49 透明な兎人ちゃん
クレールは今までの経緯全てを話した。赤裸々に全てをだ。彼女が全てを話したのはただの気紛れか。否、気紛れではなかった……
クレールの両親は共にネザーランドドワーフの血筋。小柄でクレールの左耳のように小さなウサ耳が特徴的だ。しかしクレールには顔の右半分を覆い隠すほど大きなウサ耳があった。
両親は娘の大きなウサ耳を『悪魔だ』『呪いだ』『災が起きる』『不吉の象徴』などと言って気味悪がっていた。
なぜなら極端に非対称のウサ耳を持つ兎人族は『悪魔が宿る』という三千年前の伝承が今も根強く残っていたからだ。
そして四歳という若さでクレールは実の両親に殺害されそうになる。もちろん大きなウサ耳が原因だ。
必死に抵抗したクレールは傷を負いながらも自分を殺そうとする両親から逃げることができた。
傷は外傷のみではなく心にも大きな傷を負ったのだ。
その後、クレールは兎人族の国中を歩き回った。そして体力の限界がきて倒れた。
死にかけのクレールを助けたのは、白い髪で深い青色の瞳を持つ兎人族の少女だった。その少女は聖騎士団の団員だった。この聖騎士団の団員に助けてもらわなければクレールは確実に死んでいた。
聖騎士団の団員に助けられた時のクレールには名前がなかった。家から逃げるのと同時に名前を捨てたからだ。
名前がないと不便という理由から『クレール』という名前を聖騎士団の団員が名付けた。ファミリーネームはない。ただのクレールだ。
その後、クレールは聖騎士団の紹介もあって人間族の国が運営する孤児院に引き取られる。そこにはクレールと同じような境遇の多種族の子供たちがいる。
孤児院で人生を変えられると思っていた幼い頃のクレールだったが、別の意味で人生が変わってしまった。
クレールは同じ境遇の子供たちからのいじめの対象に選ばれてしまったのだ。
理由は明白。顔の右半分を覆い隠すほどの大きなウサ耳が原因だ。
人間族の職員やクレールと同じ兎人族の職員は、表向きにはクレールのことを引き取ってくれのだが、実際のところクレールのことを良い目では見ていない。
国が運営するだけあって周りの目が一番に気になっているからだ。
悪魔が宿ると言われているウサ耳を持った少女を誰が良い目で見るのだろうか。両親ですら殺そうとしたほどだ。誰も愛してはくれない。
孤児院に引き取られ、いじめられる地獄のような日々が続いていた。そんなクレールは五歳の誕生日に『透明スキル』を突然使えるようになった。
元々持っていたスキルだったのか、神様が授けてくれたのか、はたまた悪魔の力なのか、クレールには分からなかった。けれどクレールには救いの力だったのだ。
その透明スキルを利用してクレールは孤児院を抜け出し、国中を歩き回ることとなる。
人間族の国から鹿人族の国へ。鹿人族の国から故郷の兎人族の国へ。
クレールは小さな体で死に物狂いに歩き回り食べ物や住処を探したのだ。
五歳の少女が生き抜くためには透明スキルを屈指し盗みを働くしか方法がなかったのだ。食べ物はもちろん衣服も全て盗んだもの。何一つ自分で稼いで手に入れたものはない。
姿を現してまえば顔の右半分を覆い隠すほどの大きなウサ耳が現れてしまう。両親が自分を殺そうとしたきっかけを作ったウサ耳。孤児院でいじめの対象になるきっかけを作ったウサ耳。
そんなウサ耳を見られたくないクレールは人前では姿を見せることはなかったのだった。
平和に思えた世界。しかしその影では今でも苦しむ人々がいる。その苦しむ人々の一人が兎人族の少女クレール。
苦しく暗い明日しか見えない生活を送り続けたクレール。原因は全て顔の右半分を覆い隠すほど大きなウサ耳だ。
クレールはこの『悪魔が宿る』という伝承があるウサ耳を切り落とそうと何度も考えていた。
盗んだナイフで何度も大きなウサ耳に刃を向ける。しかしそれ以上は手が止まってしまって動かない。幼い少女にはそんな勇気はなかった。
透明スキルのおかげで盗みは上達する。上達すればするほどもう元には戻れない。そもそも悪魔が宿るという伝承があるウサ耳を持っているせいで普通の生活に戻れることは一生ない。
こんな生活をやめてちゃんとした生き方をしたい。目を瞑れば毎日のように叶わない夢のようなことばかりを考えるようになっていた。
それから年月は過ぎ兎人族の里の中心から離れた場所に無人販売所という販売所が開業すると知る。
