Dream On Dreamer_2
俺に身寄りはない。
生まれた時からそうだった。
俺に親はいない。
ここに来た時からそうだった。
――だがそれ自体は、この世界では決して珍しいことじゃなかった。
そんなやつは周りを見れば山ほどいる。
けれどそれでも大概の奴は楽しくやっていける。
ここはそんな世界だ。
だが慈悲深いこの世界にいてさえ、幸せになれないやつがいる。
幸せを遠ざけなければいけないやつがいる。
誰からも愛されるべきでないやつがいる。
生まれて来るべきでなかったやつがいる。
リンネの業苦――それは、俺達のような性悪が背負うべき罪であり、決して清算することなど叶わない罰なのだろう。
俺には生まれつき、この身に課せられた前世からの呪いがある。
リンネの業苦――それは「見た夢が現実になる」という厄介なものだった。
それが俺の生き方を徐々に難しいものへと変えた。
望まずとも、進んでヒトとの関係を断つことを余儀なくされ、ひと所に留まることを許されなかった。
今まで俺が会ったヤツのほとんどは俺の事を良いヤツだと言った。
アンタは命の恩人だと、涙ながらに感謝されたこともある。
だがある日を境に、殺意を向けられることが多くなった。
お前さえいなければ。
お前さえここに来なければ。
お前にさえ会わなければ。
お前さえ助けなければ。
そうして向けられた惜しげもない憎悪は、俺の中にトラウマを植え付けた。
まぁ、仕方のない事だ。
俺の意思に反して起こった事とはいえ、当事者にしてみれば堪ったものではない。
俺のせいで、大切なヒトを失ったのだ。
そんなの、無理もないだろ。
俺が街を転々とするようになったのはそれからだ。
長くとどまると悪い夢を見る確率が高くなる。
恐ろしい事に、俺の業苦は俺が大切に想う相手へと強く働いた。
俺が誰かを想うと、その夢はその人物へと牙を剥くのだ。
だから俺は、今日も独り。
独り、この小さな世界を、宛もなく泳いでいる。
その方が誰かといるより遥かに楽だったからだ。
元々ヒト嫌いという訳でもなかったが、距離を縮めないように努めている内にヒトとの接し方がよく解らなくなった。
けれど内心、ホッとしている。
俺のように生きているだけで誰かの迷惑になるような奴は、そうあるべきなのだと、解るから。
「まーたキミこんな所にいるのかい?」
もうすぐ日暮れ――小さな公園にある木陰のベンチで寝転がっていると、聞き馴染みのある声に意識を引き戻され、俺は数日ぶりにウンザリと目を覚ました。
「……アナか。」
大都市ケズトロフィス――ここは良い。
あまりのヒトの多さに、誰も彼も個人を気にしない。
その気になれば今すぐにでも友達や仲間を作れるほどの賑やかさ。
半面、誰にも知られず、気にも留められず、まるで空気のように孤独でいるのには最適な街だった。
そう、コイツさえいなければ。
「相変わらずシケた面だね。その黒い羽根と相まって、見てるこっちの気が滅入るよ。」
「うるせぇよ。ならいちいち俺の傍に来るな。」
「そうしたいのは山々なんだけど、こう見えて私も暇でね。相手してくれるのはキミみたいなロクでなしくらいなもんだよ。トホホ。」
「……。」
このお喋りでみすぼらしいアホは、アナスタシア。
ほぼ俺のストーカーであり、小賢しいドルイドのバカ女だ。
「しかしキミってやつは……会いに来るといっつも寝ているなぁ。他にやること無いのかい?」
今日も今日とて着の身着のまま、ダボダボでだらしない黒のローブ。
寝癖すらも滅多に直さないらしく、長い黒髪はいつもボサボサのボサだ。
普段は家に引き篭もっているからか、肌は幽霊のように青白く、ローブの上からも解るほど痩せており、まぁ見るからに不健康そうだ。
日頃ろくに仕事もせず食っては寝て遊び、たまに怪しげな魔法を思いつくとその研究に没頭しているらしい。
つまり言わずもがな、アナは絵に描いたような社会不適合者というわけだ。
まぁ……それについては俺もヒトの事を言えないが。
そして何故だか今日は釣り竿を持っており、それが無性に気になった。
「それで、今日は何しに来たんだ?」
「別に? 暇だから遊びに来ただけ。」
「だろうな……。」
ベンチから重たい体を起こす。
寝不足で疲れた俺の顔を見てアナが嬉しそうに笑ったが、特に意味は無さそうだ。
また、一先ず釣りに誘われるわけでも無さそうで安心した。
この業苦のせいで日々の睡眠は浅くなり、かれこれ三年はろくに眠れていない。
それもあってか、俺は暇さえあればこうして手頃なベンチで寝っ転がっている。
端から見たら自堕落なホームレスだろうし、まぁ大体合ってはいるが。
だが仕事はしている。
それが無い時に限って、こうして体を休めているだけに過ぎない。
「だからそれってほぼ寝てるじゃん。大体キミの仕事って睡眠薬のテスターだろ? 仕事でも寝てるじゃないか。」
「うるさい。」
あー言えばこう言う。
口の減らないやつだ。
仕方ないだろ、寝るのが俺の仕事なんだから。
「最近また革新的な魔法を思いついてね、術の開発が成功したら大金が舞い込むはずなんだけど。
これがなかなか上手くいかなくて、実はちょっと難儀しているんだよ。」
一言文句を言ってやろうかと思った時、アナは珍しく困ったようにそう言った。
いやほんとに、珍しいこともあるものだ。
「ほー……。お前ほどの魔法使いが頭を抱えるなんて、一体どんな魔法なんだ?」
