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――我が一族の武術の血筋を絶やすな――そんな家訓を与えられたヴァッケンローダー家の子供達、フェルナン、キリル、マリウス。三人は幼い頃は共に修行に励み、現在では真の強さを探す旅をしている。
「ここはどこだ」
鬱蒼とした長い迷い道に疲れ果てて、独り言のようにそう訊ねた俺はフェルナン。ヴァッケンローダー家三男の一人息子だ。
「さぁ……それよりキリルはどこだろう」
寝ぼけ眼でそう言葉を返したのはヴァッケンローダー家次男の息子、マリウス。
「おーい、こっちに来てみろ」
明るい声で呼びかけてきたのはヴァッケンローダー家長男の娘、キリル。
その明るい声の聞こえる方角へ木々を掻き分け進むと、澄んだ空と海岸線が眼前に広がった――綺麗な岬だ。
「キリルはここに来た事があるのか?」
俺と離れて過ごしていた間に、父親と二人でさすらいの旅をしていたキリルは、旅慣れしているんだよな。
「知らん。でも立ち寄ってみよう。綺麗な所だし」
そして俺達三人の中では最も強いのだが……海だ岬だ絶景だ、なんて声を弾ませるその姿はとてもそんな風には見えない。可憐な十六歳の少女だ。
ふとキリルの楽しそうにはしゃぐ足が止まった。表情からは笑みが消えている。キリルの目線を追うと、棍棒を構えた男が、少女を岬の先端へとじりじりと追い詰めていた。
「何をしている」
キリルの言葉に振り向いた男は、棍棒で肩をトントンと叩きながら鬱陶しそうに言葉を吐き出した。筋肉質の身体に、浅黒く焼けた肌、無精髭。――暴漢か凶賊だろうか。
「なんだお前達。見かけない顔だな、とっとと立ち去れ」
「そこからお前が立ち去ったら立ち去る」
背筋を真っ直ぐに伸ばし、キリルは男の下へと歩み寄る。その姿を鼻で笑うと、男は勢いよく棍棒を振り上げた。
「正義の味方気取りか? ずいぶんと度胸があるなっ」
取り乱しもせずキリルは腕でしっかりと受けとめる。一瞬の出来事に男の顔色は変わったが、キリルは冷静なままひょいと棍棒をなぎ払うと、跳ね上がるように男の顎を掌で打ち倒した。
ぐっ、と低い声で呻くと地面に膝をつき、男は崩れるように倒れた。
再会時にキリルの戦闘能力は目にしたが、やはり凄いな。追い詰められていた少女も目を丸くしている。
年齢は俺達と同じ、十五、六歳だろうか――半月形の眉、大きな栗色の瞳。ふんわりとした栗色の髪で覆われた陶器のような肌は蒼ざめていて、小さな朱い唇は震えていた。白目をむいて倒れている男の顔にちらりと眼を向けると、顔を逸らした。
「大丈夫か?」
キリルは少女に手を差し伸べたが、その手を取ろうとも、顔を見ようともしない。暴漢への嫌悪感は判るが、少女を助けたキリルにも嫌悪感を抱いているようだ。まぁ、木刀を持った暴漢を、丸腰の少女があっさりと倒せば驚くだろうが……しかしそれを気にも留めず、
「怪我をしていないか診てみてくれ」
キリルはマリウスに声を掛けた。薬師の母親を持つマリウスは、医療の知識がある。軽く頷いて踏み出した瞬間――鈍い音がして身体が半分に折れ曲がった。その後ろには、少年がひとり呼吸を弾ませ木刀を握り締めている。
少年は、うおぉ、と叫びながらキリルへと向かう。
キリルはその手首を掴むと軽く捻った。骨の軋む音がして、少年は手にした木刀を落とし、地面にうずくまる。
「……リック」
呟いた少女と倒した少年に交互に目をやると、
「知り合いか?」
キリルは怪訝そうに訊ねた。すると、慌てながら中年の男がやってきた。
「何かあったのか? さっきお前とハワードがふたりで岬へ向かったと聞いて――」
「……父さん」
ふらふらと立ち上がって、中年男の方へ向かう少女。
「師匠が、この変な奴らに倒されて、姉ちゃんも、こいつらに、危険な目に合わされそうになってたから、俺が助けたんだ!」
マリウスを殴りつけ、キリルに倒された少年が、途切れ途切れに叫ぶ。
変な奴ら、とは俺達の事か?
