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アキレアの紋章  作者: 小熊 祥
プロローグ
2/5

旅立ちの地図



 拝啓 フェビアン・ヴァッケンローダー様 

 先日は久しぶりに皆で楽しい時間を過ごせましたね。ところで再会した子供達、息子マリウス、ダミアンの娘のキリル、そしてあなたの息子のフェルナン。三人も又意気投合した様子で、我がヴァッケンローダー一族の強さを求め修業の旅に出て行きました。突然の事で驚かれたかもしれませんが、そちらもお体を大事にしてください。妻、ラウラの手製干し柿をお送り申し上げます。また近々お会いいたしましょう。  敬具 ユリアン


 ――なんだこのふざけた手紙は。ユリアンからの書状を読んだフェビアンはぐしゃりとそれを握り潰した。男だと思っていたら女だったキリルがまたダミアンと旅に出ようと、マリウスが母親の跡を継いで薬師になろうと知ったことではないが。

 何故、自分の息子のフェルナンまでもが、修行の旅に出なくてはならないのだ。

 ヴァッケンローダー家の長はもうフェビアンに決まっているだろうが。それにユリアンのような人間が『我がヴァッケンローダー一族』などとよくぬけぬけと言えたものだ。


 六十年前、我が国のサンウェール王国が隣国に突然攻め込まれたとき王家の生命を守ったのがヴァッケンローダー一族の祖。そこでヴァッケンローダーという名前には高い家格が与えられた。そのときの武人が遺した言葉――強い武術の血筋を絶やさぬように――という言葉を守ってきたのは、この自分ただひとりだった。

 三兄弟の中では最も強かったダミアンも、そして知力は優れていたユリアンも、共にヴァッケンローダーの名を捨てた人間なのに。もしやその、捨てた一族の頂点に立たせようと、マリウスやキリルを育てていたのか? 


 それを確かめたくなったフェビアンは、ユリアンの元へと向かった。





 最も強いものが一族の長となるべし、という伝統をもつヴァッケンローダー家に生まれてきた三兄弟。その長男の息子――ではなく実は娘だったキリル。そして次男の息子マリウス。それから三男の息子の俺、フェルナンは物心ついたときから共に修行に励んでいた。

 十歳の頃突然俺達三人は離れ離れになり、そして六年ぶりに再会したと思ったら今度は突然三人でヴァッケンローダー家の跡継ぎを決める――そのための強さを鍛えなおす――旅をする事となったのだ。マリウスの母親、ラウラ叔母さんがその旅支度をしてくれるというから俺達三人はマリウスの家に向かっているのだが――。

「マリウス、ちゃんと道のりを案内しろよ。お前の家までどう行くか知っているのはお前だけなんだから」

 なにしろマリウスは眠りながら歩いているのではないだろうかと思うくらい進みが遅い。そのうえキリルはずんずんと早足で進むから、俺は「右」「そこ左」とマリウスが発する一言を慌ててキリルに伝え、しょっちゅう引き帰しては進行方向を変えたり戻したりしているのだった。これからずっとこんな旅路を進んで行くのだろうか……正確な旅の地図をラウラ叔母さんが用意しておいてくれればいいが。

「ここの路地に入ればもうすぐ」

 そのマリウスの言葉を聞いたキリルは鬱蒼した林の隙間へと入っていった。俺とマリウスはその後ろを進む――こんなへんぴな所に薬師の家があるのだろうか? 砂利が敷き詰められた小路をしばらく歩くと――びっしり蔦で覆われた建物が見えてきた。

 ところどころ見える窓や煉瓦からかろうじて家だと判るが、現在ひとが住んでいるようには見えない。小さな庭木に生っている実は柚子だろうか。足元に植えられた薬草園も雑草でかなり荒れている。

「そういやフェルナンがここに来たことはないのか」

 薬草や柚子の実を眺めながらキリルが懐かしげに言う。

「俺は初めてだけど、キリルは来たことがあるのか?」

「ああ、何度か旅の途中で負った傷を癒してもらったことがある」

 それならばただキリルの後をついて行けばよかったのか……しかしあの様子からするとキリルはただがむしゃらに進んでいただけだろう。 


「最後に会ったのは脚の火傷のときだったっけ。まったく酷かったけど、キリルを抱えたダミアン、あのひとの顔も酷かった。真っ青になってたよ」


 そんな声と一緒にひとりの女性が家屋の裏から出てきた。三十歳くらいだろうか、泥がついた作業服を着て、頭に巻きつけたターバンからはみ出す琥珀色のウェーブがかった髪は隣にいるマリウスにそっくりだ――このひとがラウラ叔母さんなのか?

