#38.閑話──観測者ルシフェル
◇◇ 狭間の空間・観測者の間──
無辺の白に金の環が一つ、静かに回っている。
観測者たるルシフェルは、その環の内側に浮かぶ“窓”へと視線を傾けた。
今の彼は三対六枚の翼──識天使の姿を取る。羽は呼吸のたびに微かに鳴り、散る光粉が空を撫でるたび、虚空にうっすらと幾何学の紋が走った。
窓の向こうでは、かつて万魔殿の最下到達層を更新したこともある一人の“主人公”が仲間と共にダンジョン最奥でボスと対峙していた。言うまでもなく、その練度も装備も、今のフィンとは比べものにならないほど桁外れに高い。
『ふうん。ここまで完成度が高くても、所詮はゲーム──長く遊ばせるための“コンティニュー前提”の設計。現実になった瞬間、残機のない世界で同じバランスを強いられる。これは盲点だったね』
轟き。
黒曜の甲殻を持つ巨影が吠え、床紋が赤熱する。
「⦅結界陣⦆! 抜けさせないで!」
「⦅穿貫矢⦆! ……っ外れる、硬い!」
「近接、寄せる! ⦅双斬⦆!」
──刹那、巨腕が横薙ぎに走る。盾役の男が踏み込んで吼えた。
「来いよ、俺が壁だ! ⦅地脈盾⦆!」
火花。衝撃。土の壁が砕け、石片が雨のように降る。
「マリエラ! 回復を!」
「⦅治癒⦆! ……っ間に合いません、退いて!」
ルシフェルの“神の目”に映る彼らは、まるで過去のログをなぞるように動く。プレイヤーに操作されていた頃の嗜好や癖が骨の髄まで刻まれ、いまは自我を持つ生きた人間でありながら、それでも“主人公”の手順に従って戦い、同じ死地へと脚を運ぶ。
「ハキーム、抑えられるか!」
「任せろ! ⦅挑発吼⦆! ⦅断鎚⦆!」
黒影の尾がしなり、音を置き去りにして突き刺さる。
鈍い音。巨体がのし掛かる。
「ぐぁああああっ!」
「ハキーム!? 撤退、撤退よ! 全員下がっ──きゃあ!」
「マリエラ、伏せて! ⦅聖障壁⦆!」
白光が一瞬、血潮を鈍色に照り返し、すぐ暗く沈む。
ひとつ、またひとつ、生命の灯りが途切れていく。
……
『……また一つ、“シミュラクル”が終わったか。彼には少し期待してたんだけどね』
翼がひとふり、金の環に影を落とす。ルシフェルは視線をそっと窓から外し、指先で虚空に円を描いた。光がほつれ、別の無数の窓が手毬のように瞬く。
『さて──まずはこの“世界の選別を生き延びる“シミュラクル”はいくつ残るのかな』
唇に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
『紅茶でも淹れよう。そろそろ彼が戻る頃だし……そうだ、この姿で待っていたら、きっと驚くよね』
掌を傾けると、空気が鈴の音をたて、琥珀の液体を湛えたカップがふわりと現れる。
香はレモン。湯気が羽根を曇らせる。
『────!? ごほ、ごほっ……熱っ』
ひとくち早かったらしい。涙目で咳き込みながら、しかし彼は機嫌がいい。
観測者であっても未来のすべてが見えるわけじゃない。ときに思いもよらないハプニングが裂け目のように口を開け、そこに真理への糸が覗くことがある。だからこそ──
『期待しているよ、フィン』
ルシフェルはレモンをスプーンで沈め、もう一度“彼”の窓を覗き込む。
そこでは、別の道筋が、まだ途切れていなかった。
羽音だけが、白い間にやわらかく響いた。
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【次回】#39『攻略法』
次の周回へ向け、俺は災厄の攻略法を探る。ルシフェルのうなずきが、次の転生先へと背中を押す──ここだ。
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