13話 餌選び
ベルトルドの城門が大きく開かれ、次々と騎士団の馬車が入ってくる。馬車を守っている騎士の中に知った顔を見つけた。クラウディアがほっとした表情になった。
「クレイグ殿下は」
俺はアデルに尋ねた。いやな予感がする。ベルトルドの騎士団は二日前に戻ってきているのだ。
その時、蹄の音が聞こえてきた。
「よしよし、ちゃんとベルトルドに居たな。これで勝ったな」
クレイグが汚れた額をぬぐいながら俺を見て笑った。何を言ってるんだこの王子様は。
◇◇
「例の毒を使う間もなくモーラントが落とされてな。おかげでこの有様と言うことだ」
大公邸の会議室に俺たちは集められていた。クレイグの説明で事態の深刻さがよく分かる。機動部隊による電撃作戦を想定して、向こうの攻撃目標まで予測通りだった。それでも、早さで全てを覆されたというわけだ。
補給部隊と戦闘部隊が一体とか、まるで遊牧民だ。馬竜の輸送能力を考えれば確かに不可能な作戦ではない。あの竜が大型戦闘ヘリだとしたら、馬竜は装甲車といったところか。
「それでよく無事で……」
「ああ、あの馬車と大賢者殿のアンテナがなければ危なかったな。まあ、流石に途中で敵の速度は落ちた。だが、こうしている間にも、敵は王国西部を支配下に置きつつある。そして我らは動きが取れない。なにしろ、作戦行動範囲が違いすぎるのだ。どこかが攻められても、援軍に行けないのだからな」
クレイグは言った。なるほど、それじゃあ王国西部が崩壊する。安全保障が国家の一番の役割なのだ、それを果たせない状況では忠誠云々など吹き飛んでしまう。
「馬竜の軍団をなんとかしない限りどうしようもない」
「そうだ。というわけで、希望はリカルドの毒にしかない。問題は、それも手持ちが少なくなったと言うことだな。チャンスは一度と考えるべきだろう」
毒ガス化したことで、花粉の効果は数倍に高まっている。だが、気体は風向きなどに左右されるし、そうじゃなくてもあっという間に拡散する。十分な濃度のガスの中に、二百匹の馬竜を必要時間捕らえておくなど至難だ。
馬竜に花粉を掛けて、その後で酸を掛ける。虚を突けば数匹なら可能かも知れないが、十分な数にそれをするのは無理だ。夜間に敵陣に忍び込み、休んでいる馬竜の周りに……。敵陣の中に潜入の必要があるし、あっという間に風に流されそうだ。
壕に酸を満たして、城壁から花粉を落とす。……壕を満たせるほどの酸を用意出来るわけがない。花粉をあらかじめ城外に撒いて置いて……、同じだ。酸の量だって十分ではないのだ。そんな量はモーラントで失う前ですら存在しない。
「で、我が参謀の策は?」
クレイグが言った。俺は参謀って誰だったかと左右を見る。何故か場の全員が俺を見ている。軍事の素人だって何回言えば……。
「砦に誘い込む以上の策なんてありませんよ。強いて言うなら砦に入れないではなくて、出さない事を主眼に防衛の工事をすることですね。具体的に言えば、門の内側に仕掛けをすることになります」
普通なら門に近づけないために逆茂木みたいな物を門の外に置くのだろう。だが、今回は逆だ。恐らくこちらの方が簡単だ。
入るのと出るのは対称的な運動ではない。砦の外から門までは十分な助走距離があるが、逆はそうではないということだ。俺は図を書いて作戦を説明した。
「なるほど、敵は最後のあがきと取るであろうな。ただ、それなりの土木作業が必要だな」
「その条件なら、この砦と、ここの砦の二つのいずれかですな……」
エウフィリアの執事が地図を指差した。ベルトルドの東西にそれぞれ存在する古い砦だ。
「となると問題はどうやって敵をここに誘導するかだな……」
俺は地図の上の小さな砦を見た。普通に考えたら価値がない場所だ。ベルトルドが落ちれば無意味な廃墟に戻る。距離が中途半端で抵抗勢力が立てこもる場所としての価値すらない。
「俺を餌にすれば良いなら話は早いのだがな」
クレイグが言った。
仮に、この砦に対魔騎士団の本陣を置いたとする。敵にとっては容易に落とせる場所に、西部の組織的戦力の大半と王国の象徴が存在していることになる。これなら一応は誘惑になるだろう。