「ダミアンさんのそんな顔覚えていないや」

 なんてキリルはしみじみと火傷跡を擦っている。

「しばらくだね、キリル。うちのマリウスもちゃんといるよね? 宿にずっと寝たままでほうっておかれていたら宿泊費がかさむから」

 そんな風に煙管をふかしながら笑う。やっぱりこの人がラウラ叔母さんか。そんな事を言われてもマリウスは「ただいま」もなしにもうしゃがんで薬草園の手入れをはじめていた。旅支度をしてもらうのだから、俺がしっかり挨拶くらいしておかないと……。

「はじめましてラウラ叔母さん。俺はフェビアンの息子、フェルナンです」

「はじめましてじゃないよ。赤ん坊の頃会ったもの。それにラウラさん、でいいからね」

 しっかり挨拶を返してはもらえなかった。おばさん、なんて呼ばれたのが嫌だったのか? 

「疲れたでしょう? 上がりなよ」

 そう言ってラウラ叔母さん――いや、ラウラさん、と呼んでおこう――はがたがたと扉を開けた。俺達が中に入ると薄暗い部屋には埃が舞い散る。明かりが灯され目に入ってきたのは部屋中に所狭しと置かれた鉢植え、ドライハーブ、果実酒の瓶。それらに名札はついていない。これら全て判別できているのか? 薬師だというのにいい加減な人だ。ユリアン叔父さんも俺達が幼い頃から「なるようになる」といった性格だったし、マリウスも「二人より三人のほうが楽しそう」なんて理由でこの旅に出る事を決めた奴だから似たもの一家なのだろう。

 軽い身支度で思っていたより長い道のりを歩かされた俺は軽い食事をすまし、すぐに寝床に着いた。

 

 翌朝、起きると部屋の中は俺一人だった。そういえば昨日は三人同じ部屋に寝たんだっけ。俺とマリウスはいいが、キリルは十六歳の女の子だ……これからはちゃんと寝室は別々にしないと。そんな事を考えながら俺は部屋の外に出た。

 内庭にはマリウスが様々な草や実を石臼で擦り潰したり、それを煎じ、燻していた。かなり集中して作業しているのだろう、いつもはぼんやりとしている瞳が真剣な光をおびている。

「旅に持って行く薬を選んでいるんだってさ」

 長い黒髪を下ろしたままのキリルが言う。

「ラウラさんに聞いたのか?」

 キリルは首を振った。キリルとマリウスの二人は俺が居ないときにはどんな会話をしているのだろう。一心不乱に作業をするマリウスを見つめながらキリルは呟く。 

「マリウスは強いよ――ちゃんと自分の出来る事と出来ない事が判っている。自分はそれが判らなかったからこんなに傷をつけた。それでダミアンさんの心も傷つけてしまった」

 ――もっと心を強くしたい、そんな事をキリルは言っていたっけ。もしかしてキリルはしっかりと自らの目標を持っているマリウスに惹かれているのかもしれない。マリウスもキリルが望むなら一緒になりたい、そんな事を言っていたし……なんだか嫌な予感がしてきた。


 マリウスがあんなに頑張っているのなら自分も、とキリルは草が生い茂った庭にある広い空き地を見つけ、体術の稽古をはじめた。

「これをやらないと一日が始まらない」

 ダミアン叔父さんから貰ったというリボンで髪を束ねて、首にはアキレアの紋章が彫られた銀細工のネックレス――「戦い」という花言葉をもつアキレアの花はヴァッケンローダー家の家紋だ――を下げている。俺もマリウスもその紋章がついた銀細工は持たされているが、肌身離さず身につけているなんて事はない。戦うことが一番好きで、一番強いのもキリルなんだよな。たとえ十六歳の女の子であっても。

「……もっと強くなるつもりなのか」

「ダミアンさんにまた会うためには、もう傷はつけられないからな。それにこの旅は――ダミアンさんがいない。それなら自分の身は自分で守らないと」

 やはり求めている「強さ」が戦闘能力のキリルがマリウスに惹かれている事はないだろう。それでも嫌な予感は消えない。むしろ増した。キリルの心の中にあるのは、キリルを強くしたあの人だ――。

「キリルはダミアンさん、ダミアンさんって言うけど、あの人は勝手にヴァッケンローダー家を出て行ったんだろ。それで勝手にお前を強い男からただの女にして、そして今度は勝手にお前に強い婿をとらせてもっと強い子供でも作らせようとしているんじゃあ――」

