75 抱っこ問題
カオスな状況から落ち着きを取り戻したのは三十分後だった。
「そんじゃあ本題に戻ろう。このウサギはなんなんだ?」
マサキは自分の左腕の中にいるウサギを見ながら言った。色々と脱線してしまったがここで本題に戻ったのである。
チョコレートカラーの謎のウサギはネージュとクレールとダールの三人に背中を同時に撫でられている。無表情だがなぜか気持ちよさそうにしているように感じ取れる。
「ンッンッ」
たまに漏れる声はウサギの鳴き声なのだろう。なんとも言えないリアルな鳴き声だ。
そんなウサギの首元を見ながらネージュは口を開く。
「飼い兎の証がありませんから兎園のウサギですよね。きっと遊んでて兎人族の森に迷い込んでしまったのだと思います」
「遊んでてって……空から降ってきたのに? 飛行機から落ちたとかは?」
「……ヒコウキ? ってのはわかりませんが空から降ってきたのは謎ですね……マサキさん。いいえ、マサキくん。ゴッホン。いつもみたいに推理はできないのかね?」
「いや……それだとネージュが名探偵で俺が助手の立場になってるんだが……」
声を低くして名探偵の真似をするマサキの真似をしたネージュ。元ネタを知らないせいで立場が逆になってしまっている。
そんなやりとりの中、ウサギの第一発見者のダールがウサギをもふるのを止めずに空を見上げ口を開く。
「ここら辺に生えてる木よりも高いところから落ちってきたのを見た時ッスけど……なんか別の影も見えたような気がしたッスよ。気のせいかもしれないッスけど」
「……別の影か。やっぱり飛行機説合ってた? でも飛行機みたいな大きい機体があったら俺たちでもすぐに気付くはずだけどな……」
「あんまり覚えてないッスよ。なんかあったような、なかったようなって感じッス。本当に気のせいかもしれないってレベルッスけどね」
「それくらいの印象ってことだよな。物凄い小さい飛行物体。もしくは生き物。それかダールに見られてすぐに姿を消したとか逃げたとかって感じなのかな? とりあえずこのウサギが落ちてきた理由はもういいや。考えても仕方ない。それにネージュが言うように飼い主がいないんだったらこのウサギはどうするんだ? このまま放置? それとも保護団体とかに連絡するの? そもそも保護団体ってあんの? 聖騎士団とか?」
マサキは撫でられているウサギを見ながらウサギをどうするのか考えていた。
動物保護団体があればそこに連絡するのが一番だろう。もしくは動物病院だ。しかしここは異世界。そのような施設があるかどうかはマサキは知らない。
しかし冒険者ギルドや聖騎士団ならなんとかしてくれるかもしれないとマサキは思った。
「にしても可愛いなぁ。何されても動じないのめちゃくちゃ可愛い。それとずっと動いてる鼻。たまらんなぁ」
「たまらんぞぉ」
マサキもクレールもすっかりウサギの虜になっている。ウサギはマサキの方を見ながら抱っこされているのでマサキもウサギの表情は見えている。
そしてマサキはウサギを抱っこしている左手を上手く使い指だけでウサギのもふもふを堪能し始めた。ちょうど指はウサギの左腹辺りにある。
「ンッンッ」
四人から全力でもふられまくっているウサギ。無表情で小さな声を漏らしているがそれもまたいい。
ダールはウサギを触りながら脱線しかけたマサキの質問に答えた。
「兎人族の里に迷い込んだウサギは、ウサギを見つけた兎人が兎園まで連れて行ってあげるってのが兎人族の決まりッスよ。なのでアタシたちがこの子を見つけたので兎園まで届けるッス」
「さっきからパティシエパティシエってウサギを調理するんじゃないだろうな?」
「なんで調理するんッスか。ウサギを食べる文化なんて聞いたことないッスよ。パティシエっていうのはウサギたちが住んでいるところの地名ッスよ」
「地名か……パティシエだけ聞くと調理されるんじゃないかって思っちまったわ。ウサギがケーキいや、パイにされそうな地名だな」
「兎園って調理とかそんな意味があったんッスね」
「いいや、こっちの話し。人間族の話しだから、気にしないでくれ。それに俺もウサギは絶対に食べないから安心してくれ」
この世界ではお菓子などを作る職業のパティシエという言葉は存在していないらしい。その代わりに地名として使われていた。
マサキは多少のカルチャーショックを味わったがそれももう慣れてきている。
「マサキさんってたまに変なこと言いますよね。無人販売所のこともそうですが知識が偏ってます」
「あー、多分俺が人間族だからかな。そんで地図にも載ってないほどの田舎で育ったからかな。あはは」
異世界転移したということを明かせずにいたマサキはなぜか誤魔化し続けていた。