それでも、俺ならベルトルド攻撃を優先する。大公の騎士団と周囲の貴族の部隊だけでは到底守れないのだから、敵にとってはむしろ好都合だ。ベルトルドを落とせば、より有利な状況でクレイグに対峙出来る。
大体どう考えても罠だ。
こうなると分かる。緒戦のモーラントが最高にして最大のチャンスだったのだ。
「俺以上に帝国にとって価値のある人間が一人だけ居るな」
クレイグが俺を見た。おまけ付きチョコのオマケを見るような目で見られている。こちらとしては純然たるオマケのつもりだが。
俺がこれまでやってきた帝国への嫌がらせが頭をよぎる。未必の故意とは言え、帝国の殺したい人間リストの一枚目にランクインする自信がある。多分一桁台の順位だろう。
対魔騎士団が敗れて、ベルトルドが落ちれば当然俺の情報は向こうに入る。保身計算的にはリスクを取っても良いのだが……。駄目だな。
俺は表情を変えずにクレイグの視線を受けた。クレイグも首を振った。
現時点で帝国が俺をそう認識する可能性はほぼゼロ。仮にこちらから全ての情報を流してもだ。それこそ罠だと言っているような物。第一、ベルトルドを落とした後、じっくり探せば良いだけだ。というよりも、ベルトルドとクレイグの騎士団が敗北した時点で、俺一人では何も出来なくなる。
「俺とリカルドの両方で餌としての価値を――」
クレイグがセット販売を考えついたらしい。高級外車に高枝切りばさみを付けても意味がない。まあクレイグと一緒なら俺の価値に対して多少は説得力がでるかな。
「あの!」
アルフィーナが立ち上がった。俺が会議に参加するというと、強引に付いてきたのだ。
「帝国の指揮官はダゴバード殿下なのですよね。でしたら、私が囮になるのはいかがでしょうか」
アルフィーナがとんでもないことを言い出した。
「アルフィーそれは……」
「姫様、そのような危険なことはおやめください」
エウフィリアとクラウディアが言った。確かに、あの皇子は予言の巫女姫に強い執着を持っていた。紹賢祭で実際にこの目で見たし、帝国の暗号文書の中にもそれと思われる記述がいくつもあったのだ。
どうも帝国は、予言の水晶が魔脈と関連していることに気がついているらしい。魔導具と使用者はセットである以上、アルフィーナには確かに価値があるのだろう。
「……同じだな。ベルトルドを落としてからで十分対応出来る。第一、アルフィーナがその砦に向かう理由がない」
クレイグが首を振った。だがアルフィーナは首を振る。そして自分の隣に控える令嬢を見た。ルィーツアが渋々と言った感じで立ち上がった。
「いえ、それはあります。この東の砦からは間道ですが王都へと向かう道があります。さらに言えば砦の近くにはサガイン子爵の領地があります。間道も子爵領を通ります」
「サガイン子爵?」
「最初の説明会に参加した中年の貴族です。こちらの話を興味深げに聞いていましたが、宰相の息の掛かった商会が絡むと聞いて、残りの二人とは正反対の表情を一瞬浮かべました」
全く気がつかなかった。つまり、潜在的な裏切り者ということか。アルフィーナが密かに王都に脱出しようとしていると情報を帝国に流しそうな人間ということだ。
戦乱で王族が王都に逃げる。これは十分すぎるほどあり得ることだ。もし馬竜の情報を事前に知らなければ、アルフィーナはとっくに王都へと避難させられていたはずだ。
「サガインにアルフィーの避難の助力を求めるということか」
エウフィリアが難しい顔で言った。
◇◇
「アルフィーナ様、何故あんな無茶を……」
会議終了後俺はアルフィーナに言った。
「状況は厳しいのですよね。多少の無理は仕方がないと思います」
俺の言葉にアルフィーナは首を振った。
「自らを囮にされるのは、多少ではないでしょう」
「リカルドくんに言われるのは……。どうせリカルドくんは危険な場所に行ってしまうのです。それなら一緒の方が安心出来ます」
「いや、二人一緒に捕まっても意味が……」
「帝国にとって私が貴重なら、リカルドくんのことも少しは守れるかも知れません」
アルフィーナは何でもないように言った。俺は絶句した。
「それに、リカルドくんが考えた作戦なのですよね。きっと大丈夫です」
アルフィーナはにっこりと笑うと、俺の両手を握った。なんということだ、絶対失敗できないじゃないか。




