#15.金色亭
◇◇◇ 農耕都市“カナン”・大通り——
門をくぐると、石畳の熱気がふっと和らいだ。高い塀に囲まれた通りは思ったより幅があり、家々の白壁が午後の光を柔らかく返す。荷馬車の車輪が軋み、干し草の匂いが風に乗る。粉屋の前では石臼がゆっくり回り、道端の穀袋が小さな丘になっていた。粉じんが金色の筋を描き、子どもがその中を走り抜けてはくしゅんとくしゃみをする。奥では水車が回り、湿った木の匂いが鼻の奥にひたる。
「っく〜〜〜! やっと着いた〜!!」
「ねぇねぇフィン、何食べよ? この街って何が美味しいんだろ。わくわく!」
「俺も初めてだ。名産は知らん。……あの幟の店、雰囲気が大衆食堂っぽい。入ろう」
赤い幟が油煙に揺れている。文字は「金色亭」。揚げ物の香りが鼻をつつき、胃袋が前のめりになった。揚げ油のぱちぱちという音が、通りの喧噪から一歩だけ切り離された温度をつくっている。
二人は門を抜け、大通りの食堂へ。
◇◇
「金色亭へようこそ! お食事ですか? それとも——」
「食事です!」
即答。ラミーの頭の中は飯一色だ。
店内は昼下がりで空き気味。よく磨かれた長机には皿の輪染みが年輪みたいに重なり、木椅子は座面が人の形にすり減っている。入口脇の黒板には今日の仕入れが白墨で走り書き、奥の厨房からは油の弾ける音と、鉄鍋が縁を叩く軽い音がリズムを刻む。窓から入る光が湯気に屈折して、皿の輪郭をほわりと曖昧にした。
「ふふ、かしこまりました。こちらへどうぞ〜」
席に着くなり、俺は念のため釘を刺す。
「ラミー。いちおう聞くが、金は?」
「ないです! フィンさん貸してください!」
「……ですよねー(棒読み)」
(やっぱりこいつ……)
ラミーは学園時代から金遣いが荒い。人虎は種族的に“おあずけ”が苦手、だそうで——本人談。
「フィーン……お願いだよぅ。ウルウル」
(口で言う音じゃないから)
「わかった。その代わり、食べたら情報集め。この街で何ができるか、面白そうなのを片っ端から」
「イエイ! フィン優しい、大好き! 任せて! ——お姉さ〜ん、こっちこっち!」
ラミーはメニュー板を指で追い、矢継ぎ早に注文し始める。白墨の粉が指先に移って、猫の足跡みたいに板の隅に点々と残る。
──オススメは?
──羊肉の衣揚げですね。挽いた穀粉に香草を混ぜて、熱い油でからりと
──じゃそれも〜
奥で大鍋がぐつぐつ唸る。香草の青い香りに、焼きパンの香ばしさ、炒め玉ねぎの甘さが重なって、腹の時計が正直に鳴った。壁の柱には、狩人が持ち込んだ獲物と交換できるメニューの札が数枚、紐でぶら下がっている。
「俺は宿を探す。今日から泊まれるとこ」
「は〜い」
頭の中で手順を並べる。
(まずステータス確認。適正ランクのクエストがあれば回しつつレベルと装備)
(災厄は来る。猶予は不明——できる限り早く“戦える形”に)
(移動手段は欲しい。荷獣か馬。補給線を考えると水の携行は必須)
──えーと、お水を小樽で二つ、もらえます?
──はい、承りました
(ゲーム時代は食事・睡眠がバフ扱い。現実化した今は栄養と休息の“管理”。自炊の習慣がここで生きる)
──お待たせしました
──やったー! おいしそー!
