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――今から十年前。元来ここの集落の統率者だったアレン・ブラントと、集落をウィステリアという村へと発展させ、領主として治安を守っていたエルマー・キャボットとの間で争いが起きた。その発端は近隣の武装勢力を一蹴したのがアレン・ブラントであったこと。村民達はアレンと連帯し、村を危険な目に合わせたエルマー・キャボットには領主は務まらない、土地の所有権を譲れ、と訴えた――
そんなウィステリアの過去を教わったが、俺はもうひとつ疑問に思っていることをクライドに尋ねた。
「――アレン・ブラントは、また争いを起こそうと?」
だからあの姉弟は騒いでいるのか?
「もう収束はついているよ。しかし親父の黒歴史にひどく反発しているからな、あのモアって娘は。またそんな馬鹿な事が起こるかも、なんて考えると自分も馬鹿になっちまうんだろう」
俺はリックの言葉を思い出した。
「……十年前の争いで母親が命を失ったからですか?」
「命を失った? そんな事はないよ。母親が自分から村を出て行ったんだ。モアは『父さんと母さんは土地の所有権を巡る争いで引き離された』なんて喚いてるけど、旦那の行き過ぎた行動に奥さんが愛想をつかした、ってよくある話だ」
軽い調子で答える。第三者のクライドはそんな風に割り切って見ているのだろうが、まだ幼かったモアからしたらそう簡単に考えられないだろう。それにリックは「父さんと一緒に戦う」なんて言っていたような……。それにもうひとつ、俺には大きな疑問があった。
「あの、リックが『師匠』なんて呼んでいる男は何者なんですか?」
このクライドという人物も胡散臭いが、あの野郎はもっと如何わしい。
「ああ、お嬢さんにやっつけられた男か? 確かハワードとかいう名の――この村を守るためにやってきた正義の剣士、らしいぞ」
そう言ってクライドは笑った。
「正義の剣士……それ、あの男が言っているんですか?」
俺は呆れた口調で尋ねた。――なんで正義の剣士がモアやキリルのような少女に刀を向けるんだ。まあキリルにはあっけなく倒されたが。
「いや、リックひとりがそう呼んでるだけだ。うまく丸め込まれたんだろうな」
げらげらと笑うクライドの眼前に、キリルはピン、と人差し指を立てた。
「もうひとついいか?」
「うん、なんだい?」
「もしまた争いが起きたら、あなたはどっち側に付く?」
その問いかけにクライドの笑い声が止まり、キリルの眼を見つめる。じっと見つめ合いながら、問いの言葉を続けるキリル。
「この村に今住んでいる男は皆その争いに参加した、と言っていただろう。あなたもこの村の住人だったのだろう? こんなに詳しいのだから――十年前の争いの時はあなたはどっち側に付いていたんだ?」
何故そんな質問をするのかは判らない。だが、二人はじっと視線を交わしたままだ。
「俺は逃げた」
少しの沈黙の後、クライドはあっさりと告げた。
「争いごとが嫌いなんだ。そんな弱虫男、どっちに付いても足手まといになるだけだ」
自虐的に笑う。弱虫男、か。俺は自分の弱さを笑いの種なんかにはしたくないが……こんな気楽な性格は少し羨ましい。
ふと、またクライドの表情が変わった。そしてキリルの頭にポン、と手を置いて
「じゃあまたな、お嬢さん。修業の旅の健闘を祈る」
なんてよく判らない言葉を残してそそくさと去っていった。「あの」と呼びかけられて振り向くと、そこにはアレン・ブラントが立っていた。
「もし良ければ、我が家にまたお泊まりください。この集落に旅宿はありませんし」
自身の息子が怪我を負わせたマリウスだけでなく、仲間の俺達にも気を遣っているのか。こんな優しそうな人が領主と争いを起こしたとはなんだか思えない。
「ありがとうございます――しかし結構です。現在、この土地は混乱しているようですし」
キリルの言葉に「混乱?」とアレンは怪訝な表情を見せた。
「少し聞いたのです――この村で起きた、十年前の争いの話を」
誰から聞いた、とは言わなかったが、アレンは俯いて口を噤んだ。
「自分達は又違う土地へと移ります」
キリルは穏やかに告げた。
「でもまだリックから謝罪の言葉を聞いていない」
苛々しながら俺は言った。
「フェルナンが殴られたわけじゃないだろ」
そう呟いたのはマリウス。こいつはもうリックを許しているのか? それとも最初から怒ってなどいないのか。そんな言葉を交わす俺達へ、アレンは口を開いた。
「しかし、混乱しているのはここ、ウィステリアではなく、私の娘と息子だけ。お恥ずかしい事ですが――」
「あなた達、まだここに居たの?」
父親の言葉に割り込んできたのは娘のモアだ。
この少女の前で争いの話するのは戸惑った。しかしキリルはしっかりと言い放つ。その言葉に「やっぱり」と震えた声でモアは呟いた。アレン・ブラントは戸惑いながらモアの手を取り、落ち着かせるように言葉をかけた。
「あれは昔の話だ。もうそんな事は起こさない……キャボットとも今はしっかり和解している」
