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捌・守護石を廻り 後



 守護石を包む彩玻光(さいはこう)が完全に闇の法術陣に塗り替えられた刹那。周囲の空気までもが、はるかの横をすり抜け守護石へと集まる。

 地に張り巡らされた法術陣の闇が天めがけ放出された。同時に集まった空気が放射状に炸裂する。


「ひゃあぁっ!」


 吹き飛ばされたはるかは情けない悲鳴をあげて(すもも)の足元に転がる。はるかと共に無数の石粒や砂塵が飛んでくる。


 秋良は眼を離さずにいた。眼前に腕をかざし、飛来する守護石だった破片を受け止めながら。

 あの黒い、どす黒い闇。術の心得のない秋良にだってわかるほどの。いや、忘れようもないほどの念がこめられた闇。

 秋良は術者が近くにいることを直感していた。


 法術陣から轟々と立ち昇る闇は天へ吸い込まれ消えていく。巻き起こっていた風の圧も薄れていった。

 洞窟を覆っていた岩は跡形もなく突き破られ。沈んだ太陽の残光を反射する白月が砂塵にかすんで見える。

 法術陣が消えたそこには守護石と同じ大きさの穴が穿たれていた。


 底も見えぬ、深淵へと続くかのような穴の上。まるで地面があるかのように立つその姿。


「またお会いできましたな。稀石姫(きせきのひめ)


 薄汚れた茶色の外套をかぶったその姿。裾を引きずるほど小柄な身体からは想像もつかないほどの邪気を放っている。

 目深に被った頭巾にかげり表情をうかがい知ることはできない。

 にもかかわらず、その視線が自分を射抜いていると。はるかは感じていた。


「必ず守護石を封印にかかる。そう思って利用させてもらった」

「そんな……」


 はるかは李に助け起こされながらつぶやいた。

 自身の行いが守護石の破壊につながったと、信じたくはなかった。信じたくはなかったが、事実であるとわかってもいた。守護石に流れる彩玻動が足元の法術陣に吸い込まれていくのを、すぐそばで体感していたのだ。


「あの法術陣……あなたも、妖魔なんだね」


 法術陣に記された文字が妖魔が用いるものであると。そう理解できたのは栞菫(かすみ)の記憶がもたらしたものだろう。

 はるかが投げた問いに、老人は喉の奥を鳴らすように笑って告げた。


「名は深羅(しんら)、かつて六柱に封じられた者のひとり」


 老人が踵を返すと、その姿は輪郭から徐々に大穴の闇にかすんでいく。


「姫にはまだまだ役割がある。その命、大事にされよ」


 洞に不気味に響く声を残し、深羅と名乗った老人の姿は完全に闇と同化して見えなくなった。あたりに満ちていた邪気も嘘のように消えてなくなっている。


「くそっ!」


 叫んだのは秋良だった。悔し紛れに足元の石を蹴り飛ばす。

 深羅が現れ、消えるまでの間。まったく身体が動かなかったのだ。暗く、冷たく毛穴から全身に入り込んでくる邪気。それが秋良の存在ごと縛りつけてくるような錯覚さえ覚えた。