そしていつしか真実を明かすタイミングを逃してしまい今に至るのだ。
「そんじゃ兎人族の決まりなら仕方ないな。このウサギをパティシエってところまで連れて行ってあげるか」
「マサキさん。なんだか嬉しそうですね」
「だってパティシエって行ったことない場所だからさ。少しだけワクワクする。もちろん一人だったら行く気にはならなかったよ。というか絶対に行かなかったと思う。でもみんなと一緒なら楽しそうだなって思ったからさ」
ニヤニヤとしながらはしゃぐマサキ。そんなマサキに続いてクレールも無邪気な子供のようにはしゃぎ始めた。
「クーも楽しみだぞー。兎園には何度か行った事があるけどどれも心が病んだり死にたくなった時に癒されに行ってたからみんなで行くって聞いてなんだかワクワクしてきたぞー。すごいワクワクしてるぞー」
「事情は知っているけど本当に色々と大変だったんだな……ぅう……泣けてくる」
クレールの壮絶な過去を知っているマサキはクレールの無邪気な笑顔を見ながら涙が溢れ出そうになった。
「よし。俺たちの楽しい思い出を作るためにもみんなでパティシエに行くぞー」
「行くぞー行くぞー! 楽しむぞー楽しむぞー!」
マサキの腕の中にいるウサギの背中をわしゃわしゃと撫でまくるクレール。マサキも指でもふっている。
このウサギが降ってこなければ兎園に行く予定など立てなかっただろう。そしてマサキは兎園という地名を知らずに過ごしていたに違いない。
だからこそ感謝の気持ちを込めてウサギのもふもふの体をわしゃわしゃ触ったのであった。
「んでパティシエってどこにいる……じゃなくてどこにあるんだ?」
「荒れた土地のちょっと先ッス」
「あー、荒れた土地ってダールたちが住んでたところだよな」
「そうッスよ。その先に兎園があるッス」
ダールと双子の妹たちがボロボロのテントを張って暮らしていた荒れた土地。その先にウサギが住む土地、兎園がある。
「すぐに帰って来れると思いますのでこのまま行きましょうか! 家に帰る時間がもったいないですし」
「そうッスね。ここからなら兎園まですぐッスからね」
「デールとドールが学舎から帰ってくるまでには帰ってきましょうね!」
ネージュの提案でこのまま直接兎園へと向かうことになった。
「そんじゃ話もまとまったところでパティシエに向かうか!」
計画を立てたのならあとは実行するのみ。マサキたちは兎園向かうために立ち上がった。
するとクレールがマサキが抱っこするウサギを羨ましそうに見ていた。クレールも抱っこしたいのだろう。
「抱っこするか? さすがに片手で抱っこは辛いし、このウサギも嫌だと思うからさ」
「うん! 抱っこする!」
マサキはクレールにウサギを渡そうとする。
「ンッンッ!」
すると今まで大人しかったウサギが暴れ出した。
「うわぁ、ど、どうしたの?」
そのままウサギはクレールの腕を回避。暴れたせいでマサキの腕の中から飛び出してしまったが綺麗に地面に着地した。
大きなウサ耳は地面についてしまうほど長くて大きい。ウサギは地面についてしまっている自分のウサ耳を気にすることなくトコトコと短い足で歩き始める。
「ンッンッ」
そのままマサキの足元へと寄っていった。そしてマサキの足に向かって頭をすりすりとしている。
「えぇークーじゃダメなのかー。悔しいけどおにーちゃんの方がいいみたいだね」
「マジか……気に入られちゃったのか。しょうがないな」
「いいないいなー。クーが抱っこしたかったなー」
マサキは左手でウサギをすくい上げるように持ち上げ抱き抱えた。
両手を使わなかったのはネージュと手を繋いでいるからだ。先ほど手を離して死ぬような体験をしたばかりだ。二人の手はいつもよりも固く繋がれている。
羨ましそうに見ていたクレールは抱っこを嫌がられたことによりちょっとだけ不機嫌になる。
「クレール。もう一回挑戦してみるか。両手使えないの不便すぎるし、ちょっとだけどこのウサギ重たい」
「やったー。クーが持つクーが持つー!」
クレールに申し訳ないと思ったマサキはウサギの抱っこの権利を再び譲った。先ほど暴れ出したのはただの偶然だろうと解釈したからだ。
マサキはクレールがウサギを抱っこしやすいように少しだけ屈んだ。そうすることによってウサギにも配慮しているのだ。
「これなら驚いて暴れたりしないだろ。クレール抱っこしてみて!」
「うん!」
クレールは小さくて細い腕を伸ばしてウサギを抱っこしようとする。優しくゆっくりと嫌がられないように。
しかし先ほどと同様にウサギは暴れ出してしまった。
「な、なんでー」
「なんでだろう……」