その名の通り無人の販売所だ。無人ということからクレールはそこを拠点にしようと考えた。
それがマサキとネージュが経営する『無人販売所イースターパーティー』だ。
次の拠点はここ。バレるまでここで生きるために盗みを働く。いつもと同じ。何も変わらない。クレールはそう思っていた。
しかし一文無しのマサキと貧乏兎のネージュの二人が一生懸命に仕事に取り込む姿を見てクレールの考えは変わった。
クレールにはマサキとネージュが輝いて見えたのだ。それに憧れてしまい盗んだことに対して罪悪感が芽生えてしまう。
その罪悪感をかき消すために兎人族の森でニンジンの収穫を手伝っていたりした。しかしそれだけだ。姿を表せない以上下手に動くことはできない。
そして背に腹は変えられない。芽生えた罪悪感から収穫したニンジン以上に店の商品を盗んで食べてきたのだ。今までだって償えないほど盗んで食べてきた。だからクレールは生きるために盗みを続ける。
生きるため。バレれば拠点を変えるだけ。それが当たり前だった。
そして今、マサキとネージュにバレてしまった。今まで通り逃げればいいものの透明化になれずに逃げられない。
クレール自身こんな状況は今回が初めてなのである。
だからクレールは赤裸々に全てを話した。気紛れで話したのではない。話すしかなかったのだ。
そしてもう一つ話したくなった別の理由がある。
それはマサキだ。ウサ耳を可愛いと褒めてくれたマサキになら全てを話してもいいと思ったからだ。
(クーの耳……クーを苦しくて寂しくて辛い思いをさせた耳……この悪魔が宿るウサ耳を可愛いって言ってくれた。だからこの人間の男……になら話してもいい。そう思った。だから全部話した。もう笑われてもバカにされても怒られても何されてもいい。一回でもクーのこの耳を可愛いと言ってくれたから……それだけで救われた気がした……だからクーはもういい……もう生きるのに疲れたよ……)
全てを赤裸々に話したクレールの紅色の瞳はうるっと輝き一粒の滴が流れ落ちる。その滴は右目から流れ落ちたものだ。
大きなウサ耳に隠れていて滴が流れ落ちたことをマサキとネージュは気付けない。本人にしかわからない涙だ。
先ほどウサ耳を褒めてくれたマサキの言葉以外で初めて大きなウサ耳で良かったとクレールは思った。
「もう全部話したぞ……あとは好きにして……クーはもう生きるのに疲れたよ……」
俯いていたクレールは顔を上げてマサキとネージュの顔を見た。過去の話をしている最中は一度も見なかった顔だ。
顔を見なかった理由は、笑われたりバカにされたりすると思っていたからだ。そんなことは表情を見ればすぐにわかる。だから話を最後まで続けるために二人の顔は見れなかったのだ。
話が終わって二人の反応をクレールは見たくなったのだ。だから恐る恐る顔を上げて二人の顔を見たのである。
もう笑われてもバカにされてもいい。そんな覚悟で、黙って話を聞いていた二人を、クレールの輝く紅色の瞳に映したのだ。
「うぅ……ぁぅ……ぐすっ……ぁあぁぁぅ……」
「ぅぅ……あぅ……ぐすっ……ああぁぁう……」
二人は抱き合いながら泣いていた。同じような啜り泣きで同じようなリズムで泣いている。違いがあるとすれば声の大きさくらいだろう。
クレールの話に感動し泣いてしまったのだ。
「……ぅう……がんばりましたね……クレール」
「よくここまでがんばった……ぁぅ……」
二人はクレールを励まし哀れむ。その反応にクレールは困惑していた。
(な、なんで……なんでクーよりも泣いてるの……なんでこんなに……こんなにクーを励ますの。クーは悪いことしてきたのになんで……店の食べ物だってずーっと食べてたのに……なんで……)
困惑するクレールの紅色の瞳が再びうるむ。先ほどよりも強く輝いた。右目からも左目からも大粒の涙が大量に溢れるほど。
「うぅ……クーは……クーは……ずっと……ずっと……一人で……うぅ……ぁああぅ……」
何を言っているのだろうか。そしてなぜ涙が流れているのか。クレールはさらに困惑する。しかし涙も言葉も止まらない。
「がんばったんだよ……みんなクーのこと……嫌いだから……ぅう……クーは邪魔だから……だから一人で……ぅぅ……あぁああっ……ぐすっ……が、がんばったんだよ……ぅうぅぅ……」
過去の話をした反動か。想像もしてなかった相手の反応を見た反動か。クレールの感情が制御できなくなってしまった。
