第八十四話 マハエル
宿に戻った俺を出迎えてくれた中にロゼとソラ以外の見知らぬボサボサ頭の男が何故か存在した。
「誰だ、此奴は?」
情報提供者かと思ったが縄でぐるぐる巻きにされて捕えられているところから察するにそれだけではないようだ。
少なくともソラもロゼも警戒している様子から見てただの相手ではないと見るべきだろう。
そして次の瞬間にはその答えを他ならぬ本人が口にした。ノリノリで。
「その質問には答えようじゃないか。名前はマハエル。お前が探している伯爵令嬢の声を奪った実行犯とはこの俺の事さ」
「……へえ、それはそれは」
伯爵は今回の一件をまだ一般には公開していない。それをしてしまえば警備を潜られたことを明らかにすることになるし、なによりすぐにまで迫っている結婚式とやらにも影響を及ぼしかねないからとか。
だからこの情報を開示されているのは限られた一部の人間だけであり、だからこそそれを知っているこいつは単なる一般人では決してあり得ない。
「もし仮にそうなら何故ここに居る? ロゼ達に捕まったのか?」
「いいや、事情があって俺の方から情報収集中の二人に声を掛けたのさ。実行犯は俺だって。なあ?」
ロゼ達に聞くとそれは本当の事であり、捕えようとした時も特に抵抗はしなかったとか。
「すぐに伯爵家に引き渡そうかとも考えたんだけど、本当にこいつが犯人かどうかまだ確証がないから一先ずここに連れてきたの。イチヤともどうするか相談したかったし」
「俺としてもあちらさんに突き出される前にお前と話がしたかったから助かったよ。というよりお前さんと会う為にわざわざ捕まってやってるんだが。そうじゃなきゃこんな拘束なんてさっさと解いてとんずらしてるっての」
仮にこいつが犯人だとしたら伯爵家に潜入を成功させたことになる。それを考えればこの程度の縄など拘束にもならない可能性は非常に高かった。この余裕綽々とした態度から考えてもそれは間違いないと思われる。
「それでわざわざ捕まってまで俺に何の用だ?」
「取引にきた。っとその前にまず聞いておきたいんだが、この件から手を引く気はないよな?」
「愚問だな」
引き受けた以上は余程の事が無い限り手を引く気はない。
「まあだろうよ。それならさっき言った通り取引といこう。まず前提条件として俺は確かに伯爵令嬢から声を奪った」
「その証拠は?」
「ん」
そこでマハエルはソラの方を顎で指す。するとソラはハッとした様子で自らの喉辺りを抑えた。そして口パクするように唇だけを動かしている。
「ほら返すよ。だからそう睨むなって」
それを見たことで咄嗟に向けた俺の警戒と敵意の視線を感じ取ったのかマハエルがそう言うと、
「イチヤ様! あれ、戻った?」
まるでミュートを解除したいかのようにあっさりとソラの声が元に戻る。こんな物を見せられてはどうやら信じるしかなさそうだ。
「それで、お前の要求はなんなんだ?」
「理解が早くて助かるよ。まず俺を捕えている事を貴族側には漏らさないこと。その代わりと言ってはなんだがこの約束が果たされる限り、俺は大人しく逃げずにお前達に捕まったままで居よう。ちなみに別にこれは破っても構わないが、その時俺は逃亡させてもらうからそこんとこ宜しく。勿論外傷を与えるとかもなしだぞ。痛いのは嫌いだしな」
その上で奴は不敵にも俺達に挑戦状を叩き付けてきた。
「さっき実行犯は俺って言った時点で薄々は察しているだろうが、この事件にはもう一人の犯人がいる。というかそいつこそが真犯人と言うべき奴で、俺はあくまで使い走りみたいなもんさ。そしてその真犯人が今も俺が奪ってきた声を保管しているからお前達にはそいつを見つけ出して貰おう。俺の出すヒントを手掛かりにな。なお期限は例の結婚式までだ」
「……何故お前はそんな事を言い出す? 何が目的だ?」
「んな事教えるわけないだろ。でもそうだな、俺もそいつもただ単に『歌姫』の声が欲しかったからこんな事をした訳じゃないってだけ言っておこう。そこから先は自分で調べるこった」
「つまりそれ以外に明確な目的はあると?」
「教え過ぎな気もするがまあいいか。そうじゃなきゃこんな事しないさ。俺ももう一人の方もな。さてと、そろそろこの意味のない鬱陶しいのは外させてもらうぞ」
そこでマハエルはスルっと縄から抜け出して立ち上がる。一体いつの間に抜け出したのか目の前に居たのにさっぱり分からなかったくらい自然にだ。
「それでどうする? この勝負が嫌なら嫌でこっちは構わないぜ。あくまでそっちの勝ち目のない状況にチャンスを与えようってだけなんだからな、こっちはさ」
「貴様、黙っていればイチヤ様に対してどこまで無礼な口を!」
「ソラ、大丈夫だから落ち着け」
我慢の限界が来たのか沸騰しかけたソラを抑えて俺は考える。
わざわざ犯人だと名乗り上げてなお、これだけの自信があるのだ。恐らくはこのまま無策で探しても本当にこいつらの尻尾すら掴めない可能性が高い。現に今までだってそうだったのだから。
だとしたらこの誘いに乗らない手はない。例えそれが敵からのお情けだとしても。
最悪ここでは提案に乗る振りだけして後で貴族に教えればいいだけだし。
「一つ聞きたいんだが、俺が勝ったらどうするんだ?」
「そっちの言う事を何でも一つ聞くとしよう。大人しく捕まれと言うのなら捕まるって風にな。ああ、負けたら声は自動的に返すからそこは心配しなくていいぞ」
「こっちが負けたら?」
「特になし。強いて言うのならお前達は依頼を失敗して伯爵からの信頼を得られずに終わるってだけだ。どうだ、とんでもない好条件だろう?」
「ああ、あまりに良過ぎて胡散臭すぎるほどいな」
だがそれでも俺はこの提案に乗る事に決めた。虎穴に入らずんば虎児を得ずというような覚悟を持って。
二人にも了解を取ってその事をマハエルに伝えると、
「それじゃあ真実に繋がる最初の鍵についての情報だ。即ちそれは俺の天職が何なのか?それが分かればこの事件の概要が少しは判るだろうさ」
「一応尋ねておくが、それをここで素直に教える気はないんだな?」
「そこまで言ったら勝負にならないだろう?」
こいつはあくまでヒントを出した後は勝手に調べろというスタンスらしい。拷問して聞き出せないかと一瞬考えたが、縄抜けの感じからして逃げられる未来しか想像できない。俺もソラ達もそういうのが得意な天職ではないのだし。
ただこのままやられっ放しなのは癪なので、俺は最後に少しだけ反撃することにした。
「それじゃあお前は別の部屋に行け。ここは俺とロゼとソラの部屋だからな」
「へ? ……ちなみにその為の金は?」
「自分で払え」
明らかにこの部屋に居座る気満々だったので俺はあえて容赦なく切り捨てる。
わざわざこいつの為に新しい部屋を取ってやるのも、俺達の部屋に止めてやるのも御免だ。
「マジかよ……うわー予定が狂ったわ」
そうして結構本気で困った様子の奴が金を貸してくれないかと言ってきたのも俺は即座に却下してやるのだった。




