62 盗賊団
無人販売所イースターパーティーに来店した三人の人間族。彼らは窃盗犯……否、盗賊団だった。
瞬きの刹那。挙動不審だった彼らは、店の商品を盗み出した。
盗みの手際は良く、瞬時に商品棚の商品を全て袋に詰め込んで店を出たのだ。
その光景を覗き穴から見ていたマサキは頭が真っ白になり思考が停止した。
「……ぇ」
そんなマサキに向かって別の覗き穴からマサキと同じ光景を見ていたクレールが大声でマサキを名前を呼ぶ。
「おにーちゃん!」
「ぁ……や、やばい……やばいぞ!」
クレールの呼びかけのおかげでマサキの停止していた思考が再び起動する。
思考が起動してようやく事の重大さに気付き慌て始める。そして覗き穴から素早く離れて何も知らないネージュの左手を掴んだ。
「ネージュやばいぞ!」
掴んだ手でネージュを引っ張り部屋から店へと向かう。
「えぇっ! お、お客さんがいるのに出るんですか? は、恥ずかしいですよ」
「あいつらは客じゃない。泥棒だ! 泥棒だ!」
「ど、泥棒さんですか!」
ここでようやく店内で起きた出来事を知らないネージュとダールとデールとドールの四人に事情が伝わる。
切羽詰まった状況。このままでは商品を盗られて逃げられてしまう。それだけは避けたいと願うマサキ。
そんなマサキの強い気持ちを繋いだ手からネージュは感じ取る。
二人は走り出した。
「待てやー! どろぼーう!」
「待ってください! 泥棒さん!」
人間不信と恥ずかしがり屋のコンビは店を出た瞬間に叫んだ。
店の外には、運よくまだ盗賊団たちの姿が見えている。
逃げるために用意してあった乗り物に乗ろうとしているが、モタついているのだ。
(自転車? いや、バイク……スクーターみたいな乗り物だな。初めて見たぞ。というかこっちの世界にも乗り物とかあんのか。一回でいいから乗ってみたいな。免許とか必要なのかな? って今はそんなこと考えてる場合じゃねー!)
「盗んだ商品を返してもらうぞ!」
マサキは一切ビビる事なく言い放った。
居酒屋時代に迷惑な酔っ払いや職場の先輩から受けた屈辱。その屈辱にマサキは堪えてきた。我慢してきた。
我慢せずに抵抗しようと思ったことが何度もあったが、体がすくんでしまい行動することはできなかったのだ。その時の事が異世界転移した今でも後悔という形で心に染み付いてしまっている。
だからこそマサキは、この世界では後悔したくないのだ。
目の前の悪人を見過ごしてしまえば、必ず後悔してしまう。それが人間族相手なら尚更のこと。元の世界にいた悪人たちと姿が重なって見えているからだ。
マサキは後悔から学んだのだ。悪人を決して許してはいけないと。
「な、中にいたのかよ。ホンザワ急げ!」
「わかってるよアンドウ。そんなに急かすなって!」
モタついていた茶髪で細目の男は、黒髪で悪人顔の男の催促する声に促されてスクーターのような乗り物に急いで乗った。
そこでようやくエンジンのようなものがついたのだろう。スクーターのような乗り物が走り出す。
しかし、スクータのような乗り物からは、エンジン音やガスの独特な臭いなどは一切ない。さらにはペダルを踏んだり漕いだりなどの動作も一切なかった。
これがこの世界とマサキがいた元の世界の乗り物の違い。魔法で起動する乗り物なのだ。
スクーターのような乗り物が走り出したのは、乗り手が乗り物に魔力を注ぎ込んだからだ。この世界ではガソリンの代わりに乗り手の魔力が必要となる。
マサキとネージュは、乗り物に乗って走り出した盗賊団を追いかける。しかし、追いつくはずもなく差が開くばかりだ。
それもそのはず。どの世界でも乗り物という便利な機械に人間の足の速さが勝ったことは一度もないのだから。なので敵うはずがないのである。
だからこそ盗賊団は逃げるための手段として乗り物を選んだのだろう。当然の選択だ。
人間族のマサキはともかく、この世界に生きる兎人族の足の速さはどうだ?
