第五十五話 剣王
まず初めにその男を見て思ったのはどうしてこんなところに居るのだろうか、という疑問だった。
他の冒険者なら最低でも複数で行動しているはずだし、単独でこんなところに居るのはおかしい。そして偶然ベジタリアントの巣穴の前に居たなんてことはあり得ないと言える。
巣穴に近付くごとにベジタリアントが群れで襲い掛かって来るのだ。
俺達は四人で連携する事でそれぞれの負担が軽くなっていたからここまで比較的簡単にやって来られたが、単身で対処するとなったら話は別。もっと疲労していただろうし、そもそもその前に引き返す事を選択している。
だというのに目の前の男は傷はおろか疲れた様子も無くその巣穴の近くで平然とした様子で突っ立っていたのだ。
まるで単身でもベジタリアントの群れなど相手にならないと思っているかのように。
そして何故か洞窟から湧き出てくるベジタリアントにもそいつに襲い掛かる様子が見られない。
基本的には草食とは言え遭遇すれば襲い掛かってくる程度の野生はあるはずなのにだ。
その奇妙な点に異変を感じてマックスに視線を向けると、案の定あちらも同じように感じたのか頷いてくる。
そしてマックスはすぐに他の二名にも――恐らくは静かにして相手に気付かれないようにする注意を喚起するつもりだったと思われる――声を掛けようとしたが、
「おい、そこのお前! こんなところで一体何をやってるんだ?」
これまでの好調の所為で調子に乗っていたジョリオがその前に堂々とそいつに声を掛けながら隠れていた場所から姿を現してしまう。
そうなると当然男の視線はこちらに向けられる訳で、多分だが未だに隠れている他三人についても気配を気付かれてしまった事だろう。
(このバカ野郎が!)
だから借金を背負わされることになるんだと全力で罵ってやりたいところだったが、ここでそれをやれば俺もジョリオと同じなのでどうにかそれを我慢する。
そしてその男の注意がジョリオだけに向いている事を祈りながらその場で必死に息を殺す。
幸いな事にキルリンは分かっているようで同じようにして気配を殺して様子を窺う事を選択してくれたようだ。
マックスに至っては相手に気付かれないようにゆっくりと弓に矢を番えてさえいる。どうやらこのまま事がすんなり行くとは思っていないようだ。
「ん? 何だい君は?」
「人の話を聞いてないのか? 俺がまずそれを問い掛けたんだぞ」
「そうなのか。いや、ボーとしていて話を聞いていなかったよ。すまないね」
のんびりとした様子で男は答えている。それだけ聞けば危険だと思う要素は大よそ感じられないだろう。
だけどその間の抜けた喋り方に対して何故か俺は背筋が凍るような感覚を覚えていた。
そう、あのスカルフェイスと対峙した時でさえ負ける気がしなかった俺の脳裏に敗北の二文字がちらついて離れないのだ。
「私の名前はディック・ロルセイン。ここには人探しの為に滞在しているんだ」
「人探しだと? こんな人の居ない山奥でか?」
「正確には『行先案内人』もしくはそれに関する人物を見つけるという任務の為と言うべきかな。しかも「未知の世界」という敵対クランよりも早くという条件付きでね。全く家のクランも人使いが荒いと思わないかい? 剣しか能の無い僕に人探しなんてさせるんだからさ」
次々と発せられる聞いたことのある単語が気にならない訳ではないが、やはりそれでも奴に対する恐怖の方が断然大きかった。
(一体こいつは何者なんだ?)
これまでの言葉から総合すると、どうもディックという人物は『行先案内人』の関係者、つまり恐らくは俺の事を探しているらしい。
そしてシャーラ達「未知の世界」とは敵対しているクランに所属しているようだ。
「まあ、だからこうして騒ぎを起こしてそれっぽい奴が現れないか待ってるって訳さ。『行先案内人』の関係者ならそれなりに特別な存在だろうしね」
「言っている事がほとんど分からないんだが、お前がベジタリアントを大量発生させた原因ってことだな?」
「だからそう言ってるじゃないか。君こそ人の話を聞いてるのかい?」
そこでジョリオが武器を構える。
「だったらお前は重罪人だ。この場で捕えてギルドに引き渡させて貰う。そんでもって報酬をたんまり頂かせて貰う事にするさ」
「僕を捕えるって……悪いけどそれ、本気で言ってるのかい?」
「当たり前だ。その後はこのウザったい虫どもを一匹残らず駆逐してやるから覚悟しておくんだな!」
ここに来て俺は無知である事は意味で幸せなのだと悟っていた。あんな相手に無謀な挑発をああも簡単にできるのだから。
「うーん、捕えられるのはどうとでもなるからいいけど、これを止められるのは少し困るな。この騒動が収まってしまうと目的の人物を探せなくなってしまうし」
「おっと、だからって妙な真似はするなよ。この周囲には俺の仲間が居て、お前を取り囲んでいるんだからな。そして少しでも変な真似をすれば容赦なくお前を殺しにかかるぞ」
(ちょっ、ふざけんな!)
前言撤回、やはり無知は罪だ。
脅しのつもりだろうが、これでは俺達が隠れている事を敵に教えてしまったも同然である。このまま何も言わなければ俺達は気付かれなかったかもしれないと言うのに。
「取り囲んでいるってそんなの大勢の仲間がいるのか。それはまた困ったなあ」
実に情けない声を上げているディックはそのままの態度を崩さずに次の言葉を口にした。
「仕方ない、全員死んで貰うとしよう」
その言葉を聞いたジョリオの動きは速かった。
やられる前にやるつもりらしく一足飛びで相手に肉薄すると、すかさずその構えた斧を振り降ろしにかかる。
その一撃は完全に気を抜いてリラックスしているディックの脳天にぶつかり、そして鮮血が散ることになるとこの場に観客が居ればその内の多くがそうなると思った事だろう。
だが現実には、そして俺の予想は違っていた。
「斧か。やっぱり相手にするのなら剣や刀を使う相手がいいよ。その方が僕も楽しめるし」
ディックは実に詰まらなそうにそんな事を言ってのけた。
振り降ろされようとした斧を刃に対して剣の切っ先を当てる事でその動きを封じる芸当を軽々とやってみせながら。
それでもジョリオは懲りずに今度は斧を引くと今度は地面と平行に、横一文字の攻撃をするが、
「ほら、他に何か手が有るならやるといい。待ってあげるよ」
またしてもディックの切っ先はその動きを封じ込める。しかも片手はポケットにいれたままの欠伸混じりでだ。
「な、何なんだ……お前は一体何なんだよ!?」
そんな絶叫を上げながらジョリオは最初と同じように斧を振り降ろそうとする。
だが、
「それはもう見たよ。そして飽きた」
それが通じる訳がなかった。
ディックの言葉が終わる前に振り降ろされるはずだった斧はあり得ない事に縦に真っ二つに割れていく、その割れ目はそのままジョリオの腕を奔っていった。
「聞かれたから改めて答えるけど、僕は『剣王』ディック・ロルセイン。固有職の『剣帝』や『剣神』には劣るけど、剣だけが取り得の男だよ……って、もう聞こえてないか」
一体いつの間に斬ったのか、複数の線がその身体に走るようにしてジョリオの体は細切れになっていく。
そして斬り裂かれた肉片の数々が地面に落ちていき、血の池をそこに作り出した。
「さてと、仲間がいるんだったか。その中に刀剣を使う相手がいると良いんだけどな」
現れた時から変わらぬそののんびりとした調子のままそう言う『剣王』ディックを見て俺は戦慄することしか出来ないでいた。




