36 八百屋に行こう
マサキとネージュは無人販売所で提供する商品の食材を購入するため目的地に到着していた。
兎人族の里で一番大きいショッピングモールではなく、こじんまりとした個人経営の八百屋だ。
なぜ里一番のショッピングモールではないのか。理由はただ一つ。客が少ない……否、全くいないからだ。
人間不信のマサキは人混みを嫌う。
人混みに紛れてしまうとどうしても他人の声が耳に入ってしまう。『悪口』『陰口』『皮肉』『誹謗』『中傷』などが聞こえてしまうのだ。
それがマサキの弱い精神が作り出した幻聴で被害妄想だとも知らずに聞こえてしまいマサキの心の闇を刺激する。
だからマサキは人混みを嫌う。質の良し悪しや品揃えよりも優先して客の多寡を考えてしまうのである。
恥ずかしがり屋のネージュも似たようなものだ。人混みに紛れてしまうとどうしても他人の視線が気になってしまう。
見られていないのに見られている感覚。人が多ければ多いほど、その分の視線を感じて縮こまり羞恥から余計なことを考えてしまい体が小刻みに震えだしてしまうのだ。
恥ずかしがり屋だからこそ誰よりも視線が気になってしまう。だからネージュもマサキと同じく人が少ない店をなるべく選択するようにしているのである。
そんな二人だからこそ真っ先にこじんまりとした八百屋に足が向かったのだ。
二人が訪れた兎人族の里の八百屋も他の店や家と同じく大樹の中に設営されている。
違う点を指摘するのであれば扉が無く外からでも商品が見渡せるというところだろう。このように扉がない外観は日本でもよくある八百屋と同じだ。
古き良きスタイル。八百屋らしい外観なのである。
「子供の頃に行った駄菓子屋とかもこんな感じだったな……なんか懐かしい……」
八百屋の雰囲気から幼少期を思い出すマサキ。懐かしさに胸がキュッとなる。
「ダガシヤ? ここは八百屋さんですよ」
「わかってるよ。店のたたずまいというか雰囲気が似てるなって思ってただけ……てか駄菓子屋ってこっちにはない?」
「ん〜、聞いたことありませんね」
ネージュの反応を見るに駄菓子屋という言葉はこの世界にはないらしい。
駄菓子屋という名前ではなくてもお菓子の専門店なら存在するかもしれない。もしくは兎人族の里にだけそういった類いの店が存在しない可能性もある。
駄菓子屋について会話をする二人は、八百屋の正面にある大樹の裏に隠れている。人間不信のマサキと恥ずかしがり屋のネージュ。精神不安定コンビの通常運転だ。
傍から見たらただの怪しい二人組……否、手を繋いでいるのでただの怪しいカップルだと思われるだろう。
マサキは八百屋の看板をじーっと見ている。目を細めながらじーっと。日本語ではない異世界の言葉で書かれている看板の文字をじーっと見ているのだ。
独学とネージュに教えてもらいながら学んでいる異世界文字を読もうと……否、解読しようとしているのである。
「……八百屋の看板に書かれてる文字は……ア……オ……かな? アオで合ってる?」
看板の文字を読み終え答え合わせをネージュに求める。ネージュは子供の成長を喜ぶ母親のような表情で口を開いた。
「すごいです。すごいですよマサキさん。アオで合ってますよ。少しずつですが読めるようになってきたんですね。さすがマサキさんです。偉いですよ〜」
マサキの黒髪をわしゃわしゃと撫でるネージュ。マサキは嫌がることなく撫でられ続けた。
「合ってた。俺、だんだん読めるようになってきてる。嬉しい。英語とか苦手だから不安だったけどやればできるもんなんだな……」
「……エイゴ?」
「あ、こっちの話し。読めなきゃこの先、生きていくの大変だろうからさ。もっと勉強するわ。でもさ、なんで八百屋の店の名前がアオなんだ?……アオって聞いたら色の青が真っ先に思い浮かぶんだけど……」
八百屋の名前の由来を考え始めたマサキ。一度気になってしまったらその事にばかり思考を回してしまうのがマサキの悪い癖だ。
「あお、アオ、青、AO……あお〜、アオ〜」
イントネーションを変えながら呪文のように唱え続けている。