確かこの前は空を飛ぶ魔法に成功し、その前なんかは物体の比重を自在に変えるのに成功していた。
更には対象の時間の感覚を操作したり、声質や色を変えても見せた。
これだけ多彩に魔法を使いこなす者はアナを置いて他にいない。
それは、北の大陸に住む魔法使い達の間では知らない者がいないくらいの常識なのだそうだ。
そんなアナが今回ばかりは一筋縄では行かないらしい。
その魔法というのが――
「炭酸飲料を一気飲みしても絶対にゲップが出ない魔法。」
だそうだ。
「馬鹿じゃねーの。」
「寝るのを仕事と言い張るキミよりは賢いよ。」
「なら寝言は寝て言え。」
「こんな気の利いた寝言なら逆に聞きたくならないかい?」
「いいからもう帰れよ……。俺を寝させてくれ……。」
俺は呆れ、アナが笑う。
それから暫く不毛な会話が続いた。
アナと出会って、もう2年になる。
俺はこの業苦ゆえに街から街へと転々としていたわけだが、以前北の大陸に渡っていた頃「イェレクタラン」という田舎町を訪れた事がある。
イェレクタラン――アナはそこの出身であり、現在もそこに住んでいる。
そんなアナは時折、わざわざ大陸を渡ってこの街に遊びに来るらしい。
そして俺とコイツの出会いは、イェレクタランにある若者の集う小さな酒場だった。
トラッシュボート――まだ20そこらだった頃、その酒場で一人静かに飲んでいた時、アナに話しかけられたのがきっかけだった。
別にそこで仲良くなったつもりは毛頭ないのだが、滅多に大陸を渡ってそこまで来る若者がいない事と、俺と歳が近そうだからという下らない理由でよく絡んでくるようになった。
アナは俺と同じように身寄りのないリンネで、先ほど話した通り、毎日働きもせずにプラプラしている。
して、金の出どころを聞いたことがあるが、どうやら例の魔術の研究成果を貴重な魔術書として法外な値段で自称「知の探究者」達へと売り捌いているらしいのだ。
「ま、そんなわけで、私も気晴らしが必要なのさ。
それに、こうしてキミの哀れで貧相な顔を見ると、なんだか革新的なアイデアが浮かびそうでね。」
「魔法使いってのは憎まれ口も達者だよな。」
「おいおい他のと一緒にしないでくれよ、私は特別。」
「うっぜぇ……。」
得意気に右手で胸の辺りを叩いたアナに本気で嫌気がさした。
どうしてこんなバカそうなヤツに魔法の才があるのか。
そして、どうして「炭酸飲料を一気飲みしても絶対にゲップが出ない魔法」なんてものに大金が動こうとしているのか。
これら全てに、そしてこの星で生きる奴らのバカさ加減にウンザリした。
「あー、バリーだぁ! おーい!!」
「……お? またあの子か。キミも隅に置けないね。」
「うっせ。」
キンキンと公園中に響き渡るその声が近づいてきたのは、俺がため息と共にうな垂れるのとほぼ同時だった。
「おーい!」
「ほら、呼んでるよ? ツンツンっ。」
「……おう。突くな。」
ボーっと座ったまま、声の主がここまで来るのを待つつもりだったが、アナに持っていた竿で小突かれ、俺は渋々立ち上がった。
そんな俺の元まで全力のダッシュで近づいて来たのは、いつからか俺に懐いてしまったこの街の小さい女の子だ。
「バリーにお姉ちゃん、こんにちはっ。」
「クロちゃんこんちはっ。」
「……ねぇ、またこんな所でボーっとしてたの?」
クロエ・ハートバーン。
無邪気なこの赤毛の少女は、この時間になると母親との買い物帰りにこの公園にやって来る。
そういえばクロエはドルイドとヒュムのハーフか。
いずれはこの子もアナのようなロクでもないヤツになるのかもしれない。
そう思うとあどけないその笑顔が哀れでならなかった。
「あのなぁ、クロエ。俺は……そう、太陽にお祈りしてたんだ。」
「――ぷっ! お祈りって……。」
「おまえはさっさとどっか行け。」
「はいはい、お邪魔しましたね~。ロリコンお兄ちゃーん。」
して、ロリコンというのが何かは解らないが、バカにされているのだけはなんとなく解った。
「んじゃね~っ。」
その後アナは持っていた釣り竿に跨ると、さっさとフワフワ空へ浮かんでいった。
あの竿、その為に持ってたのか……。
以前ここへ来た時は真っ赤な絨毯だったし、その前は確かホウキだった。
何故だかそれが非常に様になっていたので今まで全く気付かなかったが、流石に釣り竿となるとその姿は滑稽であった。
「ボサボサのおねぇちゃんバイバ~イッ!」
「お~う、クロちゃんまたね~っ。」
「――たく、アイツは。」
空の彼方へと豆粒のように小さくなっていくアナの姿を見送って、クロエは嬉しそうに手を振っていた。
それに応えるようにアナは大きく右手で弧を描くのが微かに見えた。
さらに時折、飛んでいくアナの姿を見つけたヒトが物珍しそうに指をさして驚嘆の声を上げていた。
そんな数分の出来事、俺はなんだかドッと疲れてしまった。
さてと、そろそろ仕事前にひと眠りしたいが――
「ところでクロエ、お母さんはどうした。一緒に来なかったのか。」
「いるよ? ほら。」
クロエの指さす方を見ると、その女性がニコリと笑い、公園の入り口から俺に向けて小さく手を振っているのが見えた。
アリシア・ハートバーン――ヒュムの女性。
クロエの綺麗な赤い髪はこの母親譲りである。
そして彼女は、俺が最も遠ざけなければならない人物の一人でもあった。
――何故なら俺は、彼女の事が好きだったからだ。




