8話 帝都
南の大河と東の血の山脈に挟まれた縦長の長方形の領域。山地の中に盆地が散らばる国土の北辺近くに帝都はある。帝国の中でもっとも大きな盆地であり。また、北に地熱地帯で暖められた川があることから、国内では突出した食料生産を誇る。
それを背景に、魔獣の脅威に対する共同体の中心となった。代々の皇帝や皇族が各地の盆地を支配する一族と血縁関係を結び、血縁連合の中で資質に優れたものが魔獣との戦いで評価を受ける。そういう体制だ。
城塞のような分厚い帝都の城壁、正方形の都市の中心に無骨を極める皇宮がある。要塞のような建物には、防衛用にせり出した石壁の他になんの装飾もない。脇にある厩舎にいつになく多くの馬竜が止まっている。それぞれには似通った意匠の紋章を付けている。
皇宮の最奥、黒い帝国国旗の下に一段高い玉座が置かれ。その前に、二つの長いテーブルが左右に向かい合う形で配置されていた。テーブルにはそれぞれ五人ずつの男女が並んでいる。皇族の有力者である。
左のテーブルの中心にはダゴバード。右のテーブルの中心はリーザベルトだ。ちなみに、この二人とここにはいないメイティールは、兄弟ではなく従兄弟の関係だ。
側近に支えられた枯れ木のような老人が玉座に着いた。魔獣の被害が猖獗を極めた十数年前、皇太子候補が魔獣との戦いで続けて命を落とした結果だ。それでも、本来なら王国に勝利した若い新帝を頂いているはずだった。
「私は、王国の申し出は積極的に検討する価値があると考えます」
まず声を上げたのはリーザベルト。皇族と言っても資質で劣り小さな盆地の領主に過ぎない彼女がこの場にいるのは、メイティールの代理人であり、その小さな領地が今回の王国の提案と密接に関わる位置にあるからだ。
彼女の左右に座るのはいわば王国との協調派だ。もちろん現状では、あるいは相対的にはという意味だが。
一方、彼女の正面に座るダゴバードが代表しているのは、懐疑派。一見して武人という様相の男女だ。幾つもの傷跡をその身に刻んでいる。ダゴバード自身、新しい傷跡が幾つも増えている。必勝を期したはずの王国侵攻で敗北したことで、大きく威信を落とした。だが、残存戦力を駆使して国土の防衛に駆け回り、次代の最有力候補として復権している。
もちろん、最大のライバルであったメイティールが国外にいるのも大きい。
ダゴバードの右隣に座っていた40代半ばの男が立ち上がった。頭部から腕まで幾つもの傷がある。王国との戦争中は、数が減った戦力で国内で魔獣との防衛戦を担当していた皇族だ。
「対魔獣で共闘と言いながら、結局はこちらの魔導技術を一方的に奪われた上、体よく盾に使われるだけであろう」
「先の戦で失われた馬竜や魔導士の補充がやっと始まったばかりだ。今は国内を固めることを最優先すべきだ。王国が飛竜の領域に手を出したいというのなら、やらせれば良い。失敗してもこちらには得しかない」
ダゴバードの左隣りの三十代後半くらいの女性が言った。彼女は馬竜の飼育責任者だ。
「王国との交易の拡大と安定は戦力の回復にも必要です。そして、このような時であるからこそ将来の発展の為に前向きの手を打つべきです」
「交易の安定はともかく、拡大が利益とは限るまい。王国から安い穀物が大量に入れば、帝国の農業はどうなる。其方の話ではその都市は穀物の値段を下げるというのではないか」
農業国の王国とは違うとは言え、帝国も国民の多くは農民である。その生活はぎりぎり。もちろん、帝都周辺の耕作地の相対的地位が揺らぐことに不安もあるのだ。
「王国の主張では、双方が得意な作物を交換する機会の拡大と有ります。これに関しては、私は新しい都市の責任者と直接話を聞いています。豆に関しては私も確認していますし、メイティール殿下からの情報では、王国では蕎麦の需要が存在しうると」
「帝国に輸出するだけの小麦を産する王国が、雑穀を好んで食べるというのか。とても信じられん」
「いえ、ただ食するのではなく、極めて高級な菓子や珍しい食べ方を提案されていると……」
「利益利益と言うが、誰の利益か? 其方が言うように、王国との交易拠点が出来ることで帝国に利益がもたらさせるとして、最大の受益者は?」
意地の悪い顔で質問したのは、本来の王国の接点である領地の領主だ。
「我が領土を通じて王国の新しい都市に対して協力するということはあくまで和平の条件として……」
「ならば最大の受益者である其方が努力すれば良い。もし計画が上手くいけば、其方の領地は帝国の辺境から王国と帝国を繋ぐ要路となる。万が一にも血の山脈の資源開発などと言うことになればそれ以上の意味がある。さぞかしやりがいがあろう」
「私は決して我が領の都合だけを考えているのではありません。実際メイティール殿下からも、王国との共同研究は有益であるという報告が……」
リーザベルトが後ろに控えた魔導師を呼んだ。メイティールの部下だ。
「殿下からの報告では恐るべき性能の魔力の測定器の開発に早くも成功したとあります。魔脈の詳細な観測だけでなく、魔導研究に関して極めて広汎且つ大きな役目を果たすと。王国は竜水晶の提供と引き替えに、新しい魔脈測定装置を提供するとのことです」
