#43.わたくしが“守る”
◇◇◇
(ん〜……気まずいな。どう声をかける? まずは謝る。それから──)
川音がさらさらと胸の中の雑音を洗っていく。土手の草は風に伏せ、陽が水面に砕けて、銀の鱗みたいな光がばら撒かれていた。少し離れたところで、セリエがじっと川を見ている。横顔は強がっているのに、目もとは赤い。頬に乾いた涙の跡が一本、髪に隠れて残っていた。
(俺は、ほんとデリカシーがない。さっきのは最悪だった)
ゲームの“イベント”なら、選択肢がふわりと脳裏に浮かぶ。最適解も、突破報酬も、セーブ&ロードもある。けれど今は違う。これは現実だ。
俺の三回目の転生にして──当たり前のことに、やっと骨身で気づいた。ラミーと違って、俺はセリエと“パートナー”になった周回が極端に少ない。だから、彼女の癖も、間合いも、地雷も、まだ掴めていない。
それは、セリエが“メアリ”みたいに低出現率だったからじゃない。単に、俺が首席にこだわった周回をほとんどやってこなかっただけだ。
“シミュラクル”の解析ガチ勢は、リリース初期にこう結論した──学園の成績とメアリの出現率に相関はない。だから俺は、多くの周回で首席狙いを切り捨てた。
学園二年目の転入生紹介のタイミングでメアリが登場しなかった瞬間、心は折れかけて、次の効率ルートに手を伸ばす。イベントを開放しておけばスキップもできるし、固有グラは観賞用に集める“仮目標”にもなる。首席を取れば絆システムで好感度を爆上げできるから、メアリを引けたときのために分岐や試験問題の全回答は叩き込んだ──要は、その程度の打算だった。
(……でも、もうNPCなんていない。セリエたちは俺と同じ、ここで生きてる人間だ)
覚悟を固めて一歩踏み出す。呼吸を整え、声をかける角度を決め──その瞬間だ。
川面が盛り上がった。眩しい反射が一層強く弾け、影が水から跳ねる。水飛沫の幕の裏から、緑黒の鱗、平たい吻、濡れた黄色い眼。槍を抱えた蜥蜴型の水棲魔物──リザードマンが、弾丸みたいな姿勢で飛び出してきた。
水に入ったこいつらの表皮は周囲の色に溶ける。陽光のフレアも重なって、セリエの視線は欺かれていた。
(やばい──!)
考えるより先に脚が出る。⦅韋駄天⦆、起動。瞬時に“敏捷値”が3倍に跳ね上がる。
踵が地面を蹴った感触と同時に、世界が細く伸び……ない。速い。速いはずなのに、遅い。前の周回のあの“軽さ”と比べるのが馬鹿らしくなるほど、身体が重い。魂が空転して、肉体が追随しないみたいな、緩慢な粘り。
(なんでだ……? いや、間に合え!)
リザードマンは跳躍の勢いを保ったまま、槍を投げた。狙いはセリエの胸元。彼女の口から、音にならない息が漏れる。
「……ぁ……え?」
時間が収束する。俺は進路を切り替え、セリエの肩を押し出しながら、自分の身体を彼女と入れ替えた。
──ズンッ
鈍い衝撃が腹腔を貫き、背中で地面が鳴った。肺に入った空気が勝手に逃げ、鉄の味が舌に流れ込む。
「っ……ぐぅ!」
膝が折れる。視界の縁で、セリエが摺り足で体勢を立て直すのが見えた。何が起こったか、理解の順番は追いつかなくても──誰が庇ったかだけは、真っ先に届いたはずだ。
「──フィン!?」
彼女の叫びが近づくより速く、リザードマンがシュルルルと喉を鳴らす。投擲は本命から逸れたが、獲物の肉に刺さっていればそれで良い。あとは、金の髪をしたもう一人を仕留めればいい。あいつの黄色い眼が、順番を数えるみたいに細まる。
(盾は……ない。いや、セリエがいる)
セリエは滑り込むように俺の前に出た。俺とリザードマンの間に、大楯が立つ。肩で押し上げる瞬間、甲冑の金装飾が陽を撥ね、彼女の顎がひとつ強気に上がる。
リザードマンの槍はまだ俺の腹に刺さったままだ。だが奴は丸腰……ではない。鉤爪、尾、噛みつき。だが、間合いはこっちが取れる。
(まずは魔物を落とす。次に撤退ルート。応急処置は……くそ、思考が散る。痛みでリソースが削がれて──)
「フィン、ごめんなさい。貴方を“守る”のがわたくしの役目ですのに……。でも、もうこれ以上はやらせませんわ」
俺の方は見ない。視線はただリザードマンだけ。声は震えていない。セリエは右手で斧槍の石突を地につけ、左腕で大楯を固める。前足を半歩開き、踵を地に噛ませ、腰を落とす。学園で何百回も見た、彼女の基本構えの完成形だ。
喉が焼ける。俺は呼吸を整えながら、腹の槍柄を握って動かさないよう固定する。まだだ、⦅自動回復⦆を待て。⦅止血紋⦆の相乗で時間を稼ぐ。下手に抜けば、出血で終わる。血潮は盾の下から土に落ち、暗い花を咲かせて広がった。
リザードマンが低く身を沈める。尾が砂を弾き、左側にフェイント。セリエは乗らない。楯面をわずかに傾け、反射光で魔物の瞳を刺す。踏み込みが止まった瞬間、彼女の喉から怒りが漏れた。
「許さない……肉に変わるのはお前の方ですわ! 覚悟なさい、この蜥蜴風情が──!!」
咆哮。大楯が踏み鳴らされ、土が震える。斧槍の穂先が一直線にのび、朝の光を割って、リザードマンの胸元へ──突き出される。
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【次回】#44『白金の姫騎士』
戦いは優勢。このまま押し切る。そう思った矢先、リザードマンの狡猾な習性が目を覚ます。
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