の収入にいたく感心があるようじゃからな」
エウフィリアがにやりと笑った。
「債券には額に応じてこの新都市株と交換する事が出来るという条件を付けます。つまり、安全を重視して10年後に償還される債券として保持しても良し。新都市の権利と交換するも良し、と言うことになります。新都市の株式と交換された分は負債ではありませんので、償還の必要がありません」
都市の株式金貨82枚に対して額面金貨100枚の交換比率くらいかな。ゼロクーポン債だからそれまでの利払いはない。
「つまり、この紙切れがそのまま金貨となると……」
「はい、例えば国王の勅許状、ギルドが与えられているような物ですが、これも実際には莫大な経済的価値を持ちますよね。同じような物です」
ミーアが商人も貴族も顔をしかめるようなことを言った。だが、誰もとがめない。
さて、次の問題は……。
「……今は何もない平原。魔獣の領域に作る都市だ。誰も株式とやらに転換しないのではないか」
グリニシアスが言った。そう、誰も株式転換しなければそれはただの債券だ。
「転換の開始は5年後からを考えています。これからの魔虫との戦いを通じて都市建設は急速に進むでしょう。王国と帝国の膨大な物資のやり取りも保証されています。これを背景に都市の価値は多くの人間の目に付くことになります。特に債券の購入者の中心として想定する商業界には」
ミーアの言葉に商人達が揃って頷いた。さて、政治の方は……。グリニシアスは黙って考える。フォルカーに耳打ちをした。フォルカーは苦り切った顔で、渋々頷いた。
「もう一つ懸念がある。この莫大な資金の移動による王国経済の混乱だ」
最後の問題が出たな。この一大事業により王国の金の分布が歪む。災厄とは比べ様も無いとは言え、全ての人間にとっての惨事となる。特に俺達商人にとっては。