 その台詞を言い終わる前に、俺の鳩尾には一発の拳がぶち込まれた。

「顔はやめておいた。これから一緒に旅に出る奴の頬が腫れてたり歯が折れてたら格好悪いからな」

 腕を回しながらキリルは立ち去った。息をするのも苦痛になった俺はさっきの台詞を続ける事も、俺の台詞に反応してぶん殴ったときのキリルの表情を見る事も出来ず、ただその場にうずくまった。


 どうにか歩けるようになり、腹を擦りながら戻ると、ラウラさんからさりげなく湯のみを渡された。

「飲みなさい。疲れてるんでしょ? 身体も心も」

 ……キリルが何か言ったのか? それとも薬師だから顔色で判るのだろうか。手渡された湯のみをゆっくりと口に運んで――俺は声を上げた。

「これ、酒じゃないですか!」

「柚子酒は疲労回復に効果的なのよ。身体温めてくれるし」

 キリルはそれをぐびぐびと呑んでいる。そして俺に気がつくと無言で手招きしている。一発ぶん殴れば怒りも治まるのか。つくづく男らしい奴だ。俺はキリルの隣に座り、柚子酒をちびちびと飲み始めた。

「明日出発なんだろ? 酒なんか呑んで大丈夫なのか?」

 一応キリルに訊ねてみた。キリルはただ微笑むだけで、答えたのはラウラさんだ。

「キリルは酒も強いよ。ダミアンが酒豪だからそれに似たんだろ。フェビアンは見栄はってぐびぐび呑んでたけどすぐリンゴみたいな顔になってたっけ。ユリアンも呑めるけどあいつはお茶のほうが好きだからね。ユリアンは今頃どこにいるんだろう。薬売ってきて、って頼んだから、どこかの街をぶらぶらしているのかな? おーい、マリウスー。つまみできたかなー?」

 奥の部屋からマリウスが器を持ってやってきた。こいつ、すでに寝床に入っているのだろうな、と思っていたら料理なんかしていたのか。

「マリウス、薬だけじゃなくて食材もうまく刻んだり混ぜたり出来るんだな。美味しいや」

 にこにこと料理を頬張るキリルはさっき俺に急所攻撃を食らわせた奴には見えない。

 拳がなければ女の子らしいのにな……。マリウスの手料理を食べてみると、確かに美味しかった。 

「あたしよりマリウスのほうが美味く作るんだよね」

 そう言いながらラウラさんはあぐらをかきながらかなり度数が強そうな酒を呑んでいる。

 このひとは母親らしさがないんだよな。見た目も性格も。

 




 翌朝、目が覚めると瞳から頭に朝日がつき刺さり、部屋に漂う薬の匂いが昨日より強く感じられた。胃がむかむかする。二日酔いだ……。

 ふらふらしながら外に出ると、マリウスは薬草を摘んでいた。キリルは体術の稽古をしていて、その顔色は活き活きとしている。全く平気なのか?


 マリウスの薬の準備とキリルの稽古も終わり、俺の体調もなんとか良くなってきたところでラウラさんが俺達に「ちょっといい」なんて声をかけてきた。何か話しておきたい事があるらしい。

「あたしはヴァッケンローダー家に住み込み薬師として雇われていたんだよ。そこでユリアンに口説かれたんだ」

 夫婦の馴れ初め話なんて聞きたくはなかったが……旅の支度をちゃんとしてもらったお礼だ、我慢しておこう。

「あんた達のお祖父さんの事は覚えている?」

 俺の祖父でありヴァッケンローダー家の長であった人物――アントナン・ヴァッケンローダー――と言葉を交わした事はない。俺が聞いていたのは親父伝えのヴァッケンローダー家の武勇伝だけだ。しかしその強さを実際に見る事はなかった。俺達三人が別々に武術の修業をはじめる少し前に、病に倒れ生涯を終えたのだ。その時に遺した言葉も、ヴァッケンローダー一族の強さを守れ、だったと親父からは聞いている。

「あのひとはお前達の父親の父親だけど、お前達の父親とは違って息子らにいちいち競わせるような事はしなかったよ」

 自分達だけでいきり立っていただけだ、あいつらは。そうラウラさんは言葉を続けた。

「いまのあんた達と年齢もほとんど変わらないくせに、家がどうだとかそのための強さがどうだとか喚いててさ。ダミアンにぼこぼこにされたフェビアンの傷をあたしが何回治したことやら」

