第八十二話 伝説の歌姫(ディーヴァ)
数少ない『歌姫』の中でも唯一人だけ【歌姫】という使われる文字は同じでも別の呼び方で敬意を称される人物の正体はほとんど明らかになっていない。
分かっている事は何百年も神出鬼没ながらも世界のどこかで活動していること。それに『歌姫』の天職を極めている事と最後に人類種の中で最も長寿の種族の人魚族であることくらいである。
それ以外は顔も名前も未知というまさに正体不明というに値する人物だとジュリアは俺に教えてくれた。
そして、
「【歌姫】とコンタクトが取れないかって? 悪いけど無理だね。だって僕も彼女が今どこにいるのか分からないんだから」
ギルド経由で連絡が取れたマリアにもあっさりとそう言われてしまった。欠片も悪いと思っていないのがありありと分かるその笑顔で。
「どこに居るのか分からないってクランのメンバーの一人なんだろ? その口ぶりだと」
「どこからその情報を仕入れたのか気になるところだけどそれはさておくとして、確かに彼女は数年前のとある事件を境に「未知の世界」のメンバーの一人となった。だけど彼女は他のメンバーと違って基本的にクランに束縛されないって条件付きで加入している。だから僕達から命令はできないし、なにより連絡しても無視される場合が多い」
連絡が取れたらお願いするくらいなら請け負うがそれも確実ではないし、なによりいつになるか分からないと言われてしまった。そうなるとこの手段を当てにする訳にはいかない。
「それにしても声を盗む、か。仮にそれが本当だとしたらその盗人は中々興味深い天職を持っているようだね。『盗賊』程度じゃ不可能だし、少なくとも稀少職の中でもかなり強力な天職と見て間違いないだろう。叶う事なら生きた状態で、いや死体でも構わないからこっそり僕に引き渡して研究させて欲しいくらいだよ」
「悪いけど下手人は捕え次第あちらさんに引き渡すことになってるから前の時のようなことは無理だぞ」
声を取り戻す必要があるため下手人は可能な限り生かして捕えるように指示が出ている。
だから死体を量産して引き渡すなんてことはそうそう出来たりはしないのだ。生きた状態でなんて尚更である。
「まあ変に欲張っても良い事はないし、目下のところは【毒婦】の死体という研究素材で我慢するよ。それ以外でも【医狂い】の臓器交換って仕事も残ってるし。それで他に聞きたい事はないのかい?」
「それじゃあ下手人の目星について何か心当たりはないか? 正直に言って得られた情報が少な過ぎてどう動いていいのかも分からないんだよ」
一応ジュリアからの説明は受けたが、その中に有力そうな手掛かりはなかった。
(と言うよりある日の朝に目が覚めたら声が出なくなっていたってことくらいだからな。確実に言えることは)
それ以外は殆ど推測だというのだから頭が痛い話である。
令嬢の声が出なくなった時に調査をしたが何者かが侵入した形跡は皆無で、それだけ見れば下手人など存在しないと見るのが妥当な判断だ。
だが実際に伯爵家かかりつけの『医者』などが彼女の調べた結果、病気ではなく何からの呪いの類が掛けられているという可能性が浮上したのである。
そしてそのタイミングを見計らったかのように届いた「伯爵令嬢の声はいただいた」という犯行声明によってその下手人の存在がいるとなったというのがジュリアから聞いた今のところの話の流れだった。
「残念ながらこういうのが大得意な【腹黒女】は現状使い物にならないみたいだから、その代わりに言ってはなんだが僕がアドバイスをあげよう。と言っても君も薄々は勘付いているんじゃないのかい?」
「それは内部の犯行、もしくは協力者がいるってことだな」
「正解。貴族の屋敷、それも広大な領地を有する伯爵家の邸宅に、物理的魔術的に関わらず侵入者への対策が施されていない訳がない。そして普通に考えればそれらを全て一人で、それも一晩で突破するなんてまず不可能だよ」
念の為に侵入せずにそれらの結界などを掻い潜って声だけ盗める天職なんてものがあるのかマリアに尋ねたが、そんな事は『盗賊』の超上位互換とされる『怪盗』ですら不可能だと言い切られてしまった。
