7話:後半 相談
歴史の調査を終えた俺たちは、再度手分けをして本を戻す。最後の一冊を持って一番奥の本棚の角を曲る。目の前に布が見えた。本棚からこれを下ろす時にずらしてしまったらしい。俺は反射的にそれを払った。
「きゃっ! リ、リカルドくん」
「……うわっ!! こ、これは違います」
本棚に掛けられた梯子に上がっていたアルフィーナのスカートをめくり上げたのだと気がついたときには遅かった。思わず見上げた目に白いふくらはぎが映る。梯子の上でアルフィーナが体勢を崩したのだ。
俺は慌てて背中を支えようと手を伸ばした。だが、上から落ちてきた本物の布が俺の顔を覆った。じたばたする手がなんとかアルフィーナを抱き留めたが。前に回した腕が何か柔らかい物に触れた。
「ひゃっ」
かわいい悲鳴が聞こえた次の瞬間、額に衝撃を受けた。
「大丈夫ですかリカルドくん」
「だ、だ、だ、大丈夫です」
額を押さえる俺をアルフィーナが心配してくれる。そう、奥は見えていないから大丈夫。一番光を反射する感じの色があったような気がするけど、明かり取りからの僅かな光じゃとてもとても。というか、こっちの下着って膝近くまであるから。つまり、大丈夫。
問題はこの右手が触れたものである。思ったよりも柔らかかったなどと考えてしまった。思わず下がった視線に、アルフィーナが手で胸元を庇った。
「前にも同じ様なことがありましたね」
アルフィーナが始めてヴィンダーに手伝いに来たときのことだ。あの時は、台から落ちそうになったアルフィーナの腰に抱きついた。台の高さは膝までもなく、客観的に見れば全く必要ない行為だった。
「返す返すも、すいませんでした」
前科を指摘された俺は平謝りする。今回は支えなければ危なかったのだが、彼女は不安定な足場でいきなりスカートめくりされたのだ。バランスを崩したのも俺のせいなのだ。
「えっ、あの、前回のように助けてもらったと言いたかったのです」
アルフィーナは胸を庇っていた手を戻した。疑ってませんよという意思表示だろう。どこまで良い娘なんだ。
「……に他の人だったらともかく、リカルドくんなら大丈夫ですから」
「えっ?」
「な、何でもありません」
無事? 全ての本を戻し終わった俺とアルフィーナはテーブルに戻った。沈黙が辛い。
「そういえばリカルドくんと初めてちゃんとお話ししたのもここでしたね」
アルフィーナが取り繕うように言った。そこまで遡れば、過去は美しく汚れない記憶である。
「たった2年で、私自身も、私の周りも本当に変わりました。リカルドくんのおかげです」
「私も同じようにアルフィーナ様に助けられているではありませんか」
「……そうでありたいとは思っています。でも、私の力ではとても釣り合うとは思えません」
俺の言葉に、アルフィーナはなぜか痛ましい物を見るような視線になる。
「私は私の利益にならないことはやっていないつもりですけれど……」
客観的に見て、相当な好き勝手をやっているのではないか。特に今回の新都市など、やり過ぎて保身が危ういほどだ。あの会合、後から振り返るとどう考えてもしゃべりすぎた。
大体、俺がやったことは大半が魔獣だったり帝国の侵攻だったり、俺自身が被害者になり得る状況への対処だ。自分を守ったともいえるし。アルフィーナの予言に守られたとすら言えるかも知れない。そもそも、今のメンバーの助けがなければ出来なかったことばかりだ。
「それなら……。リカルドくんの利益、望むことを教えて欲しいです」
アルフィーナは胸の前で手を握り合せる。エウフィリアやクレイグが言う”褒美”とは違う意味で俺は追い詰められていた。あのときとはかかる圧力のベクトルが逆だ。
「水晶の巫女である私に出来ることは多くありません。でも、私に出来ることであればどのようなことでも望んでいただきたいと思っています」
「ど、どんなことでも……」
思わず喉が鳴った。頭の中に浮かんだのは先ほどの光景と感触。今俺を追い詰めているのは、アルフィーナではなく俺自身だ。いや、落ち着けアルフィーナは巫女としての制約があると言ったではないか。いや、そもそもその発想の方向性がやばいのでは。俺の頭はぐるぐる回る。
そうだ、この場所で思い出すべきことはあのときの決意ではないか。彼女は姪だという脳内設定を思い出すんだ。……ダメだ、あんなことの後じゃ背徳感がよけいに理性をむしばむ。
「はい。何でも望んでください。私はリカルドくんが報われないのはいやなんです」
アルフィーナはまっすぐ俺を見る。迷いない視線が捉えている俺は、本当の意味の俺ではない。そう思った瞬間、なんとか頭を冷やすことが出来た。
