6話:後半 責任問題
「さて、もう一つ大事なことがある。そなたアルフィーをどうするつもりじゃ」
「ど、どうと、おっしゃれ、おっしゃられても……」
曲がった背中が一気に延びる。両手の拳が、反射的に膝の上で揃った。駄目だ、動揺するな。こういうときは事前に決めた方針を……。
「私は予言の水晶の危険性からアルフィーナ様を守るために――」
「継承権が無いとはいえアルフィーは王族。その身の振り方は国家の方針と不可分じゃ。それは分かっておるな?」
エウフィリアは俺を無視して話を進める。
「そ、それに関してはアルフィーナ様は巫女姫の役目があって……」
「うん? 今リカルドはアルフィーをその役目から解放しようと考えておるのじゃろう。ではその後はと言う話じゃ」
俺の保身的で保留的な回答は一蹴された。というか、俺自身が無効にしていた。
「はい……」
「巫女姫から降りれば、アルフィーは一人の王女じゃ。例えば、帝国との協定を確かにするために、向こうの皇子へ嫁ぐという話が出たらどうする。確か、帝国との関係に関してもリカルドの提案じゃな」
「……そ、それは」
俺は言葉に詰まった。巫女姫という篭から解放しても、その先は王族という檻。考えないようにしていた。水晶がアルフィーナに負担をかけることを心配しながら、巫女姫の立場がそういうことからアルフィーナを無縁にしていると安心しているのは、矛盾としか言い様がない。
いや、そもそも俺はどうしたいのか、エウフィリアの目はそう聞いているように見える。
「巫女姫としてアルフィーの功績は大きい。それこそ大抵のわがままは通るくらいのじゃな。じゃが、王族である以上そういうものではない。名声が高まればなおさらじゃ。アルフィーが誰かの妻になれば、その者はアルフィーの夫であるのみならず、王家の縁戚となるのじゃからな」
エウフィリアは俺をまっすぐ見て言った。その視線が、俺にあの夜のことを責めているように見える。あのとき、もし予定通り水晶のシグナルが遅れてきたらどうなっていたか。その答えは俺の中で出ている。
何しろ、部屋の事情に当てられたとは言え、口説きもせずに襲いかかったのだ。しかも、あの時は後のことなど頭から飛んでいた。彼女を妊娠させた可能性まであるのに。
だから、あの夜以来俺は自分が信用できない。俺の存在がアルフィーナにとって無条件でプラスと言い切れなくなった。だからこそ今俺は、水晶と予言の災厄からアルフィーナを守るという、無条件にプラスであることに集中しようとしている。
あの行為で、これまでアルフィーナに対して積み上げた、彼女の側にいていいと俺が思う理由、彼女が大事な友人であるという建前を失った。
俺は何も答えられずに沈黙した。エウフィリアをまともに見れない。
「あの夜何があったのか妾は問わぬ。仮にリカルドがアルフィーの純潔を奪っていたとしても、責めるつもりはない。そもそも、そうでなければ一晩中アルフィーと一緒におらせるはずもあるまい」
「なっ!」
アルフィーナの保護者からの生々しい言葉に俺は驚いた。もちろん、ルィーツアの言葉などからうすうす分かってはいたけど。
子孫を残すという完全に生物学的領域の意義を除いても、俺が生きていた日本とこちらでは結婚の意味は違う。極端なこと言えば、日本での結婚は個人の感情だけでも良い。失敗しても生存に直結しないからだ。
だが、こちらでは失敗したら自分と一族の生存に関わるのだ。極端な話、共に戦場に立つパートナーの選択なのだ。命がけの戦場を前に感情を第一にパートナーを選ぶなどあり得ない。本人達にとっても、本人達が属する一族にとってもだ。
「で、でも、アルフィーナ様の意思が……」
動揺した俺は自分が言う資格のないことを口にした。
「アルフィーも皇女の出現で焦っていたようじゃし……」
「えっ?」
戸惑う俺に、エウフィリアは羽扇で机を打った。
「もちろん、リカルドとアルフィーの間に生じる事についてはリカルドに責任があるがな。そういったことにはならなかったようじゃが」
「は、はい」
