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天職に支配されたこの異世界で  作者: 黒頭白尾@書籍化作業中


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第八十三話 声を失った伯爵令嬢 メスカ

 改めて伯爵の屋敷を訪れた俺はジュリアの案内で伯爵令嬢メスカの部屋の前まで来ていた。


「お嬢様はこの度の事件の所為で精神的にもお疲れになっています。ですからどうかあまり負担を掛けないようにお願い致します」

「分かりました。ただ事件を解決する為にも聞くべくことは聞かせて貰いますよ」


 事情は分かっているからかジュリアはそれに頷くと中の令嬢に許可を取って扉を開ける。そうして通された部屋のベッドの上に上半身を起こした十代半ばくらいの少女がおり、こちらを真っ直ぐに見つめてきていた。


「「初めまして、私の名前はメスカと言います。ああ、父やジュリア先生から大体の話は聞いているのでそちらの自己紹介は結構ですよ。あなたが「未知の世界(アンノウン・ワールド)」と関わりを持つ冒険者のイチヤさんですよね」」

「ご察しの通りですけど、一体これは?」


 少女の口は動いていないのにどこからか機械的な無機質な声と称すべきそれがこちらの耳に響いてくる。


「「これは少し特殊な魔道具を使っているのです。元の声を再現するまでは出来ませんが、私の意思を声として発する事が出来るものを」」

「なるほど」


 ちなみにこれを作ったのは例の如くマリアとのことで、本当に何でも作ってしまう奴である。もっともそのマリアでさえ完全に元の声を再現する道具を再現するにはまた至っていないようだが。


(ただしあくまで「まだ」だけどな)


 いずれは作ってしまいそうな気がするのだけどそれは多分気のせいではないと思う。


 まあ今は少し先の結婚式までに声を取り戻さなければいけない以上はそのいずれを待つ訳にはいかないのだった。


「「それで私にお聞きしたい事とは何でしょうか?」」


 負担を掛けないようにと言われてはいるが、こればかりは誤魔化しても仕方ないので俺は覚悟を決めて尋ねることにした。


「まず初めに聞かせていただきたいのですが、メスカ様も声を取り戻したいと望んでいる。それに間違いはないですね?」

「「それは……はい、叶う事なら取り戻したいとは思っています」」


 少し気になる間があったが今はよしとしよう。どうせ嘘を言われても現状こちらにそれを確かめる術はないのだから。


「分かりました。それでですね、今回の事件を「未知の世界(アンノウン・ワールド)」のメンバーに相談した結果、単独での外部犯の可能性は極めて低いという事が分かっています」

「「それはつまり……内通者がいると?」」

「恐らくは。それでお尋ねしたいのですが、怪しい人物とかに心当たりは有りませんか? どんな些細な事でも良いんです」

「「申し訳ありませんが心当たりは本当にありません。ジュリア先生を含めてどの方も本当に良くして頂いてますし、万が一手引きをした人が居ても何か事情があったとしか思えません」」


 部屋に入って来た時から真っ直ぐにこちらを見つめるその僅かも揺るがない目を見る限りでは嘘を言っているようには思えなかった。


 同じ質問をしたジュリアも似たような反応をしていた辺り余程の信頼関係が結ばれているか、あるいは何かを誤魔化す為の面の皮の厚さが半端ないかだろう。


 もっとも俺の本命の質問はまだこれからなのだが。むしろ最初の質問はこの為の布石である。


「そうですか。そう言えばジュリアさんから聞いたんですけど、メスカ様は最近歌の練習に身に入らない様子が見受けられたとか。それについては何か理由があるんですか?」


 普通ならこんな伯爵令嬢を疑うような質問をしたら本人どころかジュリアを始めた周りの奴らが怒るだろうが、今回は前もってこの質問をすることの許可は取ってある。


 もっともジュリアは「それはあり得ない」と言っており、認めたのも渋々の様子だったことは想像に難くない通りである。


「「……確かに最近の私は迷い、そして悩んでいました。本当にこのままでいいのかと。その所為でジュリア先生には迷惑を掛けてしまっていた事も認めます」」


 部屋を訪れてから初めて目線を逸らして気まずそうにする態度を隠せないメスカ。その顔には何らかの迷いや躊躇いといった感情が浮かんでいた。そして同時に安堵した様子も微かに感じられる。


「「これまでの私は比較的早く『歌姫』という天職に恵まれたこともあり、それを十全に発揮できるように子供の頃からジュリア先生の指導の元で練習を積んできました。ですがこれまではそれを苦に思った事など一度たりともありません。何故なら私にとって歌や音楽は天職など関係なく大好きなものだったからです。ですから自分の将来について疑問に思う事さえありませんでした」」


 最後の言葉は過去形。つまり今はそうではないという事だ。


「「でも初めて自分だけで歌を歌う舞台に立つことになって、これから『歌姫』としての道を歩むことになると思った時、私はふとこう思ってしまったのです。本当にこのままでいいのだろうか、と」」


 稀少職(レアジョブ)の中でも上位とされる天職に貴族の令嬢という恵まれた立場。それらは全て自分自身の手で得た物ではなかった。ただ単に天や親から与えられた物でしかなかった。


 そんな自分が本当にこれからただ一人の『歌姫』としてやっていけるのだろうか?


