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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
玖・秋良と『過去』
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壱・薫風焦がれ 前



 季節は冬を迎えようとしていた。

 この風和(ふわ)の村では、年中温暖な気候が保たれている。風翔国(かぜかけるくに)の他の地域で見られる雪が降るような冬を経験したことがない。

 国境付近にそびえる日方山(ひかたやま)のなかでも、より火燃国(ひかがるくに)ひかがるくにに近い西側中央域に位置しているからだ。絶えることなく心地よい風の流れる国内でも、特に過ごしやすい地域といわれている。


 山の中腹を覆う森に囲まれ、行く筋もの小川が近くを流れる。言うなれば田舎の村だ。街までは長い山道を下る必要がある。

 村人が街に行く用事と言えば、村の産物を週に一度荷馬車で運ぶ程度。それも出荷業をしている家が取り仕切っているため、ほとんどの村人は山を降りずに過ごしている。


 自分も同じく。生まれてから十八年、一度も山を降りたことはない。村の外のことは街に降りたことのある者から話に聞いたり、書物で読むだけだ。 

 村の外の世界にまったく興味を持たないわけではない。好奇心と同じくらいに、村を出る必要を感じていないだけだ。

 いつか村から出て世界を見たくなる日が来るかもしれない。たとえ、旅をして魅力的な土地や文化に触れたとして。

 それでも自分の生まれ育った村が一番だと言える、根拠のない自信があった。

 それだけ村と、村に住む人たち、そして今の自分の生活が好きなのだ。


 丸太で組まれた小屋の小さな一室。

 窓は扉の対面となる壁にひとつ。差し込む陽光が、すぐ下に置かれた机の上を照らし出している。


 日焼けもない白くなめらかな左手が、熱処理を済ませてある白い骨の塊を押さえている。右手に握られているのは、小振りながらずっしりとした質感の小刀だ。骨の一部を親指ほどの大きさに削り取っていく。

 その骨片は、手のなかで円柱型に整えられていく。柱の中心を通る穴を(きり)で開けた後、ざっとやすりで削り表面をなだらかにする。

 今度は装飾用の尖刀に持ち替えて、円柱の表面に曲線を組み合わせた紋様を刻んでいく。


 ほんのわずか開かれた窓から、心地よい風が吹き込んでいた。それに乗って、外で遊ぶ子供達の声が遠くから聞こえて来る。

 いつもと変わらぬ音に包まれながら、一心に彫り進め紋様を彫り終えた。

 紋様に埋めこむ染料を取るために席を立つ。横の壁に作りつけられた棚に並ぶ小瓶に視線を滑らせる。黒檀色(こくたんいろ)の染料に決めて手を伸ばした。


 こんこん、と。

 小さな音に振り向くと、窓に顔を寄せてのぞきこむ子供達の笑顔があった。

 窓は子供たちからすると少し高い位置にある。一生懸命背伸びをしているであろうその姿に、自然と笑みがこぼれた。

 染料を棚に戻して歩み寄る。机上の、風で飛びそうなものを脇に寄せて窓枠に手を掛けた。子供たちは開ききるのすら待ちきれずに口々に呼びかける。


「秋良姉ちゃん」

「仕事終わんないの?」

「秋良姉、遊ぼう!」

「川行こうよ、川!」


 それほど大きくない村のこと、村にいる子供の数も多くはない。年齢に多少開きがあるが、四歳から十二歳までの男児四人女児三人がいつも集まって遊んでいる。

 それよりも幼い幼児が三人を含めて十人がこの村の子供達だ。

 川行きを主張する男児は、小さな手提桶を持参している。


「川かぁ……楽しそうだけど、ねぇ」


 毎日のように誘いに来てくれるのは嬉しい。面倒を見てあげたい気持ちはあるが、装飾品を仕上げて街へ送らなくては稼ぎにならないのも事実。

 返答に困る秋良を見て、最年長の拓が兄貴風を吹かせる。


「秋良姉ちゃんの骨細工は街でも人気なんだぞ。忙しいんだから、邪魔しちゃだめだろ」

「だって、拓だって、秋良姉ちゃんがいたらうれしい、って言ったのに」

「ば、ばかっ、それは……」

「ねぇ~昨日も一昨日も働いたんだから、今ちょっとだけ休んでもいいでしょう?」

「あそぼうよ~」


 秋良は、賑やかな子供たちの中にひとり足りない顔があることに気づいた。


「青葉は?」


 尋ねると、実兄である拓が答えた。


「風邪。そんなひどくはないんだけど、家から出ないようにって母さんに見張られてる」

「そっか……」


 しっかり者の拓に比べて、弟の青葉は相当なやんちゃ坊主だ。遊びに行きたいとだだをこねる姿がまざまざと眼に浮かぶ。

 秋良はこう提案した。


「じゃあ、青葉のお見舞いに持っていく物を採りに行こう。それならつきあうよ」


 子供達は跳び上がって喜んだ。早速お見舞いの品を何にするか相談を始めている。

 窓を閉めると、秋良は小部屋を出た。居間を抜けて外へと出る扉を開けようとしたとき、扉が自動的に開く。

 表に立つ人物を見て秋良はほっと息をついた。


「兄さん」


 外から扉を開けたのは六歳年上の兄・春時(はるとき)だった。ちょうど今、猟から戻ったのだろう。

 彼も少し驚いたようだったが、秋良と同じ鳶色(とびいろ)とびいろの瞳はすぐに和らいだ。秋良に道を譲られるまま屋内に入る。


「出かけるのか?」


 弓を壁に掛けながら尋ねる春時に、秋良は微笑みうなずいた。


「青葉が風邪で寝てるっていうから、お見舞いに行ってくる。夕飯の支度までには戻るから」

「ああ、いってらっしゃい」


 春時に見送られて家を出る。


 風翔国の風は年中やむことなく。弱く強く、精霊の舞に添う神楽(かぐら)として吹いている。そう、古い旅の詩人が(うた)ったと書物で読んだ。

 おりしも強まった風が、後ろでゆるく編んだ長い黒褐色の髪をさらっていく。

 ここ数日、作業が忙しくてろくに外にも出ていなかった。子供達の言うとおり、少しくらい息抜きをした方がいいかもしれない。

 秋良は両腕を上げて長時間の作業で固まった身体を延ばした。風が運んでくる木と土の湿った森の香りを胸いっぱいに吸いこむ。


 子供達が賑やかな声と共に表側に回ってくるのを察し、秋良は先んじて声をかける。


「どこに行くか決めたの?」


 壁を回って姿を見せた子供達は笑顔を見合わせた。


「川!」

「あそこ、木いちごが採れるから」

「おれ、魚獲る!」

「魚獲ってどうするんだよ」

「ちっちゃい魚、水に入れて青葉にやる。んで、元気になったら一緒に川に戻しに行く」


 和気あいあいと他愛もない話をしながら、村から程近い所を流れる小川へと歩いた。


風翔国かぜかけるくに斎一民さいいつのたみが治める大陸中央部の国。魔竜の乱で守護石を破壊され国は崩壊、民は各国へ散った。はずだが……。


火燃国ひかがるくに】風翔国の西に位置する国で、天翼族が治めている。活火山の地熱で年中常夏。


風和ふわの村】はるかと翠が世話になった姉弟、七夕なゆ七生ななおがいる村。(捌の弐・揺藍 参照)




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