結果を言ってしまえば、人間族も兎人族も足の速さはほぼ変わらない。だから兎人族のネージュでも盗賊団に追いつくのは不可能だ。
ましてや手を繋いでいる時点で追いつくものも追いつかなくなってしまう。それでもマサキとネージュは手を繋ぎながら必死に追いかけた。
「くそおぉぉぉぉぉ! 乗り物なんて卑怯だぞおぉぉぉぉ! 待てー! どろぼーう!」
「卑怯? ハッ、卑怯なんて俺たちの業界じゃ当たり前なんだよ。ゴミ虫がァ!」
「なんだと!? ゴミ虫はお前たちだろー!」
「汚ねえ耳の生えたそこの女と交尾でもして怒りを鎮めてもらいなゴミ虫! まあそんなゴミ虫以下の獣人の女じゃ満足できねえと思うがな! ガッハッハッハッハッ!」
手を繋ぎながら追いかけているマサキとネージュを見て、盗賊団の黒髪で悪人顔の男が煽り侮辱してきた。
「なんなら俺様がそいつの気持ち悪い耳を切り落として、いい女にしてやろうか? ガッハッハッハッハッ!」
黒髪の男の侮辱はまだ続く。
その煽りの言葉を聞いたマサキは、さらに頭に血が上り、はらわたが煮えくり返った。
「そんじゃ、まずい飯をありがたくもらってくぜェ! お支払いはこれでなァ!」
黒髪で悪人顔の盗賊団の男は、マサキとネージュに向かって手のひらをかざした。そして唱える。
「風よ我に力を――風の斬撃!」
それは風属性の魔法だった。
鋭い風の斬撃がマサキとネージュに襲い掛かろうと向かっていく。
「あばよォ!」
風の魔法を放つのと同時に盗賊団が乗っている乗り物のスピードは加速した。そしてマサキたちを嘲笑う声も遠かっていった。
「……ッ!?」
初めて見る風属性の魔法に走るマサキは、刹那の一瞬だけ恐怖に慄く。
しかし、先ほどの盗賊団の言葉が頭に過ぎり恐怖を打ち消した。
(ネージュのウサ耳が危ない!)
風の斬撃はマサキの予想通りネージュのウサ耳目掛けて飛んできている。
「ネージュ!!」
マサキは風の斬撃からネージュを庇おうと隣で走るネージュに向かって体当たりをする。
「あぅッ!」
ネージュはマサキの体当たりを受けて横へと吹っ飛ばされる。
もちろん体当たりをしたマサキ自身も手を繋いでいる影響で、引っ張られるように一緒に倒れていく。これで風の斬撃からネージュを守ることができた。
マサキの体当たりが遅ければ風の斬撃は、ネージュの顔面に命中していただろう。ウサ耳を正確に狙えるほど盗賊団の男には技術はないのだ。
ネージュは助かったが、マサキはどうだろうか。
体当たりをした結果、風の斬撃の的がマサキに変わってしまったのだ。このままではマサキが風の斬撃を受けることになる。
(これでいい! ネージュを守れるならこれで!)
