第九十話 誰も彼もが
現れたのは伯爵の娘であるメスカとその先生であるジュリアだった。それを見てまず初めに伯爵が反応する。
「マハエル! 一体これはどういう事なんだ!」
「どうもこうも今回の一件について説明する為にメスカ嬢は欠かせない人物だからこの場に招待したまでですよ」
飄々とした態度でマハエルは伯爵からの詰問に答えている。口調こそ俺と話す時よりも丁寧だが、それが表面的意味しか持たないのはその態度から見ても明らかだった。
現に、
「伯爵がある人物からの勧めに従って俺にメスカ嬢の声を奪うのを許可したって事については、まだ彼女は知りませんのでその点に関してはご安心を」
「マハエル!!」
と伯爵が遮る前にしてしまう。これで何を安心しろと言うのか。
「大丈夫ですよ。それを知られても何も問題はないからその点に関してはご安心を。なにせ彼女もそれを責められる立場ではありませんし、そもそもイチヤ達以外のこの場に居る奴らは全員が同罪みたいなもんですからね」
だがマハエルはまた妙なことを口走る。相も変わらずどこから来ているのか分からない妙に自信満々な様子で。
そしてこの一連の会話を聞いたメスカは驚愕の表情で息を呑む。だがその驚きは俺が思っていた種類のものとは些か以上に異なっていた。それは次に呟いた彼女の言葉からも明らかである。
「「ある人物からの勧め……という事はまさか、お父様もあの方とお会いになられていたのですか?」」
「私も、だと?」
ここに来て歯車が噛み合っていない事に気付いた二人は呆然とした様子でマハエルに視線を向ける。相変わらずの圧力で体を動かせない俺もそれは同じだ。
そしてその視線を待っていたかのようにマハエルは全ての真実を語り出した。その視線をこちらの方に向けて。
「事の発端はメスカ嬢が『歌姫』としての悩みを持ち始めたことだ。それによってメスカ嬢が歌の練習に身が入らなくなったのはこの場に居る誰もが知る事実であり、それを知って憂いたとある人物が存在した。このままでは折角の才能を持つ若者が潰れてしまうかもしれない、と。その者の名前は【歌姫】。伝説とされる人魚族の『歌姫』さ」
この時点で俺達は驚きなのだが、伯爵やメスカは知っていたのか驚いた様子はない。
「憂いた【歌姫】は一つの決断を下した。このままグズグズと悩んで才能を腐らせるよりは無理矢理にでも決断させた方が本人の為だろうと。だから【歌姫】は俺にメスカ嬢から声を奪わせた。失ってこそ大切だと気付けるかもしれないって考えてな」
それを聞いても驚かない二人だったが、次の言葉でその表情も崩れる事となる。
「俺が声を盗む為にはどうにかしてメスカ嬢本人に近付かなければならない。その為には潜入を手助けしてくれる協力者が必要だった訳だが、そこで【歌姫】はある一手間を加えた。それ即ちメスカ嬢本人と伯爵、それぞれに内密の話として計画を持ちかけた事だ」
事実なのかと二人の方に顔を向けるとメスカ嬢が躊躇いながらも頷いて話し出す。
「「……それは確かに事実です。と言っても私は【歌姫】様に「このままどうするか決められないのなら私に任せてみる気はないかしら?」と言われたのでお願いした形です。ただまさか声を盗まれるとは思ってもいませんでしたが。ここに来たのもその事について話があるとジュリア先生に案内されたからです」」
それはつまりジュリアもマハエルと同じく【歌姫】の命令で動いていたということか。そう思って視線を向けるとニッコリとこの場に合わない柔和な笑みを返される。その態度にはある種の余裕さえ感じられた。
「……私も似たようなものだね。ただし私は声を盗む事も聞いていたし、彼女が本物かどうかは入念に確認した。そしてその結果が間違いないと確信できたからこそ頼んだんだ。かの伝説の『歌姫』と名高い【歌姫】なら娘の現状をどうにかしてくれるのではないかと思って」
そうして【歌姫】の計画通りに事は運び、マハエルは無事にメスカから声を盗み出した。互いに気付いてはいなかったとは言え、本人と伯爵が協力していたのだからむしろ失敗する方が難しかったことだろう。
「そんでもって本来ならメスカ嬢が決断できるまで【歌姫】は盗んだ声を所持した状態で伯爵が用意した別宅に待機……のはずだったんだが」
「ああ、情けない話だが万が一の時に備えて厳重に見張りなどを付けていたというのに見事に巻かれてしまったよ。「少しばかり外出させていただきます。期日までには戻るから心配しないでください」なんて置手紙を残されてね」
俺に【歌姫】との接触が図れないか尋ねたのもそれが原因だったとのこと。自分が関わっている手前大っぴらに探す訳にもいかず、さりとてそのまま期日まで放置する訳にもいかない状態での苦肉の策だったらしい。
それでどうにか【歌姫】と連絡が取れればという。
「要するに今回の件で純然たる被害者なんていなかった訳さ。なにせ声を盗まれた伯爵令嬢本人やその親である伯爵でさえ加害者と言えなくもないんだからな」
今回の事件に関わった主な人物達は誰も彼もが潔白ではなかったというのだから笑えない。そんな妙な事に振り回される結果となった俺からしてみれば特にだ。
「それでその姿を晦ました【歌姫】は一体どこへ行ったんだ? お前の口振りだとそいつが真犯人で声も持っているんだろう?」
「そうだ。結局のところあの方が姿を見せてくれないことに話にならない。娘の声もあの方が持っているのだから」
事の経緯については分かったが結局のところ肝心の黒幕がいなければ話が進まない。伯爵も同意したその言葉にマハエルはひどく呆れたように溜息を吐くとわざとらしく肩を竦める。
「おいおい、察しが悪いな」
「何だと?」
それはどういう意味か問おうとしたところでふと未だに微笑んでいるジュリアの顔が目に入ってきた。
その瞬間、俺はハッとした。
自らの思い違いに気付いたのだ。
「イチヤは分かったみたいだな。そう、実は今回の黒幕は盗んだ物を所持した状態で被害者の傍にずっと居たのさ。なあ。伝説の歌姫さん?」
その呼びかけに答えたのはこれまでずっと笑みを浮かべて一言も話さなかったその人物だった。ただしその声はこれまで聞いていたものと完全に別物である。
いや別次元の物であると言うべきか。
《あらあら、ようやく見つけてくれたようね》
その声を聴いた瞬間に俺は理解する。否、理解する以外になかった。
なにせその短い言葉でさえ、あまりの美声に意図せず茫然としてしまったばかりか体も硬直してしまったからだ。それはソラやロゼ、伯爵達も例外ではない。マハエルでさえ思わずといった様子で体をブルっと震わせていた。
ただ一言だけでこれなのだ。彼女が本気で歌えばどうなるのか想像すらできない。
《さてと、改めまして自己紹介させていただきます。「未知の世界」の一員にして、なおかつ今回の騒動の黒幕でもあり、ついでにそこのマハエルの雇い主でもある【歌姫】ことジュリア・コーリセル・エーデルハイトです。この度は私のわがままに付き合わせてしまってごめんなさいね》
そうやって茶目っ気のある笑みを浮かべた彼女だったが、それを見ても俺達が得た感情は畏怖そのものであった。




