悪役令嬢になりたくないのに、殿下の婚約者になりそうです③
「何してるの? 早く挨拶なさい。皆さまが待っているわよ」
ひー! やっぱり挨拶しなきゃならないの?
ざっと見ても百人はいるよね?
こんなに緊張をするのは前世の職場で開催させられた勉強会以来だ。
私、人前苦手なんだよー!
「……ベラ。私に恥をかかせないで」
底冷えするような温度のない声に、冷や汗が止まらない。
あぁぁ、そんな不機嫌そうに見ないで……。
HPがごりごりに削られていくのがわかる。そろそろゼロになりそうだよ。
とにかく挨拶をしないと。早く、お姉様からのプレッシャーと、たくさんの視線から解放されたい……。
「ミルベラ・ラットゥースでございます」
どうにか笑顔でご挨拶をする。
カーテシーもメリッサ先生から教えてもらっているとおりにできたはず。
けれど──。
「……それだけじゃないわよね?」
「も、もちろんです」
及第点には届かなかったらしい。お姉様からの圧が弱まることはない。
「普段は父の手伝いをしており、久々の社交界となります。どうぞ仲良くしてくださいまし」
これで、どうよ! と、お姉様を見れば扇子で口元を隠して盛大なため息を吐いている。
「ベラ、社交界は戦場なの。あなたの挨拶は、まったくもって足りてないわ。仕方がないわね、そこで見ていなさい」
そう言うと、お姉様は扇子をパチリと閉じた。
「皆様、ミルベラは内気なところはありますが、とても優秀ですの。算術は我が家の誰よりも早く、ミルベラが作成した資料は王城でも評判でしたのよ。それから──」
お姉様は私の良いところをあげてくれるけれど、その全ては前世の小学校で習ったものや、会社員として書類業務をこなす上で身につけたもの。
この世界の計算は足し算と引き算しかなく、書類を作成するにしても表やグラフという概念がない。
そのことを知らずに前世の感覚でやったら、学問の才能があると勘違いされてしまったのだ。
「でもそれって、文官の仕事だよな」
「公爵家の令嬢がすることではないわね」
「っていうか、社交界に出ないで家の仕事って……。ただの引きこもりじゃないのかしら」
ひそひそと、そう話す人たちが出始め、場の雰囲気は微妙なものへとなっていく。
お姉様はそのことにいら立ちを隠すことなく、一人の令嬢に向かって歩いていき、扇子でその令嬢のあごをクイッと持ち上げた。
「あなた、私の妹を馬鹿にするなんていい度胸ね。馬鹿にするってことは、当然あなたはベラよりも優れているのよね? ねぇ、あなたのどこがそんなにも優れているか、教えてくださる?」
お姉様に詰め寄られた令嬢はカタカタと小さく震え、顔色を悪くするだけで、何も答えない。
さっきまでひそひそと話していた声も今は止み、私たちの周りは静まり返っている。
「お、お姉様!? 私は大丈夫ですから」
「ベラが大丈夫でも、私が大丈夫ではないわ。早くあなたの優れているところを言いなさい」
扇子を顎から頬へと滑らせ、お姉様は令嬢の頬をぺちぺちと叩く。
その力はさほど強くないけれど、弱い者いじめをしているようにしか見えない。
「……答えないということは、ないのね? ねぇ、何で私がベラの頭の良さを話題に選んだのか分からない? 美しさは誰が見ても分かるから、あえて言わなかったのよ。あなた、何一つとしてベラに勝てるところがないのに、よく悪く言えたわよね。あぁ、妬みってやつかしら? なんて醜悪なのかしら。見た目がイマイチなら、せめて心くらい美しくいてほしいものだわ」
そう言いながら、お姉様はくすくすと笑う。
あぁぁぁぁ、ヤバいヤバいヤバい!
悪役令嬢感、満載過ぎるって!
この状況、どうするの? どうしたら、丸く収まるの!?
というか、お姉様は丸く収める気ないよね? あーーー、もう! 私がどうにかするしかないじゃんか!
こうなったお姉様、めっちゃ怖いんだからね!? 何てことしてくれたのよぉぉぉ!
「おおおおお姉様!? 私、自分で話をつけます! どうか私に任せてください‼ どちらが上なのか、思い知らせてみせますからぁぁぁ!」
必死にお姉様の腕に縋り付けば、お姉様は私に視線を向ける。
「この方が二度と歯向かわないようにできるかしら?」
「もちろんです! 何が何でも、歯向かわせません!」
だからお願い、悪役令嬢ムーブやめて!
あまりに強い眼差しから逃げ出したくなる気持ちを押さえて、お姉様の目をじっと見返す。
すると、お姉様は令嬢の頬を叩いていた扇子を下げた。
「もし、次に歯向かっているのを見たら、わかっているわよね?」
「は、はい……」
私が屋根裏部屋行きになるってことかな……。
お姉様、容赦ないって。いや、他人に比べて私には手加減してくれてるっぽいけどさ。
たぶんこのまま放っておいたら、この令嬢、どこまでも吊るしあげられてたよね。しかも、それだけじゃ足りなくて、令嬢の生家も危なかったと思う。
小説で、悪役令嬢は気に入らない相手の家の事業を追い詰めたり、時には没落させるって書いてあったもんなぁ。
「じゃあ、早く始めなさい」
「……え?」
「きちんとできるか、見ていてあげるわ」
う、嘘でしょ!? 陰でこっそり二度とお姉様の地雷を踏まないようにお願いするつもりだったのに……。
「お姉様、申し訳ありませんが、それは致しかねます」
「何故?」
不機嫌そうに眉をひそめたお姉様に笑顔を返すけれど、心は悲鳴をあげている。
「私には私の戦い方がありますから。周囲には聞かせられない内容なので、場所を移そうと思います」
そう言いつつ、私はお姉様の耳元に近づく。
「王城に出入りしたり、お父様の仕事を手伝っている間にいろいろと入手した情報があるので、ちょっと脅してきます」
その言葉にお姉様はとても楽しそうに笑う。
「そういうことなら、いいわ。あとでその内容を私にも教えてちょうだい」
「……申し訳ありませんが、いくらお姉様でもそれはできません。私が社交界で生きていくための切り札ですから」
「あら、残念だわ。では、それがどういう反応だったか教えてね」
「それはもちろん」
よ、良かったぁ。
もっと深く追及されるかと思ったけど、大丈夫だったな。
「じゃ、行きましょうか」
私はその令嬢の手首をつかむと、会場内でも人のあまりいないところへと連れて行った。
私が足を止めたところで、令嬢は震えながら頭を下げる。
「ご、ごめんなさい。許してください。何でもしますから……」
明らかに怯えていて、何だか私まで悪役になった気分……って、この令嬢からしたら私も悪役かぁ。
「謝らなくていいですよ。あと、何でもするなんて言ってはいけません。付けいられますよ」
「……え?」
驚いたように私を見たあと、令嬢は私を馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「なーんだ。妹の方は、大したことないのかぁ。エリーカ様のおかげで偉そうにしてるってわけね。謝って損したー」




