51話 契約と入居
まあ、面倒臭いですよね、契約ごとは。
「では。最初の方の家を、ご契約ということで」
集落入口から少し下ったところにある店の一角に場所を移して、ソーラさんと商談中だ。売り物のパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
あれから、3人ぐらい一緒に入れる湯船を持つ浴室を気に入ったリザが、ここに住みたいと言い出した。それを、まあまあとなだめ、他の各部屋を案内して貰った。2階にも5部屋の個室があったので、都合7LDK+書斎+浴室+土間+地下室という、巨大な間取りだ。
もう一軒の空き家も案内して貰ったが、間取りは同じだった。
エマもやや町から離れているが、逆に迷宮には近いので異存なしとの意見となった。
「それで、住まわれる方は、クラン・ミュラーズの方々4人とあの従魔1頭でよろしいですね」
“あの”というのは、店先で寝そべっているレダのことだ。今は、リザが背中を撫でて機嫌を取っている。それから4人というのは、リザとリーザを同一人物にしておくと、面倒そうなので2人として申し出た。
「とりあえずは、その人数だ。これから増えるかも知れないが」
「分かりました。あの物件は、冒険者パーティのギルド推奨人数6人で問題ない間取りになって居りますので、安心して下さい。6人より増える場合は、お知らせ下さい」
「了解だ」
7人以上が継続的に住む場合は、家賃が割り増しになる。まあ無制限に、住まわれても困るからな。
ちなみに冒険者の中短期入居用途想定で集落を開き、建物を建てたそうだ。しかし、温泉が好評を得て、今では集落の半分位の入居者はリタイヤした高年齢者らしい。こちらに来る時に、擦れ違った夫婦もそうだった。だが、ずっと住んでいるわけではなく、別荘としての使用が多いらしい。
「それでは、先程申し上げましたように、3ヶ月契約で1ヶ月3ヴァズと、加えて保証金5ヴァズが必要です。もちろん、退去時に部屋が破損、汚損していなければ保証金をそのまま返金します。つきましては、8ヴァズをお支払い戴ければ、今日からでもご入居戴けます」
1泊10セルク、千円見当だ。昨日泊まったホテルの1割未満だ。まあ、ここは結構な多少辺鄙ではあるが、あれだけの広さに温泉まで引いてある。それを考えれば格安だと思ったが、エマはそんなものでしょうと言っていた。確かに水道はあるが、電気とガスはないしな。俺は、金銭感覚がおかしくなっているかも知れない。相場が特殊な首都圏で一人暮らしをしていたし、こっちに来たら来たで儲かっているからなあ。
「了解だ」
俺としては、高コストだが雑事がないホテルでも良いとは思った。が、マルコ会にも近いし、どうしようか考えていたら、リザにうるうるした目で見られたので、ここに来る段階で住むことにした。
こんなにすぐ決めてもよいのかとは思うが、まあ賃貸だ。気に入らないことが強くなれば、引っ越せばよい。
小金貨8枚を保管庫から取りだして、テーブルの上に置く。
「これを支払おう」
「まあ。ルーちゃんが書いていた通りだわ」
「はっ?」
何と書いてあったのか気になるな。
「では、当方も皆様の入居に同意致します。よろしければ、こちらに署名をお願いします」
賃貸契約書を受け取る。
少し待っていると、文字がぱらぱらと日本語文に訳されたので読んでいく。
『ご主人様。特に問題はないと思いますが』
『そうだろうとは思うが、クランの拠点にするんだ。クラマスとしては読んでおかないとな』
退去時の原状復帰で争う場合という文言の所は少し気になったが、こんなものだろう。
ペンを取る。最近、自分の名前だけは自力で書けるようになった。
「これで良いか?」
2通の契約書に署名して渡した。
「はい。結構です。では、契約書1通と、玄関と勝手口共用の鍵3本をお渡し致します。極力合鍵は増やさないで戴くと防犯上助かります」
肯いて受け取り、保管庫に入れる。
ソーラさんは、支払った小金貨を鞄に仕舞っている。
「これで契約手続きは終わりました。では、この店の主で共同大家を紹介します。叔父さん!」
「おお!」
店の奥、厨房から、大柄な中年男が出てきた。厚手の前掛けをしている。半袖シャツから突き出ている肩の筋肉が厳つい。
「契約は終わったかね?」
「はい。滞りなく」
「そうか。俺はオリビエだ、よろしく」
「ケント・ミュラーだ。こちらこそ、よろしく頼む。それから立っているのはエマ、従魔のレダと、一緒に居るのはリザだ」
「ふーん。随分腕が良さそうだな。それに、ふたりとも別嬪さんだし。歓迎するぞ」
「ウロロロ……」
