悪役令嬢になりたくないのに、殿下の婚約者になりそうです⑨
殿下は気を取り直すかのように小さく咳払いをすると、再び笑顔の仮面をかぶる。
「なるほど。エリーカ嬢はミルベラのことを心配しているんだね」
「そうですわ。私、ベラの姉ですもの!!」
自信満々に答えたお姉様に対し、殿下の仮面が剥がれることはなかったが、それでもその奥にある瞳は冷めている。
あぁ、良かった。この人がお姉様と婚約することはなくなりそうで……。
心の底からそう思う。
そして、私はこの人と本当に婚約しなくてはならないのだろうか……と、ひどく冷たい気持ちに襲われた。
殿下が、私のどこを気に入ったのかはわからない。
けれど、そんなの一時的な興味だろう。
殿下にはヒロインがいる。もし、私が殿下と婚約した場合、彼女が現れたら私はどうなるのかな。
たとえ悪いことをしていなくても、私が邪魔な存在になることに変わりはない。
お姉様と殿下に向けていた視線が、下へ下へと落ちていく。
「ミルベラ、気分でも悪いか?」
あんなにも私の気持ちを無視していたのに、意外にもそのことに気が付いたのは、殿下だった。
「顔色が悪い。休んだ方がいいな」
「いえ、大丈夫ですから……」
今の優しさは、私たちの仲が良いと周囲にアピールするためのもの? それとも、本心?
あぁ、こんなことを考えてしまう自分が嫌だ。
「ベラ、帰るわよ」
決定事項のように、お姉様が言う。
でも、お姉様はまだオーガスタ皇子と出会えていないはず。
お姉様の出会いの邪魔をするなんて、私にはできないよ。
「馬車まで送るわ」
「あ、はい……」
そうだよね。私が一人で帰るに決まってるよ。
勘違いして、恥ずかしい……。
なんて思っていたら、お姉様が私の耳元に顔を近づける。
「オーガスタ皇子は、どこ? 顔さえ分かれば、必ず射止めてくるから安心なさい。そうすれば、殿下からベラに婚約の打診が来ても断りやすいわ」
「お姉様……」
「ふふっ。皇子と婚姻すれば、公での身分は互いに王族だから差はないけれど、帝国とファルコスタ王国ならどちらが上か明らかよね。任せなさい。私がより高みへと行くことで、ベラを守ってあげるわ。そして、皆が私に跪くのよ」
普段なら、だから悪役令嬢なんだよ……と思うところだけれど、今はとても頼もしい。
私もお姉様のためにできることをやらないと!
「殿下、帰る前に側近候補の方々を紹介していただけますか?」
「それは構わないが、知り合いも多いだろ?」
「私が仲良くさせていただいているのは、彼らのお父様たちですから。私の中では知り合いというより、甘いもの好き仲間のご子息という位置づけなんです。これから先、会う機会が増えるかもしれませんから、ご挨拶をしておこうと思いまして」
これを言うと、婚約に前向きみたいで嫌だけど、確実に紹介してもらって、オーガスタ皇子を探すためだ!
「……今日じゃなくてもいいだろ。無理はするな」
「本当に大丈夫ですから、お願いします」
紹介してもらえば、誰がオーガスタ皇子かわかるはず。
それに、みんなに息子に会ったら少し話でもしてみてほしいと頼まれているし。
じっと殿下を見て、答えを待つ。
すると、殿下は私の目を手で覆った。
「……え?」
何で?
この手は退けていいの……かな?
「殿下?」
どうしたらいいのか分からず呼ぶけれど、返事はない。代わりに唸るような殿下の声が聞こえた。
「どうして、あなたは──」
「あらまぁまぁまぁまぁ! そうでしたの、そうでしたのね!! 私、すべてを理解してしまいましたわ! 殿下、ベラをよろしくお願いいたしますわね」
苦しそうに発せられた殿下の言葉に、お姉様の楽しいと言わんばかりの声が被せられる。
「エリーカ嬢?」
「大丈夫ですわ。きっと、うまく行きますわよ。私、応援いたしますわ!!」
何がなんだか分からず、殿下の手を急いで退ける。
そうすれば、明るい笑顔のお姉様が見えた。
「ベラ、殿下と婚約なさい。お姉様命令よ!!」
「え!? さっきはしなくていいって!」
「状況は刻一刻と変わるものなの。分かるでしょう?」
いや、分からないよ。
私が目を塞がれている間に、何があったっていうの?
「お姉様、私にも分かるように説明してください」
そう頼めば、呆れたようなため息をこぼされる。
「仕方ないわね。いい、殿下がこんなにもベラのことを想ってくれてるのよ? 身分◎、愛情◎、顔◎、性格は……分からないけれど、少なくともベラには優しいはずだわ。今のベラにとって、最高の相手よ!!」
「ちょ、ちょっとお姉様!! 愛情って、どこから出てきたんですか!?」
どうやって、お姉様を自分側に取り込んだのよ!
悔しくて殿下を見れば、ふいっと視線を逸らされる。
どこをどう見たら、愛情を感じられるっていうの?
「どこからって、殿下の耳かしら」
「耳?」
そう言いながら見れば、殿下の耳は真っ赤に染まっていた。
「……え!?」
「ほら、紹介するからさっさと行くよ」
そう言いながら、掴まれと言わんばかりに腕を差し出される。
エスコートだと分かっていても、ためらっていれば、お姉様にポンと肩を叩かれた。
「ベラ、殿下に恥をかかせてはいけないわよ?」
「…………はい」
急に味方は誰もいなくなり、お姉様の圧に逆らえない私は、泣く泣く殿下の腕に手を回したのであった。




