第四十八話 殺人衝動
その日の夜だった。遂にそれが起こったのは。
ぐっすりと眠っていたはずなのに俺は繋がりがある所為かそれを感じてすぐに意識が覚醒する。そして隣のベッドで寝ているソラを見てみると、
「ソラ、大丈夫か?」
こちらを起こさない為か必死に息を殺してそれを抑えているものの、苦しそうに歯を食いしばって耐えているソラの姿があった。
俺が起きた所為か隣で眠っていたロゼも目が覚めたらしく僅かに遅れてその様子に気付く。
「ソラ、まさか発作が!?」
「ロゼは下がってろ。俺が対処する」
いざという時はそうすると決めていた通りにロゼは俺達から離れたところで待機する。そして俺はゆっくりとソラに向かって近寄って行った。
「ソラ、俺が分かるか? 意識はまだはっきりしてるか?」
「イチヤ様……」
絞り出すような声を出してこちらに目を向けるソラ。
その次の瞬間、いきなりソラはこちらに向かって飛び掛かって来た。
だがそこで奴隷紋の効果が発揮されて動きが封じられることでソラは俺の下に到着する前に床に倒れ込む。
普通ならこれで大抵の奴隷は抵抗できなくなって終わりだ。
だが衝動が湧き上がっているソラは奴隷紋による動きを封じる拘束を受けてもなお、ゆっくりと立ち上がろうとする。
話に聞いていた限りでは前は這って進もうと試みようとするのがやっとだったはずなのに。
(やっぱり強くなるとこうなるよな)
縛る力に対して抵抗する力が大きくなればそうなるに決まっている。
だがそれは次なる奴隷紋の効果を引き起こすだけだ。
奴隷紋は命令違反を感知すると、まず初めにこの拘束によって奴隷の動きを封じる。そしてそれでもまだ逆らおうとする相手には、
「あ、ああああああああああああああああ!?」
全身を襲う強烈な痛みを持って鎮圧を図ろうとするのである。
そしてその痛みは抵抗を続ければ続けるほど強くなり、最終的にはその対象を死に至らしめることもあるのだとか。
そう、これらの効果があるからこそ奴隷紋を施された奴は主人に絶対服従となるのである。
現状では俺はソラに「殺人衝動が起こった時は誰にも危害を加えてはいけない」と命令してある。それに逆らったことでソラは動きの拘束と、その後の激痛を受ける羽目になっている。
(……まだ大丈夫だな)
その状態のソラをじっくりと観察した俺はそう判断して痛みにもがき苦しむソラの傍らに寄り添うように座り、その体をどうにか起こして抱きしめる。
そして、
「命令変更だ、ソラ。前の命令で俺だけは対象外とし危害を加えることを許可する」
その命令を奴隷紋が承認することでソラを抑えていた全ての物は一旦取り外された。
そうなれば当然の事ながら唯一奴隷紋に邪魔される事のない俺に対してソラは攻撃を仕掛けてこようとする。
だが既に両腕を抱きしめるようにしていたこともあり殴る事は出来ない。
そして座った状態だから蹴ることも無理だ。それでもどうにか俺の腕の中から出ようともがき続けたソラは最終的にはその牙を俺の首に突き立ててくることを選択する。
「いってえ!?」
「ほ、本当に大丈夫なの?」
思わずそんな声が出てしまうと離れたところで見ているロゼが心配そうに声を掛けてくる。
「大丈夫だからこっちには近寄るなよ。ロゼだとまだ危ないからな」
この力の感じだとロゼはソラを押さえることはおろか、一撃でも攻撃を受ければ重傷を負うことだろう。
この噛みつきも俺だから痛い程度で済んでいるが、並の相手なら首周りの肉を抉り取られていたに違いない。いや、この場合は抉り食われてと言うべきか。
(それは洒落にならないな)
強化された肉体のおかげでその牙は皮膚を貫くこともなく俺の首と胴体はちゃんとつながったままである。
だがそれで諦める『殺人鬼』ではないらしく、獣のような唸り声を上げながら更に牙を強く突き立ててくる。そのソラの様子を傍目から見ていたら獰猛な肉食獣のように見えたに違いない。
(これは『殺人鬼』と言うより『狂戦士』の方が名前的に合ってるんじゃないのか?)