マサキにとって自分が傷付くことはどうでもいい。ネージュさえ――大切な人さえ守れればそれでいいのだ。
マサキは風の斬撃を避けきれず顔面で受けた。
「ッ……」
風の斬撃はマサキの左目すれすれに命中。眼球には当たらなかったものの顔の左半分に斬り傷を負ってしまった。
そして悲劇はまだ終わらない。手を繋ぎながら体当たりしまったせいで、二人は地面に向かって吹っ飛んでいる最中だ。
マサキは自分の顔の傷を気にすることなく、手を繋いでいない方の左手でネージュを抱きしめた。地面に転倒する際の衝撃からネージュを守るためだ。
そしてマサキは地面に背を向ける。反射神経とでも言うのだろうか。体が無意識にネージュを守ったのだ。
その代償にマサキは背中だけで地面の衝撃を受けた。全力で走って全力で庇った分、車に轢かれたのかと思うくらいの衝撃を受けている。
「ガハァッ! ウゲェハァッ!」
全力で走っていた時から悲鳴を上げていた肺だ。背中で受けた衝撃はさらに肺を刺激しマサキに激痛を与えた。
そのままマサキはネージュを抱きしめながら地面に仰向けになった。ネージュはマサキに抱きしめられてマサキをを下敷きにしている体勢だ。
「マ、マサキさん! マサキさん!」
ネージュは叫んだ。
「大丈夫ですか!?」
ネージュは多少の衝撃を受けたものの、マサキが庇ってくれたおかげでの無傷で済んだ。
風の斬撃からマサキが守ってくれなかったらネージュはウサ耳が切り落とされていたかもしれない。顔に大きな傷を負っていたかもしれない。
地面にぶつかる衝撃からマサキが守ってくれなかったら、ネージュの細い体の骨は何本か折れていたかもしれない。
「マサキさん! マサキさん!」
ネージュを強く抱きしめるマサキの左腕は地面に向かって落ちていく。
それは力を失って落ちたのではない。悔しくて地面を左拳で殴ったのだ。
無人販売所の商品を盗まれたから悔しいのか。
盗賊団に逃げられたから悔しいのか。
違う。
今のマサキにそのどちらも悔しいと思う感情はない。
ならば何に怒り何を悔しがっているのか。
それはネージュを侮辱したことに対してだ。今もマサキの頭の中では盗賊団がネージュを侮辱した言葉が離れない。
「くそくそくそくそくそくそ。あいつら! くそくそくそくそ!」
マサキは左手で何度も地面を殴る。地面に怒りをぶつけているのだ。
その後、怒りは徐々に鎮まる代わりに虚しさや惨めさそして悔しさの感情がマサキの心を蝕む。そして蝕まれた感情のまま涙が溢れ出た。
左目には風の斬撃を受けた部位から血が流れて血の涙になっている。
マサキはネージュを侮辱されたのにも関わらず何もできなかった自分が許せなくて仕方がないのだ。
「ごめん。ちゃんと守ってあげれなかった……」
そんなマサキの涙をマサキに守られていたネージュは見た。そしてネージュはマサキの涙を白くて細長い綺麗な指で優しく拭きとった。
「いいえ。マサキさんは私をちゃんと守ってくれましたよ。私を守ってくれてありがとうございます。私は無事です。それよりもマサキさん大丈夫ですか? 顔から血が……早く手当てをしないと……」
ネージュは自分が着ているブラウン色のロリータファッションのスカートの部分を破いた。マサキと手を繋いでいる左手でスカートを抑えながら細い右腕で精一杯力を込めて破いたのだ。
それをマサキの顔にぐるぐると巻く。包帯のようにぐるぐると。手を繋ぎながら器用に結んで応急処置は完了した。
「ごめん……」
仰向けで倒れているマサキはネージュから視線を逸らした。自分が情けないと思ったのだろう。
そんなマサキを見たネージュはマサキの顔に自分の顔を近付けた。そしておでことおでこを合わせた。
「マサキさん。私を守ってくれてありがとうございます」
おでことおでこを合わせながらネージュは言ったのだ。先ほど言った同じ言葉を。
その瞬間マサキの負の感情は薄まっていく。ネージュのおでこに負の感情が吸い込まれていくような感覚だ。
徐々に心が落ち着いていきおでことおでこを合わせる行為の意味を思い出す。
おでことおでこを合わせる行為の意味は以前ネージュが話した事がある。