 それは琥珀(こはく)の街で初めて対峙したとき、老人の放った闇に包まれたときと同じ感覚。恐怖に抗うことのできなかった自分が腹立たしい。


 はるかは、深羅が消えた空間を呆然と見つめていた。ふと我に返りつぶやく。


「そうだ。白銀(しろがね)……」


 その言葉に、李もはっと顔を上げた。ふらつくはるかを支えて、白銀の元へと駆け寄る。


 白銀は横向きに倒れ込んだまま、死んだように動かない。

 力も気力も使い果たしたのだろう。かたわらに両膝をついて、はるかは白銀に触れた。弱くはなっているが彩玻動は消えてはいない。


 安堵の息をつくと、李も察してその場に力なく座り込んだ。


「うっう……よかった、白銀様ぁ」


 李は声を上げて泣き始めた。李自身もまた、ずっと緊張と恐怖と戦っていたのだ。


「うん、ふたりとも生きててくれてよかった」


 はるかは心からの言葉を口にする。

 無事でいると信じてはいたが、そんな保証はどこにもなかった。白銀だって全身傷と火傷だらけで、核も傷付き。命を落としていてもおかしくない戦いだった。

 にじみそうになる涙を、喉に力を込めてこらえる。栞菫なら、きっと泣きはしないだろう。


 自らの考えの甘さを戒めながら、はるかは気が付く。

 白銀の右手には未だ『虹月(にじのつき)』が握られたままだった。固く握られた白銀の手から、柄をゆっくりと引き離す。

 腰に提げられた鞘を外して『虹月』を収める。それを白銀の胸に抱かせると、戦い抜いた彼の右手を両手で包んだ。


 秋良はその様子を遠目に見ながら、守護石のあった場所に開いた穴の縁に立っていた。

 穴は深く、広く開かれた洞窟の上部から差し込む白月の光だけでは底を照らし出すことはできない。

 見た限りどこまで続いているのか推し量ることもできない闇の底から、冷たい風が緩く吹きあがってくる。木のうろを抜ける風のようなかすかな音を携えて。


 そこを離れ、秋良は視線を巡らせ一点に眼を留めた。

 はるかたちのいる場所からわずか離れたその位置に、決して小さくはない血溜まりがある。


「あいつ、どこへ……」


 深羅が現れる前まで、緋焔(ひえん)は確かにここにいた。

 少し離れた位置に、さらに奥にと血痕が続いている。それは秋良たちが入ってきた横穴、つまり出口へと続いていく。


 砂漠へと向かい上り坂となっている洞内を追跡するうち、血が落ちた跡は少しずつ小さくなり、消えた。

 顔を上げると、身をかがめて出入りできるほどの穴の向こうに砂嵐が吹き荒れて見える。

 守護石が完全に破壊された影響なのだろう。砂嵐は強さを増しつつあった。






 同じ頃。

 沙流砂漠に吹き荒れる砂塵の奥、かすかに垣間見える影があった。

 影は点在する岩と岩の間を抜ける。砂を含み激しく打ち付ける強風もあり、速くは動けない。

 目標としていた岩まで到達すると、風を防ぐ位置に身を預けた。


 彼は岩を背に座りこみながら、かき上げた赤い髪に砂が混じっているのに舌打ちする。

 上衣を裂いて傷に巻き付けている。その黒色は、ほとんどが濃い色に染められていた。

 同様に汗と血に濡れた肌にも砂が張りつく。岩陰に入るたびに落としていたのだが、きりがないのであきらめることにした。


「あのじじい、本当にやってくれたな」


 三千年を超える長い眠りから醒めたとき、茶の外套をまとった老人が立っていた。

 封印を半分解いたと告げたその老人から聞かされた。すでに環姫(たまきひめ)は存在しないこと。その現身(うつしみ)である稀石姫が千年に一度現れていること。


 封印を完全に解くため、守護石の破壊に当代の稀石姫である栞菫の力を利用する、と。


 妖魔六将であるという老人が進言した通り協力を約束したが、老人のことは覚えてもいなかったし信用もしていない。

 環姫がいないのなら、渦巻く感情を同じ姿の女にぶつければ少しは気も晴れるかと思ったこともある。

 今となっては、この身の解放を優先したことが正解だったと実感していた。


 かつて思うさま駆けまわった、全身にみなぎってあふれんばかりの力。

 それが身体に戻ってきているのを感じている。

 珠織人(たまおりびと)の剣士に斬られた傷もひとまずは塞がったようだ。

 だが元通りに動けるようになるまでは、まだしばらくかかりそうだった。


 傷さえ癒えれば――。


 意図せず、口元が笑みの形に歪む。

 そう、自分を縛るものはもう何もない。


 これからは自由に。心のおもむくままに――。


 炎の妖術使いは再び立ち上がる。

 肩から胸にいたる傷をかばいながら、しかし確かな足取りで歩いていく。

 その姿はすぐに砂嵐に遮られ見えなくなった。




【六柱】創世のとき、天地守護環姫が魔界から侵攻してきた妖魔六将を封じた六つの守護石のこと。


【環姫と稀石姫】双月界創世のときに妖魔を平定した女神・環姫。千年に一度結晶する稀石を核として生まれる珠織人・稀石姫は、代々環姫と同じ容姿を持つ。


【妖魔の将】妖魔の姿は様々であるが、人型のものは稀であり、対話できる知能を持つ個体は確認された記録がない。妖魔六将は双月界の六種族と同じく高い知能を有しているようだ。

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