「その上に存在する盗みに置いては最高とされる固有職の『大怪盗』でさえ不可能だし、そもそもその二つだったら犯行声明じゃなくて予告状が出されているはずだよ。彼らは盗みを働く時に何が有ろうとそれだけは絶対に欠かさないし」
後者の命名については、それ明らかにとある人物の名前から取っているだろうと突っ込みを入れたかったが、こっちの世界でそれが通じるとは思えなかったので自重しておいた。
(まあそれクラスの人物でも無理って事だな)
だとすればやはり内部に最低でも協力者がいると考えるべきか。
だが、
「言い忘れていたけど、伯爵を含めた手引きが出来る人物は全員『審議官』が調査を行ったらしい。その結果は全員白だったとさ」
嘘を吐けない以上は誤魔化しようがない。そう思ったのだがマリアはその発言を本当におかしそうに笑って否定してくる。
「あはは、何を言うかと思えば『審議官』程度の調査ならコツを知っていれば幾らでも誤魔化せるさ。それどころか僕ならタイミングを見計らってその『審議官』を洗脳して偽の犯人を作り出すことだって簡単なくらいだよ。それに他にも可能性はある。令嬢自身が犯人の場合だ」
「それはつまり……自作自演って事か?」
「ないとは言い切れないだろう? 仮にそうであれば『審議官』の調査も意味はない。なにせ発した言葉の嘘は見抜けたとしても、声自体が出せない彼女にはその効果は発揮されないんだからね」
確かにジュリアの話では最近のメスカという伯爵令嬢は歌の練習に身が入らない様子が見受けられたと言っていたっけ。
もし仮に令嬢自身が歌関連の事から逃げ出したくなったとすれば、少なくとも今回の狂言を起こす動機はあるということになる。
「とりあえずそのメスカという人物に一度会ってみることをお勧めするよ。そこで何か分かる事があるかもしれないからね。それと仮にこの依頼に失敗しても問題はないはずだから気楽にやるといい。伯爵が君だけを頼りにしている訳がないし、十中八九他の手も打っているだろうからね」
「まあそれは予想してるよ」
伯爵が忙しそうだったのは単に仕事というだけではないのだと思う。
最悪犯人が捕まらなくとも令嬢の治療さえ出来ればいいのだし、そっち方面とかでも色々と動いているのだろう。それは実に正しい行為だ。
「ああそれと最後の一つだけ。君が異世界人だと気付かれていなければわざわざ貴族達がそっちに手を出すことはないだろうけど、気は抜かない方が良い。彼らは相手にするには色々と厄介だからね。さてと、他に話がないのならそろそろ切るよ。また何か分かったら連絡するといい」
「そうだな。ありがとう、色々と助かったよ」
マリアは事件が解決しても事の顛末を聞きたいとのことなので、また連絡する事を約束して俺は通信を終える。
(それにしても声だけじゃなく表情まで送れるとは便利なもんだ)
ギルドが用意してくれたまるで占い師が使うような球体の水晶に酷似したからまるで立体映像のように通信先の人物が投影された時は驚いたものだ。
そしてこれもマリアが作った物だと言うのだから流石は【至高の頭脳】もしくは【変態外道研究者】と言うべきか。
もっとも電話と違って通信が繋がるのはマリアの持つ水晶玉だけに設定されているらしく、また誰が掛けているのかも向こうには表示されるとかで、繋がるかどうかもあちらの気分次第らしい。
そしてギルドや他の貴族などは用があればこれで名前や用件などを入力して連絡を取るのだとか。
(俺は異世界人だからすぐ繋がるように優遇して貰えてるんだろうけど、他の奴は大変なんだろうなあ)
この話をマリアが知らなかった事から察するに、きっと伯爵もこの水晶球自体は持っていても連絡は試みているのだろう。だがそれでもあちらが出てくれないのだと簡単に予想が付く。
だからこそ「未知の世界」にコネのある俺に頼ったのだということも。
「……まあとにかく、伯爵令嬢に会いに行ってみますかね」
伯爵の苦労を考えて、可哀そうという思いを抱きながら俺は改めて令嬢を会うべく伯爵の屋敷へ向かうことにする。
なお、水晶球から突如として投影された映像に驚いて固まっていた二人には街での情報収集を頼んでおいた。奴隷だから屋敷の中には連れて行けない為である。