「王国との協定はすでに効果を発揮しているのです。もちろん、王国は王国の利益に基づいておりましょう。しかし、少なくとも王国が昨今の魔脈の異常を真剣にとらえ、魔獣の問題を大きな脅威と認識している。そう解釈できるのではないでしょうか」
リーザベルトの言葉に反対派が黙った。メイティールの魔導研究への貢献と情熱はここにいる全員が知っている。人質でありながら、その言葉には重みがあるのだ。
「では、こちらも王国をよく知る人間の情報を出しましょう」
だが、反対派の一人が発言した。列席者が頷くと、会議場の入り口が開き、ここにいる誰よりも派手な白い服装の男が入ってきた。
「王国名誉大使デルニウス殿下にお聞きしたい。率直なところ王国に魔獣に対処する意志がありましょうか」
「私は帝都までの道のりで、血の山脈に近い帝国の魔獣の事情を垣間見ることができた。その点から言わせてもらえば、残念ながら王国が帝国に有効な協力をすることは難しいと言わざるを得ない」
「ほう、その理由は。少ないとは言え、王国は竜を筆頭に数々の魔獣に対処して見せたではないですか」
「その”少ない”が問題なのだ。王国は確かに魔獣の脅威から国を守った。だが、それは予言の力を使って、国家の総力を上げて騎士団を一つの対象に集中できたからだ」
「つまり、王国は限られた数の脅威に対する力しかないと」
「遺憾ながらそういうことになる」
デルニウスの発言に、懐疑派が頷く。リーザベルトも反論は出来なかった。全土が常に魔獣の危機にさらされている帝国に対して、王国は出現地域まで予測されたたった一点の魔獣に全力を注げるのだ。
「ありがとうございました殿――」
「それよりも、大きな懸念がある!」
自分に求められている役割が終わったことにも気がつかずデルニウスは続けた。
「我が弟ながら、クレイグを信用することは危険だと言わざるを得ない。何しろ弟は力にしか興味を持たぬ者。王族の身で有りながら、自ら騎士団を掌握し。その力を持って時期王位をものにした。己の功名心しか考えない弟の性格を考えると。……貴国との新たなる争いの火種になるのではないかと心痛めておる」
くらい目でデルニウスは言った。王族で有りながら騎士団を率いて戦うことを貶める発言で、列席者の目が揃って冷たくなったのにも気がつかない。
「つまり、王国が帝国に対して軍事的野心を持っている可能性は捨てきれぬと言うこと、ですな」
デルニウスをこの場に立たせた懐疑派の男が戸惑いながらも、機に乗じる。慌てたのはリーザベルトだ。
「そ、そのような可能性が捨てきれる状況など皆無ではありませんか。実際、帝国は王国に攻め込んだのです。状況が許せば、我々は同じ事をする可能性はあり。当然、王国もまた同様でしょう。ですから問題は、魔獣を共通の敵と定め、交易の関係を拡大することで長期的な……」
「違うな」
リーザベルトは必死で言葉を紡いだ。だが、その言葉がばっさりと切り捨てられる。
「ダゴバード殿下」
これまで一度も口を開かなかったダゴバードの発言に、リーザベルトは緊張した。参加者が自ずと襟を正すだけの威厳がある。
「問題は王国が信用できるかでも、交易の利益でもない」
「とおっしゃられますと……」
「王国との交易拠点がどれほど有用であろうと、交易の拡大がどれだけの利益を帝国にもたらす物であろうと、王国にそれを保持する力がなければ意味がないということだ」
ダゴバードは言った。維持できない交易路など論外。失われるまでの投資と、失われたことへの混乱を考えればなおさらだ。当然、リーザベルトの頭の中にもその懸念はある。
「対魔獣の協定についても同様だ。対して王国は大河のこちら側を捨ててしまってもたいした痛痒はないだろう。遊びに付き合う余裕は帝国軍にはない」
「…………」
今度はリーザベルトの側が沈黙した。ダゴバードは反対側のテーブルを睥睨するように続ける。
「では、ダゴバード殿下はどうすれば良いと」
「簡単なことだ、王国が飛竜の領域で活動できるだけの力を証明すれば良いのだ」
「どうやって、でしょうか」
「決まっておろう。対魔獣の協定に応じてやると返答する。王国との話し合いには私自ら参加しよう。話し合いの場はマルドラス、其方が提供するのだ。問題あるまい」
「それはもちろんです」
一転して前向きなダゴバードの言葉。リーザベルトは戸惑いながらも頷いた。もともと、あの少年を招き王国との交易の拡大についてはよく相談したいと思っていた。王国との交易の拡大の具体的な話を出来れば、それは彼女が帝国を動かす力になる。
「ただし、王国にはこちらの要求する経路でそこに至ってもらう……」
ダゴバードは地図を指差した。その指が大河を挟んで弧を描く。その意味を悟ったとき、リーザベルトの顔から血の気が引いた。
「そ、それは、あまりにも……」
ダゴバードの言葉にリーザベルトは目をむいた。
「問題あるまい。何しろ王国が出来ると主張していることだ。もちろん、私が出席する以上王国にはそれに相応しい人間を用意してもらわねばならん。もちろん、新しい都市とやらの責任者も含めてな」
ダゴバードはにやりと笑った。その目はリーザベルトを通り越して、窓の外遙か南に向いていた。




