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玖・蒼月の追憶 前



 秋良たちは小休止を挟みながらも道行きを急ぎ、再び夜を迎えていた。

 巨大な樹々と蒼月(あおのつき)によってつくられた陰影が織りなす、幻想的な木霊森(こだまのもり)の夜。野営地に定めたのは巨木の根元だ。その周囲に茂る背の高い草の間に潜むようにして身体を休めていた。


 根にもたれかかるようにして座る秋良は隣を見た。

 同じように根に背を預けて眠る、はるかの姿がそこにある。静かな寝息を立てる安らかな横顔。閉じられたままの瞳は、あれからまだ一度も開かれていなかった。


――もし、以前意識を失った時と同じ状態に陥っているのだとしたら……。


 秋良は少し離れて座る(みどり)へ視線を転じた。傷を押して進んできたが、いくつかあった深い傷も塞がるほどに癒えている。竜人族が持つ回復力のなせる技なのだろう。

 声をかけるのはためらわれるが、問題を解消するためと言い聞かせ秋良は口を開く。


「なぁ」


 呼びかけた声に、翠の伏せられていた深い緑玉色の瞳がこちらへ向けられた。秋良は先を続ける。


「はるかの、あの光が彩玻光(さいはこう)の暴走だって可能性があるなら。無理に進まない方がいいんじゃあないのか?」

「俺は……」


 言いかけて、翠は逡巡に言葉を止めた。つぶれていた声も、平時の彼のものに戻っている。


「あれは、暴走したのではないと考えている」


 確信に近い音でそう告げて、翠は先を続ける。


「彩玻光があれだけはっきりとした形を持って放たれたのであれば、氾濫したとは言い難い。気を失っている原因は、他にあるのかもしれない」


 秋良は翠の声を聞きながら、はるかへと視線を戻す。その間にも翠は静かに言葉を紡ぐ。


「しばらく様子をみよう。ここにはまだ守護石が残されている。守護石の元へ行けば、草人(くさびと)の長老もいる。方法が見つかるかもしれない」


 秋良も、翠の言葉を元に自分なりに考えを巡らせる。

 進むも退くも、竜人族や妖魔の襲撃にさらされる危険は変わりない。ならば距離的に近い緑繁国(みどりもゆるくに)の守護石を目指すべきだろう。

 守護石が残っているということは、それを失ってしまった土地に比べれば彩玻動(さいはどう)が潤沢に巡っている。珠織人(たまおりびと)の回復に彩波動が関係しているならば、守護石まで到着するのを待たずに目覚める可能性だってある。

 いや、それを待たずとも、今ここで一発ぶん殴れば即目覚める可能性も――?


「聞かないんだな」


 突然の翠の声に、秋良は握りしめた右拳を振り上げる前に止めた。


「なに?」


 反射的に返しながら振り向く。


「竜人族である俺が、なぜ珠織人の中に在るのか」


 翠はこちらを見てはいなかった。正面、いや、どこか――もしかしたら過去を、見ているのか。

 秋良も視線を戻し、気のないふりで答える。


「別に。俺には関係ない」

栞菫(かすみ)に負担をかけまいと、黙っていた。本人が思い出せば自ずと知り得る事実だから、と。だが、先に知らせておくべきだったかもしれない」


 そう言って、翠は蒼月の光をたどるように頭上を仰ぐ。黒に限りなく近い緑玉の瞳が、周囲を囲む草や梢を抜ける月光で明るんで見える。

 翠がなにを思っているのか、表情からは読み取ることができない。


「後悔してるのか?」


 秋良のその言葉に、翠がはっと振り向いた。少し、驚いたようだった。


 秋良自身も口をついて出た言葉に戸惑っていた。

 なにを――はるかへ語らずにいたことを? そのことで、はるかを傷つけたかもしれないことを? それが目覚めぬ原因かもしれないことを? もしくは同族に背き珠織人の側についたことを?

 それすら意識せずに、こぼれたものだった。


「――いや」


 翠の短い返答の前。ほんのわずかな間は、『後悔』の指すものを考えていたためなのか。

 否定した声に、瞳に、迷いは一切見られなかった。

 秋良は視線を外し、突き放すような口調で言った。


「なら、堂々としてろ。『かもしれない』はまったく意味がない。てめぇが選んだ選択の結果だ。それを受け入れて、前に進むしかないんだ」


 あの時こうしていれば違った未来が、なんて。考えるだけ無駄な時間だ。

 たとえ選択が間違っていたとしても。その延長線上に在るのが今の自分なのだ。選択自体を否定することは、今の自分を否定することになってしまう。

 過去に戻って選択し直すことができない以上、先へ進むしかない。過去の上に成り立つ自分を認めるしかない。たとえ、それがどんな過去だったとしても。

 それは秋良自身、何度も己に言い聞かせてきたことだった。


 秋良の言葉に、翠は少なからず驚きを覚えていた。

 たった二十年足らずを生きただけというのに、秋良の発言や行動はそれ以上のものを感じさせる時がある。一体どのような過去を、彼女は生きてきたのだろう。


 自分の百八十余年の過去には何があった?

 その大半を、無為に費やしていたのではないか。

 斎一民(さいいつのたみ)が過ごす一生に比べ、珠織人や竜人族の過ごす一生は長い。だが、ただ時間を費やすだけならば、そこに価値を見出すことはできないだろう。


 栞菫に出会ったことで、翠の生き方は大きく変わった。彼女との出会いがなかったなら。あのまま無為な時間を積み重ねていたに違いない。

 彼女を最初に見たのは戦場で。その次に出会ったのは、暁城(あかつきのしろ)内でのことだった。


 あの時のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。


――蒼月を見ると、懐かしさと安らぎと哀しみが同時に訪れるのです。


 そう言っていつも蒼月を見上げていた栞菫。

 今日のように蒼月の光が満ちているときは、彼女との記憶が呼び起こされるのだ。





【彩玻動と彩玻光】彩玻動は龍脈、マナなどと同じく双月界の生命力の根源。それを珠織人が力として具現化したものを、彩玻光と呼ぶ。

竜人族が見せた大地に干渉する能力も、彩玻動を通じて発動させている。


【草人】緑繁国を治める種族。魔竜の乱時、珠織人と共に守護石を守った。木の力を宿す森の民。


【種族の寿命】斎一民が最も短く、70~100歳。天翼族、渦氷民は150~200歳。珠織人は300歳ちょうど(聖は500歳)。竜人族は300歳前後。草人が最も長く、長老は1000歳以上になるとも言われている。



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