頬をぷくっと膨らませるクレール。仕方なくウサギを抱っこするのを諦めた。
「私にも抱っこさせてください」
今度はネージュも抱っこにチャレンジしたいらしくマサキの正面に回った。
「片手で抱っこすんの意外と大変だぞ。まさか手を離すんじゃないだろうな」
「絶対離しませんよ。あんな思い二度としたくありませんから」
「だよな。死にかけたもんな。というか俺、お花畑が見えてたから一瞬だけ死んでたかも……」
「奇遇ですね。私はお月様に行ってました」
マサキとネージュは死にかけたことを笑い話に変えた。笑い話に変えなければ精神が歪んでしまうほどの恐怖だったということだ。
そんな話をしながらネージュは右手でマサキからウサギを受け取ろうとする。
「ンッンッ」
ウサギはマサキから離れることに気付いてクレールの時のように再び暴れ出した。
「わ、私もダメですね」
「それじゃ次はアタシの番ッスね」
クレールとネージュが挑戦したのだ。必然的にダールも抱っこに挑戦する流れになる。なのでダールも自ら志願してマサキの前へ立ちウサギを受け取ろうとする。
「ほーらよしよしッスよ」
まずはウサギの頭を撫でてあげている。突然抱っこするよりも効果的だろう。
「ンッンッ」
無表情のウサギだが声が漏れて喜んでいるように感じられる。
「次はお顔のマッサージッスよ〜」
ダールは顔や耳のマッサージそして背中をわしゃわしゃとしてウサギのもふもふを堪能した。
この間ウサギは一度も嫌がる様子はなかった。むしろ喜んでいるように感じられた。
「このまま渡せばダールもマサキさんみたいに抱っこできそうですね」
ネージュが言ったようにその場にいる全員がダールも抱っこできると確信した。
「それじゃ頃合いッスかね。兄さんお願いします」
「ゆっくり渡すぞ」
「はいッス」
ウサギを受け取ろうとするダール。
ウサギはマサキから離れると気付いた瞬間に激しく暴れだす。ネージュとクレールの時と同じだ。
そしてダールの顔面目掛けて強めの後ろ蹴りを喰らわした。ウサキックだ。
「がはぁっ! け、蹴られたッス蹴られたッスよ。あんなにマッサージしたのにこの仕打ちはないッスよー」
涙目で訴えるダール。しかしウサギは鼻をひくひくと動かしながら無表情だった。
「ンッンッ」
どうやらウサギはマサキ以外には抱っこされたくないようだ。
「やっぱり抱っこはおにーちゃんがいいみたいだね。でもなんで?」
クレールは口元に指を当てながら言った。当然の疑問だ。その疑問にマサキなりの解答があった。
「多分俺をタクシーかなんかだと思ってるんじゃないか?」
「タクシーってなーに?」
「えーっと乗り物だよ」
兎人族の里で車などの乗り物が走っているのを見た事がないマサキはこの世界にどんな乗り物があるかは知らない。
唯一知っている乗り物といえば盗賊団が乗っていたスクーターに似た乗り物マクーターのみだ。
マサキ以外の三人がどんな乗り物を想像したのかは知らないがマサキは話を続けた。
「つまり俺が男だからちゃんと持ってくれるとか思ってて俺にだけ抱っこされたいんじゃないか? なんていうか男の方がしっかり持ってくれるとかそんな感じにこのウサギは思ってるのかもしれない。パティシエにいるときにそういうのを覚えたんじゃないかな?」
「確かにそうかもしれませんね。でも片手ですよ。ひょろひょろですし、しっかり持ってくれなさそうですよ」
「た、確かに……それじゃあ女の人に持たれてた時に嫌な事があったとか?」
「ん〜そうかもしれませんね。片手で大変ですがマサキさん。頑張ってください」
「重たいけど頑張るよ……左腕の筋トレだな……」
ウサギの抱っこ問題についての議論はこれで終わった。何も解決していないが納得がいく答えにたどり着いたのである。
羨ましそうにするクレール。ウサキックを受けたところを触る涙目のダール。ウサギの重さと持ちずらさを感じながらももふもふと温もりを堪能するマサキ。そしてマサキと手を繋げている喜びを噛み締めているネージュ。
四人は兎園に向かうのであった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
謎のウサギが「ンッンッ」と鳴いていますが作者が飼っていた五匹のウサギのうち一匹だけこのように鳴いていました。
走ってる時、撫でている時など「ンッンッ」と鳴いているのです。
普通のホーランドロップイヤーなんですが初めてウサギの鳴き声を聞いたので忘れられなくて作中に登場するウサギも同じ鳴き声にしたのです。
天から降ってきた理由。マサキから離れない理由など今後明かしていこうと思います。
そして兎園パティシエの舞台を考えるの楽しい!