すると今度は一人の若い男がのっそりと出てきた。男はキリルを顎で指し示すと、
「モアを助けたのはそこのお嬢さんですよ」
そう言った。
「モアとハワードがいつもの言い争いをしていたんです。ハワードが逆上して木刀を向けた所にそのお嬢さんが現れて、モアを助けようとハワードをねじ伏せた。そこにやってきたリックがなんだか勘違いして、お嬢さんのお友達をぶん殴ったと」
唖然としている中年男にのんびりと説明をする。
この男、この一連の騒動をずっと見ていたのか? 俺もただぼーっと突っ立っていただけだが。
「本当か、モア?」
中年男は少女に問いかける。少女は黙って頷いた。
「息子が大変な失礼を……うちで休んでいってください」
恐縮している中年男に招かれ、俺達はその男の家へと連れ立った。キリルが助けた少女と、マリウスを殴りつけた少年も一緒に。
「自分はアレン・ブラントという者です。この子は娘のモア」
そう名乗った中年男の家に招かれた俺達はマリウスをベッドに休ませた。しばらくすると、家の娘――モア、とかいったっけ――が水を持ってやってきた。何も言わず卓上にコップを置くと、無言のまま振り返ってドアノブに手をかける。
「キリルは君を庇ったんだぞ? ありがとう、くらい言えよ」
たまらなくなって、俺はつい声を荒げた。
「……あんな風にいきなり暴力に応じるなんて不道徳でしょう」
俺達に背を向けたまま、モアは言葉を返す。
「君の弟だってマリウスをいきなり殴りつけたじゃないか」
人を助けようとして真正面から立ち向かったキリルを不道徳なんていうなら、いきなり棍棒を使ってマリウスを傷つけたあのガキはもっと許されないだろう。
「リックにはきちんと叱った」
モアはそんな風に言うが、なんだか信じられない。そもそもこの子を助けるためにキリルはあの男と戦ったのに、不道徳なんて――キリルもてっきり「馬鹿にするな」なんて怒るかと思ったのだが、ずっと無言のまま少女の顔から視線を逸らしていた。
「じゃあそのリック、って弟もここに呼んで謝らせろよ。あとなんだっけ、あの師匠、とかいう男も」
その俺の言葉にモアの口調は激しくなった。
「リックはあの男のせいで争いを好むようになったの! 師匠でもなんでもない!」
言い争う俺とモアに向かって「やめろ」とキリルが静かに告げた。
「マリウスは後頭部を打たれたんだから、大きな声で騒ぐな」
そう言ったキリルに向かって口を開きかけたモアは、何も言わずにひっそりと部屋から出ていった。
「マリウスは自分がついているから、外に出てここがなんて所だか調べてきてくれ」
そうキリルに頼まれた。俺とモアの口喧嘩を止めたかったのかな? でも、調べるといわれても……。
悩みながらぶらぶらと歩く。ふと辺りを見回すと、マリウスを殴りつけたガキが――リック、とかいったっけ――男と稽古をしていた。
キリルに倒された男を「師匠」なんて懐きながら。しかし、なんで腕力で姉を追い詰める奴が師匠なんだ?
「お前、まだ居たのか。さっさと帰れよ」
顔を顰めながら眺めていた俺に気がついたようだ。リックは言葉を吐き捨てたが、隣にいる師匠は気まずそうに口を噤む。
「まだお前から謝罪の言葉を聞いていないからな」
この師匠とやらは、キリルの仲間である俺の事も、相当強いと思っているのだろう。その勘違いを利用して、背すじを伸ばし、強者の口調で叱る。
「悪いのは姉ちゃんだ」
そっぽを向いて責めるリックに、
「姉弟喧嘩はどうでもいいんだよ。まず、お前がいきなり殴りつけたマリウスに謝れ。それにお前、姉さんだけじゃなく、両親からは何も言われてないのか?」
疑問を投げてみると、「両親」という単語に反応して、リックは俺に正面から向き合う。
「父さんは現在、それどころじゃないんだよ! この村を取り戻そうと必死なんだよ! 母さんは……十年前の争いで居なくなった。だから今度の争いでは、オレももっと強くなって師匠と一緒に戦うんだ!」
母親を亡くすまでの残虐な出来事がこの村ではあったのか? それならリックの心情は分からないでもないが……。
「それこそ男だ」
なんて偉そうに頷く師匠には腹が立った。見ず知らずの少女に喧嘩を仕掛けるような奴が言う台詞じゃないだろ。
「フェルナン、もう喧嘩はやめておけ」
そんな言葉と共に姿を現したのは、キリルだった。
「もう少し広い場所に移ろう」
偉そうな態度だった師匠が言う。あいつ、自分を倒したキリルから逃げる気なのだろう。リックは慌てて後を追う。意気地のない男だ。なんて、俺も偉そうには言えないが。




