#32.1000年の魔力
◇◇◇
始まりの災厄との戦いは、もう一時間ほど続いている。
途中でマリエラがラミーを眠らせてから参戦してくれたが、手数が増えたところで状況は好転しない。奴は倒れる気配すら見せない。
俺の⦅駿脚⦆はとうに切れている。すべてを避け切るのはもう無理で、体力は限界の縁だ。
「だ、ダメです! フィンさん、もう矢も魔力も尽きてしまいそうです!」
視界の端でマリエラのMPを確認する。……あと回復を一回撃てるかどうか。
「わかった。マリエラはいったん離脱、自己回復に専念してくれ!」
「すみません……お力になれなくて……」
マリエラは唇を噛み、悔しそうに身を引いた。だが、これは彼女のせいじゃない。何かが、おかしい。
さっきまで通っていたはずのダメージが、いまはまるで蓄積していない。手応えが霧の向こうへ逃げていく感触だけが残る。
「マリエラ、ミレッタ! 何か気づいたことは?」
俺は間合いを取り直しながら問いかける。
「はい……。途中から、フィンさんの攻撃で傷がつかなくなっています。それに、疲労が溜まっていく様子も見えません」
「私も同意見ね。それと──一瞬だけど、あなたの打撃が触れる瞬間に、加護みたいな反応が立ち上がってるのを感じたわ」
腐っても大魔女、と自称する女だ。呪と結界の匂いには敏い。ミレッタがそう言うなら、奴は何らかの加護か魔法障壁で守られていると見ていい。
「で、これだけやって無理ってわかっても、やっぱり私には頼ってくれないのかしら?」
ミレッタがクスクス笑い、俺に目を細めた。
「……っ」
「いいのよ? 楽になっちゃえば。私を“愛している”って言いなさい──ただ、それだけ。何を躊躇ってるの? それで全部終わらせてあげるわ」
甘くて、刃みたいに冷たい声だ。
「そ、そんな……“そんな事”で助けてくださるんですか!? フィンさん、躊躇ってる余裕なんてありません! 早く言ってください!」
マリエラが俺を急かす。額に汗、けれど視線は怪物から外していない。いい心臓だ。
「……だけど」
「ほらほら、いいのよ? うふふ」
ミレッタは赤ん坊を見る母親みたいな笑みを浮かべたまま、微動だにしない。
◇◇
(ミレッタに“愛を囁く”のは簡単だ。彼女を“覚醒”させれば、始まりの災厄は確実に倒せるだろう)
(奴の異常な粘りの理由はまだ掴めないが、ミレッタが勝てないほど強いなら、前周回のラミーが勝てるはずがない)
(このまま意地で突っ張って散るより、ミレッタに戦わせ、その間に弱点を観測する──それが最適解だ)
ただし、問題はその後──
(ミレッタが奴を倒し、覚醒が解けるまでの間……俺は彼女を抑えられる気がしない)
(彼女がここに来た理由は簡単だ。彼女の求めるものはいつだって一つ──“真実の愛”)
(なら、彼女が“それ”に気がついた時に取る行動は想像がつかない。最悪の場合……)
喉がからからだ。指先が汗で滑る。……賭けるしかないのか?
◇◇
俺は決めて、息を一つ吐いた。
「ミレッタ……聞け。俺はお前を──」
「──“愛している”」
言葉が落ちた瞬間、周囲の草花から音を立てて“色”が抜け落ちた。世界が薄皮を剥がされたみたいに白く、遠くなる。
「嬉し──……はぁんッ」
ミレッタが反り返り、ふっと浮く。数メートル、風もないのに裾が舞う。
──ズズズズズズ……。
“死”を見せつけるほどの魔力が、彼女の身体から溢れた。空気が軋み、影がざわめく。
「な、なな何ですか……これ……」
マリエラが膝から崩れ落ちる。肌でわかる死の圧。
「もちろん……彼女の魔力だ。正確には、その余波だが」
俺は額の汗を拭うことも忘れ、空に視線を固定した。
──シュルルルル……。
それまで圧倒的優位に立っていた筈の災厄でさえ、突如現れた異様な魔力の大きさに混乱しているようだ。先程まで俺一人に向けられていたその警戒は、今では完全にミレッタへと向けられている。
「あ、溢れ出る魔力だけで、これですか!? ミレッタさんっていったい、何者なんですか……!?」
「……ああ。彼女はこのシミュラクルで1000年もの歳月を生き続ける── “最強の魔女” だ」
フィンはマリエラへとそう告げる。
「うふふ、 “最強の魔女” だなんて。本当は、 “最愛の” って言ってくれるともっと嬉しいわ。フィン、愛してる」
その言葉に、ミレッタはくすくすと嬉しそうな声を上げた。空中に浮かぶ彼女の顔は、歓喜と自信に満ち溢れている。
「とにかく、奴を、倒してくれるんだな? ミレッタ」
「うう〜ん、そうねぇ。愛する貴方のためだもの、もちろんよ。だけど……そうね、あとで一つだけ──ご褒美、が欲しいかなぁ?」
俺はその言葉に一瞬ゾクリとしたものを感じたが、「考えておく」とだけ返した。
「ふぅん、確約はしてくれないのね。どうしてそこまで拒まれてるのかはわからないけれど、まあいいわ──」
──グギャオオオオオオ!!
刹那、怪物は叫び声をあげて猛然とミレッタに突進する。
その咆哮は、ミレッタから滲み出る威圧感を必死に掻き消そうとしているかのようで、何処か悲壮感さえ感じられた。
ミレッタは全く動じる風もなく、怪物に向けてその手をかざしながら、俺に向けて可愛らしく片目を閉じた。
「今回だけ、特別よ?」
その指先が、ゆっくりと災厄へ向く。
次の瞬間──始まりの災厄は粉々に弾け飛んだ。
【更新予定】
毎日20:00更新!
【次回】#33『真実の愛』
始まりの災厄の撃破。そしてせがまれる報酬。ミレッタがフィンに迫る——あなたは“誰”?
面白かったらブクマ&★評価、明日からの20:00更新の励みになります!




