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アキレアの紋章  作者: 小熊 祥
プロローグ
1/5

再会

序章


 

 広い荒野。その中心には一本の大樹が聳え立つ。

 そこはもう長い間、三人の子供たちの武術の特訓の場となっていた。その子供達の名前は、キリル、マリウス、フェルナン。

 それを見守る三人の男達は代々続く伝統ある武術の一族、ヴァッケンローダー家の三兄弟だ。長男ダミアン、次男ユリアン、そして三男フェビアン。

 

 体全体を打ち付けてくる一撃を喰らってマリウスは倒れた。その隙を狙ったフェルナンもするりと返し技を決められて崩れ落ちた。無邪気に飛び跳ねながら微笑むのは勝利者のキリルだ。

「おい、キリル。もうそろそろ止めておけ」

 ダミアンが呼びかける。

「そうだなぁ。これで今日のキリルは八勝ゼロ敗一引き分けだもの」

 煙草をふかしながらマリウスの父親、ユリアンが呟いた。三人のもとへ歩みよって、おい起きろマリウス、と転がっているマリウスを背負う。

「……たしかにキリルは強い。この三人の中では一番強い。だが祖父の遺した大切な言葉を忘れるなよ――我がヴァッケンローダー一族の武術の血筋を絶やすな!」

 苦々しげにそう言ったのはフェルナンの父親、フェビアンだ。そしてぐったりとしたフェビアンを立ち上がらせると、引きずるようにして帰っていった。

「血筋……か」

 ダミアンはひとりで体術の稽古をしはじめたキリルを見つめている。

「それを言ったらおしまいだよな」 

 背中で寝息を立てているマリウスに目を向けてユリアンは苦笑した。

 そう。それを言ったらこの子供達の武術勝負は何の意味もなくなる。 

 そもそもの発端は一人の男の遺した言葉である。その男は――代々続く我が一族の武術の血筋を絶やすな、この一族の中で、最も強いものこそがヴァッケンローダー一族の頂上に立つものである――という言葉を遺したのだ。 

「もうそろそろ――三人は別々に戦わせるべきかもな」

 そのダミアンの言葉を聞いてユリアンはゆっくりと頷いた。

「そのセリフ、フェビアンにも言ってやればきっと喜ぶぞ。さっきも喚いていただろう。血筋、家系……それらを大層誇示しているからな、あいつは。あとは息子のフェルナンに自分は強いんだ、と自信をつけさせることが出来ればそれで十分なんだろう。実際フェルナンは弱くはないだろう。だが現在最も強いのはキリルだからな」

 最も強いもの、か。ダミアンはフェルナンの為ではなく、その最も強いキリルの為を思って別々に戦わせるべきだと言ったのだが。

 こうして三人の子供達は別々の道を歩み始めた。戦いの場所であったこの荒野に聳え立つ大樹の下での再開を約束して。





「いいか、フェルナン。まず戦え。この六年間の特訓の成果を見せつけろ。そしてお前がこのヴァッケンローダー一族の頂点にふさわしいという事実をキリルとマリウスに示せ」

 親父からそんな言葉を投げつけられて、お袋からはこの日の為に大事にとっておいたの、なんて言葉と一緒に革のベルトを手渡された。そのベルトにはヴァッケンローダーの家紋だという小さな花の紋章が彫られた銀細工がついている。六年前、再開の約束と共に俺とキリルとマリウスはこの家紋が彫られた銀細工を持たされた。

 俺は家を出たが、足どりは重かった。代々続く伝統ある武術の一族だかなんだか知らないが、その頂点なんてものに乗り気なのは親父だけだ――地位、名声、継承者……そんなものに興味はなかった。財産も少ない、知名度だってない、小さな一族。そのトップに立ったところで何が待っているというんだ。それに選ばれる人間はもう決まっている。

 度胸、行動力、破壊力、迅速さ……すべてにおいて一番だったのは、親父の兄であるダミアン叔父さんの息子、キリルだった。物心ついたときから別々になるときまで、俺もマリウスも全く敵わなかった。

  

 ――もう勝負なんてしたくない。戦いでつけられた傷は痛くないが、それはキリルが手加減をしてくれているからだ。痛いのは父さんの僕を見る目だ。敗北者への冷たい眼差し。キリルにはいくら戦ったってどうせ敵わないんだ。それなら、こんな無意味な戦いなんてしたくない。