 ――親父を馬鹿にされてもな。ダミアン叔父さんは勝手に家を出て、ユリアン叔父さんは強くなる事も、息子のマリウスを強くさせる事もしなかったのだから、親父は家を守ろうとしたのではないのか。

「そして『我がヴァッケンローダー一族の武術の血筋を絶やすな』という言葉を遺したのは――あんた達の曾御祖父さんだ。その人の代までだったからね、腕っ節の強さで国から格が与えられていたのは。あの三兄弟の父親は誰が一番強いか、なんてこだわってはいなかった」

 では親父の言葉は嘘だったのか? 俺を強くさせるために色々な手段を使う親父なら、身内の言葉を誤魔化すことくらいするだろうが。

 よっこらしょ、と立ち上がったラウラさんは薬草棚の上に置かれたひとつの巻物を手に取った。積もった埃を手で払いのけ、俺に手渡した。

 その古い巻物を広げてみるとそこに描かれていたのは、親父の部屋に飾ってある額縁に入っているものと同じだろう――ヴァッケンローダー一族の家系図。

 キリルはラウラさんの顔を見つめ訊ねた。

「これは……?」

「ヴァッケンローダー一族の家系図に見えるかもしれないけれど、あなたたちにとってはこれからの旅の地図よ」

 マリウスはそれをじっと見つめている。

「でもその地図の道順は絡み合っているし、裏道や横道は載っていない。迷わないよう、気をつけてね」

 そう言ってラウラさんは意味深な微笑みを浮かべた。


 ラウラさんに別れを告げ、俺達三人は旅を進める事にした。しかし巻物のほかに渡されたのは少しの携帯食料とお金だけで「あとは自分達でなんとかしろ」なんて言葉と一緒に送り出されたのだ。包帯や薬はマリウスが持っているらしいが、マリウスが背負うリュックを見ても大量に入っているようには見えない。 

「お前の母親は薬師なんかやってて大丈夫なのか?」

 あんないい加減な性格で治療や薬の配合が出来るのだろうか。

「もうベテラン。三十五年目になるよ」

 三十五年? たしかユリアン叔父さんは俺の親父のひとつ上で三十九歳だから……。

「……四歳の頃から薬師やってるのか?」

「ベテランなのは父さんじゃない。十六から薬師やってるのは母さん」 

 じゃあラウラさんはいくつになるんだ、頭の中で年月を足してみると――五十一歳。

 そうか。だから親父やダミアン叔父さんの喧嘩――あれはよくよく考えてみると、今の俺達と同じ頃の話だ――も大人の女性からの冷静な視点で語ることが出来たんだ。

「姉さん女房だ、って聞いてはいたが結構離れていたんだな」

 そう言ってキリルは笑った。結構どころじゃない。一回りも上だぞ。

「若さを保つ薬でも作ってるんじゃないか?」

 俺は怪訝そうにマリウスに尋ねる。それを聞いてまたキリルは笑った。


「昨日の傷、まだ痛むか?」

 笑い話が終わると、キリルは俺に問いかけた。

「……いや。まぁ、俺も悪かったよ。俺の親父達三人のなかで一番強かったのはダミアン叔父さんだもんな。あのままダミアン叔父さんが家を継いでいたら、親父はその子分みたいなもんだ」

 そんな俺の必要以上に卑下した言葉が気に障ったのか、キリルは語気を強めてはね返す。

「自分はダミアンさんが最強だ、なんて思っていないさ。あの人が負ける所も見てきたし。それに一番強ければいいってもんじゃないだろう。周りの人間が弱ければ自然と一番になるんだし」

「この修業の旅で、俺は自然と一番になるだろうってことか? キリルとマリウスが心を強くする旅なんだったら、俺は何もしなくても武道家としては一番強くなるだろう」

 荒い調子でそう言い返した。

「そんな風にばかり考えるな」

 呆れたように言ってキリルはずんずんと先を進んでいく……駄目だ。もっと弱い男になってしまった。

「みっともない」

 マリウスが呟く。

「なんだよ。大体お前、ラウラさんがベテラン薬師だったら母親の元で習ってればいいんだから、修業の旅なんか必要ないだろ」

「他の事も色々覚えたいんだよ。負け犬思考を治す処方箋とかね」

 そんなもんないか、と舌を出してマリウスはキリルの後を追い駆ける。――あの野郎、後ろから殴りつけてやろうかと思ったがやめておいた。そんな事をしたら俺がキリルに倍返しをくらうだろう。俺もキリルとマリウスの元へと駆け足で進む。

