20話:後半 モック
「こちらの技術の一端を見せよう」
俺は箱を開く。取り出したのはフルシーとノエルの力作だ。銀色の板に赤と緑の線で、直線と曲線の混じった単純な記号が描かれている。強いて言えば【&】に似た記号が三つ、一センチ四方に収まっている感じだ。
「……魔導銀じゃない。こんな旧式な物を使って何を」
「どうぞその目で見てみてください」
怪訝な表情のメイティールに俺は勧めた。
「駄目です導師。毒でも仕込まれていたら」
側近の魔導士が主を止める。だが、メイティールはそれを制すと、自ら手に取った。
「回路の形はウチの魔導式の基本単位ね。えらく小さくて細いけれど。魔導銀の魔力伝導能でこんな物作ったら何の意味も……」
メイティールは板をひっくり返したり横から眺めたりする。ちなみに裏や側面には何も描かれていない。将来的には色々考えているが、今はまだ到底無理だ。
「期待し……、えっと、これが一体なんだと…………待って、この色もしかして。えっ!」
メイティールは回路の端、帝国のインターフェイスの印、に指を置いた。そして、びくっと震えた。
「貴様。何をした」
側近が俺に魔導杖を突きつける。まるで毒針でも仕込んだみたいな疑われようだ。俺のような温厚な人間がそんなことするわけがないだろ。
「うそ、こんな細くて小さいのに魔導式として働くって。それに、この魔力の流れの切り替えの早さは……」
メイティールはどうやら過不足なくこの装置の意味を読み取ってくれたらしい。
「もちろん、これはこちらの持つ技術を示すための玩具に過ぎませんよ」
俺は投資家の興味を引くことに成功したベンチャー企業家の様に笑った。この玩具は、フルシーとノエルが必死になって作り上げた王国の最先端技術だ。ちょっと最先端過ぎて、王国の既存の技術から乖離しているけど。
後、同じ物を10個以上作って成功したのはこの1つだけで、歩留まり1割以下とか、そういうことは言わないのだ。はったりは大事だ。
「玩具って、貴方絶対分かって言ってるわよね…………」
メイティールは俺を睨む。さっきまでの不敵な態度は消え失せている。彼女たちが使っている魔導陣のごく単純な一部の模倣に過ぎないそれを、驚愕の目で見ている。
この玩具は魔力回路としては何の意味もない。術者の意志に応じて魔力のスイッチが入ったり切れたりするだけの回路だ。
何が違うかというと微細さだ。帝国の同じ回路より半分以下の幅の線で、四分の一以下の面積に収めてある。
それを実現しているのが素材だ。まずベースを魔導金よりも遙かに魔力伝導性の悪い魔導”銀”で作ってある。その魔導銀の上に、緑色の魔力阻害剤【IG-1】と赤色の魔力増幅剤【ER-1】の相反する2種類の魔力触媒を使って魔力の回路を描く。
線はノエルのボールペンを使っている。ボールの大きさが1ミリメートルだから、線の細さはその七割くらいか。もちろん、魔力触媒を溶かす溶媒の粘度その他で変わる。
最終的には魔導金よりも柔らかいことを利用して、型で模様を押しつけたり、毛細管現象を使ったりを考えて居るが、当然間に合っていない。間に合っていても見せれないけど。
要するに、これは電力ではなく魔力を流す半導体に近いものだ。
「これが王国の魔術技術だが、どうだ?」
【半導体】とは何か。コンピュータの代名詞として使われているが、本当の意味は銅のように電流を良く流す物質である【導体】と、ガラスのように電流が極めて流れにくい【絶縁体】の中間の伝導率を持つ物質の事だ。
重要なのはこの中途半端な伝導率そのものでは無く、それがもたらす融通性だ。つまり、条件によって魔力を流したり止めたり出来る。そして、その条件を操作することで魔力の流れる通路を精密に”描く”ことが出来る。
魔力や電力の流れを水流に例えると、導体はいわば深い溝だ。簡単に水を流せるが、水流をデザインしようと思ったら、大変な労力をかけて土手を一から作らないといけない。絶縁体は岩盤だ。水の流れる通路を作るためには大変な労力をかけて水路を掘らなければいけない。
半導体はいわばスポンジだ。水の流れて欲しいところはスポンジの穴を大きくするような薬剤で処理して溶かしてしまう。水の流れて欲しくないところは別の薬剤を注入して穴をふさぐ。この融通性が回路の素材としての半導体の価値だ。