 

 幼い頃の負け犬思考を思い出して気分が沈んだ。

 それから六年間、血をにじむような特訓をしてきたというなら話は別だろう。しかし、とりあえず親父に従っていればいい。俺の心にあったのはそれだけだ。また勝負をしても、勝利者はキリルだろう。それならばこんな似合わないベルトもはずして捨ててしまいたい。

 

 憂鬱さを心に抱えたまま約束の荒野にたどり着いた。

 懐かしい――勝負は苦痛だったが、キリルの事もマリウスの事も嫌いではなかった。物心ついたときから勝負や特訓だけでなく一緒にいた、生活を共にした兄弟のようなものだ。

 マリウスは負けても俺のような卑屈な態度はとらないやつで、キリルは常に勝利者だったが敗北者を蔑むような態度はとらない、二人とも子どもながらに立派な戦士だった。

 二人の父親、親父の弟であるユリアン叔父さんは――護身を主に三人平等に指導してくれていた、優しくのんびりとした人物だった。そして親父の兄のダミアン叔父さんは――無口で、男らしい武人だった。キリルが一番強かったのと同様に、三兄弟の中でも一番強かったのであろう、親父は常に喧嘩を売っていたが、負け犬の遠吠えのようなもので、ダミアン叔父さんはそれを無視し、ユリアン叔父さんが仲裁に入って終わり。俺達はそれを笑いながら見ていた。

  

 思い出に浸りながら荒野を見渡す。中心の大樹の下にはひとりの少女が立っていた。少女の足元には大きな犬が寝転がっている。ぐずぐず戸惑っていたのに、一番最初に着いたのは俺か。缶蹴りごっこではないから早い者勝ちというわけではないのだが、なんだか拍子抜けするな。そう思いながら、俺は大樹の下にいる少女に目をやった。


 白い肌、切れ長の瞳。胸元まである黒髪を三つ編みにしている。木陰から差し込む陽の光が長い髪の毛に反射して、木の葉を通る風が羽織ったケープを揺らしていた。


 少しの間見惚れていた俺に気がづいたのか、こちらを向いて少女は微笑んだ。

 顔を赤くして目をそらすと、懐かしげに少女が話しかけてきた。

「久しぶりだな」

 俺とどこかで会ったことがあるのか? 記憶を探るが出てこない。すると少女は、ケープからペンダントを取り出して目の前で揺らして見せた。ペンダントの先についている銀細工には紋章が彫られている。俺のベルトについているものと全く同じ、ヴァッケンローダー家の紋章――その紋章が映った目を少女のほうへ戻すと、記憶の中にいるひとりの人物の笑顔と、向かい合っている少女の笑顔が被さった。

「……キリル、か?」

「そうだよ、フェルナン」

 知らなかった。こいつが女だったなんて。

「マリウスはどこにいる?」

「ここ」

 足元で寝転がっていた犬が喋ったと思ったら、そこからにょっきりと人間の手が出てきた。その指が摘んでいるのはやはりヴァッケンローダー家の紋章が彫られた銀細工を提げている紐。大型犬かと思ったら、毛皮で出来た寝袋をすっぽりと被った小さな体の人間だったのか。マリウスはのっそりと立ち上がった。その身の丈はキリルよりも小さく、筋肉もほとんどついていない。こいつ、六年前からほとんど成長していないんじゃないのか? 俺は完全に拍子抜けした。キリルが実は女で、マリウスがこんな奴だったら――勝負なんてしなくとも、自然とヴァッケンローダー一族の頂点は俺になるじゃないか。





 ここの近くに宿を取っており、叔父さんたちももう集まっているはずだ、というキリルの案内で、俺達は宿へと向かった。そして宿に着いたら、そこは三人の親父の酒の席だった。

 ダミアン叔父さんは――ほとんど何も喋らず、ただ酒を呑んでいた。この人には直接訊きづらいな……親父にこっそりと尋ねる。

「親父は知っていたのか? キリルが……女だと」

「いいや、それは聞いていなかったから驚いた。だがダミアンはひとを鍛えたり、技を教え込むのが好きだったからな。最初はキリルを男のように育ててきたんだろう。父ひとり子ひとりの家族だしな――でももう十六だ。女として育てる事に変えたんだろう」

 親の嗜好で子供の性別をとっかえていいのか?

