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拾・心と心 後



「そう、なんだ……よかった」


 はるかは、ほっと安堵の息をつく。

 予想に反した反応に、秋良は思わず視線を向けた。

 緊張から解放された脱力感のある笑顔で、はるかは言う。


「私や、みんなが言ったことのせいで秋良ちゃんが無理するのはよくないと思ってたから。

それなら……うん、よかった」


 そんなはるかを、秋良はいぶかしげに見つめていた。

 同行をしつこくせがむか、こちらが折れるまでしおれているかどちらかの反応が返ってくるだろうと思っていた。

 少なくとも、これまではそうだった。

 それが『よかった』とは。


 秋良の心中は知らず、はるかは先を続けた。


「あのね。私、いろいろ考えたんだ。あ、ここからはきいてほしいことね。今までのこと、たくさん、たくさん考えたの」


 沙里(さり)で目覚めてから、秋良といた頃のこと。


「秋良ちゃんが砂漠で倒れてた私を助けてくれて、秋良ちゃんに言われてお仕事を手伝って」


 暁城(あかつきのしろ)に来てからのこと。珠織人(たまおりびと)達のこと。


「ここに来て、みんなにお願いされて栞菫(かすみ)として頑張ろうって、決めた。そう、決めたの」


 これまでの、自分のこと。


「でも、決めたのは本当に『私』だったのかなって。そしたらね、思ったんだ。『私はちゃんと私でいたのかな』って」


 はるかはいつしかうつむき、革紐で首にかけた瑠璃石(るりいし)を見つめていた。

 秋良は相変わらず黙ったままだ。

 こんな話をするのは初めてで、どんな顔をしてよいかわからない。

 視線を落としたまま、口を開く。


「秋良ちゃんが暁城に最初に来たときに言ってたこと、覚えてる?」


――周りの奴らは関係ないんだよ。お前は、自分が栞菫だって胸張って言えないんだろ?


 皆が自分のことを栞菫と慕ってくれても。自分がいくら栞菫だと言ったとしても。


「秋良ちゃんの言ったとおりだった。今の私は、中身のないからっぽな『栞菫』。だから、双月界(そうげつかい)のどこかにある核を見つけて、記憶を取り戻したい」


 泉が湧き出すように静かに、自然とあふれる言葉を紡ぐ。

 どこかまぶしげな視線を向ける秋良に、うつむいたままのはるかは気づかないまま。


「珠織人のみんなのため、でもあるよ? でもここにきたばかりの頃とは違う、と思う。これはちゃんと『はるか(わたし)』が望んだことだから」

「そんな――」


 秋良の小さな声に、はるかは顔を上げた。

 城の北、遠くに続く森を見ているのだろうか。窓の向こうを望んだ秋良の表情は、はるかからは見えない。


「そんな話は、俺にしたところで意味ないだろ」

「うーん、そうかもしれないけど」


 はるかは眉根を寄せ困ったような笑顔で首をかしげた。


「でもね、私は秋良ちゃんに聞いてほしかったの。もう少しだけ、いい?」


 秋良はため息をついて黙りこんだ。そのまま動かないということは許可されたのだろう。そう受け取って、はるかは言葉を続けた。


「えっと、それでね。記憶を取り戻すためにも、私は強くなろうと思う」


 刀を手にすると自然と身体が動いていた。

 自分の意思が身体から離れたようなその感覚が。自身の意思にかかわらず相手が傷付くことが。

 怖かった。


 それは刀を振るうことの意味を持っていなかったからなのだと、今は知った。


 かつて秋良が深羅(しんら)炎狗(えんく)と戦った時も。

 白銀と緋焔(ひえん)が戦った時も。

 ふたりとも自らが傷つくこともいとわず立ち向かった。


 誰かを、目に見えるなにかを。心を、目には見えないなにかを。

 守るための、戦いだったのだ。


「これ以上私の好きな人たちが傷付かないように、強くなる」


 言いながら、はるかの胸中に泡雲(あわくも)の言葉が呼び起こされる。

 避けられぬ困難が秋良におとずれるなら。誰かが手を差し伸べることでそれを回避できるのであれば。


「秋良ちゃんが大変な時には、私が助けてあげられるようになりたいから」


 唐突に秋良は振り返った。

 驚きに見開かれた秋良の鳶色の瞳と、確かな決意を宿したはるかの紫水晶の瞳。

 その中に宿る光が、秋良の記憶を呼び起こす。今は記憶の中にだけあるその姿。彼も、同じような言葉を――。


「私ね、秋良ちゃんとここでお別れするのは嫌なんだ。どうしてかはわからないけど、だからなおさら。わからないままなのは嫌だから、だから」


 はるかの言葉が途切れる。秋良がゆるゆると立ち上がったからだ。


「くっ……はは」


 秋良の口から自身へ向けた嘲笑(ちょうしょう)がこぼれた。

 まったく情けない。弱さは捨てたと、いつどの口がいったのか。


「お前に助けられるほど弱くはないぜ、俺は」


 笑いの余韻を残した秋良のつぶやきに、はるかの口元にも自然と笑みが浮かぶ。

 どこかすっきりとした様子の秋良の表情。見られたのはいつぶりだろうか。そうだ、沙里の家で。


 秋良の家には裏手に小さな庭がある。高い石壁に囲まれた、小さな空間。

 乾燥に強い低木と小さな色とりどりの花を世話していたのは秋良だ。手入れをしている間は、普段纏った険を脱ぎ去り穏やかな空気を纏っていた。

 今の彼女のように。


 奮い立つ気持ちを捕まえるように、はるかは両の拳をぐっと握った。


「今はそうかもしれなけど、絶対強くなるよ」

「どうだかな」


 秋良は再び窓へ向き直る。


「なれるもん!」


 見てはいなくても、頬を膨らませているはるかの様子は安易に想像できる。


 はるかの言うことも一理ある。わからないままにしておくのは性に合わない。

 なぜあの時、はるかを連れ帰ったのか。これまで近くに置いていたのか。共に行けば見つける機会もあるだろう。


 少しの間なら、道行きに連れがいるのも悪くない。

 そう思う今の自分を、あの頃の自分はどう思うだろうか。だが今は、自身の直感を信じることにする。

 そうすることが最良の選択だと。


 まだ歩みを止めるわけにはいかないのだ。

 暁城の外壁の向こうに広がる森。その森の向こうに――見えはしないが(うしお)の港。そしてさらにその向こう、海の先に広がる大陸のどこか。

 そのどこかに必ずいるであろう、あの男を見つけるまでは――。




弍・珠織人、終幕。

次回から新章開始です!

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