あるいは猛獣とかもありかもしれない。もっともそんな天職が有るかは知らないが。
話を聞いた限りではこの殺人衝動はそんなに長い間は続かないはずなので俺はどうにかその体勢のまま耐える事を選ぶ。どうにか正気に戻せないかと必死にソラに対して呼びかけながら。
「ソラ、落ち着くんだ。大丈夫だから」
「ぐるるるる!」
それこそ獣のように唸って威嚇してくるソラの背中を優しく摩る。どうにか落ち着いてくれという願いを込めて。
その願いが通じた訳ではないのだろうが数分後、急にソラの体から力が抜けてこちらに凭れ掛かってきた。どうやら衝動が収まると同時に意識を失ってしまったらしい。
「ふう、これで一段落か」
「お疲れ様。それで首は大丈夫なの?」
眠っているソラを改めてベッドに寝かせているとロゼが後ろから俺の首に触れて傷の具合を確かめてくる。
「ちょ、ちょっと! 血が出てるじゃない!」
「え、本当か?」
噛みつかれたこともあり涎か何かが付いたのかと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。
そこで自分でも確かめてみると確かにほんの僅かだが血が出ていた。といっても傷自体は皮膚が多少破れただけで出血も滲んだと言える程度のものだったが。
(まあそれでも俺の体に傷が付いたって事は相当な威力だって事か)
並みの刃物さえ弾くこの強靭な体に対してそれだけのことをしたのだ。
とんでもない速度で強くなっているとは思っていたが、まさかここまでとは正直予想外である。あるいは二尾になったことが影響しているのだろうか。
「ああ、手当は自分でやるからいい。下手に包帯なんて巻いてたらソラが気に病むだろうしさ」
掠り傷だし前に戦いの時にリストに加えておいた回復薬でも掛ければ一瞬で塞がる傷だ。だから俺は実際にその場で回復薬を取り出すと傷の辺りに塗りつけておく。
「ねえ、やっぱり無理はしない方がいいじゃない? 確かにソラがあんな風に苦しむのは見たくないけど、それでイチヤが怪我するのは間違ってると思うわ」
「でもそれだとソラがあの痛みに苦しむことになるからな。俺としては出来る事ならそれは避けたい」
恐らく最も正しい方法は奴隷紋で動きを封じ、その痛みなどに耐えてまだ動くようなら別の拘束具を使って更に動きを封じるというものだろう。
現に俺も自分が近くに居ない時はロゼにそうするように指示してあるし、その為の拘束具も渡してある。
無論この事はソラも承知の上だ。
「まあ俺もこの程度の傷で済まなくなったら流石にこの方法は取らないさ。今はあくまでこうした方が双方にとってダメージが少ないと思ってやってるだけだし」
奴隷紋によって発生した激しい痛みは翌日にもダメージとなって体に影響を残すというし、明日からも色々と動くことを考えればソラにダウンされては色々と困るのだ。
だからこれは俺個人がソラに痛みや苦しみを味わわせるのが嫌だというだけでなく、今後の事を考えた場合でも間違っていない行為のはずだ。
少なくとも俺がほぼ無傷でソラをこうして押さえていられる間は。
「……まったくもう、普段は悪逆非道なくせにこういう時だけ甘いんだから」
「敵に厳しいのも身内に甘くなるのも人間なんだから当然の事だろ? それよりソラも大丈夫なようだし早く寝よう。明日も色々とやる事は山積みだしな」
そうして今の騒動で汗を掻いた服を着替えようと上を脱いだ時だった。そこで後ろからロゼが俺に抱き付いてきたのは。
「ロゼ?」
「……私、改めてあなたに出会えて本当によかったって思ったわ」
そう言うとロゼは更にギュッと力を込めて抱き締めてくる。こういう甘えてくるようなことはソラならまだしてもロゼがやるのは珍しかった。
だから俺は気の済むまでそのままで居させてやることにした。
「ありがとね、イチヤ。私、あなたへの恩は絶対忘れないわ」
「……」
既に塞がっている首の傷があった部分を優しく撫でながらロゼはそんな返しに困る言葉を口にするのだった。