アルフィーナには俺の功績はとんでもなく大きく見えるだろう。だが、正味の俺の実力というのはそんな大きな物ではない。
俺が予言の災厄や帝国との戦いで中心となれたのは、現代知識があるからだ。地球なら誰でも望めばアクセスできた知識。だが、こちらでは俺が独占している。
いや今更、フェアであることにだわっているわけじゃない。ずるをしようと思って転生したわけじゃない。気がついたら前世の記憶を持っていたのだ。
自分の身を守るのは何を置いてもだ、その為に現代知識を使うのは遠慮するつもりはない。良い悪いの問題じゃないのだ。自分にとって大切な人間を守るためなら、例えずるであろうとやる。
知識を社会を変えるために使うのもそこまで躊躇を覚えない。独占していた知識を解放するという意味では、むしろフェアかも知れない。
だが、それで何か個人的な見返りを望むのは抵抗がある。ましてや個人から。しかも……。
アルフィーナの目が俺にはまぶしい。彼女は俺を過大評価している。うぬぼれさせてもらえば、もう少し深い気持ちを持ってくれているのかも知れない。だが、彼女が知っている俺の力の根源はずるだ。誰がどう考えても魅力的な女の子。そんな娘の心をそんな形で手に入れることが許されるだろうか。何よりも、彼女に対して。
いや、冷静になれ。そもそも女の気持ちなんか俺に分かるわけがないし、とんでもないうぬぼれたことを考えている可能性が高いんだぞ。
「私の一番の望みは新しい都市を中心に王国と帝国の商業を変えること。アルフィーナ様にはこれからもヴィンダーのパートナーとしていくらでも頼ることがありますから」
俺はいった。
「そ、そうですか。分かりました……」
アルフィーナは胸の前で握っていた手をテーブルに置いた。
「そういえば商業ギルドの会合に参加されませんでしたね」
エウフィリアが言うには、アルフィーナは確か別の女性との約束を優先したのだ。……いかんいかん。自分はずるだと言いながら、どんだけ独占欲強いんだか。
「ごめんなさい。あの日は急に第一王女殿下からお誘いがあったのです。元々、私の方が話を伺いたいとお願いしていたのでどうしても」
「第一王女殿下ですか?」
確かリーザベルトの歓迎会の会場で一度だけ見た。ドレスディアとの勝負で公正にアルフィーナを評価したあの公爵夫人だよな。
「はい。メイティール殿下のことで」
アルフィーナが言った。そうだ、メイティールは公爵邸で預かられているのだ。でも、なんで……。
「つまり、メイティール殿下の普段の様子について話を聞きたかったと」
「はい。私は研究所ではお役に立てなかったので。少しでも交流の切っ掛けが掴みたいと思ったのです」
ああなるほどね。俺がメイティールのことをアルフィーナに頼んだね。共同研究を進めてる分には問題が起こらなかったので、頼んだ俺の方がほとんど忘れていたのだ。さっきこの娘はなんて言った、とても釣り合わない? こちらのセリフじゃないか。
「ですが、逆に相談を受けてしまったのです」
メイティールは公爵邸では大人しいらしい。帝国から一人だけ連れてきた侍女とすらあまりしゃべらず、机に向かってばかりだそうだ。
そして、公爵夫人が一番心配しているのが、食が細いことだそうだ。
「じゃああの貧血は…………。気がつきませんでした。アルフィーナ様、アルフィーナ様はやっぱり私には出来ないことでちゃんと助けてくださってます」
「そう言っていただけるのは嬉しいですけど。私に出来ることを考えただけです」
だからそれが俺には出来ないことなんだよな。メイティールの不調を見抜き、本人にアプローチが難しいから居候先から事情を聞くまでしてくれるとは。
魔力が扱えない俺が今やるべき役割はプロジェクトマネージメントだ。
そもそも、体と頭は一体であるというのが俺の信念だ。特に、知的な作業においてそれは顕著。向こうにも思惑があるとは言え、メイティールを王国に連れ込んだのは俺だ。メイティールの身に対しては責任がある。
「とにかく、メイティール殿下の様子に注意することにします。考えてみればいくつか思い当たることがあります」
分かってたこととはいえ、自分の迂闊さに冷や汗が出る。
「私がリカルドくんから任された役目ですから、私が頑張らないと」
「いえ、もう十分に…………。そ、そうですね。お任せした以上は確かに」
考えてみれば、体調面はどうしてもデリケートだ。女性同士の方が良いことは沢山ある。
「とにかく、もう少し詳しいことを聞かせてください」
「分かりました」
クラウディア達が呼びに来るまで、俺はアルフィーナからメイティールの話を聞いた。