「いやぁ驚いた。キリルの奴、まったくいい娘さんになって」

「そうだな。六年なんてすぐだったが、女の子とは見ないうちにこうも可憐になるのか」

 ユリアン叔父さんと親父のそんな言葉にキリルは笑っていたが、本当に嬉しいのだろうか。あんなに強かったやつが、いい娘とか可憐とか言われるようになるなど。俺達が離れ離れになったのは十歳のとき。そのときのキリルは俺の中では完全に凛々しい少年だった。夏場には一緒に裸で水浴びもした記憶もあるが、下は穿いていたんだっけ。ちょっとマリウスにも訊いてみようかな。そう思いマリウスのほうを見ると、もう寝袋に包まって寝息を立てていた。

「マリウスはどうなんだ?」

 軽い調子で親父が訊ねる。

「こいつには薬学をやらせているよ。カミさんが詳しいからな」 

 猫のようにごろごろ寝転がっているマリウスをぽんぽんと叩きながら話す。そういえばマリウスの母親のラウラ叔母さんは薬師だったっけ。

「フェルナンもすっかり逞しくなって。しっかり鍛錬を積んできたんだろう」

 そんな褒め言葉に親父は謙遜していたが、顔は笑っている。ラッキー、儲けたぞ、なんて心の奥で喜んでいるのだろう。

「そうかそうか、二人とも元気そうでよかったよかった」

 嬉しそうに親父は酒を呑んでいる。どこがヴァッケンローダー家の頂点を決める戦いなんだろう。完全にただの親戚同士の宴会じゃないか。

 

 翌日、色々と安心したのか、親父は朝早くに宿を出て家へと帰っていった。今頃母親と『祝・ヴァッケンローダー一族の長』なんてパーティーの準備でもしているかもしれない。いま宿にいるのは俺、キリル、マリウス、ダミアン叔父さん、ユリアン叔父さんの五人だ。俺はいつ帰ればいいのか――そんな事を考えていた。

「久しぶりにあそこの荒野での勝負をしないか。六年間のふたりの変化を知りたいし」

 そうキリルに誘われた。ふたりの変化――お前は性別が変わっているじゃないか。だけどキリルは六年前と同じ少年口調で喋る。女親がいないからかな? 女と勝負するのか、少し躊躇したが、まあいいだろう。少し手加減すれば。


 そして俺は手加減する間もなくぼこぼこにされた。


 今でも強い――いや、確実に昔よりも強くなっている。力はそこまで強くないのだろうが、それを凌ぐ迅さと技術を持っている。父親のもとで修行をしている誰よりも強いんじゃないか? キリルが昔よりも強くなっているなんて想像の範囲だったが、それはキリルが男だったときの話だ。

「ええい、邪魔だな」

 ひと勝負が終わり、荒野に腰を下ろすとキリルは髪を束ねていたリボンを振り解いた。

「邪魔ならなんでそんなもん付けてるんだ?」

 痛めつけられた手足を擦りながら俺は喋る。

「ダミアンさんが町で買ってきたんだよ」

 あの人がキリルのために町で可愛らしいリボンを買ってきた? 俺は吹き出しそうになるのをかろうじてこらえた。ダミアン叔父さんはキリルが幼いころから、親子というよりは師弟関係のような接し方をする。そのためキリルも「ダミアンさん」なんて呼んでいるのだろう。

「本当は髪も短く切っちゃいたいんだが、ダミアンさんが伸ばせというんだ」

 そう言いながら長い髪を鬱陶しそうにかき上げる右腕には、大きな傷の跡があった。 

「なんかすごいな……どうしたんだよ、その腕の傷跡」

「腕のやつか? これは十三歳のときに海賊にやられた」

 よく見ると、足にはくっきりとした火傷の跡があるし、髪をかき上げた額にも痣がついている。

「背中にもあるぞ。見せようか」

 そう服を脱ぎかけたキリルを俺は止めた。こいつ、この六年間何をしてきたんだ? そもそも、なんでダミアン叔父さんが娘のキリルを鍛えているのかが疑問だ――もしキリルが男だったら強く鍛えて、自分の技能を継がせていてもおかしくはないが。ダミアン叔父さんはそれがしっかりと出来る人だからな。ただ自分のできなかった事を息子に押し付けている親父とは違って。