木皿が次々と並ぶたび、卓上の影が増える。湯気がふわりと立ち、焼き色のついた衣の隙間から肉汁がとろりと覗いた。薄い酸味のあるスープ、小麦の焼きパン、根菜の素揚げ、ハーブバターをのせた白いチーズ。
──あの、店員さん……ごにょごにょ
──でしたらうちにもありますよ。二階が宿で、共同部屋と個室が少し
──いくらくらい?
──等級は高くないですが……ごにょごにょ(朝の粥付き/湯は夜に一人一桶)
(この街で情報→資金→仲間の順に整える。頃合いを見てより大きな街へ)
(狩猟納入で食費軽減、は使える。ラミーの“鼻”と足に仕事が増えたな)
◇◇
「——ん?」
視界の端で尻尾がひらひら動く。ラミーの縞尾だ。
いつの間にか料理が小さな山になっていたのに、彼女は手を付けていない。ちらちらと俺を見て、尻尾の先だけ小さく振る。耳が“ねぇ、いい?”と質問の角度。
きゅるる……と俯いたところで、俺は苦笑して促した。
「さ、冷めないうちに。どうぞ」
(考えるのは休んでからでいい。情報が揃わない現状、詰めるのは方針まで)
「えへへ……。いただきます!」
鶏の丸焼きにかぶり。ぱちっと皮が弾け、塩と脂の熱が舌に広がる。次は羊の衣揚げ——衣がからりと歯に割れ、中心の肉がやわらかい。香草の香りが鼻へ抜け、ラミーの目尻が、猫みたいにくにゃっと下がった。
「行儀悪くない?」
「なによ、おいしいんだからしょうがないじゃない! ……ごくん。お料理だって喜んで食べられるほうが嬉しいでしょ。間違ってない!」
「……まあ、それもそうだ」
街を出れば、次に温かい飯にありつけるのがいつかは分からない。食える時に食う——正解だ。俺もパンを割ってスープに浸し、口の中で温度を均す。
「そうそう。この二階、宿なんだって。空きがあるらしいよ」
「お、助かる」
「それとね、鳥や獣を捕まえて渡せば食事代がサービスだって」
「最高だな」
「でしょ〜。それでね——」
隣の卓から笑い声、奥で木杓子が鍋を叩く音。開け放たれた窓からは粉と太陽の匂い。食堂の空気はほどよく賑やかで、眠気を遠ざける温度だ。壁際の掲示板には、灌漑路の整備、人手不足の収穫手伝い、害獣駆除の張り紙が並ぶ。難度は高くない。足慣らしにはちょうどいい。
◇◇
結局、俺たちは金色亭の二階にしばらく滞在することにした。階段は一段ごとにみしりと鳴り、廊下は陽の落ちた粉塵の匂いが薄く漂う。用意された部屋は小さな窓と簡素な寝台が二つ、壁の釘に吊るせる衣架けが一本、洗面用の水差しと陶器の鉢。窓を開ければ、通りの夕餉の匂いと鐘の余韻が薄く届いた。
俺が食べ終える頃には、ラミーはもう眠たそうに目をこすっている。耳が半分閉じ、尻尾の振りも緩慢だ。宿も決まり、急ぎの用はとりあえず片づいたと言える。ワールドクロックに目をやり、明日の動きを箇条書きで頭に刻む。
(朝一で市の掲示板と狩猟納入の条件確認)
(市場で保存食と最低限の衛生具)
(装備は無理せず“今ある身体”を磨く。足さばきの稽古、ラミーの走り込み)
(災厄の兆候は黒い靄と天の声——常に耳と目)
情報集めは明日に回し、その夜は早めに休むことにした。寝台に体を沈めると、藁の詰まったマットがぎしりと鳴り、背中に素朴な硬さが返る。隣ではラミーが丸くなって、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。
窓越しの夜風が額を撫でる。
——まずは一歩。ここから積み上げていく。
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【次回】#16『夜風に消ゆ音』
ステータスに映るいまの自分。やることは決まった、焦らない。でも——隣で眠るラミーの夢を、俺は知らない。
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