 家系図が地図だ、というラウラさんの言葉の意味はよく解らなかった。ヴァッケンローダー家の頂点に立て、という言葉との繋がりを示しているのだろうか? それともどんどんこの家系図を伸ばすように進んでゆけ、という意味なのだろうか? キリルやマリウスにその意味を訊いても「そんな事にこだわるな」とか「なんでもいい」なんて答えが返ってくるだけだろう。

 それでいいか。地図を手にすることが出来たのだから。「強さ」という目的地への方角も、距離も、警戒箇所も描かれていない地図だが。 



 


 三人が旅立った日の夜。猪のような勢いで、一人の男がラウラの家へ押し入った。

「おい! ユリアン! 居るか!」

「煩いなぁ、フェビアン。おっさんになっても喚き声は変わってないんだね」

「ラウラか……フェルナンはどこにいる?」

「もう行っちゃったよ」

「なぜ引き止めなかったんだ」

「もう決まった事でしょう。あの子らもやる気に溢れてたみたいだし」

「――お前、まさかマリウスをヴァッケンローダー家の頂点に立たせよう、なんて考えているのではないだろうな」

「そうなれば面白いかもね」

「ふざけるなよ――マリウスはヴァッケンローダー家の人間ではない」

 

「お前がヴァッケンローダー家の人間ならマリウスもそうだろう。お前の兄である俺の息子なんだから」


 ユリアンがのっそりと二人の前に現れた。

「あら、ユリアン。薬は売れた?」

「まあまあだな」

 売り上げ報告をはじめた夫婦に向かってフェビアンは怒鳴りつけた。

「ユリアン……お前はどういうつもりなんだ!」

「あいつらの行く道はあいつらが決めるべきだと思っただけだ」

「もしマリウスがヴァッケンローダー家の人間であったとしても、最も強いのはフェルナンだ」

「フェルナンは強いかもしれないが、その強さを自分で解っていないだろう。それでは一族の長は務まらない」

「ではマリウスなら務まるとでも言うのか!」

「もう止めなさいよ。若い頃の喧嘩を自分達の子供になすりつけるのは」

 フェビアンとユリアンの言い争いにラウラが割って入る。

「ラウラ! フェルナン達はどこへ向かったんだ」

「知らない。もし知ってても追うのなら教えない。修業の旅くらい大丈夫でしょう? ヴァッケンローダー家で最も強いフェルナンだったら。何がそんなに心配なのさ?」

「――フェビアン、お前はフェルナンがヴァッケンローダー家の名を捨てるとでも考えているのか? 昔のダミアンのように」

 ぽんぽん言葉を投げつけるラウラを殴りつけそうな勢いのダミアンを落ち着かせるように、ユリアンは言った。それを聞いたフェビアンの表情には怒りが湧き出たが――無言でその場を立ち去っていった。

 ラウラはふう、とため息をつく。そして柚子酒のボトルを手に取り、湯のみに注いだ。

「ああ疲れた。また兄弟喧嘩を見ることになるとは思わなかったよ」

 そしてほい、とユリアンにも湯のみを手渡す。

「すまんな、騒がせて」

 ユリアンは苦笑しながら軽く頭を下げた。

「まあいいけどね。仲良し子供達の旅立ちを見送ったあとだったからそんなに苦痛ではなかったよ」

「ラウラ、お前はマリウスの旅が心配ではないのか?」

 ゆっくりと柚子酒の入った湯のみを口に運びながらユリアンは訊ねた。

「……心の加減は難しいからね。あたしがびくびくしていたら、マリウスも気楽に旅立てなかったでしょ」

「そうか……まぁなるようになるだろう。あいつはお前に似てしっかりしているから、フェルナンとキリルの二人のいいなだめ役に回ってくれると思ったんだよ」

 しみじみと語るユリアンの背中をラウラはどんと叩いた。

「そんな言い方よしてよ。それに一番心配してるのはダミアンじゃないの?」

 にやにやと笑っている。キリルには感謝していた。あの子のおかげでいつも仏頂面だったダミアンの表情が変わるのをたくさん見ることが出来たから。焦り、驚き、安心、和み。やっぱりこいつも人間なんだと思った。

「そうだったな。あいつは色々な面で心配なんだろう」

 ユリアンと笑いを交え話しながらラウラは湯のみの中に映る夜空の月を見ていた――これからは酒も控えなくちゃな。マリウスが帰ってきたときにあたしが寝たきりになってたら、あいつの修業の成果も無駄になっちゃうよ――そんな事を想いながら。





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