「嬉しいな……またこうしてこの荒野で戦えるなんて」

 草むらに両手をついて胸を反らせるキリル。澄みきった青空を見つめながらしみじみと語る。そして聳え立つ大樹をまっすぐに指差した。

「あの大樹はヴァッケンローダー一族の強さの証」

 俺に話しかけているのかそれとも独り言か。この荒野がヴァッケンローダー家代々の特訓場所で、一族の長が強くなるたびにあの大樹も育つ、なんて言い伝えは幼い頃親父か叔父さんから聞いた覚えがある。

 するとキリルは首にぶら下げていたネックレスの先をシャツの首元から取り出した。

「そしてこの紋章にある花はアキレアといって花言葉は『戦い』」

 陽光に透かすように銀細工を見つめている。

 そんな家紋の由来は知らなかった。家紋にしては小ぢんまりとした地味な花の模様だ、と見ていただけだ。キリルはただ強いだけではなく、戦う事や鍛える事が本当に好きなんだ。こういう奴こそ、ヴァッケンローダー家の頂点にふさわしい人間なのだろう。もし俺みたいな奴が頂点に立ったら――一族の強さの証であるあの大樹は、枯れ果ててしまうのではないか。 

 

 宿に戻ると、またマリユスが寝袋の中で寝息を立てていた。こいつ、再会してからずっと寝てるな……。

「おい、起きろよ」

 揺り起こすとひょいと顔だけ出してきた。ぼさぼさの長い前髪。こいつの方こそもっと髪を短くすればいいのに。 

「さっき、キリルと稽古してきた。相変わらず強いんだな……キリルって、本当に女か?」

「女だよ」

「じゃあマリウス、お前は本当に男か?」

「男だよ」

 面倒くさそうにあくびをしながらマリウスは喋る。

「見れば判るだろ。胸とか」

 こいつ、そんな風にキリルを見ていたのか。

「いやらしい目で見るなよ」

 厳しい口調で叱る俺を尻目にマリウスはのんびりと呟いた。

「判断基準を教えただけ」  

 そしてまた寝袋で頭から隠れてしまう。そのうち宿の人間にボロ布団と間違えられて燃やされるぞ。


 判断基準か。戦いと傷跡で忘れていたが、そういえば再会してすぐは――綺麗な少女、そう感じたんだったっけ。すると宿部屋の窓際にキリルが腰掛けていた。見れば判るだろ、マリウスの言葉が頭に浮かぶ。どうやら湯に浸かって戦闘後の汗を流したらしく、髪の毛を布で覆っている。水と汗で濡れた服の胸元に目が引き寄せられた。確かに六年前から一番成長して、形も変化しているのはここだよな……っていうか今こいつ、肌着付けていないんじゃないのか?