「普通に考えて『青物屋』の青から取ったのかな……それ以外思い浮かばんし。まあ、名前の由来なんてどうでもいいか。ちゃんと文字が読めるか確かめたかっただけだしな。あんまり無駄なことに頭を回すのはよそう……うん。そうしよう」
異世界文字が読めるかどうか試しただけであって店の名前の由来までも考察する必要はない。
マサキは気になり始めた店名の由来について勝手に『青物屋』の青から取ったものだと解釈し考察を終えた。
そして八百屋で食材を買うための作戦会議のようなものが開始した。
「いいかネージュ。なるべく新鮮で大きいのを選ぶんだぞ。それと点対称だ。中心から見てデコボコしてない綺麗な形のやつを選ぶんだぞ。それが一番味がしっかりしてて美味しいはず」
「そ、そうなんですか。知らなかったです。すごい詳しいんですね」
「ああ、居酒屋で働いてた時に野菜とか果物を買わされた時が何度かあってな……そん時にこっぴどく言われたから……まあ、その人は物知りアピールをしたかったんだろうけどさ。忘れたくても忘れられん。あの先輩のドヤ顔を……」
居酒屋時代の記憶が蘇るマサキ。もっとも思い出したくない時代の記憶だ。
記憶は無情にもその時代のトラウマなども蘇らす。マサキの顔色はどんどんと青白くなっていく。
そんな顔色の悪いマサキを見てネージュが話題を変える。なんとも気の利いた美少女だ。
「あっ、えーっと……ニンジンさんをどのくらい買いますか?」
「そ、そうだな……全部。置いてあるもの全部買いたい。ってのが本音なんだが、大量購入は他の客に迷惑だよな。ましてや買い占めるなんて……店主に『買いすぎだろ』とか『こんな大量に買って何に使うんだ』とか『どんだけ好きなんだよ』みたいなこと思われるの嫌だし、俺たちのせいで他の客がニンジンを買えなくなって変な目できてきたり悪口とか言い出してきたりされるのも嫌だよな……」
「そ、そうですね。それに大量購入は普通に買うよりも恥ずかしいです。買い占めはもっと恥ずかしいです」
「だな。よし、半分くらいにしておこう」
これは妥協ではない。二人にとって無理のない選択だ。
大量購入して変な目で見られるリスクよりも在庫の半分だけ購入して普通の客を装った方が二人にとって都合が良いのである。
ネージュも大胆な買い物は苦手なのである。
「あとは使えそうなものがあれば買おう。今の俺たちにはお金があるからな」
「少ししかありませんけどね……大切に使いましょう」
二人の手元には無人販売所のオープン初日の売り上げ一万四千ラビがある。本来ならもっとあったはずだが、過ぎてしまったことは仕方がない。
それに一文無しのマサキと貧乏兎ネージュにとって一万四千ラビでも大金だ。
マサキとネージュは、初めてお使いを頼まれた子供のように少しだけ心が弾んでいる。
「よし、そうと決まれば行くか。そんでささっと買い物してささっと帰ろう」
「はい! そうしましょう!」
マサキとネージュは同時に深呼吸をした。タイミングを合わせようとしなくても自然とタイミングがあう。呼吸だけに阿吽の呼吸とでもいうのだろうか。
そのまま息を合わせて大樹の影から一歩踏み出し正面に見える八百屋へと向かった。普段歩くよりも大股で歩いている。一歩また一歩進むたび速度が上がる。
それほど買い物を楽しみにしているのだ。
そしてあっという間に野菜や果物が並ぶ八百屋の正面に立った。
一つ先の大樹の影から見ていた光景とはまるで別物。新鮮な野菜や新鮮な果物には水滴が付いており、その水滴が輝きを放っている。
野菜と果物からの輝きが自分を買えと激しく主張しているようにも見えるほどだ。
さらに八百屋の奥には冷蔵ショーケースがある。八百屋の正面に立ったことで新たな発見があったのだ。
「ささっと買い物をするつもりだったけど長くなりそうだな」
「商品がたくさんありますね」
マサキとネージュは店内の品揃えに驚きながら店の中へと入っていったのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
八百屋の名前はアオです。
マサキは店の名前の由来を青物屋からとったと予想しましたが違います。
アオは店主の名前です。
次回その店主が登場します。お楽しみに!