「おっと、従魔も大人しくて賢そうだ。ははは……。さっきは立ち会えなくて悪かったな。仕込みのキリが悪くてというのあるが。正直、俺は数字やら契約やらは苦手でな。難しいことは、みんな、ソーラに任せている。だが、普段のことなら任せておいてくれ。何か困ったことあるあったらここに来てくれ」
「それは、助かる」
無骨そうだが、感じが良いおっさんだ。
「まあ、相談するなら俺よりは……あれ? どこ行った」
さっき、姿が見えた女の人のことかな。
「叔母さんは、そのうち戻って来られるでしょう。それより、叔父さん。お店の紹介もされたらどうですか?」
「ああ、そうだな。このレリック屋は、何でも屋だ。料理も出すし、夕方からは、バーとして酒も出している」
「叔父さんの作る肉料理は評判なんです。迷宮帰りに毎回寄る冒険者達もいるくらいで」
「へえ」
「ああ、俺は5年前まで傭兵をやっていたのでな、客の何割かは、その時の仲間や知り合いだ。あぁ傭兵が料理って思っただろう。そういう顔をしたろ」
してない、してない。顔を振る。
「そうか? 傭兵てのは、外に出たら何でもやらないと駄目でなあ。貴族様が連れて来た専属コックに仕込んで貰ったんだ。野蛮そうに見えるだろうが、そこらの店とはちょっと違うぞ」
おぉぉ。あれだ、ミリ(タリー)メシってやつ。
「まあ、それで、ここに来る馴染みの客は俺を団長と呼んでいるが。あんたらは、まあ好きに呼んでくれ。それから、あっちの一角は朝から夕方までしかやっていないが、日用品と毎日焼いているパンも売る」
おお、焼きたてのパンは良いな。
さっきから、香ばしい薫りが漂っている。
「おおう、来た来た。連れ合いのイレーネだ。あいつと、配送に行って今は居ないが3男が焼く作るパンは旨いぞ。それとすぐに住むなら、シーツやら日用品が必要だろう。買うなら、イレーネに言ってくれ」
奥さんがにっこり笑って、会釈してきたのでこちらも返す。
エマとリザがそっちへ寄っていった。
†
ベッドのマットレスの大きさをイレーネさんが把握していたので、シーツやらリネン類と食器類など、日用品を買って新居に戻った。
「美味いな、これ」
団長さんが言っていた通りだ。
今朝焼いたという黒パンは、少し酸っぱくもあるが、うまい。15mm厚に切ったものに、焙ったベーコンとチーズをのっけて、囓っている。
のっけた物は、修道院の物販コーナーで買って来た物だ。
「そうですね」
「はい」
リーザとエマの返事にわだかまりが残っている。
要するに昼食中なのだが、和やかな雰囲気ではない。
新居に入って、まず初めにやることは。決まっている。各自がどの部屋を自分の部屋にするかだ。つまり、部屋割りだ。
1階の主寝室が俺。それはすんなり決まった。問題はそこからだ。
2人が揉めた。その時はまだリザの姿だったが。
『アタシは、ケントと一緒の部屋で良いわ』
『何を言っているのです! ここは、誰かの家ではありません、クランハウスです。駄目に決まっているでしょ! こんなに部屋が沢山あるのです。別の部屋が妥当です』
おお、正論だ。
『ええぇ、ケントもアタシと一緒が良いよねえ?!』
『いや、別にしておこう。ここはクランハウスだ』
『えぇぇ。じゃあ、アタシは、その隣の部屋にする』
『なぜ、リザが決めるのですか!? 私が隣に入ります』
と、まあ掴み合い寸前まで行った。
結局、エマがそういう存在と思われることがないよう、俺の隣の部屋には、リーザ/リサの部屋にすると、俺が決めた。
『そういう存在でも、一向に構わないのですが』
エマはそう言っていたが、聞かなかったことにした。
その後、リザは引っ込んでリーザと変わったので、エマも少し落ち着いてきているが。話題を変えないとな。
「じゃあ、これから、レリック屋で買える物は別にして、ここで暮らすには、あと何が必要なんだ?」
「んん」
リーザが水で流し込んだ
「はい。レリック屋で、道具類もそこそこ揃ったんですが。大きな鍋と桶がいくつか。それに少しお値段は張りますが、魔灯を」
主に使われる照明器具は、蝋燭、ランプ、魔灯がある。だが、蝋燭は裸火で気を使う。ランプは油の精製が不十分なので、3日も使うと煤で汚れるガラスのカバーを掃除しないと駄目で面倒だ。というわけで、少々お高いが魔灯を使えと言い渡した。魔灯は道具屋で売っている魔石が燃料相当になる。
「あとは、洗濯用に大きいタライも欲しいですね」
「ああ、そうでした」
「じゃあ、少し食休みをしてから、町へ買いに行こう」
訂正履歴
2023/02/11 微少に訂正
2023/09/15 誤字脱字訂正(ID:1576011さん ありがとうございます)
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訂正履歴
2025/04/09 誤字訂正 (あまこさん ありがとうございます)