 じっと見つめていると後頭部に衝撃が走った。振り向くとダミアン叔父さんが鋭い目で睨み付けていた。この人の硬い肘でどつかれたのだ。

「いやらしい目で見るな」

 今度は言われる側に回ってしまった。その目つきの恐ろしさに「性別の判断基準を見ていただけです」とは言えなかったが。 





 翌日。俺はマリウスに荒野での戦いをもちかけた。

 もしかしてキリルが強すぎるのではなく、俺が弱いだけかもしれない。そんな不安があったからだ。

 結果は――俺の勝ちだった。マリウスは武術の基礎はあるが、やはり腕力がないし、それを補う迅速力や技術もない。

 弾んだ息を整えているマリウスに俺は話しかけた。

「マリウスは薬師を目指している、ってユリウス叔父さんから聞いたよ――お前、ヴァッケンローダー一族の頂点になりたいとは思っていないんだろ?」

 俺ひとりの考えでない事を確かめたかったのかもしれない。マリウスは俺よりも弱い奴だと確認できたからもあった。

「こんな一族の頂点なんかに立ってもな……俺達の親父らが若い頃は夢とか野望とか抱いていたんだろうけど、俺はないんだよ。お前だって持ってないだろ、そんな大層なもの」  

「馬鹿にするなよ」 


 俺に向けられたその言葉はマリウスの声ではなく――キリルの声だった。後ろから俺とマリウスのもとへ歩み寄ると、キリルは腰に手を当て姿勢を伸ばした。

「自分は戦闘には不向きかもしれない。それでも他の強さはある。自分の能力を見つけてどんどん伸ばしていく力は持っているんだよ。お前と違ってな」

 俺の顔にまっすぐ目を向けてそう述べると、無言のままのマリウスを見た。

「代わりに言ってやったよ」

「……なんでお前にマリウスの言いたい事がわかるんだよ」

「一緒にいればわかる」

「じゃあお前は持ってるのか? いろいろと強くなるための努力もしてるみたいだしな。もしかして、ヴァッケンローダー家の頂点に立ってやる、なんて野望でも抱いているのかよ。女のくせに」

 俺が投げつけた暴言にため息をつくとキリルは立ち去った。

「みっともない」

 マリウスが呟く。

「なんだよ」

「女のくせに、なんて言われたって悔しくなんてないよ。自分はお前より強いし」 

 キリルの代わりに言ってやった、大きな声でそう告げるとマリウスは去っていった。

 

 みっともない、か。たしかにみっともない。


 宿に戻ると、ダミアン叔父さんが一人で酒を呑んでいた。なんとなく俺は横に座る。

「お前さんは、ヴァッケンローダー家の跡継ぎなんてもんに興味は無いんだろ?」

 いきなりそう話しかけられ、俺は黙って頷いた。しかしなぜこんな話を持ちかけてきたのだろう。荒野でしていた俺達三人の会話が聞こえたのか?

「自分もそうだ。別に家系が絶ち切れようと、血筋が無くなろうと知ったこっちゃないんだよ。ユリウスもそうだろうな。マリウスにはラウラの跡を継がせるつもりのようだし。盛り上がっているのはお前の親父、フェビアンだけだ。だからフェビアンはお前を強くさせたかったんだよ。名目上だけでなく、実質的にヴァッケンローダー家の頂点に立たせることで、その父親である、という誇りを持ちたかったんだ」

 ダミアン叔父さんはやはり鋭い人だ。ちゃんと親父の性格も見抜いているのだから。

「キリルにもそれは伝えてある。でもあいつは――もっと強くなりたい、そう思っているんだよ。何故かはわからんがな。しかし自分のやりたい事は、キリルをふつうの娘にする事だ。多くの痣、刀傷、火傷の跡……同じ年頃の娘なら持ってなどいないものを、おれはあいつに持たせた。それらを承諾して一緒に暮らしていける相手がいれば、もう俺の傍から離れてもいい年頃だろう」

 驚いた。それはキリルをどこかに嫁がせる、という意味だろうか。そのためにキリルの髪を伸ばしてリボンをつけて、少女らしくさせていたのか。いくら見た目は可愛らしくとも、あんなに強く、そして男らしい娘を嫁にできる男なんているのか?

「フェルナン……お前、あいつと一緒になる気はないか?」


 俺か?


 いきなり言われてもまともに返事など出来ない。つい先日まで自分の中でライバルの男だった相手を嫁にしろ、なんて。それに今もキリルは俺よりも強い。そう戸惑って黙りこくっている俺を見つめ、ダミアン叔父さんは杯をぐいっとあおった。

「自分より強い嫁なんて嫌か。それならもっと強い男を探すか……」

 キリルより強い男なんてそんじょそこらにはいないのではないだろうか。それにそこまでキリルを強くしたのは、父親である自分自身だろう。酔っているのか? 