 そんな疑問が頭を掠めてしまったのだとメスカは溢す。


「「いえ、もしかしたらそれさえも自分を誤魔化す言い訳なのかもしれません。結局、私は怖くなってしまったのです。これから『歌姫』になるに当たって、もし仮にその歌を失えば自分はどうなるのだろうか? 本当に自分はこのままでいいのだろうか? なんていくら考えても仕方のない類の悩みに対して」」


 天職とは自分が最も向いている能力や生き方などをこれ以上なく簡潔に教えてくれる。それが忌み職であろうとなかろうと関係なくだ。


 忌み職であればどうしてこんな風なのかと恨み絶望し、やがては無力感に苛まれるのだろう。そして大抵は諦めをもってその天職に添う道を歩むことになる。


 だが恵まれた天職だからと言って必ずしも歩む人生が幸福だとは限らないのだ。


 非常に高い価値があり、なおかつ逃す手はない天職だからこそその天職に添うようにしか生きる道を教えられず、またこれまで知らずに来たという目の前の彼女という例からも分かる通り。


「「ごめんなさい、ジュリア先生。私は声を失って、歌えなくなって本心から悲しいと思っています。叶う事なら声を取り戻したいとも思っています。だけどそれと同時に少しだけホッとしてしまっているのです。もしかしたら今のままなら自分が知らなかった、知ろうともしていなかった新しい生き方を見つけられるんじゃないかって。それが一人前になるべくずっと熱心に指導してくださった先生や周りの人を裏切ることになると分かっているのに」」

「そんなことお気になさらないでください。旦那様に雇われている立場上、私は声を取り戻す旦那様の方針に逆らう事は出来ません。ですが私個人としてはお嬢様が幸せになっていただければそれでいいのです。勿論叶う事なら本心から望んで歌っていただければ幸いではありますが、そうでなくとも構わないと思っていますよ」

「「ごめんなさい。そしてありがとう、ジュリア先生。……少し前までは伝説の【歌姫(ディーヴァ)】を目標にしているだけで幸せだったのにどうしてこうなってしまったのかしらね?」」


 それが先程の迷いと躊躇いと同時に安堵の感情が浮かんでいた理由。彼女は声を失った事で不幸になったと同時に幸福にもなるという矛盾した状態に陥っているのだ。だからこそ失った声を取り戻したいとすぐに言い切れないでいるのだろう。


(となると声を盗んだ奴はこのお嬢様の気持ちを理解していたからこそ犯行に及んだって可能性も有り得るのか?)


 そもそもただ単に貴重な『歌姫』の声を奪うことだけが目的なら後出しで犯行声明を送るのは理屈に合っていない。


 誤魔化せるのなら誤魔化してしまえばいいのだ。その方が捜索の手も緩むだろうし、少なくともあえて教えるよりは何もしない方が犯人にとっては都合がいいだろう。


(だというのに犯人は追手が増えるのを覚悟でわざわざ誰かが盗んだ事をあえて周囲に示すようにした。そこには何か意味がある?)


 ここからはそこら辺も考えてみた方が賢明だろう。どうもお嬢様の様子や悩みなどを聞くと、この件は単純ではない気がしてならないのである。


 そしてもしそうなら、単純にお嬢様や伯爵に恨みを抱いているとかが動機ではなくなってしまう。何故ならもし俺の仮説が正しい場合はこのお嬢様の事を慮ったからこそ、あえて声を盗んだと言うことだって有り得てしまうのだから。


(犯人の目的が何なのか。それを突き止めない事には始まらない、か?)


 その辺りで面会できる時間が来てしまったこともあり、俺は一旦自分が止まっている宿に戻ることにした。


 ロゼ達の方でも何か情報がないかと思っての事である。


 もっともこちらで得られた新たな情報は有益ではあったかもしれないが、だからこそ逆に容疑者が増えかねないということに若干頭を悩ませることとなってしまった。だから仮にロゼ達から情報があっても必ずしも状況が好転するとは限らない。


(それでも情報がなければどうしようもないからなあ)


 そんな思いで帰還した俺を待っていたのは思わぬ人物だった。


 何故ならその人物とはメスカの声を奪った事件の実行犯と名乗る人物だったからである。

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