第26話「決闘前夜」
一日中特訓が始まってから六日目の午前。赤桐君との試合を明日に控えているからか、いつになくエリスと暮葉の指導は厳しい。
特訓内容は、ゴムナイフを持ったエリスと暮葉の攻撃をひたすら避け続けることだ。
エリスは特訓に熱が入りすぎてか、
「忍者だ! 自分を忍者だと思え!」
といってくる始末である。
まあ、外国からきた彼女にしてみれば、日本といえば侍か忍者を連想するのだろうから仕方がない。
「いいぞ! 彼方は忍者だ。その調子で避け続けろ!」
「イエス! アイアム忍者!」
……いかんな。どうやら俺の頭も手遅れだったらしい。
まあ、俺の頭が手遅れなのは今に始まった事ではない。今日のところは、この変なテンションに任せて突っ切らせてもらうぜ。さあ、どんな攻撃でも避けてやんよ!
「よし、少し休憩!」
「お、おう」
「彼方。はい、タオル。エリスさんも」
「うむ!」
「ありがとう暮葉」
暮葉から手渡された真っ白なタオルで、体にべっとりと纏わりつく不快な汗を拭ってから、ボトルのスポードリンクを一気に飲んだ。
疲れが消し飛ぶ、なんてことはなかったが、それでも少しは疲労が回復した。一方でエリスは涼しい顔をしていた。
汗をあまりかいていないといえば、新陳代謝が悪いようにしか思えないが、エリスに限ってそれはないだろう。きっと、この程度の運動はエリスにとって汗を沢山かく程の運動ではないということだ。
十分程度、談笑でもしながら休憩して、特訓は開始された。
「さて、引き続き回避の特訓を始めよう!」
「アイアム忍者。イエァア!」
「どうした? 疲れで頭がやられたか?」
「……うん。そうみたいだ」
少し納得がいかないが、俺自身このテンションを続けるのは無理がある気がしていたんだ。このテンションを止めるには丁度いい頃合いだろう。
「なにぼさっとしてる、いくぞ!」
エリスと暮葉が左右からゴムナイフで突いてくる。俺は一歩下がってそれを避ける。立て続けにエリスが懐に飛び込んでくる。ゴムナイフの切っ先を俺の鳩尾に向けて、確実に獲物を仕留めるような鋭い一撃を放った。当たれば当然、内蔵が押しつぶされて吐くだろう。
その未来を選ばない為にも、俺は体を無理矢理捻り、ナイフを躱した。
「私も忘れちゃダメだよ!」
エリスの攻撃を躱した直後、横から暮葉が飛び出してくる。エリスの攻撃も鋭いのだが、さすが小太刀使い、暮葉の刺突はエリスを凌ぐ速さで繰り出される。
大変不本意だが、おそらく躱せない。
だから、黒夜叉を使った。
ゴムナイフは黒夜叉の腹にぶつかると、ぐにゃりと刃を変形させて反動で暮葉の手から飛び出した。
「ずるい! 反則だよ!」
暮葉がふくれっ面で抗議してくる。
俺はそれを軽く受け流しつつ、エリスの方に向き直る。
「決闘は明日だし、霊装を使いながらでもいいよな?」
「ふふ、かまわないぞ。そっちの方が面白そうだしな」
「……というわけだ暮葉」
「ぬぬぬぬ! でも、ずっとはダメだからね!」
「俺もそのつもりだよ」
そう言いいつつ、特訓を再開するにあたって俺は二人から距離をとった。あくまでも黒夜叉は、くらったらまずい攻撃を防ぐ為の、最終兵器。基本は俺が自分の足で、敵の攻撃を躱していく。
「よし、再開といこう!」
そのエリスの合図で、再び暮葉とエリスがゴムナイフ片手に攻めてきた。二人ともとても楽しそうに、容赦なくゴムナイフを振るってくれる。当たるとさ、結構痛いんだよ?