「もっと強い男になれ、とは言わないさ。その気がない奴にはな」

 そう言うとダミアン叔父さんは去った。さすがだな。俺の心の弱さもわかっているのか。


 翌日。ダミアン叔父さんに呼び出されて荒野へ向かうと足が竦んだ。そこにはキリルとマリウスもいたからだ。ダミアン叔父さんはキリルに向かって淡々と語りかけていた。どうやら昨夜の話をしているらしい。もっと将来的な話なのかと思っていたら、もう決定事項なのか? キリルを嫁がせるなんて。

「お前は女だからこの家の頂点には立てない。だがこの家の人間でいたいのだったら……フェルナン、マリウス、お前たちどちらか、キリルと共に暮らす気はあるか?」

 俺は黙りこくった。マリウスだってそんな事出来やしないだろう。

「はい。もしキリルがいいと言うのなら」

 だがマリウスが承諾して、俺は仰天した。こいつ、やっぱりキリルのことをそういう目で見ていたのか……今度はダミアン叔父さんの目がこちらへ向いた。ええい、もうどうとでもなれだ。

「はい。キリルがそれを望むなら!」

 マリウスの台詞の真似になってしまった。ダミアン叔父さんは黙って頷くと、キリルのほうへ視線を向けた。

「キリル、お前は誰を選ぶ?」

 キリルはずっと無言だった。だがその言葉を聞いたキリルは無言のまま一歩踏み出すと――ダミアン叔父さんの元へ駆け寄って腕をがっしりと掴んだ。その手は震えていて、驚いているダミアン叔父さんの顔を見つめる瞳は潤んでいる。

「ちょ、ちょっと待て、おまえ、何か勘違いしてないか?」

 戸惑うダミアン叔父さんの言葉に、キリルは無言のまま激しく首を横に振った。

 まあまあ、とどこから出てきたのかユリアン叔父さんがダミアン叔父さんとキリルの間に入りこむ。こっそり聞き耳を立てていたのか?

「キリルはもう十六かもしれんが、まだ十六だよ。まだダミアンの傍にいたいんだろ。いきなり他の男の所へ行け、なんて酷ってもんだよ」 

 そしてよしよしとキリルの涙を拭う。

 その泣き顔を見て気がついた。キリルが強くなりたかった理由は、ダミアン叔父さんの傍にいたかったからなんだ。

 六年前のキリルを思い出した。あいつは俺に勝っても、マリウスに勝っても、別段と嬉しそうな表情はしなかった。でも、その勝利をダミアン叔父さんに告げるとき、あいつは満面の笑みで駆け寄っていったんだ。そのダミアン叔父さんへの勝利宣言を続けたくて、たくさんの傷をつくってきたのだろう。そして自然と強さも増していったんだ。「強くなりたい」のではなく「その強さを見せたい」そんな想いがあったのではないか。

 はじめて見た。キリルの涙も、あんな女の子らしい表情も。

「――ダミアン、フェビアン、お前たち二人とも、なにか思い違いをしていないか? このヴァッケンローダー家の家訓を思い出せ――代々続く武術の血筋を絶やすな、最も強いものこそが頂上に立つ、という言葉を」

 一呼吸おくと、厳しい口調でユリアン叔父さんはそう言った。

「そうだ。だからマリウスかフェルナンが一族の頂上に立つのは当然だろう」

「それは無理だ」

 その言葉をユリアン叔父さんは一蹴した。

「マリウスはヴァッケンローダー家の――集団のトップになるような人間ではないよ。いろんな意味でな。そしてフェルナン、お前にはその強さがあるのか?」

 答えはわかっている。多分ここにいる誰もが。弱さを示すように無言のまま下を向いた。 

 




 親父は俺がそこまで強いと本気で思っているのだろうか。一族の血を背負えるほどに。じっと銀細工の紋章を見つめる。俺はこれから、そうしたらいいのだろう? このままヴァッケンローダー家の頂点に立つのか? それとももっと特訓を積んで――でもどこまで強くなればいいのかも、どうやって強くなればいいのかも俺には判らない。 

「またくだらない事を考えているのか?」

 明るい声で話しかけられた。キリルだ。隣にはマリウスもいる。キリルはもう落ち込んではいないらしい。ユリアン叔父さんに慰められたのか? それとも、ダミアン叔父さんとこれからも一緒にいるとでも言われたのだろうか。

「もう怒ってないのか」

 マリウスの心を代弁した後、キリルと俺が話す事はなかったから。完全に見下されたのだと思っていた。

「なんで自分が怒らなきゃならない? これから一緒に旅に出るやつに」

 そんな言葉をいきなり告げられて、俺は耳を疑った。

「旅……って、なんでだよ」

「自分とお前とマリウスの三人で様々な土地を巡り、ヴァッケンローダー家の跡継ぎを決める旅。自分が女だから無理で、マリウスがいろんな意味で無理で、フェルナンも弱くて無理なんだとしたら、また三人とも最初から特訓しないと駄目だろう。ヴァッケンローダー家が潰れてしまう」

