#31.1000年の武技
◇◇◇
手近にあった拳大の石をひとつつまみ、俺はまっすぐ駆けた。狙いは蜥蜴の顔——上半身。
ひと呼吸、放る。
ギャオ! と咆え、奴は片腕で石をはたき落とす。乾いた音、土煙。
「ふむ」
同サイズを二つ三つ、間髪入れず拾っては投げ、拾っては投げ。⦅投擲⦆スキルで牽制の弾を雨のように散らしながら、足は止めない。歩幅は一定、テンポは視神経を攪乱する拍。
怪物は一瞬だけ警戒して上体を反らすと、四肢で滑るように俺の背後へ回る。巨体に似合わず嫌に速い。
「──ほぅ」
速度を測りつつ、重心をゆらりと落とし、軸を右から左へ流す。脛の裏まで地の反力を通し、踵にばねを溜める。
顎がぱっくり割れ、左肩へ上から降ってきた。空気が裂け——バグンッ。
噛み砕かれたのは俺ではない。吐息を細く吐きながら軸ごと身体を入れ替え、空を噛ませ、その反動で首筋へ回し蹴り。
──ズドンッ。地が鳴り、砂利が跳ねた。俺の軸は微動だにしない。
怪物がグギィッと喉を鳴らし、鉤爪を横薙ぎ。風圧が頬を切る。重心をさらに落としてするりと潜り、振り切った腕を巻き込み横面へ跳び上がる。狙いは眼窩——貫手。
──ドシュン。手首まで沈む。膜が裂け、温い抵抗、骨。
ンギャゥオォオオオ!!! 頭を振り回す遠心力で俺は振り飛ばされ、空中で体勢を整えて着地。潰れた右眼から血がぼたぼた落ちる。
「よし」
間合いを再計測。呼吸三拍、脈は安定。レベルアップによる感覚的なズレはない。動ける。
◇◇◇
俺の戦闘スタイルは、基本的に⦅体術⦆を主軸としている。理由は単純だ。最小の所持金で最大の火力と生存を確保するため——つまり、高速周回に取り憑かれて何度も何度もRTAを繰り返した末に導いた最適解が“体術特化型”だったからだ。
そして“シミュラクル”では、無手は決して剣や魔法に劣らない。
自分の身体を完全に制御し、敵の攻撃を往なし、逸らし、躱し、その勢いさえ奪って返す。必要なら動かぬ地面すら武器に変える。
それを可能にしているのは生まれつきのセンスではなく、この俺が約二年間——ゲーム内時間にして約一〇〇〇年の大半を⦅体術⦆に捧げた、地道な修練の積み重ねだ。
◇◇◇
残る左眼がぎらりと光り、殺気が一段濃くなる。
(じゃ、俺も上げる)
内側へ意識を沈め、⦅駿脚⦆を起動。視界の縁がくっきりし、踏み出しが間に合う未来が見える。SPが3削れ、足裏が軽い。
グギャオオオオオオ!!
両爪の怒涛が袈裟軌道で落ちる。直線的で速い——だが、遅い。半歩で線を外し、袖で刃を逸らし、空いた肋に二連打。逆足で外へ抜ける。
返し爪、膝の突き上げ、尾の横払い——全部、肩と腰のスライドでずらす。反撃は削りでも、確実に効いている。呼吸が荒れ、重心が浮くたび打点を置く。
「フィン、右!」
マリエラの声。尾が地を薙ぐ。踵を切り替え、前に落ちる。毛先をかすめただけで空振り。踏み込み一足、肋に肘——骨のたわみが手首に戻る。
(ここで畳む)
肩から肘、手首の順に鞭を作り、顎下へ直突き。反射で頭が上がる。喉の隙に掌底。舌根が跳ねる。胸板へ膝、同時に足刀で前足の腱を削る。着地の瞬間、土の反力を腰へ返し、半身崩しに持ち込む。
巨体がぐらり。十分だ。二歩離し、吸う、吐く。脛はまだ動く。
「まぁまぁ……なんて素敵。惚れ惚れしちゃうわ」
ミレッタが恍惚の吐息を洩らす。甘い声色に反して、眼だけがよく見ている。
「ラミーさん、深呼吸。フィンさん、呼吸安定——いけます!」
(ああ、いける。いけるさ)
……ほんの一瞬、ミレッタが悲しそうに眉を寄せ、すぐ悪戯っぽい笑みに戻った。
「——でも、この勝負、あなたの負けみたいねぇ」
満面の笑みで、そう言った。
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【次回】#32『1000年の魔力』
長引く戦い。疲労が限界に近づく中、魔女は囁く——“愛してる”って言いなさい。怪しい笑みの真意とは?
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