◆◆
俺は自室のベッドに寝そべりながら、天井を見つめていた。
「暇だ」
決闘を明日に控えた俺が、なぜこんな風にダラダラしているのか、経緯を話そう。
特訓が再開された後、特訓は休みなしで昼休みまで続いた。
昼休みの時間は、今日も今日とて暮葉の弁当。今日の弁当の内容は、プルコギとかいう肉や本格的なハンバーグだ。エリスがとても嬉しそうに弁当を食べるのはいつものことだが、今日は一段と嬉しそうに食べていた。
原因はハンバーグ。
どうやらエリスは、初めてハンバーグを食べたらしい。今度、回転する寿司屋に連れて行ってやるとしよう。
そして俺たちは、談笑を交えながら一時間程で昼食を食べ終えた。昼食を食べ終えたことだし、いざ特訓。かと思いきや、今日の午後の特訓は中止だと突然告げられた。
エリスが言うには、今日はもうゆっくり休めとのことだ。
そんなわけで、ゆっくり休めと言われている俺は筋トレをするわけにもいかず、現在はベッドに寝そべり天井を見つめている。
天井に特に面白い何かがあるわけではない。
さっき口から漏れたように、暇なんだ。
「休めって言われてもなぁ」
不思議な感覚だった。
ほんの一ヶ月ちょっと前は、こんな風に暇な日々をダラダラ過ごすのが得意だったというのに、今では暇である現状に文句をつけている。
この変化は、きっとそれなりに行動してきたからなのかもしれない。もしくわ、偶々、ダラダラする気分じゃないだけなのかもしれない。
今は、前者であると思っておこう。
少なからず、俺は変わっていた。
これだけは、自分でも否定はしない。
俺はエリスと出会い感化され、少しは変わった。
確かに、所詮人間なんて少し感化されたぐらいでは、その根本は変わらないのだろう。ただ、根本が変わっていなくとも、何かしらの変化がある筈だ。
俺の場合は、努力してみようと思ったこと、なのだろう。
おそらく、いやきっと、俺一人では努力できなかった。なぜなら、人間の根本はそう簡単には変わらないから。
だから、周りの人間を頼った。
変わらない自分を変えるために、周りの人間に頼って自分という人間を無理矢理変えた。
一人だったら、身体を壊して努力することを諦めていただろう。
一人だったら、毎朝の二○キロランニングなんて耐えれないだろう。
一人だったら、辛い努力の日々に押し潰されていただろう。
一人だったら、辛い特訓から、現実から逃げていただろう。
そう考えると、どんだけ俺は恵まれているんだ。
こんなの俺ぐらいじゃないか?
というわけだから、決闘では俺が勝とう。
こんなに恵まれているのに、負けるだなんて許されない。
何より、俺が俺を許せない。
今まで負け続けてきた俺だけど、次も負けるだなんて運命で決まっているはずがない。
少なからず俺が変わったように、運命もきっと変わってくれる。
いや、変えてみせよう。
この世が諸行無常と言うのなら、未来だって運命だって理だって変えてみせる。別に俺は、仏教徒でもなんでもないけどな。
決闘は明日だ。少し早いが、起きていても仕方ない。
それに、どうせ午後の七時頃には目が覚めるだろう。
俺は、ここ一ヶ月ちょっとの間の出来事を、一から順番に思い出しながら眠りについた。
◆◆
「…………んあ⁉︎」
ピピピピピッと、何処かでヒヨコタイマーの音が鳴った気がして、俺は目を覚ました。自室を出て、リビングに向かった。俺以外いないはずなのに、リビングには明かりがついていた。寝る前に、リビングの明かりは消したはずだが……。
「あっ! ようやく起きたんですね先輩!」
……だいたいそんな感じはしていた。
「どうやって入ったんだよお前」
「……いやいや、鍵開けっぱなしだったジャナイデスカ」
「おい、語尾が片言だぞ。……まさか、お前! ピッキングしたってのか⁈」
「ち、違いますよ! 本当に鍵がかかってなかったんです!」
「……本当にか?」
「イエスに誓います」
香夏は胸元で十字を切る。
お前、いつからキリスト教徒になったんだよ。
まあ、そんなことはどうでもよくて。香夏がどんな方法で俺の家に侵入したのかもどうでもよくて。
リビングに向かう廊下でも、少し気になっていたのだが、リビングに充満する美味しそうな匂いはなんだ?
「……何か作ってるのか? というか、お前料理できたっけか?」
「まったくできません!」
ふふん、と胸を張る香夏。
「……なら、この匂いは?」
「カップ麺です!」
またもや、得意気に胸を張ってテーブルの上を指差した。
確かにカップ麺がある。
まあ、そんな気はしてたけどさ。
「私、カップ麺を作るのは得意なんですよ」
「残念ながら、カップ麺を作るのに得意不得意なんてない」
「……そんな馬鹿な話があってたまりますか!そこまで言うのなら、丁度出来上がったので食べてみてください!」
俺は座布団を尻に敷いて座り、テーブルに置かれたカップ麺をひと口食べた。
「……う、うまい!」
この味は、俺がいつも食べてる安物のカップ麺とは大違いだ。
「ふふふ、流石私のカップ麺スキルですね」
「いや、そうじゃなくて。このカップ麺自体が、美味しいって話だからね。勘違いしないでね?」
「お湯は注ぎましたよ!」
「…………」
今はこいつのことは無視して、カップ麺を食べることに集中しよう。早く食べないと麺がのびてしまう。
「無視しないでくださいよー。私がカップ麺持ってきてあげたんですよ?」
「はいはい、サンキュー。お前も早く食べないと麺が伸びるぞ?」
「もう食べてますよ、もぐもぐ。もう少し感情込めて感謝してください、もぐもぐ」
「もぐもぐって言葉で言うなよ、もぐもぐ」
「先輩だってもぐもぐ言ってるじゃないですか、もぐもぐ」
こんな感じのアホなやりとりをしながら、俺たちはカップ麺を三十分ほどで食べ終えた。カップ麺を食べ終えた後は、九時頃までトランプやらボードゲームをして遊び、十時頃に香夏は自分の家に家に帰った。
香夏が帰った後、俺は風呂に入ってから歯を磨き、ベットに寝っ転がった。
遂に明日、俺の努力が試される。
自信半分不安半分。
その半分の不安を打ち払うように、俺は明日に備えて今までの感慨にふけることもなく、すぐに目を閉じて寝に入っていた。