もちろん、前の世界のコンピュータチップは基本原理だけでももっと高度だけど、極言すれば半導体の融通性を使って魔力の通路を作っているという点は共通だ。
「どうかな。王国にはそちらが興味を持つような技術がないと言えるかな」
「……こ、ここ、間違ってるわ。線が一本足りない。これだから猿まねは……」
メイティールは震える指で回路の一部を指した。
「どこだ」
「ここよ」
「へえ、じゃあこれで直してくれ」
俺は赤いインクを詰めたボールペンをメイティールに持たせた。メイティールは線を一本加えた。ちなみに、魔導銀にインクを定着させるためにはかなり苦労したらしい。詳細は知らない。というか敢て聞いていない。
「線を引いただけで回路が切り替わった!」
ちなみに帝国の破城槌はいわば導体である魔導金で回路を作っているから、魔力の流れない土手を作るためにわざわざ溝を掘って絶縁体を埋め込んでいる。魔力のショートを防ぐためには一定以上は細かく出来ない。
「……分ったわ。これアレと同じ魔力触媒ね」
メイティールは一本の魔導杖を取り出した。斑模様がついている。俺がぶちまけた【IG-1】と【ER-1】をぬぐわずに取って置いたらしい。
「さて、これがあれば何が出来ると思う。後そのペン返してくれ」
メイティールはちゃっかりとペンを持ったままだ。もちろん、インクはごく僅かしか入れていないが。
「出来ることが多すぎて頭がおかしくなりそう。でも、まず間違いなく魔導における魔力使用量の軽減が図れる。多分二分の一、いいえ三分の一になる」
メイティールは熱に浮かされたように言った。聞いておいてなんだが、そんな簡単にしゃべって大丈夫か。おかげで俺の疑問だった。魔力を魔術や魔導として発動する二つのステップ、つまり演算と発現の割合が大体分ったぞ。
予想通り、魔力の大半が演算の方に使われているのだろう。確証を得るためにはまずは実際に魔導を見たいところだが。
「教えなさい。これどうやって作ったの!」
メイティールは身を乗り出す。さっきまでの政治家的な立場はどこにやったんだ。フルシーじゃないんだからもうちょっと落ち着いた方が良いんじゃないか?
いやきっと俺から情報を引き出すための芝居だな。政治家として、軍の指揮官としてこの技術を知れば決して捨て置けない。このままでは王国の魔術水準はあっという間に帝国を圧倒すると考えるはずだからだ。
「さっきの自分の言葉を思い出して欲しいな。こっちばっかり技術を開示するのは不公平だろ。そちらの魔導も見せて貰わないと」
魔術と魔導、どちらも魔力という特別な力を使った情報処理だと考えて居る。その仮説をはっきりさせるためには、実はあの炎の魔導は最適だ。
もちろん、拒否されるだろう。どうやって揺さぶるかだけど……。
「何を言っている。それはそちらが勝手に――」
「いいわ。何を見せれば良いの」
「導師!?」
側近の制止を無視してメイティールは言った。えっ、いいの?
◇◇
あれよあれよという間に、俺は城の中庭のような場所に連れ出された。どうやら皇女殿下自ら実演してくださるらしい。
メイティールの細くて白い腕に描かれた模様から、魔導杖の表面に魔力の回路が繋がり、同時に光の帯が発生した。帯は螺旋を描き、魔導杖の先端から少し離れた場所に収束する。
なるほど、あの粘菌の魔力の流れに似ているな。魔獣の生体模倣技術かも知れないな。俺はあることを確かめるためにメイティールに近づいた。
「不用意に近づくな」
俺に杖を突きつけている魔導士が言った。危ない、俺は慌てて元の位置に戻った。温度計も圧力計もないが明白だな。一瞬だけど耳鳴りがした。そして、炎が生じているのにもかかわらず周囲の温度が下がっている。あれ、見た目通りの炎じゃないな。
炎の弾が飛び出して二百メートル以上先の的を正確に打ち抜いた。俺を振り返ってどうだと言わんばかりのメイティール。だが、俺の興味は発射される前に満たされていた。
厳密な検証は王都に戻ってからだけど、魔導の本質は情報操作で決まりだな。しかし、アンテナや、コロニーのアッセイの特に見たフルシーの観測精度である程度分っていたが、本当にとんでもない。情報処理の効率が高すぎる。
俺はミーアを見た。私情抜きにしても彼女は絶対に取り戻さないと。今の魔導、気体分子の統計的挙動からその性質を導き出す、統計力学と相性がよすぎる。