今まで堪えてきた涙も弱気な心も全て自然と出てきてしまう。息を吐くように全て出ていく。無くなるわけがないのに出ていく。出ていく。止まることがない。
見た目相応に素直になったクレールを見てネージュは腕を広げて一言。
「……おいでクレール」
その言葉をクレールに向けて言ったのだ。
鈴のように心地よい声。何もかも包み込んでくれる細くて優しい腕。全てを癒すような微笑み。
クレールが最も欲しているものをネージュが今、与えようとしている。
クレールはネージュに飛び込もうとした。しかし足が体が止まる。
こんな自分が飛び込んでしまっていいのだろうか。飛び込んだら普通に生きる兎人のように生きていけるのだろうか。またあの頃のような苦しい日々が待っているのではないだろうか。
クレールの頭の中に様々な葛藤があった。だから飛び込めない。同情されただけでやってきたことが許されることではないとクレール自身知っているからだ。
「ぅあ!?」
そんな時、クレールが声をこぼした。体を何かに掴まれて押し倒されたのだ。
葛藤していたクレールは気が付かなかった。自分以外の透明な兎人にでも掴まれたのかと思うくらいに突然の出来事だったのだ。
「ぅぅ……」
潤んだ紅色の瞳で前が見えない。なぜ押し倒されたのか。体にのしかかる重みの正体はなんなのか。何度か瞬きをして潤んだ瞳を乾かし正体を確認する。
「お、おねーちゃん……それに……人間の……」
クレールを押し倒し上にのしかかっている重みの正体は、先ほどまで床に座り泣きじゃくっていたマサキとネージュだった。
胸に飛び込むのを躊躇っていたクレールを待ってられずに二人が同時に飛び込んだのだ。そして勢い余って押し倒す結果になってしまった。
そんな二人はクレールを抱きしめながら泣いていた。
「うぅ……ぁぅ……おうおぅ……ぐすっ……ぁあぁぁぅ……ク、クレール……ぁぅ」
「ぅぅ……あぅ……ぐすっ……ああぁぁう……クレール……クレール……ぅぅ……」
当の本人よりも泣いてしまっているのだ。情緒不安定にも程がある。二人はクレールのボロボロの布に容赦無く鼻水と涙を擦り付けている。
しかしその涙も温もりもクレールにとっては忘れていた感覚だ。むしろ忘れていたのではなく初めて感じた感覚だったかもしれない。
両親に殺されかけて孤児院では虐められていた。そんな少女が初めて感じる温もり。そして初めて出る感情もあった。
「ぅぅ……ごめんなさぁあぁぁぁい……ぅう」
それは今までのことに対しての謝罪の感情だった。
両親の愛情を知らない。だからこそ素直になれず必要な感情以外を心のビンに入れて頑丈にフタを閉めていたのだろう。そのフタが二人の涙と温もりで空いたのだ。
心のビンに入れていた感情は本人の知らないところで大きく膨れ上がっていた。ビンの体積以上の感情の量。クレールの小さな体では抱え込めないほど大量だ。
「ごめんなさい……ごめんなさぁああああい。ごめんなさい……ごめんなさぁぁぁい」
「やっと……やっと素直に謝ってくれましたね」
謝罪の言葉を繰り返すクレールの頭を左手で優しく撫でるネージュ。頭を撫でらたのもクレールにとって初めてのことだったかもしれない。
そのままネージュの優しく小さな左手は全ての元凶でもある大きなウサ耳を触れた。
「よしよし」
上から下へとゆっくりと何度も繰り返し撫でている。嫌がることも気味悪がることもせずに優しく慈愛に満ちたように大きなウサ耳を撫でている。
そんな優しさに耐えられずクレールは泣き叫んだ。
「うわぁあああああんっ……うぅあぁああああああああんっ……」
子供のように泣き叫んだ。
「うんうん。がんばりましたね」
クレールが泣き止むまでネージュはウサ耳を撫で続けた。マサキの手を握り心を救った左手。その左手は悲惨な過去を背負った少女の心も救ったのだ。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
兎人族の国キュイジーヌはフランス語で厨房や台所、調理をする場所という意味があります。
そして料理という意味もあるのです。
シェフ・ド・キュイジーヌという料理用語もあってそれは総料理長を表します。
なので国の名前にいいかなと思いつけました。
兎人族の国はキュイジーヌ
兎人族の森はアントルメティエ
兎人族の里はガルドマンジェ
兎人族の洞窟はロティスール
です!




