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16話

 そんなことがあったわけだけど、私の日常は変わらなかった。

 いつもどおり店番をしたり、魔道具いじったり、姫様と遊んだり、暗殺者を叩きのめしたり。何一つおかしいところのない、一般的な町娘による標準的な日常生活を謳歌していた。


「これは普通……。とても普通……。私は普通の町娘……」


 呪詛を詠唱しながら暗殺者に腹パンを叩き込む。今日はこいつで六人目。最近は多くて困っちゃうよね、もう。

 複数人での襲撃なんて当たり前。街を歩けばナイフが飛んでくるし、今日なんか市場で買ってきたジュースに毒まで盛られてた。

 最近は姫様だけではなく、露骨に私を狙う襲撃も増えている。物騒で嫌ですね、困っちゃいますよ。


「あの……。ルーチェさん……?」

「どったのシルルちゃん。なんか怪我した?」

「どうして平然としていらっしゃるのですか……?」


 気にしない系のライフハック。不都合な真実に目を背ければ、そこにはバラ色の人生が待っているのだ。

 私は姫様ににっこりと微笑みかけた。それから、死んだ目で答える。


「慣れた」

「慣れちゃダメですよ!?」

「人間に不可能はない」

「戻ってきてくださいルーチェさん! それは到達してはいけない答えです!」


 えへへえへへ。あはははは。

 精神が汚染された時は姫様と遊ぶに限る。姫様はかわいいなあ。なんでこんなにかわいいんだろう。私にはもう姫様しかいないんだ。だから逃げちゃダメだからね。姫様はこれから一生私と遊ぶんだよ。


「カルロー! リオーン! ルーチェさんが壊れましたー!」

「あー。叩けば直るんじゃないっすかね」

「雑! 色々と雑!」


 カルロさんもさすがに疲れているようで、すっかりやる気が無かった。

 同じく疲れているであろうリオンさんがおもむろに立ち上がり静かに私の肩を叩く。


「お嬢」

「……何? 私今姫様と遊んでるんだけど」

「今日のパンツは何色だ」

「ぶっ殺すぞ変態野郎」


 姫様の御前でなんてこと聞いてんだこの野郎。テメエも衛兵隊に突き出すぞ。

 脳味噌に嫌な感じの衝撃を受けて少し目が覚めた。あーもう、なんなんだよ。現実逃避くらいさせてよ。私はこの過酷な現実では生きられない脆弱な生き物なんだよ。


「おい、ルーチェ」

「今度は何さ……って」


 振り向く。おじいちゃんがそこに突っ立っていた。


「おじいちゃん? どうしたの?」


 憮然とした顔で突っ立ってらっしゃるこの人は、一から十まで人間嫌いだ。店内に私以外の人間がいる時は、絶対に姿を表さない。だから私は、おじいちゃんの襲撃にかなり驚いていた。


「来い。話したいことがある」

「えっと……」


 シルルちゃんの顔を見る。少しの間護衛から外れてしまってもよかろうか。そういうつもりのアイコンタクトだったけど、シルルちゃんはきょとんとしていらっしゃった。アイコンタクト失敗である。

 代わりにカルロさんが答えた。


「お嬢、シルル様なら大丈夫だ。俺とリオンでなんとかする」

「わかった。念の為ADS起動しとくね」


 複数の魔道具で構築した自動防衛機構オート・ディフェンス・システムを起動する。とりあえずこれを起動しておけば、生半可な襲撃くらいなら放っておいてもなんとかなるだろう。

 それを見たおじいちゃんが苦い顔をした。


「またお前は軽々しくそういうもんを作りおって……」

「大丈夫だよ。既にこの世に出ている技術しか使ってないから」

「使い方も技術だ。複数の魔道具を組み合わせるなどという発想は、まだこの世界には存在しとらん」


 ええー……? それもダメなの……?

 実践的な魔道具を作ってたら、これくらいは誰でもすぐに思いつくと思うんだけどなー。だって、単一の魔道具で何もかもをカバーしようとするのはあまりにも非効率じゃんか。


 おじいちゃんに連れられて、姫様たちの姿が見えないところまで移動する。すると、敬愛するお祖父様は不機嫌さを隠そうともしなくなった。


「お前、いつまでこんな茶番を続けるつもりだ」

「えっと……。迷惑だった?」


 連日家の中を騒がせてしまっているのは、正直申し訳なく思っている。できるだけ暗殺者とは店内か外でやりあうようにしてるけど、全く迷惑をかけていないとは言えなかった。


「ああ、迷惑だ。だが、そんな下らんことを気にするな。他人の迷惑を気にしているようではマロウズの名は継げんぞ」

「継ぎたくないし継ぐ気もないし、私は他人の迷惑をほどほどに気にする肩身が狭い小市民でいたい」

「……。育て方は間違えてないはずだが」


 お祖父様やお父様のお背中をずっと見てきたからですよ。

 こいつらがやらかしてきた伝説の数々を知れば、自ずと分かった。こうなってはいけない。幼き日の私は、固く胸にそう誓ったのだ。


「まあ良い。聞きたいのは、いつまでこんなことを続けるのかだ」

「いつまでって……。衛兵さんたちが暗殺者を捕まえてくれるまで?」

「阿呆」


 どつかれた。

 鈍痛が走る頭を抑える。痛さと同時に懐かしさを思い出した。最近はあまり無かったけれど、昔は私が何かを失敗する度にこうして殴られたっけ。


「衛兵が動いている様子がどこにある。お前らが何人敵を捕縛しようと、奴らは何もしない。それが何を意味するか、お前ならわかってるはずだろう」

「そりゃそうだけどさ……」


 衛兵隊は何もしてくれない。おそらく、衛兵隊にも敵の息がかかっていることだろう。となるとこの国の法治にはもう期待できない。

 つまり、自分たちでどうにかするまで、この状況は何も変わらないということだった。


「わかった、わかった。わかりましたよ。ちゃんとやる気出すって」

「当たり前だ。ったく、数日前にすっかりやる気になったかと思えば、多少安全を確保した程度であっさり鎮火しおって」

「できるだけ難しいことは他人にまかせて、自分のテリトリーを守ることだけに専念しながら慎ましく生きてたい……」


 もう一発どつかれた。

 良いじゃないか、それが小市民が抱くべき正しい理想ってもんなんだよう……。どうせ自分じゃ何もできないんだっていう無力感に浸るのは心地いいんだ。私はそういう人でありたい。


「それで。どこまでわかっている」


 おじいちゃんは椅子に腰掛け、もう一つの椅子を顎でしゃくった。座れということらしい。

 ああ、これ、長くなるな。

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