「……話を戻そう。そうじゃな、例えばこういうのはどうじゃ。アルフィーを王族の身分からも解放する。単に妾の姪であれば、後見人である妾が方針を決められる」
エウフィリアが意外なことを言い出した。俺は思わず顔を上げる。そういうことが出来るなら、そうしろよ。それならアルフィーナの意志が一番になる。王族としての義務ならもう十分すぎるくらい彼女は果たしたはずだ。
「……はぁ」
俺の顔を見て、エウフィリアがため息をついた。
「あの……」
「リカルドにとっては、アルフィーが王族の身分を失った方が良いというわけじゃな」
「もち……。い、いえ、そんな簡単なモノじゃないということは……」
俺はしどろもどろで言い訳をしようとした。
「この場合の釈明は、そんなことはないの一択であろう。リカルドの言っておるのは、困難がなければ王族でなくなった方が良いと言っているのと同じじゃ」
考えてみればそうだな。アルフィーナの魅力にとって王族云々なんて誤差、いやマイナス要素だから。
「分かっていたとはいえ、アルフィーの王女としての身分にまったく執着せぬか……。それなら可能性は広がるが……。まあ、流石に今の話は無茶じゃ。誰かのせいで、国内最大のしかも突出した領主になった妾が聖女の名声をもったアルフィーナを独占する。あり得まい」
エウフィリアは皮肉っぽく笑う。その視線が、さっきまで説明していた紙に落ちた。なるほど、東の大公がいなくなり、一強となったエウフィリア自身も潜在的には王国の不安要因なのか。でも、それは俺のせいじゃないぞ、多分……。
「まあよい。リカルドがアルフィーを守ろうとする限り、妾も其方達を守る。この約束はまだ有効じゃ」
俺達は思わず苦笑いを交換した。だが、エウフィリアは再び真剣な顔に戻る。
「ただ、新しい懸念がある。其方がルィーツアに指示した調査じゃ」
エウフィリアは言った。その意味に、俺は凍り付いた。まさか……。
「よくもあんな事を調べようと考えたな」
メイティールの言葉があって、さらにあんな部屋が用意されていたら、それが検証できる可能性を考えてしまうだろう。
「も、もしかして……」
俺はつばを飲み込んだ。背中に氷を入れられたような気分になる。
「安心せよ。今のところ其方の懸念を裏付けるような事はない。まあ、事が事じゃから、仮に完全な記録が残っていても難しいからのう」
「そ、そうですか」
ならそんな思わせぶりなことを言わないで欲しい。だが、ホッと胸をなで下ろした俺に、エウフィリアは続ける。
「可能性を聞かされて怖かったのは妾の方じゃ。リカルドの予言は当たるからのう。……そうじゃ、もう一つ一つ聞いておきたいことがある」
エウフィリアが俺を見る。俺が視線を合わせると、エウフィリアの瞳が微かに左右にぶれた。
「リカルドの懸念する可能性が、万が一無視できなかった時、リカルドはどうする?」
エウフィリアが緊張しているのが分かった。だが、俺にとってはむしろ簡単な質問だ。これなら即答できる。
「あの夜の責任を一生かけて取らせて頂きますよ」
「なっ!」
エウフィリアがなぜか手に取ろうとした羽扇を落とした。
それで俺は自分が言ったことの意味を認識した。
「もちろん、アルフィーナがそれを望んでくれればですよ。後、杞憂でもそうならないようにこれからも全力を尽くしますから。ですから、ええっと……」
慌てて付け加える。
「わ、わかった。王宮の懸念も、帝国との交渉も妾に出来る限りのことをする」
エウフィリアは泣き笑いのような顔で俺を見る。こんなに動揺するとは珍しい。
「そうじゃ、アルフィーが聖堂から戻ってきたら少し話せ。うん? 噂をすればか……」
エウフィリアの視線が窓の外に向いた。
聖堂の紋が付いた馬車が屋敷に入ってきた。そうだな、やっぱり一度ちゃんとあのときのことを……。俺は覚悟を決めて立ち上がった。
「いや、おかしいのう。予定では……」
だが、エウフィリアが首を傾げた。よく見ると、先に降りたルィーツアが玄関に向かって急いでいる。クラウディアが抱えるようにして、アルフィーナを馬車から降ろす。ルィーツアの指示で、担架のようなものが馬車に向かっている。
その日、予言の水晶は次の災厄を告げた。




