#35.魂の共有
◇◇ 狭間の空間・観測者の間──
ルシフェルの笑いがようやく余韻だけになった。白い無地の床なき床が、彼の笑いに合わせて水面みたいに波打っては、すぐにまた無音へ沈む。三対の翼は音もなく畳まれ、羽先から零れた光の鱗粉が、ゆっくりと浮かんでは消えた。湯気の戻った琥珀色の茶が二つ、空中の見えない卓の上で心臓の鼓動みたいに微かに震えている。
会話ができる顔に戻ったのを見て、俺は切り出した。
「ルシフェル、教えてくれ。転生先の世界で、俺の“パートナー”が前世の俺の記憶を持っていた。そして、スキルの継承元に選んだ記録で“パートナー”だった相手も、何故か俺のことを覚えているようだった。あれはいったいどういうことだ?」
問いを投げると、彼の背後の白に、薄い金線が一本すっと引かれた。線はすぐに枝分かれし、蜘蛛の巣みたいな図を宙に描く。
『……うん。そのことだけど、ごめん。君みたいにいくつもの並行世界に“一つの魂”を写し変えていく存在って他にいなくてね。正確には私もわからないんだ。それにシミュラクルの世界におけるパートナーっていうものが、あんなに強い結びつきを持った存在なんだということを認識できていなかったんだ。あれは私の責任だよ』
彼は掌をひらりと返し、金線の分岐点に触れる。触れたところが星みたいに淡く光った。
「で、どうなんだ? 次の転生で、あの二人から前世の……、これまでの記憶を消すことは出来るのか?」
ルシフェルは顎に指を当て、片目だけ細める。羽根の一枚が心持ち重く下がった。
『うーん、そうだねぇ。私の推測がその通りだとして、それは、現在の“君の魂”からこれまでに取り込んだ“彼女たちの魂”を分離するって事になるんだけれど、それは相当難しいと思う。ほら、フィンのバックアップなんて取ってないし、下手したら廃人になるよ?』
白い空間に、紙を破るみたいな細いひびが走って、すぐに塞がる。(バックアップ、ね。便利な言葉だ)
「そうか……なら、詫びだと思ってもう少し教えてくれ。俺の記憶はあいつら──ラミーとミレッタにはどう共有されていたんだ?」
ルシフェルは一度うなずくと、指先で空を二度、軽く叩いた。光の粒子が立ち上がり、二つの小さな光輪が現れる。一つは猫目みたいに橙色、もう一つは紫色に脈打っていた。
『それじゃ説明しようか。だけどこれから語ることは事実半分、憶測半分だ。これから先転生を重ねるうちに、もしかするとこれが間違いだったって君に言うことになるかもしれない。それでも聞くかい?』
「ああ、憶測でもいい。わかる範囲で構わないから教えてくれないか」
『わかった。ラミーちゃんって娘には君がファーストだった時の記憶が“夢”という形になって共有されていた。これは、二回目の転生でパートナーになったラミーちゃんが、君と一部魂を共有していたからだと思う。それほどまでにパートナーと君との結びつきは強い』
橙の光輪から、細い糸が俺の胸元へ伸びる。糸は心拍と同じテンポでわずかに震え、やがて白に溶けた。
「転生先のパートナーには、そこに転生するまでの俺の魂の一部──つまり“記憶”が入り込む……ってことか?」
『そう、全部ではないにしろ、特に、前世で“パートナー”と過ごした強い記憶やイメージは露骨に流れ込むだろうね。詳細な思考までは明確に伝わるかどうかわからないけれど、具体的に見たもの。発した言葉なんかは伝わってしまうと思う。強烈な記憶であればあるほど、ね』
彼はもう一方、紫の光輪に触れる。輪がほどけ、複雑な紋様を描きながらまた円へ戻る。ミレッタの声が白の奥で遠雷みたいにくぐもって、すぐ消えた。
「そうか、では、ミレッタにはどうして俺の記憶があったんだ?」
『彼女は、自分が君の“パートナー”であるという記憶が残っていたよね。それは、君が彼女をパートナーにした時の世界の魂──つまり、スキルを継承したからだと思う』
「それは、その通りだ。俺が今回転生する前に、ミレッタをパートナーにした世界のスキルを継承したのは確かだ。だが、ミレッタは2回目の転生先ではパートナーじゃないぞ?」
『そうだね、それはおかしいよね。けど逆に、君も転生するたび“パートナーの魂を共有”──つまり“彼女達の魂”の一部を取り込んでいた──と考えれば、しっくりこないかい?』
白の天蓋(ないはずの天)に、無数の細い線が立ち上がっては消える。一本一本が別の周回の残像みたいに瞬いている。
「つまり、俺の魂に刻まれた“パートナーとしてのミレッタ”が、今回の転生では“パートナーではないミレッタ”と魂の共有を引き起こすきっかけになったってことでいいか?」
『そういうことになるね。たぶん、君の前に現れた時点では、君の魂から漏れ出た記憶を実際の自分の記憶であるかのように感じてたんじゃないかな? しかし、実際には君のパートナーはラミーちゃんで、君は彼女にとっての“本物”ではなかった』
ルシフェルの声がほんの少しだけ低くなる。羽根の陰が、白の上に柔らかい影を落とした。(影ができる、か……ここで?)
『いつからかはわからないけれど、彼女はそれに気がついて、本当のパートナーである君を求めてあの世界から消し去った、また会いに来るようにとも言っていたね。……私なら怖いから絶対に嫌だなぁ』
「俺もヤだよ。あいつめっちゃ強いけど、いわゆるヤンデレだから本当苦手なんだ。ええと、難しいが結局のところ──、俺が転生するたびに、俺の“パートナー(仮)”って奴がどんどん増えていくって考えていいのか?」
苦笑いが勝手に口の端を引いた。ルシフェルはわざとらしく肩をすくめる。
『平たく言えばそうだね。やったじゃないかハーレムみたいで』
「いや、俺はメアリ“一筋”だから──でも待てよ?」
口に出した瞬間、白の空間にかすかな香りが走った。たぶん、記憶の匂いだ。雨上がりの石畳、古い紙の匂い、誰かの笑い声の温度。
「じゃあ聞くぞ? 俺がもし現在“メアリ”の元へ転生したとして、仮にすぐにその世界で死んだとしても、俺とメアリはその後の転生先の世界であっても“パートナー(仮)”として生きていけるってことじゃ無いのか?」
ルシフェルはカップを持ち上げ、香りを嗅いでから一口。わざと間を置くみたいに、翼を一枚ずつゆっくり伸ばしていく。
『下衆い考えだなぁ。まあ、君ならそうくるかもと思ったよ。だが、それはやめておいた方がいい』
「それは何故だ?」
白の空が、遠雷の前みたいに暗くもならないのに、どこか温度だけが下がった気がした。ルシフェルの横顔から冗談の光がすっと引く。
『端的に言うと──』
彼は指先で空に小さな円を描く。そこに一瞬、古い街並みが映って、すぐ消えた。
『“メアリ”は君が彼女に出会ったあの“シミュラクル”以外には、おそらくもう存在していないからだ』
「は──なんだと?」
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【次回】#36『たった一つを』
俺が待つたった一つのセーブにしか、メアリが存在していない。その理由は——
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