 なんだその理屈は。遠まわしに言っているが、弱い俺をもっと強くさせるための旅なのではないのか。

「ダミアンさんは、お前の婿を自分で探しに行け、なんて事も言っていたが」

 そうだ。キリルはダミアン叔父さんの傍にいたいんじゃなかったのか。

「……あの人と離れ離れになってもいいのか?」

「一生の別れではないし――もっと強くなってからまた会いたいんだ」

 きっぱりとキリルは言った。三つ編みが風になびいてダミアン叔父さんからのプレゼントのリボンが目に映る。邪魔だ、なんて愚痴をこぼしていたのに、あの人がいなくとも身につけているのか。

「でも、あの人はお前をこれ以上強くしたりはしたくないって」

「身体じゃなくて、心を強くしたいんだよ」

 ――そんな台詞を言えるなんて、心だって俺よりもうんと強い。

「じゃあマリウスは平気なのかよ」

「二人より三人のほうが楽しいだろ」   

 のんびりとマリウスは言う。遠足じゃないんだし、そんな軽い調子で決めるなよ。 

 旅か……期待で胸が弾むことも、壮大な野望もまだ持っていない俺にとってそれは不安のほうが大きい。でもこの大樹の元で再開をしたときのような憂鬱さもなかった。

 あと心配なのは、男言葉で喋って、無防備に接してくるキリルが可愛らしい少女だという事だ。身体も、そして心も。

「ダミアンさんもユリアンさんも賛成していたから多数決で決定だな。フェビアンさんには後で伝えておく、ってユリアンさんが言ってくれたし。ラウラさんが旅の用意をしてくれているというから、まずマリウスの家がある村に行こう」

 親父がこの旅に賛成するかどうかは判らない。でもそんなの俺の気にする事ではない。とりあえず今の所の目標は、キリルよりも強くなる事だ。そうすればキリルのほうからこちらを向いてくれるかもしれない。この旅はキリルの婿探しでもあるというし。

「そうだな……行ってみるか」

 こうして俺達三人は旅に出た。強くなる旅ではなく、それぞれの強さを探す旅に。アキレアの紋章が入った銀細工を、それぞれの手に持って。





「どうやって送り出したんだ?」

 宿の露台でダミアンとユリアンの二人は杯を交わしながら語り合っていた。

「お前よりも強い奴を見つけたらまた戻ってこい、そう言っただけさ」

 穏やかにダミアンはそう答えた。

「それを素直に受け取ったのか。いい子だな、キリルは」

「ああ。だからこのままずっと自分と師弟関係なんて駄目だ」

「お前も素直じゃないね。もしキリルがどっかの男と一緒になったまま戻ってこなくなったらどうするんだよ」

「……それであいつが幸せなら、自分はもうあいつとは他人だ」 

「なにが他人だ。世間知らずな娘を見知らぬ男に嫁がせるなんて心配で、フェルナンかマリウスどっちか選べ、なんて馬鹿みたいなこと言ったくせに」

 煙草をくゆらせながらユリアンは笑う。

「どこが馬鹿だ。もしフェルナンと結ばれたら、名実共にヴァッケンローダー家の跡継ぎが出来るじゃないか」

「はいはい。もし本当にそうなればいいがね」

 だがそれは、フェルナンがキリルより強くなったらの話だ。ダミアンはそう言ってやりたかったが、黙って酒をあおった。そんな話を言ったら「いつまでも引きとめたいのか」なんてまた馬鹿にされる。

 あの三人は、これから大きな難題にぶつかる。ヴァッケンローダー家の長が求める強さ。それはダミアン、フェビアン、ユリアンが昔競って追い求めたものだ。しかし、ただ競わせるよりも、協力もしながら競わせた方が早く辿り着くだろう。そのために三人での旅に出させた。そして――あの三人にはまったく血の繋がりはない。

 血は水よりも濃い。それならば、濃い霧がたちこめる道よりも薄い霧がかかる道のほうが明るく先へと進んでゆけるだろう。



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