『兎人族の文化ではおでことおでこをつけるときは謝る時とかお互い信頼してるサインとかなんですよ……』
これはマサキがネージュの体温を測ろうとしておでことおでこを合わせた時に言っていた言葉である。
つまりネージュは心からマサキのことを信頼し感謝の気持ちを告げたのだ。
「うぅ……」
マサキが落ち着いたのを感じ取ったネージュはゆっくりとおでこを離した。
「落ち着きましたか?」
「いつも震えて落ち着きがないネージュに言われるとなんか変な気分だな」
軽口を叩けるまでマサキの心は落ち着いていた。
「マサキさんだっていつも震えてるじゃないですか。お互い様です」
「まあ、そうだけどな。やっぱりネージュがいないと俺はダメだ……ありがとう……っていてて……俺の顔どうなってた? 目は大丈夫だった?」
「眼球には当たってないみたいなので大丈夫でしたよ。おでこの辺りと頬の辺りが切られてました……私のせいで……本当にごめんなさい……」
ネージュはボロボロと泣き出してしまった。その涙は仰向けになっているマサキの顔面に雨の如く降りかかる。
「ネージュのせいじゃないだろ。全部あいつらのせいだ。あの盗賊団の……だから泣かないでよ」
マサキは先ほどまで地面を殴っていた左手でネージュの垂れたウサ耳を優しく撫でる。
そしてマサキはゆっくりと立ち上がろうとする。マサキが立ち上がるのに合わせてネージュも立ち上がる。ネージュは涙を乱暴に拭って立ち上がるマサキの体を支えた。
「いっ…………」
「だ、大丈夫ですか? まだ立たない方が……」
「ちょっとだけ痛いけどなんとか……嘘。すごい痛い……でもネージュがぐるぐる巻いてくれたおかげで痛みは少ないよ。ありがとう。それよりもあの盗賊団の姿が見えなくなった……追いかけても無理だよな……」
盗賊団の背中は完全に見えなくなっている。しかし乗り物から出される音だけは忌々しくも二人の耳には届いていた。
「そうですね。仕方ないですよ。これから防犯の強化をしていきましょう。それよりも早く家に戻って治療しましょう。ばい菌が入ったら大変ですから」
「そう……だな……」
落ち着きを取り戻したマサキだが頭の中でネージュを侮辱した言葉が消えてくれない。何度も繰り返されて忘れさせてくれない。
なぜこんなにも美少女のネージュがあんな屈辱的な言葉を受けなくてはいけないのか。
そして平和な世界だと言われていたのにも関わらずなぜあんな盗賊団がいるのか。
マサキは何度も繰り返される言葉を忘れようとするために別のことを考え始め紛らわした。
その瞬間、再びネージュの顔がマサキの顔に近付いた。そしておでことおでこがまた合わさった。
考え事をしていたマサキはおでこが合わさるまでネージュの事が見えてなかった。なので再びおでことおでこを合わせたことに対して驚き一瞬で顔が赤くなった。
「ど、どうしたの?」
「なんでもありませんよ。ただ暗い顔をしていたので……」
「そ、そうか。ありがとう……ってネージュ、スカート破りすぎてパンツ見えちゃってるよ!」
「み、見ないでくださいよ。し、仕方ないじゃないですか! うまく破けなかったんですから!」
ネージュのスカートはパンツが丸見えになってしまうほど大胆に破けてしまっていたのだ。
ネージュは顔を赤らめながら右手でパンツを隠しマサキに背を向けた。
マサキもネージュのパンツを見ないように目を逸らす。
「応急処置、あ、ありがとうな……そ、その……新しい服……買ってあげるよ」
「よ、よろしくお願いします……こ、こちらこそ助けてくれてありがとうございます」
照れる二人。そんないいムードの時、二人の耳にダールの声が届いた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
前回から登場した盗賊団について。
盗賊団は異世界転移したマサキとは違いこの世界の住民です。
しかし日本人と同じく日本人の名前です。
今後登場人物紹介でも紹介すると思いますがここでも紹介します。
盗賊団三人の男の名前はアンドウ、ホンザワ、タンダです。
安本丹な三人です。