「でもリックは、父さんはもう準備を始めている、俺はその力になりたい、なんて言っていたもの」
「父親より弟の言葉を信じるのか?」
「そうよ。だって父さんは村の人達を守る、なんて言っておきながら、私達家族を力任せの戦いに巻き込んだんだもの」
髪の毛を震わせ、真っ直ぐな瞳で睨みつけると――
「そんな人の傍に居たくなくて、母さんは私たちを置いて出て行った。私も母さんについていきたかった。私は……父さんのせいでこんな目にあったんだから!」
そう叫び、服の襟をぐいっと引き下げた。モアの肩には――大きな刀傷がついていた。その傷跡を痛々しげに擦りながら、涙声で父親を責める。
「悪かった。その時俺は、モアを守ってやれなかった……」
「それよりもまず、争いなんて起こさなければよかったのよ!」
幼い頃にどういった争いがあったのかは判らないが、モアが暴力をあそこまで嫌うようになったのは、この刀傷も原因なのか……。
「だからもう争いなど起こさないよ。お前には本当に申し訳ないことをした」
項垂れる父親の謝罪を撥ね付けるように、モアは泣きじゃくりながら首を横に振る――やはり何も知らない俺達が、昔の争いを蒸し返すような行動をしたのは――。
「あなたが謝る事ではないでしょう――あなたのつけた傷ではないんだから」
思い悩んでいた俺の横で、そう言い放ったのはキリルだった。はっとしたように口元を手で隠すと、キリルはその場から足早に立ち去った。
「傷なんか見せびらかすなよ。みっともない」
そんなマリウスの言葉を聞いたモアは、潤んだ瞳をぎゅっと閉じた。
マリウスと一旦離れ、俺はキリルを探していた。キリルは岬の先端の草原に腰掛け、水平線に沈む太陽を眺めていた。波風が夕焼けに照らされる黒髪を揺らしている。
「おーい、どうかしたのか」
なんてさりげなく呼びかけると、キリルは微笑みながら言った。
「あのモアって子と父親の口論を聞いて、ダミアンさんの事を考えていたんだ」
キリルの身体にも傷跡は沢山ある。キリルはそれらを隠しても恥じてもいないが――もう傷は付けられない、これからは自分で自分の身を守る――と言い切っている。そのためにもっと強くなるのだ、とも。しかしダミアンさんは、キリルの傷跡を「自分の力不足で持たせた」と悔やんでいる。それがキリルは辛いのだろう。
「父娘も色々な形があるだろう。キリルとダミアンさんだっていい信頼関係を築いている、と俺は思うが――」
「ダミアンさんは自分の父親への恩返しをしてくれているんだ」
俺の慰めの言葉に、キリルはそう呟いた。
「ダミアンさんの父親? 俺達の祖父の事か?」
「違う。自分の、本当の、父親の事だよ」
疑問を浮かべている態度の俺にキリルは言った。
「知らなかったのか? 自分はダミアンさんの実の娘ではないと」
――ダミアンさんの兄弟子の娘であるキリル。まだキリルが物心つく前に命を落としたその人の最期の言葉、「娘を頼む」を胸に刻み、ダミアンさんはキリルを育てると決めたという――
「自分も恩返しをしたいんだ。ダミアンさんに」
そのために、この修業の旅をしているのか? キリルは……。身体を丸め、膝に顔をうずめながら夢を囁く表情は、草原でダミアンさんにしがみついたときのものと似ていた。寂しそうで、切なげで、いつもの凛々しさはどこかに消えている。
こんなにも真っ直ぐ見つめているのなら――俺のほうを振り向くかもしれない、なんて希望は消えたな――。
「あの……よろしいでしょうか」
しばらく夕日を眺めていた俺達は振り向いた――なんだかこの村ではいきなり声を掛けられるな――そこには一人の女性が立っていた。紅い唇。困惑と強い意志が絡み合った眼差し。眼の下には隈が浮かんでいて、首元が広く開いたドレスからは、くっきりと鎖骨が浮き出ている。
「私はイサドラ・キャボット――ここの領主、エルマー・キャボットの妻です」
なんだかずいぶんと疲れている様子だが……。領主の妻が、俺達に何の用事があるのだろう?
「あなた方の事は、クライド・オブライエンから聞いたのですが。あなた達に、ぜひ、頼みたい事があるのですが」
その眼差しは俺へと向けられている――しょうがない。
「なんでしょうか?」
「私は争いを繰り返したくはない――反乱を進めている、アレン・ブラントの調査をして下さいませんか?」
俺とキリルは顔を見合わせた。このウィステリアという村の領主は、何故そんな重大な任務を、俺達のような見知らぬ子供に頼むのだろう。
フェルナンとキリルに反乱の調査を頼んだイサドラ・キャボット。気配を消してその会話を立ち聞きしていたのはクライド・オブライエン。盗み聞きはクライドの十八番だ。
――さて、どう出るのかな、あの子供達は――。
争い? 反乱? 十年前にこの村で起きた出来事は、そんな大層なものではなかった。アレン・ブラントとエルマー・キャボットの小競り合い。お互いが一歩ずつ引いたらすぐ収まった。どちらがこの村を守るかにふさわしいか、なんて大層な理由からでもない。
クライドはごろりと寝転がると、瞳を閉じてこれまで見てきた様々な出来事を思い返した。
――気高い戦いと醜い争いの境界線はどこにあるのだろう――。




